第二節:政略結婚で窮屈になると思ったけど?

第3話 雪のような土地と、雪のような彼




 ケルビン様を見たのは、彼が領主になる前の王城でのパーティーで二、三回くらいだっただろうか。

 遠目に見かけただけだったし、私側に話す用事はなく彼に至っては誰をも寄せ付けないオーラのようなものを常に出していたような気がするから、本当に話した事はない。


 もしかしたら声さえ聞いた事がないかもしれない。

 そんな相手の下に嫁ぐ事に、抵抗がなかったわけではない。


 とはいえそれは、他の誰が相手だったとしても感じていたものだっただろう――なんて思いながら、私はせっせと荷造りをしていると、様子を見にきたミアが思わずといった感じで苦言を呈してきた。


「マリーリーフ様、その大量の本は置いて行ってください」

「え、でもねミア。お父様がいつ売ってしまうか分からないから、大切なものは持っていかないと」


 嫁ぐための荷造りは基本的にメイドたちがするが、あくまでもそれは生活に必要なものだけだ。


 マリーリーフ様も、他に必要なものを持っていく準備をお願いします。

 そう言ったのはミアなのに、それに従って準備をしていた私に彼女は呆れ顔になっている。


「それにしたって多すぎます。一体何冊になるんですか」

「五十冊よ。これでも一応先方のご迷惑にならないようにと、かなり厳選したんだから!」

「せめて十冊にしてください」

「それは流石に……」


 選抜してこの数なのに、更にここから五分の一にまで絞り込むなんて、流石に無理だ。

 そう言おうとしたら「本当は五冊と言いたいところですが」と先回りされてしまった。


「……これでも一応、マリーリーフ様の心中はお察ししています。私だって、何も突然嫁ぐ事になり、生活環境も変わる上にご趣味にも著しく制限がかかるだろう貴女にあまりチクチクと言いたくはないのですよ」


 呟くようにそう言った彼女の方を見れば、珍しく眉尻を下げたキャラメル色の髪のメイドがいた。

 アメジストのように美しい瞳が憂いに揺れる姿は、私なんかよりもずっと美しく、思わず同性であっても見惚れてしまうほどだけど。


「ミアのけちんぼ」


 言っている事は結局のところ、私の希望を縛るものでしかない。

 せめて今の半分、二十五冊くらいにならないかなぁという打算を込めて、口を尖らせた。


 すると彼女は私をスッと感情の覚めた目で見下ろして、無体な言葉を投げかけた。


「分かりました。五冊です」

「えぇーっ?!」


 最終的には結局十冊になったけど、説得するのが大変で最後の方はほぼ半泣きだった。




 そんな風に色々とありながらも、私と歴史研究を引き裂く結婚までの日々を気持ちが沈み込み過ぎずに過ごせたのは、間違いなくこのミアのお陰だ。

 小さなたくさんの配慮……いや、常時平常運転だったかもしれないけど、とりあえずそんな彼女が専属メイドとして結婚についてきてくれる事は、間違いなく私を安堵させた。



 教会での誓いは、私があちらの屋敷に滞在し始めて二カ月で行う事になっていた。


 普通は先に誓いを立てるものだという事を考えれば、まだちゃんと会って話もした事がない私に対する配慮なのか、それとも可能な限り婚姻を後回しにしたいというあちら側のワガママなのか。

 その辺は不明瞭だったけど、婚姻の時期が遅れる事に私はまったく意義はない。



 カタカタと馬車に揺られながら、北の地・ノースビークを目指す。


 自領から出て、約三か月。

 一番の遠出が王都だった私にとっては、人生最大の移動だった。

 しかしそれももう終わる。


 窓から見える景色は、深い緑と白。

 いつからかチラホラと降り始めた雪が、周りの林を白く彩っている。

 人の姿はあまり見ない。

 通る道の多くが林なのだから当たり前かもしれないけど、すれ違う馬車は一つもない。


「やはり聞いていた通り、閉鎖的な領地という事なのかしら」


 普通なら、商人の馬車くらい居そうなものだ。

 実際に通りがかりの領地ではそういう事も多くあったのだから、他領と比べてそういう向きがある土地なのは間違いない。


「雪が降っては足元がおぼつかないのでは? 寒いですし」

「まぁそうだけど」


 シレッとしたミアの声を聞きながら、窓の外を見てこの領地の歴史に思いを馳せる。


 歴史はその土地の人が作る。

 人の行動が気候に左右されるのならば、やはり他とは違う環境のここは、他とは違う歴史が存在しているだろう。

 うーん、はかどる……。


「マリーリーフ様、見えましたよ」


 ミアの言葉で現実に引き戻され、進行方向に目を向ける。


 いつの間にか道は開けていて、どうやら馬車は町の外円を走っているようだった。

 家々の屋根は先程の林と同様にやはり白く飾り付けられており、厚着の人々の姿も見える。


 その向こうに、一際大きな建物があった。

 ドシッと街に鎮座するような佇まいの屋敷は、それなりに年季が入っていそうだ。


 馬車はあっという間に町の外円を回り切り、屋敷の前へと到達した。

 馬車についている我が領地の家紋を見たからか、門は開きスムーズに中へと入れた。


 止まった馬車から、ミアが先に降りるために扉を開ける。


 どうやら雲の切れ間に太陽が差し掛かったらしい。

 うっすらと積もった白い雪が、光を反射して眩しかった。



 タラップを踏んで馬車から降り、改めて屋敷の全体を見る。


 他領よりも屋根の傾斜が強いのも、玄関の扉に数段の階段を経る必要がある事も、おそらく積もった雪のせいで日々の生活に影響が出ないようにするためだろう。


 こういうのを見るのは好きだ。

 そこに歴史を、人々の営みを感じるから。


 そんな事を思った時だった。

 ガチャリと玄関の扉が開く。


 そこには一人の男性が、後ろに老成した執事を従えて立っていた。


 スラリと背の高い銀色の髪の美丈夫に、黒い服が似合っていた。

 身長差で必然的にこちらを見下ろす形になったネイビーの瞳は、まるで雪のように冷たい。


「お前か、ウォーミルドの女は」


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