第三節:ちょっとおかしな子爵令嬢
第7話 『変な女』はアクションか ~ケルビン視点~
最初から片鱗はあった。
来てすぐに俺が「俺の生活に口を出すな」と言った時、あいつは何故か礼を述べてきたのだ。
その時から「何だこの女」とは内心思っていたが、まさかここまで変な女だとは流石に思いもしなかった。
今日の朝、いつも通り早く起きて剣を振って軽く汗を流したた俺は、食堂へと向かった。
俺に跡目を継いだ後、水を得た魚のように父は母を連れて方々を旅するようになった。
最早屋敷にいる事の方が少ない。
だから必然的に、食卓に複数人分の銀食器が用意されている光景を見る頻度も少ない。
にも拘らずテーブルの上に二セットの銀食器が整えられている光景に、思わず口がへの字に曲がる。
昼は執務室で、夜は自室で食事を摂ることにしているが、朝は食堂に行くのが俺の食事の通例だ。
本当は他人と食事など取っても何一つ楽しくなどないのだが、他人がいるからと自らのルーティーンを変えるというのも嫌だったのだ。
しかしこの日は、そんな自分の強情を少し後悔する事になった。
……テーブルに座って少し経っても、もう一つの席はまだ空いたままだった。
食事が運ばれてこないのは、使用人の「一緒に食べるだろう」という配慮に違いない。
しかし俺がいつまでも待つ筋合いもなければ、迎えに行く義理もない。
この後はいつも通り、執務をする予定になっている。
時間が押す。
領主としての義務は果たさねばならない以上、そのしわ寄せは夕方からの剣を振る時間にくるのが必至だ。
そう思えば、イライラしてきた。
何故来ないのか。
いつ来るのか。
もう一人で食べてしまおう。
そんな気持ちになった時だった。
ちょうど食堂の扉の外を、見覚えのあるメイドがスッと通ったのは。
「おい、お前」
そう呼び止めると、メイドがこちらを振り返る。
朝からキャラメル色に長い髪を綺麗にまとめ上げた涼しい目をした女で、俺に気付くとできるメイドよろしく綺麗な一礼を披露してくる。
「おはようございます、ケルビン様」
「お前、あの女と一緒に来た側付きメイドだな。あの女はどうした」
名前を言わずとも、誰の事を言っているのかは分かったようだった。
片眉が僅かにピクリとしたのは、おそらく見間違いではないだろう。
能面のような無表情を、俺にまっすぐ向けてくる。
「マリーリーフ様は本日こちらには来られません」
「来ない?」
「はい。今は書庫室におられます。ところで、何故もう一セット銀食器の用意が?」
「お前の主人のもの以外に、何がある」
「昨日きちんとこの屋敷のメイドに『おそらくマリーリーフ様は明日の朝食を摂られないから、準備は必要ない』と言っておいたのですが……」
困った表情を覗かせた彼女は、すぐに近くにいたメイドに「マリーリーフ様を待つ必要はないから、ケルビン様の分だけ朝食をお出しして」と伝える。
そのメイドが部屋を出て行ったから、おそらくすぐにでも食事は運ばれだすだろう。
しかし今はそれよりも、気になっている事がある。
このメイドは、あの女は来ないと言っていた。
昨日の晩に、そう伝えたと。
それはつまり、昨日の夜にはもう朝ここに顔を出さない事を決めていたという事である。
なるほど。
つまりあの女は、昨晩俺が同じ食卓につかなかった事を根に持っているというわけだ。
これだから女は嫌いなんだ。
自分からは何も言わないくせに、こちらが何もしなければ「配慮が足りない」と怒る。
アクセサリーや服、髪形など、自分には似合わないと言いながら、「そんな事ない」と言わないと拗ねる。
いつも、いつも、いつもそうだ。
何故俺が一々お前らのお機嫌窺いをしないといけない。
そう言うと、決まって泣く。
泣けばいいと思っている。
それで軒並み俺のせいにできると理解している。
本当に姑息で腹の立つ。
「あ、そうでした。ケルビン様、マリーリーフ様から『もし朝にケルビン様にお会いしたら、伝言を一つ伝えておいて』と言われた事があるのですが」
「伝言?」
「はい。『おはようございます』。そのように申しておりました」
「は……?」
何だそれは。
あぁなるほど、それ以外に言うべき事は何もないという当てつけか。
「こういうのは最初が肝心だ。そのような当てつけは俺には通用しないのだと、今のうちに知らしめておいた方がいい」
その呟きは、自分に言い聞かせるためのものでもあった。
苛立ちと共に風を切って食堂を出る。
ちょうど食事を運んできたメイドとすれ違ったが、準備なんてさせておけばいい。
たしかこのメイド、先程主人は書庫室にいると言っていたな。
……何故、書庫室?
いやまぁいいか。
そう思いながら、ズンズンと廊下を進んでいく。
そして書庫室の真ん中で、綺麗に収納されていた筈の本を隣に何冊か積み上げ、一心不乱に本を読み漁っている令嬢の姿を見つけた。
窓から差し込む朝日に照らされて、チリのような埃が空気中をキラキラと漂っていることと捲るページの手以外に時間の経過を感じさせないその光景は、俺の心に怒りや苛立ちが爆発するよりも先に、困惑を生んだ。
すると、どうやらついてきていたらしいあの女のメイドが「マリーリーフ様は、一度熱中するといつもあぁなのです」などと言ってくる。
「ケルビン様の目には奇妙に映るかもしれませんが、あれがマリーリーフ様の通常運転です。歴史に想いを馳せるあまり徹夜をした上朝食を抜く事など、そう珍しくもありません」
「徹夜?」
「はい。昨日の夕食後からすぐにこちらの部屋に籠られて、それからずっとあのままです」
ますます意味が分からない。
ここに来るまで彼女の行動は絶対に当てつけだと信じて疑わなかったのに、目の前の光景はとてもじゃないが当てつけをしているようには見えない。
一心不乱に本に集中する姿は、まるで熱心な――いや、こいつは女だ。
そういうアクションを見せておいて、その実内心で一体何を考えているか。
「おい」
呼びかけたが、まったく反応がない。
まるで聞こえていないかのように、微塵も微動だにしない。
「おい!!」
肩を掴んでグイッと引っ張れば、やっと深緑色の驚いた瞳が俺の事を映し出した。
そしてあの女は言ったのだ。
「ケルビン様が『屋敷内では好きにしていい。互いの生活に干渉はしないようにしよう』と言ってくださったので、そのお言葉に甘えていたのですが……」
困惑の混じったその表情は、嘘をついたり取り繕っているようにはまったく見えなくて。
何だこの生き物は。
どういうつもりだ。
というか俺は『お前の生活に干渉しない代わりに、俺の生活にも干渉するな』と突き放したのであって、『互いの生活に干渉はしないようにしよう』などというあたかも「互いにうまくやるために相互協力しよう」というようなニュアンスを込めたつもりはない。
なのに、一体どう聞いたらそんな解釈違いをする事になるのか。
色々と言いたい事はあったが、何だかドッと疲れてしまった。
もういい、俺にはこの後執務も剣もある。
あの女には結局何もぶつける事もなく、俺は食堂に戻ったのだった。
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