第8話 蒼咲小猫の独白
――――不思議な人だなぁ、と。
出会った瞬間に思った時から、その印象は変わっていない。
決して面白くもないわたしの話を、真剣なまなざしで聞き続けている彼の顔を盗み見る。
わたしの意識は、話よりもその聞き手に向いていた。
――――綾部玲士先輩。
実をいうと、わたしは彼のことを前々から知っていた。
別に知り合いってわけじゃない。ただ、彼自身がこの学校では有名人だったから。
わたしの一つ上の学年には、何故かなにかしら秀でた才を持つ生徒が集まっている。
こんな地方都市の普通科高校にいるにふさわしくない、天才集団。
綾部先輩は、そんな集団と特別仲が良い生徒として、学校中に名が知られていた。
勉強だったりスポーツだったり、様々なジャンルの天才たちの中にいる綾部先輩だけど、彼自身はなにかの才に優れているわけではない。
けれど、そんな天才たちと普通に友人関係を築けている、という事実がもはや、わたしを含む一般生徒からしたら意味が分からなかった。
特別な才能を持つ者は、一目見ただけで『違う』と分かるのだ。
わたしも入学したてのころ、噂の天才集団を見ようと野次馬根性を働かせて彼らを目にしたことがあった。
――――圧倒された。
存在感が、纏う空気が、一挙手一投足が生み出す雰囲気が。
格別で、格上で、異質だった。
『ああ、この人たちはわたしとは違うんだ』。その事実を、ただ立ち振る舞うだけで周りに
天才っていうのは、そういう存在。
そこで、天才を見に来たわたしのような人間は、ふと気づくのだ。
…………じゃあ、その存在とまるで友人のように気安く話しているあの人は一体?
天才たちの中で、気の抜けた笑顔で彼らと言葉を交わし、肩を組んで、まるで友人のように振舞っている。
天才ではない。纏う空気は、普通の生徒となにも変わらない。
にも関わらず、天才たちの中心で、なんの気負いもなく過ごせている彼は、一体なんなのか。
正直、綾部先輩は一番わけのわからない存在だった。
普通なのに異常、異常なのに普通。
水と油が見事に混ざり合っているかのような、光と闇が同時に存在しているかのような、そんな違和感。
それが、わたしから見た綾部先輩だ。
……非常に、オタク心と厨二心をくすぐってくれる先輩だと思う。天才な先輩がたも合わせて、『スゲー! もう漫画かアニメじゃん!』と興奮したのを良く覚えてる。
要するに、普通なわたしとは何もかもが違う存在なのだ。
どこにでもいる一般人。変わっているところ言えば、割と男性向けのコンテンツを楽しむオタクって事くらい。特撮とか大好きです。
それがわたし、蒼咲小猫という人間だ。
しかし、あくまで観賞するだけの存在だった先輩と、こうして膝を突き合わせて話をしているとか、まるで想像もしなかった事態だ。
昨日までのわたしに言っても、「はいはい、妄想乙」と言われるだけだろう。想像上の自分とはいえ、非常に腹立たしい。
綾部先輩は、わたしの話を真剣に聞いてくれている。
ピクリとも揺るがない眼差しが、静かに膝の上に置かれた拳が、彼の真摯な態度を物語っている。
わたしがポツリポツリと話す、わたしの罪、わたしの弱さ……普通なわたしが、普通でしかなかったせいで起きた事件。
わたしは、自分の命欲しさに、誰かを見殺しにしたのだ。
普通の女子高生でしかなかったわたしは、その瞬間、最低最悪の人間に落ちぶれた。
時間にすれば、まだ数時間前の出来事だ。心に刻まれた傷からは、以前、後悔と自己嫌悪が血液のように流れ出ている。
