第12話 呼び声

 ルオさんが本格的にカフネさんの肖像画制作に取りかかってからは、家の中は驚く程静かになった。時折部屋から彼らの声が聞こえてくるぐらいで、つい先日までの険悪な雰囲気はどこにいったのかと笑ってしまう。


 あれからどれだけ頭をひねって考えても、カフネさんが依頼をした理由を見つける事は出来なかった。地面に打ち付けた顎の痛みだけがひりひりと存在を主張している。痛い。


 昼下がりの時間は、大体掃除をしている。この家は一人で掃除を全てこなすには少々大きすぎる気もするが、私以外には誰もいないのだから仕方が無い。それに、隅に埃が溜まっているとルオさんが目敏くそれを指摘してくるのだ。今までろくに掃除してこなかったくせに!


 魔法が上手に使える人たちは、掃除にも魔法を応用して、簡単に掃除を済ませているらしいと、数日前に購入した雑誌で読んだ。なんて羨ましい、と羨望の眼差しを向けながら、私は今日も手作業で掃除を進めていく。

 今日はルオさんの部屋は絶対に立ち入れないだろうから廊下の掃除でもしようかな、と雑巾を片手に意気込む。ルオさん達の様子が気にならないわけが無いが、覗くと怒られるだろうし、何よりもじっとしているだけでは時間が中々進まない。


 ふんふんと、最近覚えた流行の曲を鼻歌で歌いながら、私は隅々まで廊下を磨いていく。最初は勝手が分からなくて悪戦苦闘していたが、いつの間にか掃除の手順もすっかり板に付いてきた気がする。多分どこの家の使用人でも通用するんじゃ無いだろうか……! なんて心の中だけで驕りながら、手を動かし続けた。



 ふと、何かが聞こえてきた時、私は廊下に飾ってある壺を磨く手を止めて立ち止まった。


「声?」


 静かな家の中だからこそ分かった。それは確かに誰かの声だった。その声は、ルオさんやカフネさんのものではない。強いて言うなら……私と同じような、少女の声だったような。


 もう一度、耳をよく澄ます。今度は聞こえてきた声を一文字も漏らさないように。そしてその声は、同じタイミングで聞こえてきたルオさんの声に混じって、確かに私の耳にまで届いた。


「これって、助けを求めてる……?」


 ――その声は、確かに「たすけて」と告げていた。少なくとも、私にはそう聞こえた。はっとして周囲を見回す。この声の出所がどこかを探るために。ルオさんに声を掛けようかとも迷ったが、あの仕事中の雰囲気の中に立ち入っていける勇気が私には無かった。それにあのルオさんの事だ。女の子の一人や二人、ひっそりと監禁していても決して不思議では無い!

 

 本人に知られたら解雇されそうな事を考えながら、私は足音を立てないようにしつつ、声の出所を探った。間違いなく、この家の中から聞こえてきたのだ。――そうしている内に、見つけた。


「地下室じゃん」


 反射的にドアノブを握ろうとして、寸でのところで止めた。この部屋だけは、私は立ち入った事が無い。ルオさんから、お前は入るなと、最初に言われたからだ。え、あれって本当に犯罪を犯しているからだったって事? 雇い主が捕まったら私どうなっちゃうんだろう。記憶の無い家事のスキルだけはちょっとずつ磨かれつつある小娘を拾ってくれる奇特な人はルオさん以外にいるんだろうか? そんな事が頭を過ったが、しかし、使命感と、あとほんの少しの好奇心には勝てなかった。


「ええい、ままよ!」


 私はドアノブを勢い良く掴んだ。そして、――私がひねるよりも前に、ドアノブ自体が、勝手に捻られた。扉が私の意図せず開いてしまった勢いに、私はバランスを崩してしまう。何? と思うよりも前に、私の目の前に広がったのは、扉の先から飛び出してきた、真っ黒な無数の手だった!


「きゃあ!」


 何事!? と逃げるよりも前に、足が竦んでしまう。そのまま、数え切れないほどの手が私の身体を乱暴に掴んでいく。痛いし、強い! あと怖い! とても怖い! どうしよう!? なにこれ!


 私はパニックになって藻掻くが、それは手にとって逆効果だったのか、ただ身体を拘束される力が強まるだけだった。


 ……私、死ぬの? 嫌な予感が身体全体を伝っていく。なんで住んでいる家の地下室にこんな一杯の手が閉じ込められてたの? あの声は何? 色んな疑問が、恐怖で上書きされていく。助けを求めようとした口は、真っ先に手によって塞がれてしまう。呼吸が苦しくなって、涙が出そうになった。そんな私にはお構いなしで、手達は私を地下室の中へと引き摺り込もうとしてくる。


(ル、ルオさん、ルオさん!! 助けて!)


 無我夢中で、彼の名を何度も心の中で叫んだ。私がこんな状況になっているのは十中八九彼に原因があるのだが、それでも私がこの世界で助けを求められるのは彼しかいないのだ。


 なんとか浮きそうになる足の裏に力を込めて、引き摺られないように足掻く。この中に入ってしまったら、なんだか一生出られない気がする。そう思ったからだ。


 それでもあと少しで力負けする……! そう感じて、瞼をきつく閉じた時だった。


「おい、どうなってんだ!」


 心の底から待ち望んだ、彼の声が聞こえてきたのは。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る