第10話 イーディアス、悪戦苦闘(2)
「……」
カフネさんと二人で並んで町を歩くにしても、どうしても気まずい沈黙が私達の間を支配してしまう。
まずは貴女の用事をすませたら? と向こうから提案され、食料品を買ったまでは良かったが、それ以降は何を話すべきなのか。
それでも何か言葉にして彼女を繋ぎ止めなくては、と思えば思うほど、何を言えば良いのか分からなくなって、頭が白く染まり、言葉は喉の奥に突っかかったままだ。
それでも何かを言わなければ。一応、案内を任された身ではあるんだから……! と私が先を何も考えてないまま口を開いたのとほぼ同時に、カフネさんも声を上げた。
「貴女、いつもはどこに買い物に行くの?」
「へあ? ……え、あっと……あ、そう、あそこです、あそこ。あの画材屋さんとか! この町にある唯一の店で、よく絵具とか、色々。買いに行かされてます」
「そう……」
あ、駄目だ。このままだと、また会話が終わってしまう。せっかくカフネさんが与えてくれたチャンスなのに! そう思って、必死になって次の言葉をしどろもどろでたぐり寄せる。
「あの、カフネさんは、この町には以前来られた事が?」
「あるわ。一度だけね。それこそ、ルオがこの町に移り住んだ時よ。何年前の話かしら……」
そう言った彼女は、どこか懐かしそうに、確かに目を細めた。
「どうして……いや、私が口を挟めるような事じゃ無いって、ちゃんと分かってるんですけど。でも、どうして、カフネさんは、肖像画の依頼をする事を、拒み続けるんですか? ルオさんの方が拒んでいる訳じゃ無いのに」
彼女の表情を見ていたら、思わず、そう言葉に出してしまっていた。本当は、もっとオブラートに包んだ言い方の方が良かったんじゃないかとか、また拒絶されたらどうしよう、とか、色んな事が頭を過った。ただ、喉の奥が、何かが突っかかったようにじくじくと痛んだ。
身長がきっと、平均よりも高いであろう彼女は、隣を歩く私の顔を見おろして――すっと、視線を逸らした。かみ合わない視線のまま、告げる。
「貴女、ルオの制作風景を見た事がある?」
「え、あ、いや、ないです。私があの家で働きだしてから、初めての依頼人……の候補が、カフネさんだったので」
「ああそう、それは悪い事をしたわね。……でも、幸福だったかもしれないわよ」
「どういう事ですか?」
彼女の言葉に、思わず手に持っていた紙袋を握りしめていた力が強くなる。動揺で、瞬きの回数が増えていく。
「あの男の描く肖像画ってね、ずっと見ていたら、怖くなる時がある。その理由は何だろうと、ずっと考えていた。そして以前、この町にやってきた時に、その理由を知ったのよ」
「それは一体……」
「アイツは、依頼人ととことん対話をする。普段の彼の姿からは想像できない程、こっちの内側にするりと入ってきては、本人も知らない自分の事を暴き出す。そしてそれを、肖像画に反映する。――だから、端的に言えば、恐ろしいのよ」
そう、言い切った彼女の瞳が、僅かに揺れているような気がした。
「恐ろしい」と、彼女は確かにそう言った。とてもじゃないが、彼女からは想像できない言葉だ。
「私に似合わない単語でしょう。でも、彼は見抜いてくる。私の中にある弱さまでひっくるめて、全て外に曝け出して、作品にしてしまう。だから熱狂的なファンも生まれるし、私のように恐ろしいと感じる者もいる。残念ながら私は後者だった。きっと、彼は気付いているわ。変なところで気持ち悪いくらい敏いから」
明確な目的地も無いこの町の観光は、簡単な事で直ぐに終わってしまうだろう。そしてそれは、今この瞬間の事なのでは無いか? 彼女の言葉を聞きながら、そんな事を考えてしまう。
「その話、私にしても良かったんですか?」
「貴女だから良いのよ。実はね、私にも娘がいるの……ちょうど貴女くらいの年。生きていたら」
「……へ、それって」
「まだ五歳だった。その時流行っていた病に夫共々罹ってね。あっという間に私の元から離れていった」
「それは、その……」
「無理して何かを言おうとしなくてもいいわ。反応しづらい事を、勝手に話し始めたのはこちらのエゴだもの。中々こういう仕事をしていると、貴女ぐらいの子と普通に話す事なんてなくてね。思い出してしまった。だから、色々と話したの。それに、私の事をひっくるめて話すのが、貴女の依頼だものね」
「え、あ、そうですね」
はは、と渇いた笑いを浮かべてしまって、私は少し後悔する。でも、どういう反応を返すのが正解だったのだろう。そもそも、正解なんて存在しているのだろうか。
ぐるぐると、色んな言葉が頭を過っては、世界に産み落とされる事無く私の中で消えていく。
「でも、ごめんなさいね、突然こんな話をされて。貴女も困ったでしょ」
「い、いえ――うぉッ!!」
きっと、突然私はカフネさんの視界から消えた。端的に言えば、何も無いところで躓いて、思い切り転んだのだ。どん! と周囲には私が顎を地面に打ち付けた音が響き渡った事だろう。数少ない通行人達がこちらを見ていた。
「ちょっと、大丈夫?」
驚いた表情のカフネさんが、私に手を差し伸べてくれた。そりゃ驚くだろう。誰よりも私が一番驚いているのだから。こんな平坦な、何も無い道で転ける事ってあるんだ。
「は、はは……大丈夫です、一応……」
情けなさと痛みで泣きそうになるのを堪えながら、私は差し伸べられた彼女の手を握る。私とは全然違う、皮膚が硬くて、でも温かい掌だった。
それから、私は気付く。否、気付いてしまった。私の手を取ったカフネさんの顔つきが、明らかに変化した事に。
「あ、あの……」
何か私の手、付いてました? と言うよりも先に、彼女は地面に伏せる形になっていた私を引っ張り上げた。そのまま、転けた拍子に紙袋から転がって、地面に散乱していた果物をてきぱきと拾い集めて私に持たせると、再度、私の顔をじっと見つめた。
「カフネさん?」
先程から何も言わず、ただ何かを深刻な表情で考え込んでいる彼女に、恐る恐る声を掛けると、はっとしたように瞳に光を取り戻して、彼女は口を開いた。
「……気が、変わったわ。イーディアス、もう一度、私をあの男のところにまで連れて行って貰えるかしら?」
そう言ったカフネさんの圧に、一体何が起こったのか、私だけが理解できていないまま、ただ頷いた。
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