錬金術師と日常と
夕闇が迫る街並みを窓辺から物憂げに眺め見ている彼の金髪が差し込む朱色に濡れている。眉目秀麗な彼の顔立ちと相まって、それはとても絵になる光景だった。
「紅茶をいれたから、どうぞ」
と、私は彼に呼び掛ける。
思わず普段通りに接してしまったが、今は部屋に二人きり、特に周りの目は気にしなくてもいいだろう。
私の名前はマリアベル・マルレーテ。
今は訳あって冒険者ギルドの組合長。ビンセント・ローウェルの補佐の真似事をしている。今は互いに引退しているが私も彼も元冒険者であり、苦楽を共にして来た信頼に足る仲間。そして何より彼は私の大切な友人であった。
彼が冒険者を引退する理由ともなったある事件の顛末の結果。若くしてイリシア王国の冒険者ギルドの長へと専任された彼の助力の為に、私がこの国を訪れたのは今からもう三年も前の話。やっかみも含めて未だにギルド内では彼と私の関係を疑う者たちは多い。下種な勘ぐりも甚だしい話ではあるが、最近では根も葉もない如何わしい噂を流す心無い者たちも居る中で、彼の足を引っ張らぬ様に職務中の言動や態度には細心の注意を払っている。
「今回の件で彼女には随分と嫌われてしまったかな」
彼が他者からの印象を気にするのは本当に珍しい。まして好悪の様な感情面の話ともなれば尚の事。それだけ特別な相手ともなれば。彼と私の間で話題に挙がる彼女が誰を指す言葉なのかは語るまでも無い。
クリス・マクスウェル。
皮肉に満ちたその名が持つ意味と容姿端麗ではあるが、その美しさは例えて精巧な造形美と呼ぶべきモノで。まさに
「あら、大丈夫よ、貴方は初めから好かれていなかったもの」
「それは悪い冗談だよ」
本気で心外そうな反応が返って来た事で紅茶を手にしていた私の手が止まる。彼は上手い冗談を言える性格の人間では無い。だとすればこれまでは本当に嫌われていなかったとでも思っていたのだろうか。だとすれば重症だ。彼はとても思慮深い人間ではあるが、普通の人間よりも感性が何処かずれている。
こんな時、私は旧知の仲のよしみとして、きちんと現実を見つめさせるべく認識を正してあげる事にしている。
「ビンセント……残念だけど二年前、貴方との初邂逅の時から彼女からの印象は最悪だったと思うわよ」
駄目だ……思い出してしまった。出逢ったその日に彼を見た彼女は、まるで悪夢でも眼前に見せられた様に瞳を見開き、表情を引き攣らせて。その場面を思い出すと自然に唇が緩んでしまう。歳月を重ねる事に言動や表情を大分取り繕える様になってはいたが、それでも現在に至るまで彼に向ける態度の余所余所しさだけは変わらない。
けれど彼女の見せる嫌悪感は隠に籠った陰湿なモノでは無く、時に清々しさすら伴う陽の気配が漂う真っ直ぐな感情の発露である為に、思い出す度に屈託なく笑えてしまうのだ。
「彼女を見ていると黄金の時代をモチーフにした戯曲『ルクセンドリア』を思い出してしまうのよ。でも、それも当然なのかも知れないわ。だって、どうしようもなく彼女はクリス・マクスウェルなんですもの」
「マリア。淑女を落胆させるのは偲びなく、かつ否定的で申し訳ないけれど、古の大錬金術師クリス・ニクス・マクスウェルは男性だよ」
彼が呆れ顔で言う様に。古典の教本で。学術書で。或いは古代の文献で。そして大衆の娯楽である舞台劇の場で。習い、覚え、知る事となるクリス・ニクス・マクスウェル名は数多くの歴史的な偉人の中でも飛び抜けて高名で。特に魔法を志す術師の間で知らぬ者はこの大陸には居ないだろう。
しかし私が彼女を透して見る姿は、偉大な錬金術師の別の側面。高名な戯曲『ルクセンドリア』で語られる逸話と人物像であった。
戯曲で語られる彼は。
曰く、極度な美男子嫌い。
曰く、重度の女性不信。
劇中での彼は人生で四度の恋をして愛を知り、そして眉目秀麗な男たちに愛した女性たちを奪われるのだ。しかし裏切りの物語である筈の逸話の数々は彼の秀でた性格ゆえに悲劇でも、愛憎劇でも無く喜劇として語られる。
勿論、全ては虚構の世界でのお話。過去の文筆家たちの想像が肉付けされた創作劇。けれど面白い、と。時に軽薄で時に人情深く。けれど本質は陽気で人が好い。そんな人物として語られる彼の人柄は、まるで輝く太陽の申し子の様で。だからだろうか。そんな彼を想起させる可憐な少女の姿は、微笑ましくもあり、また有り得ぬ夢想を私に抱かせる。
「確かにクリス・ニクス・マクスウェルは男性だったけれど、錬金の秘術は神の座にまで至り人の法理の外に在る。不死を再現させたと言われる記憶の転写。語られる
「かも知れないが、それらは全て歴史的な背景も定かではない空想の域を出ないお伽噺の類い。実際にそれらの魔法が実在していたかは今も論争の的になっている事は魔術師である君の方が寄り詳しいだろうに」
法理を外れた術師の集団。秘密結社『ニクスの後継』
仮に彼女が『ニクス』を名乗っていたら。正直、今と為っては考えたくもないが、私たちの関係性は間違い無く敵対的で破滅的なものになっていただろう。それら事情とは異なれど魔法に関わる多くの者が、この先で高名な大錬金術師に肖った彼女の詐称に眉を顰める事は確かな事実。けれど私は彼女を傲慢だとは思わない。彼女には高言に足るだけの溢れる若さと希有な才能がある。
あの革新的な
それ程のモノを生み出せる彼女の存在は正しく新しい風。それが例え荒々しい嵐の到来であろうとも構わない。閉塞した今の全てを跡形も無く壊して欲しい。それが私たちが見出だした希望であった。
「それよりビンセント。神殿関係の対策は兎も角。彼女の依頼を貴方らしくも無く随分と安請け合いした様に見えたけど本当に大丈夫なのかしら? 今更やっぱり駄目でしたでは済まされないのよ」
「抜かりはないよ。クリスさん周りの動向には常に目を光らせていたからね。あの地域の事情は既に把握していたから、もう根回しは済んでいる」
自分が女性に対してかなり際どい発言をしている事に、たぶん彼は素で気付いていない。彼の長所と短所は併せ鏡の如く。職務上必要であっても好感を抱く女性相手には完全なる悪手であるのだが、意趣返しの意味合いも籠めて今は触れないでおく事にする。
「元々、風俗関連の開発事業は非合法な連中も絡んでくる面倒な案件な上に、一般的な印象で語っても体裁が悪い。その分上手く立ち回れれば実りは大きいけれど表立って動く旗振り役の貴族は限られるだろうね」
勿体振ってはいるが、付き合いの長さゆえに既に彼がある程度の算段を着けているのが窺える。ゆえに少しだけ本題に触れて見る。
「バルロッティ子爵家でしょ」
私の言に彼はやれやれ、と肩を竦め。その行為には少なからず肯定の意味合いが含まれいるのが見て取れる。冒険者ギルドの情報網は優秀であり、加えて扱えるのは彼だけではない。其なりの事業規模であれば少し調べただけである程度の詳細は掴めていた。
此れから
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