一幕目


 神は天にいまし全て世は事もなし。


 とはいかぬモノで……面倒事とは得てして望まずとも向こうからやって来るモノである。


 二年も掛けて地均しを行い、目立たぬ様にと態々治安も余り宜しくないこんな立地に工房を設け、更には怖いお兄さん方と仲良くお友達になる為に自作の妙薬ポーションを格安で振る舞い続けて来た、言わば事なかれ主義の権化たる私に対する世の仕打ちがコレである。


 まったく以て遺憾の極みと言えましょう。


 そういう訳で今、私の目の前に座っている熊野郎と狐目の金髪に抱いている感情がどの様なモノであるのかはどうか察して頂きたい。


「区画整理……ですか。つまりは国策。地域振興を見据えた公共の事業という訳ですね?」


「そういうこった嬢ちゃん、この辺り一帯は一度更地に戻してから新たに風俗街が出来上がるってのが専らの噂らしいぜ」


 一見して他人事の如く語る熊野郎ではあるが、既にこの件に一枚も二枚も噛んでいるのは明白だろうにいけしゃあしゃあと、と思わなくもありませんが、勿論怖いので何も言いません。


「となると貴族の利権絡みのドロドロに巻き込まれちゃった感じなんですかね」


 此処連日熊野郎が……もとい熊さんが立ち退けの一点張りで埒が明かなかった理由がようやく理解出来た。熊さん一家に依頼された案件は俗にいう貴族案件と言うモノで間違いは無いのだろう。


 風俗業と言うモノは娯楽が少ない昨今の世では安定して金を生み出す金の生る木。勿論この王都には他に幾つもの歓楽街が存在する事を踏まえれば莫大な、とまではいかないまでも失敗の少ない事業計画である事は言うまでも無い。

 

 ましてこの辺りは一歩裏路地に入れば日がな路上で瞑想されている賢者の方々が吐いて捨てる程もいらっしゃる土地柄。区画整理のお題目でそんな賢者の皆さまを追い出せる上に、国有地での商売ともなれば毎月の税金とは別に借地料も徴収出来ると言う寸法。更には誘致する娼館の入札やらで確実に生じるであろう裏金などで貴族様の懐は個人的にも潤うと言う……何と良い所尽くしの素晴らしい政策であろうか。


 勿論の事、これらは立ち退きを迫られる側でなければ、と言う注釈は当然付く訳ですが。と、此処まで理解出来れば熊さんが頑なに内情を語りたがらなかった理由も大凡察する事が出来た。


 この手の話は首を突っ込む程、面倒に巻き込まれる恐れがある。つまりは何も知らずにいた方が良いと言う事もあると言う事だ。詳しく話したがらなかったのも熊さんなりの気遣いなのかも知れない。


 とは言え、私としても退けない事情がある……何よりソレが頭の痛い問題なのであった。


「聡い嬢ちゃんなら分かるってるとは思うがな、一応忠告だけはしておくぜ。俺たちが手を退いたとしても状況は変わらねぇ。それどころか間違い無く酷くなるぜ。交渉に応じない相手に俺たちみたいな連中がどう対処するかなんてのは相場が決まってるからよ」


 熊さんの瞳に剣呑な色が宿る。語るまでもない話ではあるが、この辺りの区画は極めて治安が悪く、比例して物騒な連中が多く徘徊しているのも事実であった。


 手っ取り早く蹴りを着けるなら店に火を点けて家主は攫っていく。


 と、嬉々として例をあげつらう熊さんの表情に私は最高の愛想笑いで返す。他の連中と言葉を濁しているがアンタらもやってるんだろうとは流石に突っ込め無い。


「私も無茶をするのは御免ですし、もうこれ以上は危険だと感じたら大人しく立ち退きますので、最大限の譲歩を期待出来ませんか? こうして熊……こほっ、ゴルドフさんが自ら出向いているって事は期待しても良いのでしょう?」


 と、問う私に熊さんは少し思案げな表情を見せ、


 「経験から言えば着工は恐らく一年後ぐらいだろうとして……其処から逆算して最長で半年ってところか。用地買収はその時期くらいには終わらせときてえだろうからな」


 私への返答というよりも熊さんのソレは自問自答に近かった。


「なら半年。熊……こほんっ、ゴルドフさんが引き際だと感じたらその時点で引き下がりますから、それまで待っては貰えないですか?」


「貴族相手に下手な立ち回りは勧められねえんだがな……」


「無茶はしないと約束します」


 錬金術師にとっての工房の重要性と移転には相応の手間暇と時間が必要なのだと力説を忘れずに付け加えておく。


 面倒事を避ける為にかなり早い段階で立ち退きを勧めてくれた熊さんの行為は、私が扱っている代物を考えれば多分に打算的なモノではあるのだろうが、だからと言って其処に善意がまるで無いかと言えばそうは思えない。熊さんとの付き合いは二年程度ではあったが、それなりに信用を。いやごく僅かに……いやいや、爪の先程は信用していたし、そうでなければ取引相手として選ぶ事は無かっただろう。ゆえに真摯に説得する事で熊さんには何とか納得して貰った。


「じゃあこの話はこれで終わりと言う事で?」


「ああ……」


 渋々と言った様子で頷く熊さんに私はご機嫌を取る事にする。方法は、と言えば私は事前に用意していた小さな木箱をカウンターの裏から取り出すと熊さんに手渡した。


「これは今月分と言う事で」


 それだけで熊さんは察したのだろう、徐に木箱を開き。中に収められていたのは十本の小瓶……勿論中身は全て妙薬ポーションである。


「何時ものお友達価格で」


 いいですぜ、ぐへへへ、と悪い顔で手揉みして見せる私に熊さんが一瞬呆れた表情を見せたのは……うん、私の勘違いだろう。熊さんが一度隣の狐目金髪を見るが、直ぐに思い直した様に自分の懐から革袋を取り出すと金貨を一枚テーブルへと置いた。


