一幕目
購買所を後にして。
続く坂道は緩やかで、体力にまるで自信のない私でも何とか息を切らさず登る事が出来た。出来た、と過去形である事からも分かる通り。道と言うものはいつかは終わりを迎えるもので。視界の先、一見すれば学舎の如く建物を望み。それが先程聞いた寄宿舎である事は辿った経路からしても間違いはないだろう。
だがしかし。
今一歩を。思えば疑念を持って要心を以て。冷静に踏み出すべきであったのかも知れない。如何に一般の者の立ち入りが禁止されているとは言っても、寄宿舎とは修道士たちが学び暮らす生活の場。ゆえに無人の野ではあるまいし。其処に続く一本道で誰ともすれ違わない違和感から齎らされる不自然さに注意を払うべきであったと。
時に理不尽とも思える事象はあるもので。例えて言えば、天候にて雨時々大嵐。虎の尾が向こうから全力で踏まれに来る事も稀の日には起こりえる。まあ、総じて言えば後の祭りと言う事だ。
坂道の突き当たり、終着点と呼ぶべき場所で私は立ち止まる。それは物理的にと言う意味ではない。視界の奥には寄宿舎と庭園が広がり、眼前の正門は立ち入りを拒む事なく門戸を開いている。
阻むモノのない状況で私の足を留めさせた理由。それはまるで粉雪の如く。舞い降りるのではなく昇り征く。淡い光の輝きを目にしたからだ。
「あれは
見間違える筈がないゆえに。身が震える程にぞくぞくとする。それは本当に久しく忘れていた感覚だった。
魔素と魔力の違いの一つは視覚として捉えられるか否かと言う点にある。これには副次的な意味があり、大気に満ちる魔素が不可視であるのは具現化されていないから。術式を介して構築された魔素は元素を帯びて魔力に至る。濃密になればなる程に魔力の色は鮮やかに。
燃える赤。鮮やな緑。深い蒼。浸透する黄。それら魔力に帯びた属性の輝きこそが魔法の基礎であり根源であり全ての万象を司るのだ。
常識的な判断が警鐘となって脳裏に響き歩みを鈍らせはする。だが、こんな光景を見せられて私に進むなと言うのは余りに酷な話。
従って。
魔力の発生源へと脇目も振らず駆け出して。正門から遠からず。至った中庭で私の視界に映るのは無数に並ぶ手車の数々。けれど望んでいた光景とは異なって。寄宿舎内から漏れる喧騒と静まる中庭は静と動。対比する異なる情景の理由は明らかであった。
広場に並ぶ手車に繋いだ荷台には冒険者たちであろう遺体。送り人の如く鎮魂の祈りを捧げる修道士たちが脇に並び。
彼らの中心に私が望んだ者が居た。
可視化された
光の元素の理解無くして術式の構築など不可能なのは周知の事実。つまり彼女は信仰と呼ぶ概念を以てして術式を介さず可視化に至る濃密な魔力にまで昇華させている。その事実は実に興味深く。私の探究心を擽ってくる。
だが、周囲の反応は異なって。日常化した死を前に。或いは向き合う事に疲れ切っているのであろう、修道士たちからは聖女様、と。時折救いの答えを求める声が漏れ聞こえ。
声に促され視線を再度傾けて。淡い光を透過してまじまじと私の瞳に映る彼女の姿に修道士たちとは異なる理由で息を飲む。
腰まで届く金の髪。純白の司祭服が彼女の清廉さを際立たせ。端正な顔立ちと相まって。私が保ち得ぬ人間らしい美を前にして純粋に美しいと思ってしまう。
冒険者ギルドのマリアベルさんも相当な美人さんではあるが、それに比肩する。いや、好みで問えば軍配は彼女に上がる。
などと身勝手で不謹慎な思考に現を抜かす不穏当な真似は不穏当な事態を招く訳で。
「部外者が此処で何をしている」
背後から存外に低く強い男の声に誰何され。振り向く視界の隅で修道士たちのみならず、我が黄金の君もまた祈りを止めて顔を上げる気配を感じる。が、しかし今は早急に。慎重に対応すべきは別にある。
「これは大変失礼致しました」
視界に映る司祭服の男は見上げる程に長身で。鍛えているのだろう体躯に脆弱さは欠片も見られない。
「購買所の修道士様に無理強いを」
と。私は司祭然とした男に此処までの経緯を懇切丁寧に説明する。幾ら自ら踏み抜いた虎の尾とは言え簡単に下手を打つわけには行かない。
「娘。理屈を通し潔白を示したいのなら先ずは誠意を見せるのが筋と言うものだろう。名も名乗らず素顔も見せぬ者に信を置けぬのは道理の話」
自らをサイラス・ダイスタークと名乗った司祭の男は公然と言い放つ。ぐうの音もでぬ正論である。だが。
「私は司祭位に修道を綴り。人の道を問う権限を神殿から与えられている。声からして
目の前の男は只の司祭では無く、異端審問権を有する修道司祭であると公言する。はっきり言って最悪である。
普段であれば。別の機会であれば。或いは問題にも為らぬかも知れない。だがこの場の気配の不穏さは。私の容姿と相まってクリス・マクスウェルの名は不審と不信。穏やかざる状況を招く事は火を見るより明らかで。
逡巡する。が、覚悟を定める。修道司祭相手に虚言を弄するのは危険を伴うがそれでも此処は偽名と屁理屈で押し通すしか術はない。
「実は」
「ダイスターク司祭様。詰問の意図を図り兼ねます。聞けば救いを求めてやって来た幼気な少女に対して余りなご対応ではありませんか」
重なる声音は黄金の。整った眦を僅かに上げて。知らぬ間に黄金の君は私の傍らで修道司祭と対峙する。
「ティリエール助祭。貴公は危機意識が足りぬ。この娘に鎮魂の儀を。奇跡の御手を目撃されたのだぞ。理由があれど部外者であれば身元の確認は必要であろう」
「司祭様も私が
見も知らぬ私の為に黄金の君は我が身の如く熱弁を振るってくれる。けれどその瞳は私を見てはいない。焦点は遥か彼方にありて。
「熱心な有り様ではあるが、その娘を己の贖罪に利用するな。その未熟さが未だそなたが助祭に留め置かれている理由と知れ」
黄金の君は、はっ、と言葉に詰まり。私も修道司祭の言葉が負け惜しみとは否なる。それが正鵠を射ていると気付く。
彼女は私を庇いながらも私を見てはいない。だからこそ上辺の言葉を疑いも抱かずに擁護出来るのだ。私を介して本当に救われたいのは己自身であるのなら。話の真偽などは真に必要としてはいないのであろうから。
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