第14話 完成
翌日。
「お前、何しでかすかわかんねえから、今日は俺の作業見てろ」
いいか? これは命令だからな。そう念を押して、ルオさんは私を睨んだ。無力な私はそれに対して力なく「はい……」と言う事だけしか出来ない。
そうはいっても、ルオさんの作業風景を見るのは純粋に楽しみでもある。なんだかんだで彼が肖像画を描いているところを実際にこの目で見るのは始めだ。浮き足立つなという方が無理な話だろう。私は昨日の恐怖体験も忘れて気分を上げていた。我ながら単純に出来ていると思う。
ルオさんの部屋は、独特な匂いがする。絵の具の匂いの中に、微かに――まるで甘い蜂蜜のような、そんな匂いがする。私はこの匂いが好きだ。多分、世界中を探したって、この部屋でしか感じられない匂いだろう。まあ、この町以外の事を私は知らないのだが。
ルオさんの隣に椅子を持ってきて、私は腰掛ける。キャンバスをのぞき込むと、もう既にほとんど作品は完成しているように見えた。
「えっ、昨日描き始めたんですよね?」
「俺は筆が速い」
「それにしたって早すぎませんか? 魔法でも使ってるんですか?」
「それは昨日言っただろうが」
「あ、そうでした」
確か魔力を使っているだとか、そういう事を言っていた気がする。本当のところを言うと、あの時の事は気が動転しまくっていたせいであまり記憶が薄れつつあった。
「あら、今日は貴女も一緒なのね」
「ええ、ちょっと昨日色々ありまして……」
「家ぶっ壊されたらたまったもんじゃねえからな」
「ちょっと! 私そんな事しませんよ!」
「さあ、どうかな」
ルオさんは何が面白いのか、ククと小さく笑って、それから真剣な目つきでキャンバスに向かい合った。彼が手にしている筆が、一筆ずつキャンバスの上に描かれている輪郭をなぞっていく。……手つきが早いな? 彼の手つきには一切の迷いが見えなかった。私が瞬きをしたその一瞬のうちに、たちまち鮮やかな肖像画が描かれてゆく。言葉通りの意味で瞬き厳禁だ。
絶えず手を動かしながら、ルオさんはぽつぽつとカフネさんに質問をした。娘さんが何が好きだったのか、何が嫌いだったのか。一番の思い出。一番叱った出来事。性格、そして、死んだ時の事。
私はカフネさんのお子さんを知らないのに、この肖像画を見ているだけで、少しだけ、知った気になる。そんな作品が、ほかでもない、ルオさんの手によって生み出されようとしている。私は息をのんで、ただその光景を見つめていた。無意識のうちに、手を強く握り混んでいた。掌に力が入って、真っ赤になっている。そんな事にすら気づけなかった。
普段の口の悪さはどこにいったんだろうと思う程、ルオさんは真摯にカフネさんと、そしてカフネさんの口から語られるお子さんに向かい合っていた。
キャンバスのすぐ隣には、そのお子さんの写真が飾られている。生前の彼女を映した一枚だ。それでも、何故だろう。私の目には、目の前で彼の手によって生み出される娘さんの方が、確かに生きているように見えるのだ。
とても静かな時間の中、波の音が聞こえていた。
*
時間はあっという間に過ぎ去って、私がお腹を盛大に鳴らしてルオさんに睨まれた頃、肖像画は完成した。
どこか緊張した面持ちでルオさんと作品を見つめていたカフネさんも、その言葉にほっと安堵したようだった。私も、自然と肩の力が抜けていった。
ルオさんは立ち上がり、キャンバスを持ち上げると、未だ黙ったままのカフネさんへと向けた。
彼女が、息を呑んだのが、少し離れている私からでも分かった。
誰も、何も言わなかった。ただ、全員の意識が、完成した肖像画へと注がれている。カフネさんの様子を伺いながら、私はルオさんが人気の画家だったと言われていた所以が分かった気がしていた。だって、何も知らない私ですら、とてつもなく惹き付けるのだから!
