最終話 後編 急がば回れ、そして王道の意味を知る。

『王道』


楽な道。近道。




していなかった。

静だからそれは当たり前になるのだが、その選択を完全なもので視せられたことで余裕は完全に拒絶してしまった。

追いつけた。と思った。やっと。

でもまだだった。それに、まただった。


「描いたよ。いいでしょ!」


色がない。

陰影もない。

普通の鉛筆で描かれた素っ気ない線が繋がっているだけの絵。


「余裕?」

「あ、うん……いいな、この絵も」


『色なら届くね』

あの時そう言った静はもうそこにいない。

いないが、今の静ならいる。

無限の色という自分の絵の答えを手に入れたことなど完全に忘れ、これが今の自分が納得できる絵だと、当然のようにそこにいる。


「でしょ! あの絵みたいでしょ」

「あの絵?」

「絵馬」


だから選ぶはずがないんだ、王道近道なんて。

静の道は進むことがあれば、戻ることもある。そこに躊躇なんてない。いや、本人はそんなこと考えてすらいない。


柔軟で、自由だ。



「あ! あれ? 余裕の車」

綺麗に片付けられドンガラ状態のピットにぽつんと、そこに一台の車がいる。

「そうだよ」

いつの間にか二人は、今日余裕たちのチームがピットとして使っていたガレージに着いていた。


「綺麗な色、それに、かっこいい」

「かっこいいって……こいつの走りはもっといいぞ」

「ええ!? 今でもこんなにすごいのに? 乗りたい!」


確認したい。

静なら今の俺を視てくれる。


そう思った瞬間、それは一度やっていることに気づく。

鈴鹿四季。

静と同じく『天才』の名を冠せられた画家に余裕は自分の世界、『灰色の世界』を魅せた。

しかし、あれは余裕の求めた世界とは違う世界だった。


「なあ、静」

「なに?」

「灰色の世界、覚えてるか?」

「何言ってるの? 忘れられるわけないじゃん。あれはだったんだから」


『灰色』は抵抗、否定、拒絶から生まれる。

俺はまた急いでいた。

どうしていつもこうなんだ……。

あの時分かったじゃないか、『限界』は『きっかけ』だと。

静はいつも視せてくれる。

どんな心境でも、どんな環境でも、どんなタイミングでも等しく同じ気持ちにさせてくれる。

俺も視せなくてはいけない。俺だけが視せられるそれを。

『好き以上のものがないそれ』を。


「静、今の俺を視せるよ。乗って」


余裕は静を助手席に乗せ走り出す。

昼のような明るい白色。

鉛のような灰色。

そこに浅葱色、そして余裕色を混ぜ最後に風色を加える。


「――これが今の余裕」

「まだここからだ」


静は絵を生命を奪う行為だとしている。

対象のすべてを奪い、その責任をすべて引き受けるからこそ絵だと。


「すごい……こんなの、知らない」


余裕は決心する。

自分の『それ』はこういうものだと。

白色、灰色、浅葱色、余裕色、風色。それらをランダムに、まるでかのように加速する車速によって次々に変化させる。

今持てるすべて。『実力』だと。


               *


「ならば……ならばせめて絵だけでも。おい! 絵は? あの絵はどこにある!」

館長は構うことなく大声で袖で待機している全員に怒号を飛ばす。

「ありませんよ、シズカが持っていきましたから」

そんな館長の声をものともせず、平然と最も近い距離でルネが言う。

「貴様……自分のしたことがどういうことなのか分かっているのか」

「ええ、もちろんです。アミーを助けるのは当然でしょ?」

その一言で館長の怒りは頂点に達する。

「クビだ……貴様はクビだーーー! んなっ!?」

そう言い放った館長の見たものは、すでに自分から離れていくルネの後ろ姿だった。

その背中の一部が少しだけ盛り上がっている。

「あーあ、やっぱりクビかぁ――でも」

そこにそっと手を当てる。

「シズカ、私この絵大切にするからね」

ルネは、広大な青々とした空の一部分だけ。そこになにかがあるかのように視つめながら言った。


               *


二人が車から降りた時にはすでに太陽はその姿を消していた。  


「ちょっと待ってて」

静は、車から降りるな否やピットから走って出ていく。

「……」

確かな実感と疲れに、放心状態の余裕は反応できずにいた。


「はあ、はあ、はあ」

傷だらけで、もはやそれは物を入れるためのスペースでしかないと、膨れ上がった、自分の体とは到底不釣り合いな大型のトランクケースを引っ張ってきた。


「余裕にあげたいものがあるの」

ボカンと、爆発したような音を立てトランクケースを開く。

「ええっと、これじゃない――あれ? どこだっけか、うーんっと……あった! これ!」

勢いよく差し出された手。

その手には、丸められ、輪ゴムで留められた一枚の紙が握られていた。


「はい、どーぞ!」

「……視てもいい?」

受け取ったそれがなんなのか余裕は分かっている。

「いいに決まってるでしょ!」


輪ゴムを外し、開く。


「さっき、すーちんからも言われたの、「今の静を視せてやんなさい!」って。だからっ!」

そう言って静は突然駆け寄る。


そして、

ばっ!

「受け止めて!」

飛びつく。


その掛け声に反応して余裕は大きく両腕を広げる。


ばさっ。


太陽の匂いのする髪が勢いに揺れる。

華奢な体。でも、ちゃんと重い。


「ありがとう」

静はその言葉を初めて使えた気がした。


「こちらこそ」

余裕はさらに強く抱きしめながら答えた。


静を抱きしめた余裕の手には一枚の絵があった。

それを視て余裕はさらに静を強く認識させられた。


自分とは違う。

だからはっきりと対象を、相手を形作る。

抱き合えば感触を、匂いを。

視つめ合えば、声を出せば伝わる。

キスをすれば味が分かる。


「ありがとう」

余裕はその言葉を初めて使えた気がした。


「どういたしまして」

静はさらに強くくっつく。


回り道であろと大丈夫。

急げばいい、一生懸命に。

楽しめばいい、自由に。

無限に繰り返し、そのたびに限界を超えれば良い。


だから王道なんてしない。できない。

二人の道はまっすぐや、グネグネに曲がったりしている。

登ったり下ったりも。

舗装されていたり、じゃり道だったり、水たまりもある。

そして一本道だ。

分かれ道は存在していない。だから逃げ道も。


空には月が。


静の絵。

そこには生まれたばかりの満月が浮かんでいた。


「まだ言ってなかったな、おかえり!」

「ただいま!」

二人の嬉しさがあふれだした。

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急がば回れ、そして王道の意味を知る。 西之園上実 @tibiya_0724

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