第10話 彼が私を呼んだ理由(わけ)



 これまでまったく関わりを持たなかった彼が、何故私を急に呼び出す気になどなったのだろう。

 しかも最初に私が入る事を嫌った執務室に、である。

 その時点で、既に私の警戒心はマックスだった。


 私が最も恐れる事は、やはり歴史研究を禁止される事。

 次に歴史研究に割ける時間を奪われる事だ。


 もしかして気が変わったのだろうか。

 何かをしろと、またはするなと言われるのだろうか。

 そう思うと、向かう足取りも重くなる。


 前を歩くジョンについていく形ではあったけど、自ずとトボトボと歩く形になってしまった。


 それに途中で気がついたジョンは小さく笑いながら「悪いようにはならないと思いますよ?」と言ったが、何を悪いと思うかは人それぞれである。


 少なからず珍しがられてきた経験上、自分が普通から少しズレた存在である事は自覚している。

 だからこそ彼の太鼓判にも、どうしても半信半疑にならざるを得なかった。




 辿り着いたのは、初めてここに来た日に案内された場所の一つ、執務室。

 扉の前に立ちノックするジョンごとその扉を見て、改めてその彫刻の繊細さに心惹かれる。


 この屋敷自体古いのだけど、玄関とパーティー会場となる広い一部屋と応接室、そしてこの執務室の扉、この四つの扉には特に凝った彫刻が為されている。

 それぞれ異なるモチーフを使った飾り彫りがされているのだが、前者三つは他者へのもてなしの心と辺境伯家の品格のために、特別に職人に依頼して作られたのだろうという想像が簡単につく。


 しかし執務室に至っては、通常他人から見られるような場所ではない。


 最初見た時には何故執務室なのだろうと思ったのだが、実は先日書庫室にあった先々代の手記に答えらしきものを見つけた。


“唯一無二の友人・ギルバートからの人生最大の贈り物は、毎日顔を合わせる馬の扉だろう事は間違いない”


 目の前の扉のモチーフは、雄々しい馬のしなやかな立ち姿である。

 どうやら先々代のご友人が彫刻家か何かだったのだろう。

 その人から送られたのが、この扉という事なのだろう。


 そう思って改めて見ると、こちらを見つめてくる馬の優しげでありながら静かな瞳が、まるで訪れる人間を吟味しているかのようである。


 馬は軍事利用や荷運びに用いられ勇敢さや純粋な労働力の象徴として見られがちだけど、五代前の国王陛下は自分の馬をあげて『洞察力に優れ、思慮深い生き物だ』と称していたという記録もある。

 そう思えば、門番のような印象を受けるこの馬の彫刻は、入室するものの為人を見極め中の者――つまりは領主を守る意味を込めて彫られたものなのかもしれない。


  そんな風にまたつい歴史に想いを馳せている間に、ガチャリと扉が開かれた。




 清掃が行き届いていながらも、少し乱雑な印象を受ける場所だった。

 机には角の揃えられていない紙束が置かれており、黙々と机に向かっているケルビン様の後ろにある大きな窓のカーテンは、引っ張り開けただけで束ねられていない。


 おそらく着ていたものを脱いでポイッと置いたのだろう。

 応接用のソファーの背もたれに乱雑に掛けられている上着は、そのままにしておくと皺がつきそうだ。

 

 私がよくミアに小言を交じりにフォローされるような事が、彼もできていないという印象を受けた。



 私よりも先に室内に入ったジョンが、視界の端でテキパキとそれらを整えていく。

 ちょうどいいところまで済んだのだろうか。

 目の前の書類から顔を上げたケルビン様が、ペンをペン立てに戻してこちらに目を向けた。


 鋭い、切れ長の紺色の瞳。

 相変わらず雪のように冷たく……いや、何故かそれに輪をかけて苛立ちのような悔しさのような感情が見て取れる。

 

 少なくとも、マイナスの感情である事には違いない。


 わざわざ呼んでおいてそんな目を向けられる意味も心当たりもなくて、私は少し困惑した。

 一方彼が「お前」と口を開く。


「ジョンに妙な入れ知恵をしたらしいな」

「入れ知恵?」

「適当な事を言ってジョンに気に入られようとは、小賢しい」


 思わず「は?」と思った。

 よく分からないが、流石に「小賢しい」とまで言われてニコニコと笑っていられるほど私もバカではない。


 そんな事を言われる筋合いはない、と一言言ってやろうか。

 そう思って口を開きかけたところで、ジョンが「ケインズ様」と止めに入る。


「私が彼女の言葉を貴方に伝えたのは、こんな事を言わせるためではありませんよ。私は『領地にとって有用な情報だ』と思ったからこそ貴方に伝え、貴方も『もし本当なら聞き逃せない』と思ったからこそマリーリーフ様をお呼びしたのでしょう?」

「ふんっ、それこそ『もし本当なら』だ」

「ではきちんと吟味なさいませ。この時間を設けた時点で、貴方様はご自分の剣の鍛錬の時間とマリーリーフ様の歴史研究の時間を等しく消費しているのですから」


 ジョンにそう苦言を呈されて、彼はチッと舌打ちをした。


 少なからず彼の言葉を聞いて、自身を顧みたのだろう。

 キッとこちらを向いたかと思うと、ちょっと嫌そうに再び口を開く。


「未開拓の土地の切り開きについて、ジョンに『慎重にやった方がいい』と言ったらしいな」

「えぇまぁたしかに。しかしそれが?」


 先程向けられた言葉のせいで、どうしても言い方がツンケンとしてしまった。

 しかし相手もそれは相手も同じだ。

 むしろ向こうからしてきたのだから、これでお互い様だろう。


「……何故そう思う」

「過去の歴史から。とはいえあくまでも可能性に過ぎません。ケルビン様がもし歴史を『過去の遺物』『朽ちた木偶』だとお思いなのでしたら、気にする程の事もありませんよ」


 それらは昔社交界で、ある令嬢から半笑いと共にもらった言葉だ。

 私は別に、私自身の事を言われても大して気にしない。

 しかし私が好きなものを、過去の人々の生きた証であり軌跡でもある歴史を蔑ろにする言葉には、流石に寛容ではいられない。


 彼の態度から、その時の気持ちを思い出した。

 どうせ彼も似たような事を思っているのだろうと思った。

 だから彼が言う前に牽制してやろうと思って先出ししたのだけど、彼はそんな私の予想の外にいた。


「俺がいつそんな事を言った」

「え」

「俺はお前の事が信用できないのであって、その裏にあるものに不信を抱いている訳ではない。そのような事を言った事もないはずだ。誰の言葉かは知らないが、勝手にソレと同じカテゴリーに入れられるのは迷惑だ」


 少しムッとしたように、彼は当然のようにそう言った。


 意外だった。

 所々見え隠れていしてる彼の女嫌いから、てっきりすべてのものに偏見を持って物事を見る人なんだと思い込んでいた。



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