「ルルゥ……」
静寂を終わらせたのは、カフネさんの、今にも消え入りそうな言葉だった。何も言わずとも、彼女の娘の名前なのだと分かった。何も関係ないのに、私の心臓はバクバクと音を立てている。直感が、今、凄い瞬間に私は立ち会っているのだと告げている。心が沸き立つ。好奇心と歓喜と心配が入り交じった複雑な感情が、私を支配している。
「感傷に浸ってるところだろうが、俺の作品の本領はこっからだって、アンタはよく知ってるだろう?」
「……ええ、そうね」
「え? まだ何かあるんですか?」
「知らねえか。じゃあよく見とけ。ちょっとやそっとの金じゃ見られねえモン見せてやる」
自慢げににい、と口元に笑みを浮かべたルオさんに釣られて、カフネさんの方へと回ってキャンバスへと視線をやる。
ルオさんが何かを呟く。何を言っているのかを詳しくは聞き取れなかったけれど、魔法を使っている事は分かった。
――そして次の瞬間、私はとても信じられない光景を、確かにこの目で見た。
「う、動いてる! 肖像画が!」
ルオさんが唱え終わった瞬間、肖像画の中に描かれていた少女が、まるでキャンバスの中で生きているかのように、なめらかに動き始めたのだ。言葉を発する事は無いが、彼女は微笑み、手を振って、そして軽やかに踊ってすらいる!
「これが、ルオさんの肖像画……」
「おうよ。とはいっても、こんな風に動くのはせいぜい一時間が限界だがな」
言葉を失った私に、ルオさんが解説を重ねた。キャンバスの中の彼女が生きていないなんて、そんなの想像すら出来ない。
気になって、横に座っている、カフネさんの横顔を見る。――彼女は、静かに涙を流していた。今まで見てきた彼女からは信じられない程、穏やかで悲しい涙だった。
それに見とれてしまっていると、視線に気付いたのか、彼女と視線が交わった。咄嗟にキャンバスの方へと視線を移そうとすると、それよりも前に彼女が私の手を取った。
「こうして、昨日、貴女の手を取った時、娘と過ごした思い出が、私の中に止めどなく溢れてきたの。普段は思い出さないようにしていたというのに。そして、一度思い出してしまったら、その記憶に蓋は出来なかった。駄目ね、歳を取ったわ……」
片方の手で涙を拭いながら、カフネさんは愛おしそうに私の手の輪郭をなぞっていった。照れくさいような、嬉しいような、とにかく沢山の気持ちに襲われながら、私は彼女にかけるべき言葉を探す。
「駄目なことなんて、ないですよ。死んだ人は記憶の中で永遠になって、ずっと思い出として私たちの中にいると思うんです。その思い出を大事に抱えていく事を駄目なんていう人がいたら、私が許しません」
「…………」
「って、記憶も無い私が何を言ってるんだって話ですけど、あはは」
「いいえ。……ありがとう、イーディアス。貴女がいてくれて、よかったわ」
「は、はい」
顔が真っ赤になったのが嫌でも分かった。そんな私をみて、ルオさんと、キャンバスの中の少女が笑っていた。
*
その翌日に、晴れやかな顔をして、カフネさんは町を去って行った。
「本当にこの男を見限ったなら私のところへ来なさい。仕事を斡旋してあげる」
「や、やったー! 耐えきれなくなったら行きます!」
「おい! 余計な事吹き込んでるんじゃねえよ」
本気で嫌そうな顔をしているルオさんに思わず笑うと、軽く肩を小突かれた。本当に転職しちゃうかもしれない。
「じゃあ、完成したら郵送して頂戴」
カフネさんは最後にそう言い残して、船の中へと消えていった。
ルオさんの肖像画は、一端完成したものの、もう少し手直しを加える必要があるらしい。詳しいこだわりまでは今の私には分からなかったが、そういうものなのだろう。
「言われなくても送ってやらあ」
そう吐き捨てたルオさんの横顔が、憎まれ口を叩きながらも満足げだったのを、私は見逃さなかった。
*
「おいイーディアス! なんだこのクソババアから送られてきた勉強代っていう請求書は!!」
後日、ルオさん宛てに送られてきた多額の請求書を見て私がどやされたのは、また別の話である。
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