五幕目

 あやかし。怪異。魔なるモノ。


 曰く魔物とは、と敢えて定義付けするのであれば、古典や童話で語られる戒めや教訓として。或いは人の本性を揶揄する比喩表現として。つまりは物理的な存在としてでは無くもっと概念的で抽象的なモノとして現されるべきなのである。


 ゆえに、厳に確認すべき事柄があった。


「無知を晒す様で大変恥ずかしいのですが、私がこの王都で活動を始めてから二年。幸運に恵まれてか、その様な恐ろしい化け物の存在を目にした事も街の噂話に昇るのを小耳に挟む様な事も無かったもので、情報が足りずどう返答をして良いのか正直に言って困惑しています」


 私の返しはマリアベルさんの更なる逆鱗に触れる恐れはあった。が、それならそれで仕方がない。二の足を踏んだとて其処に進歩は無く、此処で踏み込まねば次に進む事など敵わぬ道理であったからだ。


 マリアベルさんの瞳がゆっくりと伏せられる。が、先程の様な重苦しい空気になる事は無かった。


 「私の未熟さがクリスさんを萎縮させてしまった様ですね……ですがその反応は至極当然なものです。本来、突然魔物などと切り出されても冒険者以外の人間に周知されている筈も無く、理解などされる訳がないと言うのに」


 珍しく其処には自虐的な響きが垣間見えた。


 マリアベルさん曰く。遺跡を含めた不可侵領域は冒険者以外の立ち入りが原則として禁じられているが為に裏を返せば、『それ以外』の他の人間が魔物と言う脅威に接する機会は生涯ないだろうと。


 マリアベルさんの説明を経て、魔物に対し大凡おおよその推測が立った反面、また一つ別の違和感が生じていた。彼女が見せた一連の憤りや悲嘆は全て私の『無知』を目にしての落胆からきている。だが、本人の言でも認めている通り、冒険者ではない私が魔物について知らずにいた事は決して可笑しな話では無かった筈だ。けれど彼女はその事実に感情を揺らがせた。其処に私への過剰な評価の高さが透けて見え正直困惑してしまう。


 確かに私は博識で清廉で性格も顔も良い。


 それは間違いないのだが、しかしながら、私のそうした本質を彼女が知る機会が多くあったとは思えず、二年来の付き合いとは語ったが、お互いに、と記すべきなのであろうが、其処に『親しく』と付く様な関係性は皆無であり、優男からの融資も妙薬ポーションの提供を担保としての正式な契約であって信用云々と言った個人的なモノは無かった筈。事実、こうして膝を突き合わせて商談らしき真似事に興じるのは記憶を辿ってもかなり以前に遡る。ゆえに根拠のない高い評価は逆に私に一抹の不安を感じさせていた。


「魔物の件に関しては大体の部分で把握が出来ました。それを踏まえて本題に戻る訳なのですが」


 と、此処でマリアベルさんへ、と言うよりも、私の瞳は二人の姿を視界に捉える。


 魔物の正体については遺跡周辺にしか生息出来ず、加えてその規則性の多さからも予測が着いていた。


 少し脱線してしまうが、端的に言って魔物とは遺跡を護らせている防御機構の一種であろうと。恐らくは地脈に繋げたリンクさせた錬成陣、或いは相応の触媒を用いて近隣の小動物や昆虫などを変成させているのだろう。そう推測すれば所詮は魔力の継続的な供給がなければ崩壊してしまう紛い物ゆえに陣や触媒からは遠く離れられず、変成の折りの制約に侵入者への攻撃性を組み込んでおけば冒険者を探して襲う整合性もとれる。それに何よりも面白い点は、この様な数に頼ると言う精密さにも魔力の無駄使いとも言える非効率さも、我々の時代の運用概念には見られぬ傾向であり、導き出せる答えは明確で。白銀と呼ばれた旧世代には異なる運用思考の下にまだ錬金術が存在していたと言う事実。それが未だに機能していると言う奇跡。その現実に術師としての私は少し胸がざわめくが、今はまだ商談中。厳に慎むべきであろう。


 さてっ、これでようやく本筋に立ち戻れた訳ではあるが、安堵している場合では無く此処からが駆け引きの部分になる為に少し本腰を入れて望まねばなるまい。


「お話を聞かせて頂き、冒険者の皆さんの窮状を知るにつれ、私は冒険者ギルドからの要請を最大限考慮しても良いと考えています」


 が、と続ける。当然、それ相当に深めるのであろう『友好関係』に即した此方の相談事おねがいも叶えて貰えると言う条件付きではありますが、と。


「今回の妙薬ポーションの件はあくまでも対処の一環。確かに冷静に考えても見ればそれも頷けますね。この西方域と言わずこの王都を拠点として活動している冒険者の数を見ても、私が仮に月に千の単位で卸したとしても消耗品ゆえに所詮は焼け石に水。現状を打開する事は出来ないでしょう」


 私の得意げな高弁にマリアベルさんが何か反論を口にしかけるが、言葉が紡がれる前に優男が身振りでそれを止めた。彼女は不服そうに優男に抗議の眼差しを送るが対照的に優男は笑顔を崩さず暗に私に続ける様にと促して来る。本当にいけ好かない男である。


 そんな様子を窺いながら、であればと私は続ける。


「想像するに今回の一連の行動の真意は神殿に対しての牽制と再交渉が目的なのでは? 下位の治癒魔法と同等の効能を持つ妙薬ポーションが冒険者の間で出回れば神殿としては心中穏やかではいられぬでしょうし、さざ波程度は起こせるでしょう」


「成る程。それを交渉の足掛かりにですか。しかしその話の通りに私が企み、事が進めばクリスさんは体の良い当て馬、と言う事に為りませんか。その結果がどうなるか、貴女も流石に御存じですよね。神殿が有する独自の裁量権を」


 勿論の事。嫌と言う程に心得ている。ゆえにこそ此処まで妙薬ポーションの運用には細心の注意を払って慎重に慎重を期して来たのだから。なれども此方には此方で立ち退き問題と言う退っ引きならぬ事情があるのだ。国を相手に個人では話に為らぬのならば時には賭けに出るべき時もある……筈。


「ですから当然、神殿に対して私の存在は完全に隠匿して貰う事と此方の相談は『聞いて』貰うのでは無く『叶えて』貰う事が絶対的な条件に為ります。それに僅かでも疑義があるのならこの取引は此処で終わらせて下さい」


 言うべきは言った。後は向こう次第ではあるが、果たして冒険者ギルドの権威と力が何処まで神殿と王国に対抗出来得るものなのか。政治に疎く畑違いも甚だしい私には読みきれぬ部分である事は否めない。


 最悪、良くて追放。悪ければ冤罪で投獄されて極刑まであるやも知れぬ、がその時は諦めて次の機会を待つとしよう。


「承知しました。全ての条件を受け入れ遂行する事を、この私ビンセント・ローウェルが冒険者ギルドの組合長としての責任おいて御約束致しましょう」


 腹を決める、などと言う暇も無く。本当にあっさりと呆気なく、優男は此方の条件を受け入れ快諾する。


 これで取引は成立ですね、と席を立ち私に右手を差し出して来る優男の姿を前にして、予定調和の如き成り行きの真偽に気付く。この男は始めから私の窮状を知っていたのではないのかと。そして何かしら解決への算段があるからこその取引の提案だったのではないのかと。


 勿論聞いたとしても真偽の程は分からぬし、仮にどう言った返答であろうとも腹が立つのは変わらぬゆえに止めておく。


 差し出された手が眼前に。


 私は嘆息すると不承不承。此方も手を伸ばしその手を握り返すのであった。



 

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