第6話 何故そんなに怒っているのか
窓から差し込んでくる朝日が、少しずつ眩しくなっていた。
隣に本が積んである光景は、場所こそ違えどいつもの事だ。
私はやはりいつものように、いつもとは違う場所で床に座って手元に目を落とす。
パラリ、パラリと捲るページの音が、そろそろ目を覚ましたらしい小鳥のさえずりと共に聞こえていた。
私は別に、本を読む事自体が好きなのではない。
もちろん嫌いではないけれど、それ以上に求めているものがこの本の先にはある。
この本のタイトルは『ノースビークの風土と生活』。
隣に積んである本は、『極寒のツンドラ地帯の活用に関する考察』『おいしい! 寒い場所のごはん』、そして『長続きする薪の組み方』。
読みたい本は他にもあったけど、とりあえず最初に読みたい本を積んでいる。
どの本も、このノースビークの土地の歴史を研究するにはいい材料だった。
どれも興味深く、読めば読むだけ私の頭の中にはノースビークの人や土地の歴史がムクムクと形成されていって――。
「何をしている」
部屋の外からはパタパタという足音が聞こえてきたと思ったら、なんだか後ろから深みのあるコーヒーのような声が聞こえたような気がした。
でもきっと気のせいだろう。
だって昨日『互いの生活には口を出さない』と決めてくれたのはあの人で、今は私の『いつも』の途中。
流石にまだ丸一日も経っていないのに、約束を反故にしてくる筈はない。
意識はどんどんと深く、手元の本――いや、その先にあるこのノースビーク辺境伯領の歴史へと沈み込んでいく。
あぁきっと彼らはこうして生きている。
こういう事に楽しみを見出し、この時はこんな事もあったのではないか。
そんな考察が次々と頭に浮かんで物語を紡ぎ、私を楽しませてくれ――。
「おい」
肩を何かに掴まれて、私はゆっくり顔を上げた。
振り向けば、私の肩を片手でつかんだ銀色の髪の美丈夫が、何だかとても不機嫌そうな顔でこちらを見下ろしてきている。
何だろう。
そんな疑問は、私に目をパチクリとさせた。
「ケルビン様?」
何の用事だろうと思いながら小さく首をかしげると、元々彼の眉間に寄っていた皺が、更にギュッと深く刻まれる。
「何をしている」
「え、屋敷内で好きにしていたのですが」
「部屋はきちんとあるのにわざわざ、
どうしよう。
なぜそういう話になるのか、まったく意味が分からない。
「ケルビン様が『屋敷内では好きにしていい。互いの生活に干渉はしないようにしよう』と言ってくださったので、そのお言葉に甘えていたのですが……」
もしかして、あれは社交辞令だったのだろうか。
いやそれか、昨日のアレはすべて私の願望、脳が私に見せた幻だったのかもしれない。
だとしたら、とてもショックだ。
なんせノースビークに着たその日の夜から早速没頭するくらいには、ものすごく嬉しかったのだから。
「たしかに言った」
あぁよかった。
昨日の記憶が
ホッと胸を撫でおろし、それから「ん?」とまた首を傾げる。
じゃあ彼は、一体何が言いたいのだろう。
メイドのミア曰く「マリーリーフ様は少々鈍感」との事らしいけど、流石に名前は知っていても喋るのどころかきちんと顔を見るのさえ、昨日が初めてだった相手である。
その内心を察するのは、きっと私でなくとも難しい。
眉を吊り上げた難しい顔でこちらを見てくる彼は、何か言いたそうにも見えた。
しかし結局何かを口にする事もなく、ため息と苛立ち交じりの交じりに「もういい」という言葉と共に去っていく。
結局彼が何をしに来たのか、私には何も分からなかった。
頭上に幾つもクエスチョンマークを浮かべていると、私の疑問に答えてくれたのはキャラメル色のを後ろで結んだメイドだ。
「マリーリーフ様の言伝をお伝えしたところ『昨日一人で夕食を食べさせたことへの当てつけか。まったく、女というのはいつもいつも……。そんな事をしても無駄だと一言言っておくのが今後のためか』などと言い、わざわざこの部屋まで足を運ばれたのです」
「あらおはよう、ミア」
「おはようございます。先程から辺境伯様と共に、この部屋に来ていたのですけどね」
彼女は深い紫色の瞳に、私を写しながらそう言ってくる。
まったく気がつかなかった、と思ったところで「まぁ基本的に視野が狭いのは、マリーリーフ様の平常運転ですが」という淡々とした声で、優しく理解を示してくれる。
「ところで私、昨日何かミアに言伝なんてした?」
「はい。もし朝旦那様にお会いしたら『おはようございます』と言っておいて、と」
言われてみれば、たしかにそんな事を言ったような気もしてくる。
そうだ。
昨日の夜、ここで本たちを読み始めようとした時点で「おそらく朝ごはんはすっ飛ばす事になるだろうな」と思ったから、ミアにケルビン様への伝言をお願いしておいたのだ。
なんせここにきて、まだ二日目。
挨拶は、人との関係構築の基本だ。
流石の私でも最初くらいは、そういう事にも気を遣う。
「でも、何故ケルビン様は当てつけだなんて。私、そんな事一ミリも思わなかったのに」
「間違いなくそちらが少数派ですよ、マリーリーフ様。普通の人は、来たその日の夕食に『自らの体を鍛えるための日課があるから』などという理由で席を空けられたら、少しは不快に思います」
「そういうもの?」
「そういうものです。まぁ私から言わせれば『そういう思考になるのなら、そもそも初日くらいは融通を利かせればいいものを』と思いますが」
スンとした顔でそう言ってのけた彼女に、私は思わず苦笑する。
流石に他の人がいる場所ではこんな事は言わないものの、彼女の毒舌は昔からまったく変わらない。
私も彼女にその毒舌で、今までに何度注意された事か。
「あんな風に決めつけて言いがかりをつけようとするなんて、流石は『女嫌い・社交嫌いの辺境伯』と言われるだけの事がある、という事でしょうか」
「それを言うなら私だって、社交界で『歴史狂い』って言われているわよ」
「その自覚がおありなのでしたら、マリーリーフ様にも是非ともご自重いただきたいところです。そもそもそんな貴方だから、縁談もなく――」
つらつらとそのような事を言われて、私はもう苦笑いするしかない。
彼女の今の話を否定する言葉を、私はなに一つ持ち合わせてはいない。
実際概ね事実なのだ、言い返せる筈なんてなかった。
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