一言一言、言葉にするたびに、傷口が広がっているようだった。そして、流れる醜い感情もどんどん増えている。
先輩は、それを残さず受け止めてくれている。
――――事の顛末は、こうだ。
覚醒したわたしは、自分の力が戦闘に使えないと知ると、すぐに生き残るための行動に出た。
身を潜めた用務員室ににあった物を全部【アイテムボックス】にしまって、鍵を掛けた扉を塞ぐバリケードにした。こうすれば、化け物が入ってくることはないと。
ひと段落したわたしは、ステータスを確認し、その内容を確認した後に、2ポイントあったSPを使って、【鑑定】と【索敵】のスキルを獲得した。
戦闘系のスキルはSPが足りなかったから、とにかく戦闘を避けるために必要そうなスキルを優先したのだ。
【鑑定】で敵の情報を探ることができれば、その行動を予測できる。
【索敵】があれば、敵の位置を把握し、先んじて行動することができる。
この辺りは、普段からせっせと消費するだけだったサブカル知識が生きた。ありがとう、異世界転生モノ。どんなスキルが有用かが読めば大体理解できる、スキル&ステータスシステムがある世界を生き抜く指南書だ。
役に立つなんて思ってなかったし、そんな事態になってほしくはなかったけど。
とにかく、わたしは逃亡を優先したスキル選びをした。魔物がいなくなった隙を付いて、どこか安全な場所に逃げればいい。
……安全な場所なんてものが残っているかは、考えなかった。
意図的に考えないようにしていたのかもしれない。自分に都合の悪いことは勘定に入れない。本当に、俗物すぎて嫌になるよ。
だけど、ことがそんなに上手くいくはずもなくて。
『ねぇ! 誰かいるんでしょ!? ここを開けて!』
突如として、誰かが、用務員室のドアを激しく叩いた。
声を聞く限り、女子生徒のようだった。生憎、その声に聞き覚えはない。
友だちでも顔見知りでもない、本当に同じ学校の人ってだけの誰かさん。
だから……というわけじゃないけど、わたしはその言葉に反応しなかった。
いや、反応できなかったのだ。
【索敵】スキルに引っかかる、大量の魔物の群れを感知してしまったから。
用務員室に逃げ込もうとしている誰かは、あの魔物から逃げてきたのだろう。
『なかにいるのはわかってんのよ! スキルで確認したから! はやく、はやく開けてよォ!!』
切実だった。喉が張り裂けそうなその声からは、死にたくないという感情が、ありありと伝わってくる。
きっと、命からがら逃げてきて、誰かが隠れているここなら魔物をやり過ごせると思ったのだろう。
それか、単に道連れが欲しかっただけなのか。
彼女の真意はわからない……けれど、必死さだけは手に取るようにわかる。
でも、わたしは……。
『どうして!? どうしてなにもいわないの!? 開けて、開けてよぉ!!』
なにも、できなかった。
耳を塞いで、その場にうずくまって。
ぎゅっと目を閉じて、世界そのものから自分を切り離して。
『いや、来ちゃうぅ! 化け物が、もうすぐそこまで――――ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!』
なにも。
『いやぁ! こないで! こないでッ! アアアアアアッ!?』
なにも。
『痛い、イタイィ! 血が、アアアッ!? ギャアアアアアッ!!』
なにも。
『アあぁ……いや、ダ………………アアアッ! 死、死にたく……っ! ぎいぃ!? なァいイイイイイぃィィィィィィ!!!』
――――なにも、聞こえないし、なにも見えないよ。
なにも知らなかったんだから、なにもしなくてもいいよね?
