第二話 裸の付き合い
「うわ~!! すごく広い!!」
天空教会の浴場は一般的な家庭にあるモノよりも大きく、とても綺麗に整っており、普通のお風呂場を想像していたノエルは歓喜の声を上げる。
すぐにでも湯舟につかり、ゆっくりとしたいと思うノエルであったが、それはマナーに反するのでグッと堪える。
ノエルはその身に巻いていたバスタオルを近くに置くと、まずはシャワーを手に取り、その身を清めるように自身の身体にある不快な汗を洗い流す。
「はぁ~……気持ちいい……」
これまで地獄のような炎天下を歩き回っていたノエルにとって冷水のシャワーは至福のひと時と表現できるほど心地の良いものであった。
その心地よさのあまり意識が飛びそうになったりもしたが、なんとか意識を保ったノエルはシャンプーで髪を洗い、ボディーソープで自身の身体の汚れを洗い落とした。
「もしかして、また少し胸が大きくなったのかな……?」
本人にとってもよく分からないことではあるが、基本的にノエルは自身の身体を洗う時、左腕、胸、右腕の順番で洗い始める。
毎日のように洗っている自身の胸に違和感がある時は大きくなったという可能性が高い。
「まぁ何かの病気にかかるよりはマシだけどね」
さながら自分に言い聞かせるように呟いたノエルは自身の身体にある泡を洗い流すと、待望の湯舟へと入ろうとするが———
「うっ……うっ……」
そこには何故か湯舟の中で涙を流しているシスター少女がいた。
「えーと……シスター少女さん、どうして涙を流しているの……?」
「い、いいえ。気にしないでください……」
そのように言われても、涙を流し続ける彼女を見てしまっては気になって仕方がないため、どうしたものかとノエルは考えるが
「別にお姉さんが触れるだけの胸があって羨ましいとか思ってませんから……」
虚無に満ちた表情で涙を流し続けながら、シスター少女の言葉を聞いたノエルは先程の自分の行動を見られた恥ずかしいと思い、胸を両手で隠す。
「そうして、形として出来上がり、両手で抱くように持てるお胸があっても全然……羨ましくなんてないですから……本当に……」
ノエルの行動は羞恥から出たモノであったが、シスター少女にとってはその行動がきっかけでさらに涙を流していく。
「えーと……シスターさんはどうしてこのお風呂場に?」
それを聞いて、自分がこの場に来た目的を思い出したのか、ハッと我に返ったようにシスター少女の瞳から涙が止まる。
「いえ、考えてみたら、わたしたち自己紹介も何もしていなかったので、お風呂にでも入りながら話したいなと思いまして。こういう時、
シスター少女の意見を聞いて、言われてみればノエルは彼女の名前を知らないことを思い出すし、納得と言わんばかりにポンと手を叩く。
「ひとまずはノエルさんも湯船につかったらどうですか?」
「ああ、そういえばそうですね」
そう言ってノエルはシスター少女の隣に座るように湯船につかり、一息をついた後にシスター少女は右手を自身の小さな胸に当て、自己紹介を始めた。
「それでは遅くなりましたが、初めまして。わたしの名前はエルシアといいます。ですので、もしよければわたしのことはシスターエルシアと呼んでもらえると嬉しいです。ちなみに歳は十三です」
優し気な笑みと共に自身の名を名乗るシスター少女ことエルシア。見た目こそは幼い少女であるが、その笑顔はまるで全てを包み込む母のようだと感じてしまう。
一瞬、ほんの一瞬だけ。ノエルは彼女の笑顔に惚れてしまいそうになるが、次は自分が名乗る番であることを思い出した、ノエルはすぐに自身の名を名乗る。
「えと、私の名前は
「夜桜ノエル……では、ノエルさんと呼んでもよろしいでしょうか?」
「はい、シスターエルシア」
笑顔でお互いの名を呼ぶのが面白かったのか、楽しそうにクスクスと二人は笑う。
「そういえば……倒れていた時から気にはなっていたのですが、ノエルさんはどんなことをされているのですか? 二十二ということは学生なら大学生の歳ですし、あるいは就職されていてもおかしくはないですが」
「あー……」
そのことを聞かれるだろうとは思っていたが、自身のことについてどのように説明しようかと首をひねりながら思案する。
そんなノエルの姿を見たエルシアは「(もしかしていけないことを聞いたのかな……)」と内心慌てていたが、そんな考えも杞憂に終わる。
「えと、実は私はフリーターなんです」
「フリーター……といいますと。特定の職に就かずにアルバイト等で生計を立てる人。ですよね?」
確認をするように問いかけるエルシアに「それであってます」と頷きながらノエルは答える。
「なんでまたフリーターを?」
「ものすごく簡単に言いますと。私の家貧乏なんですよ。生活は何とかしていけるくらいにお金はあるのですが、両親を楽させるためにも学校側に許可を貰って中学の頃からずっとバイトをしていたんです」
「ほおほお、ちなみにノエルさんはどんなバイトをされていたのですか?」
エルシアにそのように聞かれ、これまで自身がやってきたバイトを思い出すためにノエルは自身の過去を振り返る。
「えーと、ファミレスの店員にクリーニング店に新聞配達に紅茶店のバイト……とかですかね」
もしかしたら他にもしていたこともあるかもしれないが、ひとまず思い出せたのはそれらであった。
てっきり一つだけかと思いきや、幾つものバイトをしていたことに驚き、エルシアは目を丸くしてしまう。
「いろんなバイトをされているのですね」
「他にすることもなかったので、折角なのでいろいろとやろうと思いまして。大変でしたけど、楽しかったのも事実ですよ」
可愛らしい笑みでそのように話すノエルを見て、本当に楽しんでいたのだろうとエルシアは思い、クスリと笑みを浮かべてしまう。
