錬金術師と黄金の君
混ぜるな危険、と注意書が必要な程度には兎角、神様と錬金術師は噛み合わせも相性も頗る悪く。
我々にとって神の存在とは打破すべき壁。はたまた排斥すべき偶像。等々。語るに尽くせぬ因縁は多い。けれども現状この話題は一端先置くとしょう。なにせ自己の都合で勝手に相手の
そんな訳で。
王都の中央区画に鎮座する西方域を統括する大神殿内。その大聖堂前に隣接する購買所に私は聖水を求めて遥々とやって来ていたのであった。
「お嬢さん。そんな小瓶で複数買うのなら何処の大瓶を一つ購入した方が荷物も減るし安上がりですよ」
後ろに並ぶ大ぶりな聖水の瓶を指差して修道士のお姉さんが優しく声を掛けて来る。対面の販売にも馴れた様子の佇まいから見るに、この手の売り子も修道士たちの持ち回りなのだろう事が窺える。
修行中の身である修道士たちを使えば人件費は安く抑える事が出来る。加えて洗礼と言う名の修練の一環で行われる祈りの義。その場で汲み上げた地下水を聖別した物が聖水と呼ぶものだと言われている。それが小瓶で一本二百ディール。大瓶で四百ディール。無料の資源と労働力で生産されたこれらが高いか安いか。解釈一致は難しく異論は多くあるだろう。
「個別に使用する頻度が多く小分けされている分、入れ直す手間を省けるので助かるんです」
等と適当な嘘を付いておく。特段に聖水を大量に購入したからと言って法に触れる筈も無く、怪しげな用途で扱う……とは元は只の水に過ぎず。疑われる余地は皆無なので少々雑な言い訳なのは御容赦願いたい。
「大変に信仰深きご家庭で育たれているのですね。このまま健やかに成長される事を主は望まれておられますよ」
結構です。と内心では不服の声を上げる。が、建前上はにっこりと微笑んで同時に素顔を隠すフードを深めに被り直す。本人の良し悪しはあれど経験上、この手の詮索好きに興味を持たれると面倒な事態を招く事が少なからずある。それは言動のみならず、私の容姿に関する側面も往々にして。
非常に認めたくはないが、私の美的感覚は過去の
それが要因となってか、初対面の相手の反応は似通っていてもその後は大別して二通り。誤差はあれども普通に付き合える常識的な人間と。私に勝手な幻想や執着を見せる不穏な輩。後者の相手は面倒で出来れば避けて通りたいと願うのは自己防衛の観点からも可笑しくはないだろう。
「では、後日配送致しますので送り先の記帳をお願いします」
悪意無く修道士のお姉さんが帳面らしきモノを渡そうとする段で、私は自分の失敗に気付く。
「お嬢さん。記帳を」
笑顔で迫るお姉さんに他意は無く。私が反応鈍く僅かの間、固まってしまったのには意図せぬ事情があったから。それは勿論、安価な聖水の購入代金や割高ではあるが輸送に掛かる手間賃を支払えぬ訳でなく。もっと世情に即した理由から。
神殿に個人的な情報を残すのは今後どの様な関係性に転んだとしても余り得策とは思えない。けれど今回、送り先に関して言えば問題と呼べる程の事は無く。例えば偽名を名乗り、受け取り先を優男か狐目さん宛にでもしておけば本人たちには事後承諾でも構わないだろう。
ゆえに論点は其処ではなく。杞憂すべきは荷物の配送から到着までに掛かる日数や品質管理などが余りにも適当で心持たぬ点にある。これは神殿に問題があると言うよりも業者の都合と言うべきで。ひいては業界全体に関わる未成熟な部分。つまりは今後の課題であるのだが、今は本題からは反れるので言及は控えておこう。
兎に角である。
荷物が届くのに下手をすれば半月は待たされるかも知れぬ上に、安価な聖水など扱いも雑な筈で。着いたとて果たして何本まともな状態の瓶があるか知れたものではない。では個数を制限し手荷物の範囲に抑えて持ち帰れば良いだろう、と言う意見も聞こえて来そうではあるが、それは声を大にして否と応じたい。
夜の帳亭にある工房から中央の神殿まで。交通の便を踏まえ見ても片道で半日近く。往復で正味一日は掛かるのだ。ゆえに研究の最中。気軽に買い足しに行けるものではないし、近場の商店などで気軽に買える物は神殿からの正規品を探す方が寧ろ難しい紛い物だらけな点は察して欲しい。
要約すると、第一に私が面倒臭いからである。
「実は内輪の事情ゆえ心苦しくもあり言い難くもあるのですが」
聖職に就かれている方になら、とフードの奥で伏せ目がちに思わせぶりに言って見る。
「何か父に良くないモノが憑いて、何か……こほんっ。アレ的なものをソレしているのではないかと。こほんっ。皆が心配しておりまして。私が家人を代表して神の慈悲に縋りにやって来た次第なのです」
と、懇願する体で。逼迫した状況なので余り時間を浪費出来ないのだと。暗に匂わせて妥協点を模索する。
「ですので、手押し車の様な物を貸して頂けるのなら非力な私でも運べますし、入り口まで運べれば後は通りの荷馬車を呼んできますので」
乗り合いでは無く個人で、ともなるとかなり運賃は高く付くが事情が事情である。この際は仕方がないだろう。
「そうですね」
売り子のお姉さんは暫く思案する様子を見せ。
「購買所の物は卸しの商人さんや関係者の方が頻繁に使われるので貸し出しは難しいのですが、寄宿舎になら手空きの物があるかも知れません」
まあ、お嬢さんなら多分大丈夫だろう、と小声で付け足して。
「この大聖堂の側面の緩やかな坂道を登っていきますと、一般の拝礼者の方々が立ち入れぬ私道に続きますが構わずそのままお進み下さい。寄宿舎の部外者の立ち入りは厳禁。本来は戒めるべき事柄ですが、お嬢さんの境遇は偲びなく献身的で。きっと主も許されるでしょう」
意外な程にあっさりと要求が飲まれ拍子抜けしてしまう。
頼んでおいて身も蓋もないが一修道士が安易に許可できる差配を逸脱している気もする。けれどもお姉さんを見るに規律が崩壊している様にはとても見えず。寧ろ逆に。教義に綴られる弱者救済の精神。所謂使命感の賜物だとすれば末端にまで浸透している教育水準の高さは侮れぬものがあるやも知れぬ。
「流石に寄宿舎内への立ち入りは許可出来ませんので、敷地内の誰かに声を掛けて頂く事と、隣接している建物には絶対に近付かない事。お約束して頂けますね」
敢えて強調する辺り、何やら不穏なものを感じはしたが、勿論ですと私は即答し思い浮かぶ限りの謝意の言葉を延べていく。
君子危うきに近寄らず。
駄目だと注意されていて、目に見える虎の尾を踏む様な真似をする程に私は愚かな人間ではないのである。
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