第12回

第三章 かず(二〇一五年)


 五十里和江が最初に最恐の幽霊屋敷の存在を知ったのは、インターネットのブログだった。第一印象は「胡散くせぇ」だ。実際に声に出したかもしれない。元来口は悪かったが、四十を手前にしてとみに酷くなった。たまに実家に帰ると、妹からは「おっさん化現象だー」と揶揄される。

 都内にある映像制作会社でディレクターを務めている五十里は、一昨年から「最恐心霊ランキング」という七月に放送する心霊現象を扱った特別番組の制作に携わっている。五十里が担当するのは、タレントと霊能者が心霊スポットを訪れるというコーナーだ。最恐の幽霊屋敷についての情報も、このロケ現場を探している時に目に留まったのである。

 日本全国には、心霊スポットとか怪奇スポットと呼ばれる場所が幾つも存在する。しかし、番組のロケ現場を選定するのは、そう容易なことではない。まず予算の都合上、「最恐心霊ランキング」のロケは関東近郊で行う必要がある。次に、なるべく今までテレビで取り上げられたことのない場所でなければならないという条件がある。他局で既に扱っている現場は論外だ。その上で、頻繁に地元の口コミやネット上で話題になっている必要もある。幾ら有名な心霊スポットでも、今は飽きられて誰も訪れないような場所では、視聴者は興味をそそられない。現在進行形で訪れる者が多く、体験談が披露されていることが重要なのだ。

 このような条件をクリアして幾つか目ぼしい場所がピックアップされると、もっと面倒なことがある。土地や建物の所有者との交渉である。心霊スポットの多くは私有地だ。廃墟で肝試しをする地元の若者ではないのだから、無許可で敷地に入ることはできない。否、そもそも肝試しをする若者たちだって、勝手に入ったら不法侵入である。

 事前に所有者にコンタクトを取るのは、想像よりも難しい。所有者が明らかになっていればまだよいのだが、それも不明だと交渉のしようがない。地方自治体でも所有者が判然としない廃ホテルや廃屋が放置されて老朽化が進み、社会問題にもなっているが、五十里にとってもこれは大きな問題だ。

 更に、たとえ所有者がわかっても問題が発生することは多い。具体的には、物件を所有しているのが海外居住者で連絡しても全く返答がないとか、既に老齢のために判断力がなく施設に入所してしまっているとか、撮影料として法外な金額を要求してきたりするとか、本当にストレスの溜まることばかりだ。

 それら問題のある場所を除外して、取り敢えず下見の許可をもらって現場に赴いてみても、老朽化が進み過ぎて立ち入りが危険な場合、撮影を断念せざるを得ない。出演者の安全が確保できないからだ。出演したタレントが怪我を負うような事態は絶対にあってはならないのである。

 五十里が改めて最恐の幽霊屋敷をロケ現場の候補地として考えるようになったのは、鍋島猫助が今年の春に出版した『最恐の幽霊屋敷に挑む』が契機だった。

 駅の中の書店で見付けてざっと目を通すと、それがネットで断続的に話題になっていたあの「最恐の幽霊屋敷」であることがわかった。購入して読んでみると、最恐の幽霊屋敷が如何に稀有な存在なのか認識できた。なんといっても賃貸の心霊スポットなのである。しかも事故物件であることや不可思議な現象が起こることをオープンにしている点で、所謂幽霊が出る宿とは異なっている。

 鍋島の著作に掲載された写真や案内のホームページを見ると、室内には不気味な品々が飾られているものの、建物自体は非常に綺麗だ。まあ、入居者が日常生活を送る空間なのだから当然といえば当然なのだが、これまで廃墟や山中などで過酷なロケを行っていたので、風呂とトイレが付いているだけでも天国に思えてしまった。

 物件を管理している不動産会社に連絡し、テレビ番組の収録で使用したい旨を伝えると、「直接オーナーと交渉なさってください」といわれ、あっさりと大家の棘木の連絡先を教えてくれた。その態度から明らかに幽霊屋敷に関わり合いになりたくない姿勢が感じられる。

