幕間 偽りは深きて
神殿の治療院の二階。控え室の窓辺から眺める空は私の心の内を表す様な見通す先が見えぬ重苦しい曇天で。求めても彷徨える迷い子に啓示が与えられる事も無い。
「導師ティリエール。宜しいでしょうか」
扉の向こうで声がする。控えているお付きの修道士は弁えて。中の様子を窺う様な真似はせず、馴れたもので急ぐ事無く扉の外で返事を待っていた。
「分かりました、今、参ります」
私の名はクラリス・ティリエール。
助祭として。治癒術師として。日々の務めを果たすべく、控え室を後にして治療院の広く長い通路を修道士と連れ立ち歩みを進める。此処は神殿の敷地内ながらも大聖堂からは離れた場所に建つ新設された治療院。大聖堂にも匹敵する程の広さを誇る院内には、しかし祭礼や洗礼を受ける為に訪れる信徒の方々とはまるで趣きの異なる人々が救いと治療を求め集まって来ている。
進む通路の先。私の視界に受付が設けられている大広間の光景が映り込み。個別の医務室に入るまでも無く特有の嫌な空気の淀みにまだ経験が浅く馴れぬお付きの修道士などは眉を顰めてしまう。本来なら諌めるべき場面ではあったが思えば酷なモノ。この場に漂う気配は戦時下を思わせ。濃厚な血と汗と重度の外傷に苦しむ人々の悲痛の声に満ちていた。
「ティリエール助祭」
背後から声を掛けられ、まだ年若い修道士とは異なる重み深い男性の声音に振り返らずとも誰と知る。
「苦しんでいる患者を前に治癒術師がそんな悲痛な表情で接してはいけない。彼らが大金を工面してまで此処に来ているのは同情して欲しいからでは無いのだぞ」
特別に注意が必要な程に、端から見ても私は知らず酷い顔をしてしたのだろう。まだこの環境に馴れぬ未熟な身の上とは言え、それを言い訳にするなど許されはしない。
背後からの戒めに。はっ、と傍らの修道士も表情を改める。強いられて新設された新たな施設を纏める院長は、私の『弱さ』も浮き足立っている院内の状況もお見通しで。振り返る視界に映す姿は四十過ぎ。良く鍛練された体躯は均整がとれて。年齢よりも若々しい印象を抱かせる男性であった。
彼の名はサイラス・ダイスターク司祭。
神殿において
「
酷いものだ、と。明け透けなく司祭は口にする。
神殿が冒険者ギルドと袂を分かち対立的な関係に。異なる歩みを進めたと噂されてから下の者たちは上の勝手な言い分に振り回されて変化する激動の如く日々に疲弊していると。高位の司祭でありながら神殿に対して批判染みた不満を口にする。
けれど、と私は思う。
それは私心ゆえでなく、皆を思えばこその葛藤の発露の形であるのだろうと。察して余りある程にダイスターク司祭の院内での評判は良好なものであった。
職務に厳しい一面はあれど面倒見が良く、悩み多き修道士たちの相談にも助言を惜しまず親身に対応していると聞いている。それは何より内に狭めず外に広げる事の出来る視野の広さ。信仰の深さのみならず、呪術にも造詣が深く身体的な鍛練も欠かす事の無い努力を惜しまぬ革新的な才人の思考ゆえ。誰しもが何れは最高位まで登り詰める聖人であると噂するのも頷ける。
「君には君にしか出来ぬ事も。ゆえに憂慮に尽きぬ事柄もあるのだろう。しかしこの歩みの先。救いを求める者に御手触れるなら、最良では無く最善を尽くしなさい」
抽象的な様で私に取っては確信を尽き。あぁ、この方は全てを察しておられるんのだろう、と。
司祭の厳しくも強い言葉が私の背を押し。感じ入り頭を垂れる修道士を視界の隅に私は歩みを進める。進む先に煉獄への門は開き経て。暗澹たる思いが私の肩を重くするのであった。
血臭と汗が混じった酷い臭い。
苦悶の呻きと漏れる悲痛な叫び。
腕を失っている者。視力を失っている女性。傷口が深く満足に動けず仲間たちに支えられている重傷者たちの姿。処置室に入りきらず、順番を待ちながらも苦しみに耐えている一部の冒険者たちの手にはまだ血に汚れた銀貨が握り締められていた。
私の務めは此処に居る治療が困難とされる重篤な彼ら彼女らの痛みを和らげ、安息の内に最後を迎えさせてあげる事。元より治療と呼ばれる行為は許されず。余りにそれは終末的で。冒険者への高位の治癒魔法の行使は認められておらず、人体の欠損の復元にまで至る司祭位に許された主の御手は。高位の治癒魔法の存在は厳に伏せねばならないと。それが建前であり、ひいては余多いる助祭の身でありながら『それ以上』の奇跡を行使出来る私が
こうして免罪符を与えられ、それに縋る私の臆病さが日々、誰かの大切な人を見殺しにしていく。救えるべき人々を救わない。
ゆえにこれは試練では無く啓示も無く。正しく主が与えられた私への罰なのだ。
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