錬金術師クリス・マクスウェルの人生録
ながれ
新たなる始まり
クリス・マクスウェルと称する錬金術師
幾星霜。長き月日の流れと共に知識と技術は失われ、より高度な
千年の時を経て、文明も魔法の水準も驚愕する程に衰退している。
それが目覚めてから五年……
錬金術の頂、
が、それはそれ……である。
私にとって死とは終わりの言葉では無く、時間もまた有限では無い。なればこそ、分相応に目覚めた時代に相応しい己の欲望を満たしていきながら、遠く先の未来に期待を寄せつつも今の世を満喫するとしましょうか。
何をしたいか問われれば、以前は無縁であった別の
ついでに世話になった錬金術の地位向上に貢献できるなら万々歳。
そんな訳で今日も今日とて金稼ぎ……我が
私は頑張っていますよ。
★★★
俺の名前はマルコ・レッティオ。
此処は王都クリスベンの片隅の『夜の帳亭』なる怪しげな自称錬金術師の店。見渡せば薄暗い店内には怪しげな器具やら、俺を見ろ、とばかりに主張の強い人面。もとい髑髏を模した装飾が施されたアクセサリー類が並び、これら全てが売り物なのだろう。一度手にすれば例え捨てても知らぬ内に返って来る様な高機能の禍々しさすら感じさる悪趣味な呪物類が若干の埃を被りつつも鎮座されていた。
錬金術師を誇称する
そんな俺が何故こんな場所に居るのかと言えば。
「嬢ちゃん……頼むよ、なっ、この通り!!」
と、全身を覆う外套で表情すら窺い知れぬ如何にも錬金術師然とした風体の店主、側の人間ではなく頭を下げている大男の方の関係者である事は述べておくべきか。
大男の名はゴルドフ・ルゲラン。
付き添いではあるが、有り体に言えば俺はこの
ルゲラン一家と言えば王都でもそれなりに有名な荒くれ者たちの組織として知られていた。中には過激な野盗の群れなどと揶揄する連中も居るが俺としては合法、非合法を問わず堅実。安心をモットーとする優良な営利組織だと自負している。まあ何が言いたいのかと言えば、目の前の男……もといゴルドフさんはそのルゲラン一家の頭目であり、俺の上司であり、裏界隈の有力な顔役の一人だと言う事だ。
「いきなり此処から立ち退けって言われても、性急過ぎて答えに窮してしまいますよ」
色濃く困惑の色こそ感じられるが、応じる旋律は澄んだ鈴の音。例えるならば小柄な店主の音調はそう表現するしか無い程に美しいモノであった。
今にして思えばゴルドフさんがお嬢、と呼んだ時点で気づくべきではあったのだろうが、錬金術師への先入観から年老いた老婆を想像していた俺は店主の予想外に若々しい声に驚いてしまっていた。
店主の声音は成人女性ですらないまだ少女のソレだ。いやいや、驚くべきと言うのならば特筆すべき点は他にある。言うまでも無く王都の裏界隈で『狂犬』ゴルドフ・ルゲランと言えば粗暴な暴君として指折り、と言わず一、二本折れば真っ先に名が挙がる程の悪党中の悪党である。
何が言いたいのかと言えば……二人の関係性に理解が及ばない。ゴルドフさんに付けられた狂犬の忌み名は面倒事や『頼み事』を理不尽な暴力と言う名の交渉術で対応する普段の姿勢から畏怖を籠めて囁かれている代名詞。それを思えば違和感が拭えぬのは仕方ない事ではあったのだ。
店主に対するゴルドフさんの腰の低い対応は狂犬の呼び名とはかけ離れ、普段とは一変して慎重に丁寧に事を運んでいる様子が窺える。考えるに今回の主旨。例えば今度この辺りを仕切る事になった俺の顔見世で店を廻っている訳では……態度や言動からして見てもこの店に関してだけは違うのだろう。俺は問い質したい気持ちをぐっ、と堪える。
好奇心は猫を殺す。
俺の縄張りに在る店なのだから今後は直接的に関わる事にはなるのだが、それでも今は様子見が賢い選択だろう。下手に此処であれやこれやと問い質して無能者の烙印を押されるのは流石に上手く無い。まずは聞き役に徹する事にする。
「性急なのは承知の上で頼んでる。だから立ち退き料として一千万ディールこっちで用意のするし、後は代替え地って訳でもねえが空き店舗。いゃあ空き家だけどよ。それもこっちで何とかするからそれで納得してくれねえか」
「錬金術師がこの場所に工房を構えるのには構えるだけの呪術的な意味があんですよ。他所に移ってさあ再開だ、て言う簡単な話でもなくて。ううん、と上手く説明できないんですけどね」
女店主の言い分に流石は
「いいや、分かるぜ、って分かんねえけど言いたい事は分かるって感じだがよ、それでも譲れねえ理由がこっちにも有る。悪いがお嬢、今度だけは頼む折れてくれ」
「兎に角ゆっくり話をしませんか? 私も詳しく事情を知りたいですし」
この女店主の意見には俺も賛成である。
傍から見ていてもゴルドフさんの態度は性急に過ぎる。はっきり言って両者の会話は噛み合っていないし、立ち退き云々の事情は俺にも当然分からないが、此方側の言葉が明らかに足りていないのは間違いない。何度か話し合いを重ねていた形跡はあるが、店主の困惑している様子を見るからに毎度こんな感じなのだろう。
「旦那。口を挟むのも何なんですが、一度腹を割って話した方が良いんじゃないんですかね?」
と、俺は初めて会話に参加して店の隅にぽつりと置かれているテーブル席を暗に勧めて見る。
「ほら、相棒さんもそう言っている事だし、お茶ぐらいは出しますから」
女店主もこれ幸いとばかりに俺に同調するとさっ、と踵を返して店の奥へと消えて行く。止めるタイミングを逸した為か、或いは同調した俺たちの一連の流れに戸惑ってか、ゴルドフさんは複雑そうな表情を一瞬垣間見せはしたが、納得はしたのだろうか、殊更に気分を害した様子は見られない。俺はその姿にほっと胸を撫で下ろし、席へと着いた俺たちの下に店主が姿を見せるのにそう時間は掛からなかった。
仄かに甘い香りが店内に漂い。
紅茶であろうか、店主が両手に持つ盆の上で香り立つソレに俺は視線を送る。瞬間、偶然フードを降ろした店主の、少女の素顔を前にして俺は言葉を失う。
端正な顔立ち。
流れる長い黒髪
闇夜の如き黒い瞳。
後に教えられた少女の名はクリス・マクスウェル。
俺と錬金術師を自称する夜の帳亭の女店主。その邂逅こそが全ての始まりであったと今に思えば知るに遅く、否応もなく舞台の幕は上がり物語は動き出すのであった。
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