 五十里は手応えを感じた。管理している不動産会社からも忌避されるのなら、そこは本物である。

 すぐに棘木に連絡を取ると、快く撮影を許可してくれた。しかも宣伝効果があるからといって、家賃も大幅に値下げしてくれるという。余りにもトントン拍子にことが運ぶので、五十里は現実感がなかった。

 とはいえ、まずは実際にこの目で現場を見て、番組で使えるか否かを判断しなければならない。鍋島の本では最初の数日間は目立った現象は起こらなかったと書いてあったから、決定的な瞬間を撮影したいのならば一週間は必要だろう。仮に事前の視察で不思議な現象が起こったとしたら、その映像もオンエアで使用することができる。

 幸い二週間後の五月半ばには空きがあり、五十里はADのしのはやてを連れて、最恐の幽霊屋敷を訪れることになった。勿論、この段階で本番の収録予定の予約も仮に入れておいた。その時棘木は、「直前でキャンセルされても大丈夫ですよ」と穏やかな口調でいっていた。余りにも好意的な対応なので、逆に怖くなる。

 専門家によれば、超常現象は捉えにくいものなのだという。ここでいう専門家とは、心霊研究サイキカル・リサーチ超心理学パラ・サイコロジーの研究者─即ち、超常現象を科学的に調査する研究者のことである。超常現象の捉えにくさの中で最もわかり易いのが、目撃抑制というものだ。これはサイ現象(超感覚的知覚ESP─テレパシー、透視、予知との総称)の持つ特性の一つで、簡単にいえば、そうした現象は人間の視線やカメラのレンズを避ける傾向があるというものだ。殊にポルターガイスト現象のように、大きなPKはその傾向が強いとされている。

 だが、その捉えにくいものを撮影するのが、五十里たちの仕事だ。近年超常現象を扱ったテレビ番組では、ラップ音と呼称される奇妙なこうおんやオーブという発光体が映るのは当たり前になってきている。中には霊のものと思われる声や人影が映像に収められていることもある。そもそも動画サイトではフェイクも含めてインパクトのある心霊映像は数え切れないくらい存在する。このような状況下で何も異変を記録できなければ、エンターテインメントとして失格になる。

 基本的に五十里の担当するコーナーはタレントがリアクションを取ることがメインなので、現象そのものは派手でなくてもよい。むしろ地味なものの方がかえってリアリティが出る。殊に今回は元アイドルの小鳥遊たかなしがロケに参加することが決まっている。

 現役当時は「ういうい」の愛称で親しまれ、グループの中でも人気の高い小鳥遊だったが、その後のキャリアは正直パッとしない。一応、本人は俳優業をメインにしているようだが、唯一記憶に残っているのは朝ドラの脇役だろうか。それでも、今も知名度があるのは確かである。アイドル時代にホラー映画に出演経験があることと、バラエティー番組で自身の恐怖体験を語っているのを目にしたことがあるのを理由に、駄目元でオファーを出したのだ。事務所からは存外に早く承諾の連絡が来たから、五十里たちスタッフはかなり驚いた。本人も乗り気で少々過酷なロケでも大丈夫だといっているらしい。

 小鳥遊の存在は視聴率を支える上で大きいが、それ故に何も起こらなかった時の視聴者の落胆も激しくなる可能性が高い。五十里は専門家が捉えにくいとしている超常現象を絶対に捉えなければならないのだ。


 現場を訪れる三日前、五十里は鍋島の著作を参考にして、打ち合わせを行うことにした。客観的な意見も聞きたかったので、五十里と篠田の他に、別のコーナーを担当するディレクターのいちむらしんさくにも加わってもらう。

