一人目 カフネ

第4話 女傑カフネ(1)

 この世界には魔法と呼ばれるものが存在している。


 生物が生まれ持っている魔力というエネルギーを利用して、物を動かしたり、火を起こしたり出来るらしい。凄い人なんかだと魔法を駆使して冒険をしたり、この世界に蔓延っている魔物を倒したりしているらしい。遠い世界の話である。


 その全ての元になる魔力の総量は最初から人によって決まっているそうだ。私も病院にいた時にアメリアさんに検査してもらったが、小動物の涙ほどしかないと断言されてしまった。全くすっからかんという訳でも無いのがまたなんとも言えない。一応、ある事にはあるが、とても魔法を普段使い出来る量では無いそうだ。

 何だかとても損をした気分だと言えば、まああるだけマシさと、慰めにもならない言葉を受け取る事になった。

 

 そういう訳なので、魔法を使えない私が悪戦苦闘しながら仕事をこなしていると、あっという間に働き始めてから一週間が経過していた。


 想像していたよりもずっと、ルオさんは我が儘が多かった。


 やれ野菜は食いたくないやら、洗濯物が皺になっているぞやら、上げだしたらきりが無い。恐らく今までにこの家を去って行った人達は、こういう彼の横暴に耐え切れなくなったのだろうな……と容易に想像出来た。


 ルオさんは日中殆どアトリエに籠もっているので、具体的に彼が何をしているのかを私は知らない。いつかは教えて貰えるだろうか? と考えているが、彼の態度からそんな未来が想像出来なかった。


 唯一の救いは料理の仕方なんてまるで覚えていなかった(身体に馴染んでいる感覚も無かったので、記憶を失う前から料理とは程遠い生活を送っていたのだろう)私の拙い料理を、彼が黙って食べてくれる事だった。味付けだったり肉の量に文句を言ったりはしてくるが、必ず全て綺麗に完食してくれる。それだけで良かったと思えてしまうのだから、私は単純……いや、奉仕の精神が染みついているという事にしておこう。


 衝動に任せて彼を殴りたくなる事はあったが、この家を出てしまうとこの先行き不透明な人生が詰んでしまう為、あくせくと働く毎日だ。一週間も家事をこなしていると、最初はおぼつかなくやっていた洗濯なんかも、多少は自分なりのコツなんかが分かってきて、ちょっと成長した気分になる。


 外に買い出しに出て、「ルオさんの家で働いています」と近隣住民らしき人達に挨拶すれば、皆が一様に私を哀れんだ瞳でみるのがやるせなかったが。


 でもまあ、なんだかんだでこの先もこの家でやっていけるかもしれない……と思い始めた矢先の事である。


「イーディアス! 午後から依頼人が来る! 客室の掃除はやってるな?」


 窓の拭き掃除をしていた私の耳に、ルオさんの声が響く。自然と、私の背筋はピンと伸びる。私がここで働き始めてからの、最初の依頼人だ!


「やってます! ていうか、昨日ルオさんが散々言ってきたじゃないですか、まだ埃が残ってるぞとか言って」

「お前は色々大雑把なんだよ。……まあいい。一時に港まで迎えに行け。場所は知ってるな?」

「前に教えて貰ったので、なんとなくですが覚えてます。あの、その依頼人ってどんな方ですか?」

「そんなに身構えなくても良い。見れば一発で分かる。――良い性格した、稀代のクソババアだ」


 あ、貴方が言うか! という、喉まで出かかった言葉を何とか呑み込んで、私はただ瞬きを繰り返した。この人にここまで言われる依頼人って、どんな人だ?