そんな、最低の自己弁護。
【索敵】も切って、用務員室の中と外界を切りはなして、ひたすらに知らんぷり。
どれくらい、そうしていただろう。
……音がしなくなって、気が付けば、用務員室の前にはゴブリンが集まっていた。
きっと、あの女子生徒の反応で、この中に誰かがいると分かったのだろう。
はた迷惑な話だ。そんな風に思った自分に、わたしは心底絶望した。
そこからはもう、ひたすら現実逃避だ。
スマホがなぜか使えて、『魔ch』なんていうモノに繋がって。
一瞬で変わり果ててしまった世界でも、こうして変わらないモノがあったんだって思って、ぬるま湯のような安心感に、わたしはそこに入り浸った。
自分と同じような状況に陥っている人と互いに励まし合って、どんなスキルを持っているかで盛り上がって、
なにもかもを忘れてしまえたら、いいのにな――――なんて、罰当たりなことを考えながら。
時間も忘れて、中毒者みたいにスマホを弄っていたわたし。
そんなどうしようもないわたしの目を覚ましてくれたのは――あの爆音だった。
余りに衝撃的で、一気に現実に引き戻された。
スマホを慌ててしまって、【索敵】で外を確認すれば……もう、そこにはゴブリンの群れはいない。
最後に残っていた一匹も、瞬く間に倒されてしまって。
わたしはバリケードを急いで片付けて、そっと用務員室の扉を開けた。
もし、別の魔物だったら。そんな考えは頭から吹っ飛んでいた。爆音で無理やり現実に引き戻された反動が、まだ残っていたんだと思う。
そして――見た。
全身を巌のような鎧で覆い、派手に返り血を浴びた怪しげな人影。
その人影が、やけに人間臭い動きでこちらを見る。
格好は絶対におかしいのに、動きはまるで普通の人間のようで――なんだか、ちぐはぐな印象を受けた。
まぁ、暗くなった廊下にそんなのが立っていて、足元にホブゴブリンの死体が転がっていた光景は、今思い出しても身震いするほど怖かったけど。どこのホラー映画だよって突っ込みたくなったけど。
あの鎧姿からフランクに話しかけてきたのも、恐怖倍増だったなぁ……。
鎧の魔物かと勘違いして、用務員室の中に入って来たそれにわけわかんない言葉をぶつけて。あーもう、あの時はめちゃくちゃテンパっていたから、アホみたいなことを言い過ぎだよ、わたし!
なお、その直後の頭ポンポンと先輩の言葉に、テンパりは継続決定した模様。
保健室に避難した後もテンパりは続いていたもんね。あんぽんたんなことをいっぱい言ってるし。なーにがエロ漫画みたいに、だよ。馬鹿じゃないの、わたし?
なお、着替え中の先輩をガン見してしまったのは乙女の本能である。Tシャツの隙間からちらりと見えた腹筋がね……こう、程よく割れていてね……なんというかこう、
とってもえっちだったよ……じゃなくて。
妙な方向に転がっていく思考を無理矢理軌道修正して、わたしは伏せていた視線を、まっすぐ先輩に向けた。
話したい事は全部話した。正直、気持ちの良い話じゃなかっただろう。最後まで、表情ひとつ変えずに聞いてくれた先輩には、感謝しかない。
……いや、人が一人確実に亡くなっている話を聞いて、眉一つ動かさないのはそれはそれでどうなんだ? まぁ、この人だし。普通の反応を期待するのはよそう。
先輩は、どう思っているんだろう。表情からは、なにも読み取れない。
正直、話したことを後悔する気持ちもある。
先輩は、わたしを連れて行ってくれると言った。多分だけど、今後も一緒に行動してくれるという意味にとって間違いないはず。
その話を、反故にされても……そもそも、先輩の言葉は話していなかった状態での発言なので、わたしが先輩を騙した形になるのかも。
綾部先輩とは、ここでお別れになるかもしれない。
仮に先輩がそれを選択したところで、わたしがケチをつけることは出来ない。
だって、わたしなら嫌だから。
誰かを見殺しにして、自分だけのうのうと生き残っているようなヤツと一緒だなんて、いつ自分が見殺しにされる『誰か』になるかわかったもんじゃない。
自分が嫌なことを、相手にだけ受け入れろだなんて、傲慢を通り越して醜悪ですらある感情だ。落ちるところまで落ちているとはいえ、これ以上ヒトデナシになるのは、わたしでも勘弁願いたい。
どんな言葉が来ても、どんな結末になったとしても、粛々とそれを受け入れよう。
まるで、これから判決を下される罪人の気持ちで、わたしは綾部先輩の言葉を待つ。
そして、先輩は真っすぐにわたしを見つめながら、口を開いて――――。
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