「基本的には一人が仏間、もう一人が二階の四畳半でカメラを回す。その他に定点カメラを玄関、奥座敷、風呂場に置く感じかな」

 五十里がそういうと、市村が「庭はどうすんだ?」と尋ねた。

「う~ん、様子を見て何かありそうなら定点カメラを移動させようかなとは思う。だけどさ、庭だと小動物が出ただけで音がするから、あんまり意味ないと思うんだよね」

「嗚呼、確かに。結構田舎なんだって?」

「うん。何年か前に近所に熊が出たっていうし、猪とか鹿も結構いるみたい。大体さ、最寄りのコンビニまで歩いて三十分以上かかるんだよ」

「コンビニがあるだけいいじゃないか」

「それはそうだけど……」

「俺が気になるのは、下見に一週間もかかるってことだな。長くないか?」

「仕方ないよ。一番短い契約期間が一週間なんだから。それに鍋島猫助の本だと最初の数日は目ぼしい現象は起こらなかったって書いてある。まあ、『いける!』って手応えがあった時点で、下見は早々に切り上げるよ。ただ、本番も事前にあたしらだけ現場入りして、二日後くらいに小鳥遊羽衣としんかい先生に入ってもらう予定。その辺の調整も実際に現場で過ごしてみて決めるよ」

「ネットで見たんですけど、ここホントにヤバいらしいです」

 篠田は最恐の幽霊屋敷の平面図に目を落としながらそういった。ADになって三年だったか。確か年は二十五、六だった気がする。篠田は去年からこの番組の制作に加わったのだが、いつも現場の噂をネットで集めて、一人で怖がっている。

「前もいったけどさ、ネットの情報は鵜呑みにしない方がいい。大抵が大袈裟に書いてあるから。ほら、去年行った静岡の廃ホテルだって、全然駄目だったじゃない」

 五十里と篠田は、去年同じ「最恐心霊ランキング」のロケの候補地として、静岡県にある廃業した観光ホテルを選んだ。ネットの書き込みでは、「県内最恐の心霊スポット」「絶対出る」「行ってはいけない」など、大層な評価だった。確かに半壊した建物の中は、若者が書きそうな品のない落書きと壊れた備品が散らばっているせいで、相当不気味な雰囲気だった。昼間でも入るのは抵抗があったのを覚えている。

 しかし、経営者が自殺したというのは全くのデマだったし(そもそも五十里はその元経営者から許可を得て現場に立ち入ったのだ)、四階に女の霊が出ると噂されているのに建物は三階までしかなかった。地下の大浴場についても、ネットでは「子供の霊が出る」「大勢の呻き声がする」と書き込まれていたが、そもそも地下への階段はずっと前から瓦礫で塞がれていて、通行は不可能だったのである。それでも一晩粘ってみたが、不思議な現象は皆無だった。五十里は大いに落胆し、未明の廃墟で激しく悪態を吐いたのを昨日のことのように覚えている。

「ヤバいくらいじゃないと何も撮れないだろ?」

 市村がそういったので、五十里も頷いた。しかし、篠田は「それはわかりますけど……」と不満そうだ。

「篠田、あんたビビってんの?」

「ビビってますよ。だってこの場所に行った霊能者は全員死んでるんですよ」

「でも、あんたは霊能者じゃないでしょ」

「そういうことじゃなくて、プロだって相当危険な場所だってことです」

「あたしらだってプロだよ。仕事なんだから根性見せろ」

「でも、ホントに悪霊が出たらどうするんですか? 僕らじゃどうにもなりませんよ」

「出ないって、そんなの。いいとこラップ音か足音くらいだよ」

 五十里は本当にそう思っている。過去に最恐の幽霊屋敷で霊が出現したことについては否定しない。しかし、基本的に霊との遭遇はどれも主観的な体験だ。ADの頃からこれまで何度も心霊スポットで撮影をしているが、一度だって明瞭に霊が出現したことはない。

 最恐の幽霊屋敷で多くの死者が出ているのは事実のようだから、篠田が臆病風を吹かすのは理解できないわけではない。だが、鍋島の著作を読んだ限り、死亡しているのは霊能者か、比較的長い期間そこで暮らしていた者ばかりである。加えてそれらの死の原因が悪霊だと断定することは早計だろう。事故や自殺、突発的な病気と考える方が自然である。