「ちなみにノエルさんがアルバイトをしていた中で一番好きなバイトってなんなんですか?」
エルシアにそのように問われ、首を傾げながらノエルは考え込む。
先程バイトをしていたことが楽しいと言ったことは本心に違いないのだろうが、これまで経験してきたバイトの中でどれが一番楽しかったのか、ということは彼女も考えたことが無かったのだろう。
「やっぱり、家事代行のバイトですかね」
「家事代行と言いますと、特定の期間家事を代行するという、アレですか?」
「はい、なんと言いますか、誰かの為に何かをするというのも楽しいですし。なにより依頼の方から『ありがとう』と言われるが一番嬉しかったです」
「家事代行……」
何かを思い出したのか、エルシアは苦い顔を浮かべるが、どうして苦い顔を浮かべたのかはノエルには分からなかったが、その苦い表情もすぐに消えていく。
「ちなみに今はどのようなバイトを?」
「いえ、今は一時的にバイトを辞めていまして。人を探しているんです」
「人……ですか?」
もしかして何かの事件や黒い案件なのかと思ったエルシアの顔は青くなっていき、徐々に距離を取っていくが、そんな彼女をあやすように「ああ、いや。個人的なことですよ」とノエルはすぐに付け加える。
事件的な事柄ではないことに安心を覚えたのか、すぐにノエルの隣へと戻って来た。
「それで、どうして人探しをしているのですか?」
決して何かの事件や黒いことではないにしても、話してもいいのだろうかと少しだけ悩んだノエルだが、すぐに別にいいやという結論に至り話を始めた。
「先程話したバイトの他にほんの僅かな期間ではありましたが、孤児院で働ていたことがありまして」
「孤児院ですか?」
「はい、子供は嫌いじゃなかったし、やったこともなかったのでちょうどいいかなと。だけど、アレは働く孤児院が悪かったな……」
「その孤児院で何かあったのですか?」
当時のことを思い出した影響だろう。つい先刻出会ったばかりのエルシアにも分かるほどノエルは苦しそうな表情をしていた。
「何と言いますか……その孤児院はいじめを容認していたんです」
「いじめ……えっ!? いじめを容認していたんですか!?」
予想外の言葉にエルシアは思わずその場に立ち上がってしまう。
「そんな、そんな孤児院があっていいわけありません!!」
歳こそは十三と幼いが、エルシアもシスターという役職柄、子供と触れ合う機会は多い。
実際、エルシアは暇な時があれば
「許せません。いじめを容認なんてしていたら子供たちの心も悪い方へと進んでしまいます」
いじめという言葉こそはよく聞くかもしれないが、その本質は他者を貶めることで快楽を得ているという最低な行為である。その快楽を得るために成人してからも、暴力事件を起こすということは十分にあり得る話である。
「私もそう思い、何度も止めようとは思ったのですが、他の職員の方に止められてしまいまして。結局その子も耐えられずに孤児院から人知れず出ていきました。それが七年前の事です。
その子が孤児院から出て行ったのは仕方のないことですが、その子の安否が気になった私はそれを境に孤児院にやめて、いろんな町に行ってはその子を探しているのです」
話は終えたというのにエルシアからの反応が何もないのは何故だろうと彼女を見ると瞳から涙を流していた。
「え……ちょ、どうしてシスターエルシアが泣いているのですか!?」
「だって……だって……ノエルさん立派ですよ……いじめられていたその子のことが気になって探してるなんて……七年も経過したら、忘れてしまうとか諦めてしまうとかあるのに……」
エルシアの泣きながらの言い分を否定するようにノエルはほんのりと力強く「そんなことないですよ」と言う。
「ノエルさん……?」
「だって、私が本当に立派ならその子がいじめられている時に助けていたはずです。ヒトリにしないようにいろいろと出来ていたはずです……なのに……」
様々な要因はありはしたが、結局他の人と同じようにあの子がいじめられているのを知っていたのに自分は何もできなかった。
「(それにあの子を探しているのも、あの子が安心している姿を見て、私が安心するため……というのもあるのだろう。こんな自己勝手な私が立派なわけが———)」
自己の罪悪感に潰れそうになったノエルの頭をエルシアは優しく撫でる。
「シスターエルシア……どうして急に撫で始めたのですか?」
唐突に撫でられ、混乱を隠せないノエルは弱弱しい声で彼女に問いかけるが、エルシアは撫でることやめなかった。
「大丈夫ですよ。その子のために、いろいろと頑張っているノエルさんは立派な人です。わたしが保証します。仮にもし、神様がノエルさんに罰を与えると言われたら、私が神様にノエルさんはもう罰を受けましたって言います」
「罰ですか……?」
そのようなものを受けた記憶がないとでも言いたそうにノエルは首を傾げてしまう。
「ノエルさんの罰はその子を助けられなかった自分を忘れずにいることです。これまでノエルさんは助けることが出来なかったその子の安否を想い、行動していました。これは本当にすごいことです。だからわたしはノエルさんを立派な人だと言ったんですよ」
自身のこれまでの行動をそのように評してくれたことが嬉しすぎて、思わず涙を流しそうになるが、ノエルはぐっと堪える。
「ありがとうございます。シスターエルシア……」
今にでも涙が流れてしまいそうな瞳ではありはしたが、ノエルは精一杯の感謝の言葉をエルシアへと贈った。
ノエルにとって、エルシアは十歳も歳の差のある幼い少女だが、彼女の暖かな胸の近くにいる今は、エルシアのことを本当の母のようだとノエルは心の底から思えてしまった。
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