三幕目
ずしり、と重量感のある革袋の口紐を解き、私は一枚一枚中身の金貨を取り出すと舐め回す様に確認しながらテーブルへと置いていく。
はしたない?
いえいえ、常識です。
契約を交わしてしまえば後で文句は言えません。後で一枚足りないなどと抗議しても通用しないのです。なので私は躊躇はしません、別に恥ずかしくなんて無いですよ?
それはもうたっぷりと時間を掛けて金貨の枚数を数えてから私は売買契約書に署名する。再度文面を確認し終え、ちらりと覗き見た視界に映るのは絵に描いた様な美男美女の取り合せ。これが持つ者の余裕と言うモノなのだろう、かなり待たせてしまったが、テーブルを挟んで優雅に座っている優男も、隣に立っている美女もまるで気にした風も無く待ってくれていた。
紹介が遅れたが此処は商談の為に訪れた冒険者ギルドの組合長室。
勿論取引相手は目の前に座る組合長である。この優男、冒険者ギルドの組合長であるビンセント・ローウェルとの付き合いは、実は熊さんことゴルドフ・ルゲランよりも長い。どの程度の付き合いなのかと言えば、正式な市場での私の
一見すれば友好的な協力関係を構築出来ているに見えても、その実は良好な商売相手と呼べる程に気を許せる存在ではなく、更には個人的に整った顔立ちの男が癇に障ると言う高尚な私の倫理観が激しく警鐘を鳴らせはすれど、反面それを除けば若くして現役を退いたとは言えども元は二つ名持ちの最高位冒険者。それだけに私の
「実はクリスさん。今日は月例の取引とは別にお願いがありまして」
「奇遇ですね、実は私も組合長に相談があるのですよ」
「ほうほう、何でしょうか力に為れる事なら良いのですが」
「いえいえ、まず其方からどうぞ」
どうぞどうぞ、とお互いに譲り合う。端から見れば私も優男も曇りない満面の笑みを浮かべ、実に和んだ場の雰囲気での遣り取りの如く見えたであろうが、内情は真逆の感情で満ちている。前記した通り、何がどうあれ一皮剥けば互いに利用し合い騙し合い。そんな関係性で認識は間違ってはいないと思っている。何よりこれだけ私が嫌っているのだ。人の印象とは合わせ鏡。つまりは優男に私も同じだけ毛嫌いされている事だろう。
なので、一拍おいて。
「大変心苦しい申し出ではあるのですが、端的に言いまして、もう少し
との優男の
「数の方はまあ……多少は融通が利かない事は無いですけども、値下げの件は現状では難しいです。理由は察して頂けますよね?」
こほんっ、と一息。無理難題を吹っ掛けられて渋々譲歩した体で
現在の契約上、私は月に一度冒険者ギルドに
「クリスさんは神殿の横槍を危惧されているのですね」
「ええ、神殿への寄進料は確か十万ディールだった筈。それで受けられる
「クリスさんは御自分の
「まさか……一重に冒険者ギルドが私の
けれど、と此処で語尾を強めて見せる。
「扱うモノがモノだけに行動は慎重に、と。私は無駄に敵を作ったり誰かの恨みを買ったりと、その手の面倒事を避ける意味においても『理解ある』
勘違いでしたか、と笑顔を崩さず嫌味を言ってやる。が、無論の事、海千山千。私などよりも遥かに
「クリスさんの御気持ち。
「それは冒険者ギルドが私の後ろ盾になってくれると言う意味ですか?」
「より良いお付き合いと親密な関係を築けるのではないのか、と言う意味です」
私の問いに優男はにこやかに頷いて見せる。一見、私の言を肯定している様にも思える言動ではあったが、暗に仄めかせているだけで言質は取れていない。契約の書面なども交わす気もないのだろう。それは確たる取り決めを結ぶつもりは無いと言う意思表示。つまりこれは両者の信頼関係の上に成り立つ只の口約束と言う事に他ならない。
極めて危うく危険な取引への誘い。そう思えなくもない。けれど冒険者ギルドが神殿勢力や薬術師ギルドを牽制してくれるのなら、やっとまともに商いの真似事くらいは始められるかも知れない。私が矢面に立つ事無く事業を拡大させていくと言う、当初の方針も、まあ、やり様次第で何とかなる気もする。それに面倒この上ない信仰やらと直接的な利害関係が生じる神殿とは異なり、内病の治療薬や王国から支給されている研究費が主たる財源である薬術師ギルドとは案外、他の市場に
まぁ、それは流石に楽観論が過ぎると言うものだろうが、何せ此方にも立ち退き問題と言う頭の痛い当面の難題もある。冒険者ギルドの助力を得る為にも此処は一歩前に踏み出して見るべきだろうか?
結局の所。問題なのは全ての前提条件の要となる目の前の男を私が信用出来るかと言う、最終的には其処に行き着くのだが……。
はあっ、と深く溜め息を付く私を優男は変わらず穏やかな佇まいを見せながら返答を待っている。泰然自若とは良く言ったもので。本当にこの男は気に食わない。が、それでもこの優男は正しく
金持ちに成りたければ金持ちに飯を奢れ、か。
そんな格言染みたことわざを思い出し今更だな、と覚悟を定める。道半ば。異なる
全てを違えて身を滅ぼす。積み上げてきたモノが全て崩れて無へと帰す。それら燦々たる結果を想像して私は一瞬身を震わせる。だがそれは恐怖では無く確かに未知なる感覚への歓喜からであった。
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