 勿論、そんなに不審死が連続して起こるのは異常なことだか、それこそが最恐の幽霊屋敷の怖さの肝なのだと思う。鍋島の本でも、ネットの情報でも、凶悪な霊の出現ばかり強調されているが、不可解な死が繰り返し起こっている事実の方が、冷静に考えれば恐ろしいことだ。不特定多数の人間に死を誘発させる何かがあるとしたら、非常に興味深いとは思う。

 だが、「最恐心霊ランキング」の制作陣はそんな深遠な謎は求めていない。五十里は、わかり易い形で、それっぽい現象が撮影できれば満足だ。

 そうした観点から見ると、最恐の幽霊屋敷には若干の不安要素もあった。廃墟の心霊スポットでは、老朽化や外気、雨水などの影響で、あたかも心霊現象のような物音や物体の移動が起こることがある。正直な話、本物ではなくとも、そうしたインパクトのある映像が撮れればロケは成立する。タレントのリアクションと「これも霊の仕業なのだろうか?」というナレーションを入れるだけで、一つの見せ場が確保できるからだ。

 しかし、最恐の幽霊屋敷は賃貸物件である。ホームページで実際の内部を見たが、入居者が快適な日常生活を送れるように、環境が整えられている。従って、いつものように偶発的な要因で心霊現象めいたことが発生する可能性は極めて低い。精々絶妙なタイミングで家鳴りがある程度ではないだろうか。五十里としては、せめて夜中に玄関チャイムが鳴る現象だけでも押さえられればよいと思っている。


       *


 鍋島猫助『最恐の幽霊屋敷に挑む』より


 朽城キイが拝み屋として活動をはじめたきっかけは、自宅の蔵の中から古い壺を見つけたことだといわれている。「封魔の壺」と呼ばれるそれが、何故朽城家にあったのか、それを知る者は今となっては皆無だ。壺についての由来を記した文献なども見つかっていない。しかし、キイはそれを手にした瞬間、不思議な能力に目覚めたらしい。

 キイの活動期間は決して長くはない。筆者が確認した限りでは一九八三年から彼女が殺害された一九九四年のおよそ十年間である。この期間、キイは主に自宅で除霊を行い、数多くの相談者を救ってきた。相談内容は、赤ん坊の夜泣きのような些細なものから、家族が狐に憑かれたというような深刻なものまで多岐にわたる。その結果、封魔の壺には数多の霊魂が封じられることになったのだが、その内、特筆すべき悪霊が八人存在する。

 これらのほとんどは、依頼を受けたキイがわざわざ遠方に赴き、除霊したものである。

 当初、筆者は生前のキイの活躍を取材するため、これらの悪霊たちを追っていたのだが、調べていく内に驚くべきことが判明した。

 なんとそれら八人の悪霊たちが引き起こしたとされる厄災は、最恐の幽霊屋敷の入居者の身に起こった怪異と酷似していたのである。地元では最恐の幽霊屋敷で怪異が起こるのは、キイが壺に封じていた悪霊たちが逃げ出したからだと噂されている。筆者は調査の結果、その噂があながち間違ってはいないと感じるようになった。

 以下では具体的に八人の悪霊たちを取り上げ、詳しく紹介していくことにする。尚、これまでと同様に登場する人物はすべて仮名である。


 黒い着物の女

 一九九〇年六月、福島県A市で工務店を営むタツオさんは、隣のK市内のかわ家という旧家から修繕の依頼を受けた。老朽化のせいか、座敷に雨漏りがするというのだ。タツオさんは息子のリュウイチさんと一緒に現場を訪れた。

 当時、タツオさんは五十二歳。妻のマリさん、リュウイチさん、嫁のアキコさん、それに四月に小学校に入学したばかりの孫のユリコさんの五人家族だった。

 日川家は築百年以上の古民家で、敷地も大層広かったそうだ。K市にも工務店はあるのに、何故自分のところに連絡してきたのか僅かに気になったものの、その時のタツオさんは深く考えることはなかった。

