第三節:相手を知り少し、歩み寄る

第13話 息抜きの場で、鉢合わせ



 本をまた一冊読み終わり、私は大きく伸びをした。

 窓の外には、白い雲がプカプカと浮いた青空が広がっている。


 今日も天気だ。

 そして穏やか。

 ケルビン様から執務室に呼ばれて話した日から数日経ったけど、幸いにも変わらぬ日々が送れている。

 そんな事実にホッとしながら、私は相変わらずのマイペースな歴史研究生活の休憩にスクッと立ち上がった。


「今日も行くのですか?」

「えぇもちろん」

「お好きですね」

「貴重だから」


 短い会話でミアと以心伝心しながら、連れ立って書庫室を出た。




 あまり没頭し過ぎるとミアが心配してしまうので、たまに思い出すとこうして出歩き休憩する。

 とは言っても私の行動範囲は、屋敷の中だけである。

 行く場所も大抵は限られていて、今日もその限りあるうちの一つへ足を向けた。


 廊下をゆっくり歩いていると、やがて外廊下になる。

 そこには小さな花壇があるのだけど、私の目的地はそこだ。



 行ってみると案の定、今日も熱心にその一角の花の世話をする背中があった。


「ルトナー」

「あ、マリーリーフ様」


 振り返った彼が立ち上がる。


 鮮やかな赤や紫、ピンクに青。

 彼の前にある花壇には、色とりどりの花が咲いていた。

 オーソドックスな色の筈の白が、この花壇の中では逆に存在感を放っているようにさえ見える。


「何度見ても綺麗ね、アネモネは」

「えぇ、うまく手入れをすればまだ数カ月は蕾がついて咲き続けます」


 私の言葉に彼も花壇へと目を向けて、嬉しそうに目を細めた。


 彼は、辺境伯家の見習い庭師らしい。

 たまたまここで見た事のない植物を見つけた私が、質問がてら話かけたのが始まりだった。


 聞いてみたら、ここは彼が初めて一人で世話をすることが認められた花壇なんだとか。

 そう大きくはない花壇だし、何なら屋敷内でも大して人の目に留まらない場所ではあるものの、だからこそ見習いの勉強場所になっているのだという事だった。

 

「それにしても『寒さに当てないと蕾がつかない花』なんて、不思議よね。この土地にはもってこいの花だけど」

「はい。この花は強いだけじゃなく、花言葉もいいんです。色ごとに異なる花言葉があるんですが、すべてが前向きなもので。頑張っているこの花を見ると、僕も何だか前向きになれます」


 彼は、流石は庭師見習いだという事もあり、花に関する知識が豊富だ。

 先程私が言った「寒さに当てないと蕾がつかない」という話も、元は彼に聞いたものである。


 彼が「だから殺風景なこの土地にとって、領民からも親しまれ愛されている花なんです」と教えてくれた時には、私も「へぇ」と思いながら領民の生活に思いを馳せ、「しかしちょっとした毒があるんです。少し触ったくらいでは命に別状はないですが」と言われた時には、小さな女の子が咲いている花の前に座り込み、触るのを一生懸命に我慢してジーッと眺めている風景を想像して、思わずクスリとした。


 生きた歴史の語り手というのは探せば色々なところにいるけど、彼もまたその一人だ。

 彼の花の話は、普段私が見られない領民の日常と想像させてくれる。

 だからたまに花を見ながら話を聞きたくなって、こうしてここを訪れる。



 優しく風に揺られるこの可愛らしい花を眺めていると心が綻んで、気がつけばフッと笑みがこぼれていた。


 完全にリラックスしていた。

 だから思わず驚いた。


「そこで座り込んで何をしている」


 背中越しに聞こえてきた、深みのあるコーヒーのような声に。



 まさかと思いながら振り返り、その人を目に留めてまた驚く。

 私に声をかける習慣もなければ、用事もないだろう人。

 こんな場所に通りかかるところなんて見た事もなかった人が立っていた。


「ケルビン様」

「やはり歴史研究に熱中してはいても、女は花が好きなのか」


 フンと小さく鼻を鳴らしながら歩いてくるその人に、私は「おや?」と小首をかしげる。


 素っ気ないのはいつも通り、私を「女は」と言って少し邪険にしたような物言いをするのもいつも通り。

 それなのに、何故か彼の藍色の瞳にはどこか私を観察するような向きがある。


 私が見ていたものの正体に気がつくと、彼は「アネモネか」と呟いた。

 その瞳に僅かな優しさが灯り、もしかして彼もアネモネの花に何か思い出を持つ人なのかもしれないとなんとなく思う。


 いつも素っ気なく鋭い目をした男性だ、勝手に花に興味もゆかりもないだろうと思い込んでいたけど、思えば彼もこの土地に住む一人だ。

 思い出があるのはむしろ当たり前のような気もしてくる。

 

 彼の思い出――彼とアネモネとの歴史が、少しばかり気になった。

 しかし、流石にそこまで個人的な事を聞けるほどの交流はない。

 でも気になるなぁー……なんて思いながら彼をチラリと見ると、雪のように冷たい目がこちらを見下ろしてきていた。


 一瞬「え、何?」と思ったけど、すぐに先程の彼の問いに答えていない事を思い出す。


「えっと、たしかに女性で綺麗なものが嫌いな方はいらっしゃらないと思いますけど、私の場合は、この花がこの土地に咲く花だからこそです」

「この土地に咲く花だからこそ……?」


 呟くようにそう言うと、彼は何故か眉間に皺を寄せる。


 もしかして、何かマズい事を言っただろうか。

 そう思い、慌てて弁解のような言葉を探す。


「こ、この花は、この土地の気候に合い領民からも長く愛されている花です。この土地の人々中にそれぞれこの花との思い出――歴史あるのだろうなと思ったら、その、いいなぁと思って」

「いい……のか」


 何だろう。

 オウム返ししてくる彼の眉間に、更に皺が深く寄る。


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