二人目 ウェンディ

第15話 少女ウェンディ

 ルオさんの元を訪れる依頼人は、多いか少ないかでいえば、圧倒的に少ないだろうと思う。一度、彼に「依頼人の人、あんまりこないんですけど、お金とか大丈夫なんですか?」と尋ねた事がある。結局それは一にらみされただけで終わったが、つまりは「問題ない」という事なのだろう。実際、カフネさん以降、私はルオさんの依頼人を一人も見ていない。


 変わらないけど平穏な日々。偶にルオさんに怒られたりしながら、この世界に順応していく。すっかり私は町の人たちにとって、あの先生の元で暮らしている変人という扱いだが、少しずつ町になじみ始めていた。


 どれだけ太陽が昇ろうとも、私の記憶が戻る気配は無い。ルオさん曰く、焦っていてもろくな結果にならないだとか。実際に私もそうだと思ったので、焦る気持ちをなんとか押さえつつ、日々を過ごしている。


 ――そして、ちょうどぴったり一ヶ月後に家を訪れた、私にとって二人目の依頼人を見て、思わず声を漏らす事となった。


「はじめまして……ウェンディ、です」


 橙色の柔らかそうな長髪を揺らす、いかにもお嬢様、という風貌の少女の頭には、それはもう立派な一本の白く美しい、角が生えていた。



 自らをウェンディと名乗ったその少女は、とある日、彼女の父親と共に、ルオさんの家を訪れた。


 父親も想像と違わず、綺麗に口髭を整えた、温厚そうな感じの紳士だ。そんな父親の足を掴んで隠れるような格好のまま、彼女は私たちを見上げていた。


「こら、ウェンディ。これからお前がお世話になる人たちだよ」


 父親は苦笑を浮かべながら少女に話しかけるが、彼女はぶんぶんと首を横にふるばかりだった。それは、二人が私に案内されて、家の応接室に辿り着くまで続いた。


 ルオさんは、先にソファに腰掛けて、依頼人となる二人の到着を待っていた。……わかりやすく外向けの、思わず笑ってしまいそうになる綺麗な笑みを浮かべている。


「お待ちしておりました」


 カフネさんの時と随分雰囲気が違うなあ。なんて考えながら、私は二人をソファまで案内して、応接室から出た。


 

 私の頭の中は、彼女の頭に生えている角の事で一杯になった。


 ウェンディは、まるでお人形のように可愛くて美しい少女だった。身にまとったふわふわのドレスを揺らしながら歩く姿はそれだけで頬が緩みそうになるのに、頭に角まである! まるで、数日前に読んだ絵本の中の世界のようだ。私はこの世界についてまだまだ詳しいとは言えないが、あんな風に角が生えている人も一定数いるのだろうか? 色々考えると想像が膨らんで、それだけでわくわくしてくる。


「はっ、いけない。お茶の準備しなきゃ」


 遅くなったらルオさんにどやされる。それだけは勘弁だと、私は早歩きでキッチンまで向かった。



 その日、私はウェンディと話す事は出来なかった。今日は顔合わせで、本格的な肖像画の制作は翌日からになるらしい。今日は近くの宿屋に宿泊しているそうだ。そしてなんと、明日からこの家に泊まる事になるのは、彼女だけだという。


「あの娘の父親はその間どこに?」


 夕食のテーブルを、ルオさんと向かい合いながら、そう尋ねた。


「政治関係で走り回ってるよ。あの身なりでお前でも多少は想像できるだろうが、あの依頼人は貴族だ」

「へえ……まだ小さいのに、一人で?」

「そのためにお前がいるんだろうが」

「へ?」

「流石に俺一人じゃあこんな依頼受けねえよ」

「私子供の世話なんてしたことないですよ?」

「じゃあ今回死ぬ気で学べ」


 やっぱり横暴だ! と嘆きながら、私は野菜スープを掬ったスプーンを口まで運ぶ。


「あの、あの角って、何なんですか?」

「気になるか?」

「そりゃあもう。ここで聞かなかったら私は今日眠れません」

「適当言いやがって。……あのガキはな、人間と竜人族のハーフだ」

「りゅうじんぞく?」

「言ってしまえば、魔族の一種だな。知性があり、魔力もそこらの人間よりも強い。人間とよく似た姿をしているやつらもいるが、文化形態はまるで違ったりする。すげえ賢い魔物」

「でも、父親は普通に見えましたけど」

「馬鹿、竜人族なのは母親の方だよ。初めてなんだとよ、竜人族と人間の結婚ってのは。それを認めてもらうためにあの貴族は走り回ってるってわけだ」


 へえ、と感想を零しながら、昼間の彼女の角の事を思い出す。


「これからは多様性の時代! だとよ。知ったこっちゃねえがな」


 どれもこれも、初めて聞く単語ばかりだ。魔物がこの世界にいる事は知っているし、悪さを働くそれらを討伐する人たちがいる事も知っている。それでも、この町にいる限りでは、どこか遠い世界の話だと思っていた。

「そもそも魔物とか、魔族とかって、何なんですか?」

「……遍く命あるものの悪意や負の感情なんかが超自然的に集まり、ある日突然形を成して現れたのが魔物と言われてる。昔はそいつらを束ねているのが魔族と言われていたが、最近ではそうでも無いらしい。ま、専門家じゃねえんで詳しい事はしらねえ」

「じゃあ、ウェンディちゃんって、あんなにかわいらしいのに、中々特殊な生まれなんですね」

「しかも今日のあの様子を見てれば分かるが、ありゃ全然他人に慣れちゃいない。だから都合の良い遊び相手がいるんだが……お、こんなところに同じくらいの頭でこき使える単純女がいるぞお?」

「それって私の事だったりします?」

「お前以外に誰がいるんだよ。というわけで、期待してるぜイーディアス」

「そんないい笑顔で言われても! 絶対にお金だ!」

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