「あの、お知り合いなんですか? その、依頼人の方と」

「知り合いっつうか……元上司というか……お前、総合ギルドは分かるか?」


 ルオさんからの問いに、私は頷く。


 この世界には、円滑に仕事が割り振られるように、それぞれの役職で、ギルドという大きな組織を作っている。例えば、傭兵達が集う傭兵ギルド、鎧職人が集う防具ギルドなんかがそれに当たるだろう。そして、それらの大小様々あるギルドを大きく一つにして纏めているのが、総合ギルドなのだ……という説明を、入院中にアメリアさんから聞いた事がある。


「クソババアの名前はカフネ。今言った総合ギルドの、ギルドマスターだ」


 彼が続けた言葉に、私は手に持っていた雑巾を危うく落としかけるところだった。何度目かの意識的な瞬きを繰り返す。


「じゃ、じゃあ、めちゃくちゃ偉い人って事ですか? マスターって、つまり一番偉い人って事ですよね!?」

「まあそうなるな」

「ど、どうしましょう!? 私なんて記憶無しの小娘ですよ? マナーとか不安しかないんですが。というか、私が初めて会う依頼人がそんなに偉い人で良いんですか?」

「まあ、お前には端からそんなに期待してねえからなんとかなるだろ」

「酷い!」


 途端に慌てふためく私をなだめる為なのだろうが、ルオさんの告げた言葉に私はシンプルに傷つく。従業員にそんな言葉をかける人がそうそういて堪るか。


「とにかく! 時間厳守で港まで迎えに行け。周囲に意味も無く圧をふっかけてるババアがいたら十中八九そいつが依頼人だ。まあ見たら一発で分かるだろうよ。因みに、期待してねえとは言ったが、お前の言動で落ちるのは俺の格だからな。そこは肝に銘じておけよ」


 お、横暴だ。多分訴えたら勝てる……! と思いながらそれでもやるしかない私は、はいと頷く事しか出来なかった。私はなんて弱い存在なんだ。



 港は様々な人でごった返している。旅行帰りと思われる家族連れ、今から海に出るであろう漁師達。


 ルオさんは簡単に見つかるなんて言ってのけたが、顔も知らない依頼人を見つけるなんて、そんな事が私に出来るのだろうか?


 ――と、思っていた時期が私にもありました。


 目当ての依頼人――ギルドマスターだというカフネさんは、本当に一目で見つける事が出来た。私の視界に入った瞬間に、あ、と声が出たくらいだ。


 兎に角、彼女の周りには人がいなかった。


 港は絶えず人の波に押して押されているというのに、彼女から発される、尋常では無い威圧感に、自然と歩いている善良なる人々は負けてしまうのだ。触らぬ謎の恐ろしいご婦人に祟り無し。不自然な程、ぽっかりと空間が空いていた。


 そこに踏み込んで行くには勇気が必要だったが、今の私には、まだ声も知らぬ依頼人よりも、ルオさんの方が恐ろしかった。


「あの、カフネさん、ですか?」


 時計を確認していた彼女に歩み寄り、そう声を掛ける。エメラルドグリーンの上質なドレスを身に纏った彼女は、一目見るだけで高貴な生まれだと分かる。だが、眼光はその高貴さを吹き飛ばす程鋭利だ。彼女の視界に入るだけで、たちまち私は強敵に狙われた獲物になってしまう。


「……そうですが、貴女は?」


 彼女の小さな口から発される声は、概ね想定通り落ち着いた低音だった。まあ、落ち着いたとは言っても、生半可な覚悟ではたちまちに打ち砕かれてしまいそうな、底冷えする威圧感があるが。


「あ、すみません名乗らずに……! ルオさんの使いの者です。イーディアスと言います。ルオさんから、カフネさんを家までご案内するようにと言われておりまして」

「ああ、そうなのね。……あのクソガキ、遂に自ら迎えにも来なくなったか」

「え?」

「何でも無いわ。さあ、案内してくれる?」


 そのままにっこりと微笑まれる。それはとても美しい、均衡の整った笑顔だったというのに、私は再び背筋を伸ばす事しか出来なくなってしまった。何かとんでもない因縁の渦中に、私は放り込まれてしまったのではないだろうか? そう考えると、キリキリと胃が痛くなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る