第9話 夜明けに浮かぶ笑顔
「すぅ……すぅ……」
安心しきった表情で、蒼咲が眠っている。
保健室のベッドの上で、幼子のように身体を丸めながら寝ている彼女に、そっとシーツを掛けた俺は、椅子に腰かけて彼女のことを見守る。
……女子の寝顔をまじまじと見るのはどうなんだ、と自分でも思うが、さっきまで大泣きしていたヤツだしなぁ。
今も、蒼咲の目元は少し腫れている。冷やす手段があればいいんだけど。
水道も電気も死んでいるんだ。氷嚢を作るのだって簡単じゃない。
「にしても……やっぱり地獄みてぇになっちまったよなぁ、この世界」
しみじみと、分かっていたつもりになっていたことを呟く。
魔物が現れて、人々が襲われ、水道や電気、ネット――それに、安全や平和といった当たり前が、あっけなく消えてしまった。
その中で生まれた苦しみや悲劇は、俺が考えているよりもずっと多いのだろう。
俺よりも年下の女の子。つい半日前まで、普通に日常を営んでいた少女が、人の生き死にと自分の命を天秤にかけるような事態に陥り、自分の選択に途方もない罪悪感を抱くなど、全くもって普通じゃない。
俺は、蒼咲の所業に対し、一切の否定をしなかった。
確かに、彼女の行動は名も知らぬ一人の生徒を死に追いやったのだろう。
だが、それで蒼咲を責めるのか?
どうして助けなかったのか、どうして見捨てたのかと、道徳やら人道といった御大層な名目を掲げて、正義面して彼女を糾弾すると?
そんなヤツがいるなら、俺の目の前に連れてこい。
できるだけ惨たらしく、最大限の苦痛を以て殺してやる。
俺に全てを打ち明けた時の蒼咲は、死にそうな顔をしていた。……いや、正しくは、今にも殺してほしそうな顔をしていたと言った方が正しいだろう。
なぜ、普通に生きていただけの彼女が、ただ自分の命を守ろうとしただけの彼女が、そこまで苦しむ必要がある。
その罪悪感こそ、蒼咲小猫という少女が善良な一般人であるという証拠だろうに。
そも、彼女に死んでしまった誰かさんを助ける義務なんてものは存在しない。
警察官でも自衛隊でもレスキュー隊でもない、極々普通の女子高生に、人命救助の心得があるとでも?
専用の勉強と訓練を積み、資格という形でその腕を保障されて初めて、人は人を助ける義務が生じるというのに。それを学生の彼女におっかぶせるのは、それこそ人を見捨てる以上に外道な行為だろう。
人を守るというのは、そう簡単なことじゃないのだ。
だから、俺は蒼咲を責めない。生きたいと願った彼女を否定しない。
蒼咲がその誰かを助けられなかったのは、力がなかったから。力を得る機会に恵まれず、自分の身すら危うかったから。これは普通の事だ。
それどころか、自分の生存のために最大限の努力をしたのだ。それを責めることができるとするなら、神だの仏だの、人の行いに上からケチ付けられる連中くらいだろう。
そもそも、話さないという選択肢もあったのだ。自分の行いの全てを隠せば、なにを言われることもなかった。
自ら罪を告白し、言い訳の一つもせずに、『わたしをどうするかは、先輩が決めてください』だなんて、透き通った笑顔を浮かべて見せる。
なんともまぁ――――勇気ある行動だと思わないか?
さらさらなかった責める気が、完全に皆無になった瞬間だったな。それどころか、尊敬の念すら湧いて来たわ。
――――すごいな、蒼咲は。
――――俺は、お前のした事を否定しない。
――――許す、だなんていうかよ。俺に蒼咲を裁く権利なんてないからな。
――――だから、受け入れるよ。蒼咲、お前のしたこと全部。
――――頑張ったな、偉いぞ。よくやった。
――――だから……もうちょっと、自分を許してやれ。
――――せめて、その死にたいって顔はやめようか。
――――生きてるんだからさ、前向きになろうって思うのは普通のことだぞ。
思ったことを、思ったままに。
隔意もなにもないんだぞ、と。沈んだ彼女の心に伝わるように。
そんな言葉を、蒼咲がどう受け取ったのかはわからないけれど。
――――うぁ……うわあぁぁああああああああああああああああんっ!
大粒の涙と、全てをかなぐり捨てたような声で。
こちらに縋りつくようにして、疲れて寝てしまうまで泣いている姿を見れば、きっと大丈夫なのだろうと思う。
涙が出るのは、まだ生きたいと思っている証拠なのだから。
まっ、受け売りだけどな。
俺自身、あんまり……いや、最後に泣いたのっていつだ?
泣いたりしないからよくわからないけど、それが普通だと聞いたし。
「さて、ねぼすけさんのお守を頑張りますか」
俺は昼から夕方までグースカ寝ていたおかげで、眠気はないし。
蒼咲は多分、朝まで寝てるだろうから、その間に魔物が襲ってこないとも限らないからな。
ただ、ひとりで朝まで過ごすのはなぁ……余っているSPの使い道を考えるっていうタスクはあるけど、それにしても一晩中過ごすのはキツイ。
なにか時間を潰す手段があればいいんだけど……スマホはもう、使えないだろうし。
「ソシャゲって偉大だったんだな。どこでも暇つぶしができたし……スマホもただの板切れになっちまったからなぁ……ん??」
あれ、なんだこれ? 掲示板……『魔ch』? え? なんで某匿名掲示板のパチモンみたいなモンが開けるの?
他のSNSは死んでるよな……? なになに、覚醒者……スキル持ちが創った、今の世界でも使える掲示板サイトってことか。はー、スキルってこんなこともできるんだなー。
ともあれ、棚ぼたで暇つぶしの手段を得たので、朝まで情報収集としゃれこもう。
書き込みは……うん、半年ROMってからにしようかな。
この後、めちゃくちゃ掲示板した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
瞼を微かに焦がすような朝日に促され、少女は目覚める。
気だるげに瞼を持ち上げ、見上げた先には見知らぬ天井。
彼女のオタ魂が、とっさに口を動かす。
「……知らない天井だ」
「お、起きたか?」
「ぴやぁ!?」
唐突に、ベッドサイドから聞こえてきた声に、奇声を上げる少女。
慌ててそちらを見れば、スマホを片手に緩やかな笑みを浮かべる少年が、椅子に腰かけて少女を見ていた。
どうして自分の部屋にこの人が!? と一瞬パニくる脳内が、次第に現状を把握していく。
世界が滅茶苦茶になったこと。
夜の保健室で、己の罪を告白したことも。
それを全て受け入れてくれた相手に、縋りついて泣いたことも。
かぁ、と少女の頬が熱くなる。しかし、不思議そうに首をかしげている少年を見て、慌てて平静を装った。
すーはー、と深呼吸をして、しっかりと少年と目を合わせて。
「おはようございます、先輩っ」
穏やかな朝に似合う、穏やかな笑みを浮かべて見せた。
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