 ウチの妙薬ポーションはお友達価格で一本一万ディール。


 うん、まったくもって良心的な安心価格である。


「何か困った事や他者よそと揉めた場合は直ぐにウチに言えよ。ああっ、今度から此処らの縄張りシマはコイツに任せる事になるから連絡先は……まあ後日また来させるわ」


「マルコ・レッティオです、今後とも良い付き合いを願いたいですね。お嬢さん……ええと」


 熊さんに促され狐目の金髪が私に手を差し伸べて来る。多分によそよそしいのはまぁ当然だろう。これ程の美少女なぞ世界を見渡してもそうは居なかろうゆえに。何せ私が創造した最高傑作の一体なのだから。そして古来より美女、美少女とは得なモノ。


 なので、


 「クリス・マクスウェルです」


 と、楚々として満面の笑顔で応えてやった。此処までがお約束。と言うことで逆上せ上った狐目金髪と平常運転の熊さんをそのまま店の外まで見送ってやると、戻った私はそのまま入口の扉の鍵を閉める。元々大して客など来ないのだから今日はもう店じまいでも良いだろう。


 何せ考えねば為らない事が多すぎる。


 熊さんに語った話は大体が出鱈目なのだが本当の部分も一部ある。


 それは店の地下に設置した工房が簡単には他所には動かせないと言う事だ。


 物理的にも……そしてそれ以外の理由に置いても、だ。


 端的に言ってしまえば私が持つ技術や魔法は余りにもこの世界には過ぎたるモノ……全てはこの一点に尽きる。


 例えばウチの妙薬ポーション


 これは私が精製できる中でも可能な限り品質を落とし劣化させた粗悪品なのだ、が。にも関わらず大量に普及させてしまえば間違い無く大陸の経済を含めた力関係を揺るがせてしまう……それ程のモノ。


 この時代。精製する薬術師ギルドに依って多少は効能に差はあるが、基本的には『痛み止め程度』の範疇を超えない一般的に普及されている妙薬ポーションに比べ私の妙薬レッサー・ポーションと呼称すべきモノは軽度の傷や内症ならば瞬時に回復させてしまう。重度の裂傷や内病であっても痛みを緩和させ飛躍的に治癒能力を高める効能を持つ。


 流石に慢性的な持病や黒死病の様な流行り病には劇的な効能を持たないが、何度も言うがこれが私が作れる最低品質の妙薬ポーションの効能なのだ。そして悩ましい事に私はこの妙薬を素材費を含め千ディール程度の予算で大量に生産する事が可能なのである。


 市販の妙薬が平均二万ディール前後。


 内病を癒す医術師は別枠としても治癒魔法ヒールを用いても軽度の外傷を癒す事しか出来ず、痛みを取り除く程度の効果しか持つ術の無い自称治癒魔導師たちが重宝される昨今の世で。その治癒魔導士たちを擁する神殿に治療を依頼する為の寄進料が実に十万ディール。


 この国だけでは無い……今や世界全てがその程度の水準なのだ。


 その気になれば霊薬エリクサーすら精製可能な高度な知識と技術が足枷となって存分に金儲け……もとい商いが行えないと言うのは甚だ皮肉な話ではあるが。


 だが焦るなかれ。


 物事とは最初が肝心なのだ。


 だからこそ二年の歳月を掛けて下準備を重ね、一部のルートに妙薬ポーションを流して世間の反応を、王国の動向を注意深く窺ってきたんじゃないか。当初の計画通り、難題は多いが一つ一つ解決していけば良い。私にとって時間とは相容れぬ仇では無く頼もしい味方なのだから。





                ★★★




「まさかあの妙薬ポーションの出所がこんな店だったとは正直驚きましたよ」


「この店の秘密は俺とお前しか知らねぇ。その辺りはきちんと理解してるんだろうな?」


「勿論ですよ頭目」


 これからこの店『夜の帳亭』の管理は俺の仕事なのだと当然理解している。色々ゴルドフさんからは引き継ぎをして貰わなければいけないが、多くの幹部候補の中から俺を選んでくれた事は純粋に誇らしかった。浮かれていたつもりはないのだが、そんな俺の内情を見透かした様に射貫く様な眼差しが俺を見つめてくる。


 ぞくり、と背中から冷たい汗が滲み出る。


 其処に在るのは何時もの『狂犬』の姿であった。


「肝心な事だから初めに言って置く。いいか、あのば……嬢ちゃんを交渉事で騙したり嵌めたりするのは構わねぇ。けどな何が合っても脅す様な真似はよせ」


「分かってますよ、妙薬の事もありますし出来る限り」


「機嫌を取れって話じゃねえよ。俺は絶対に反目には回るなと言っている」


 凄みの在る低音に、圧力に負けて俺は良く分からぬ内に頷いていた。


「見た目に騙されるなよマルコ。アレはお前が思ってる様なタマじゃねえ」


 俺を威圧する狂犬の眼差しに隠せぬ恐怖の色があるのは……いいや、見間違いだろう。ゴルドフ・ルゲランは誰かに憶する様なそんな男では無い。まして触れれば折れてしまいそうな、あんな華奢な少女に憶する理由などないのだから。

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