 雨漏りがする座敷は、家の奥まった場所だった。家政婦の女性に案内されたそこは、裏庭に面していて、昼でも薄暗く陰気であった。足を踏み入れると妙に埃っぽく黴臭い。

「普段は使用しない部屋なんだと思いました。畳が古くなって傷んでいましたし、障子は所々破れていましたからね」

 天井には雨漏りでできた染みが広がっていた。染みは天井の三分の一まで延びていて、まるで人間の影のように見えたという。押し入れの天井を外して屋根裏を確認すると、多少黴が生えているものの、柱や梁が腐っているようなことはなかった。これなら天井板をすべて張り替えるだけで済むだろう。

 屋根に上がって雨漏りの原因を調べると、不自然に瓦が数枚なくなっていた。その日はブルーシートで応急処置をするに止め、見積書を作成した上で、改めて工事の日取りを決めることになった。

 工務店兼自宅に帰ると、リュウイチさんが三十八度を超える高熱を出した。近所の診療所で診てもらうと、風邪だろうということで、解熱剤を処方された。タツオさんは随分心配したのだが、翌朝にはリュウイチさんの熱はすっかり下がっていた。

「本人は現場に行く気満々だったんですが、流石に私が止めました」

 この時はまだタツオさんは、息子の熱は単なる風邪が原因だったと思っていたという。

 さて、日川家の工事はその翌週に行われた。タツオさんとリュウイチさんの二人で、三日間の工期であった。この時、家政婦を通じて家主から「古い天井板を処分してほしい」と頼まれた。

「今じゃ周りがうるさくてあれですけどね、当時はどの家でも庭先で燃えるゴミなんか燃やしてたんです。うちも庭にドラム缶を置いて、そこで廃材なんかを燃やしていました。ですから、日川さんのところの天井板も回収して持って帰りました」

 それから三日後、アキコさんが妙なことをいい始めた。

 家の中に喪服のような黒い着物姿の女がいるというのだ。

 アキコさんの話では、最初はちょっとしたものが見えるだけだったという。例えば、洗面所で歯を磨いている時に鏡を覗くと、自分の背後に髪を結った女が一瞬だけ見えたり、洗濯物を畳んでいる時に、黒い着物の裾と白足袋が視界の隅に入ってきたりする程度だった。

 どれも瞬間的な出来事だったから、見間違いかと思っていたが、翌日二階へ続く階段を音もなく上がっていく黒い着物を着た女の後ろ姿を目撃してしまった。それからは廊下の暗がりや寝室でも見かけるようになったという。

「こう、俯き加減なようで、顔ははっきりとは見えないんだそうです。ただ、若い女だという印象だったと話していました」

 アキコさんは「あれはきっと幽霊だよ」といって怯えた。リュウイチさんは「アキコは少し疲れてるんだ」と労わりながらも、幽霊については全く信じていない様子だった。

 しかし、タツオさんは気になった。今までアキコさんが霊を見たとか、金縛りに遭ったとか、そうした心霊関係について口にしたことはなかったし、むしろそうした番組をリュウイチさんが見ていると、露骨に顔を顰めて「どうせヤラセでしょ」といっていた。

 だから、タツオさんはできるだけ丁寧にアキコさんの話を聞いた。すると、彼女が黒い着物の女を見るようになったのは、日川家の工事が終わった日の夜からだと判明した。思えば、最初にあそこに行った日もリュウイチさんが熱を出している。

 もしやあの屋敷には何か曰くがあるのか?

 そういえば、工事を終えるまで、否、工事を終えた時も、一度もあの家の主人は現場を見に来ることはなかった。それに家政婦の女性も、廊下までは案内するが、決して座敷の中には入らなかった。

 気になったタツオさんはK市に住む知人に連絡を取り、日川家について尋ねた。その結果、あの屋敷には忌まわしい噂があることがわかったのである。

 嫁殺しの家……。

 周辺では日川家はそう呼ばれているのだそうだ。

 原因はわからないのだが、日川家に嫁いだ女性は皆、子供を産んですぐに死んでしまうのだという。その噂のせいで、資産家であるにも拘わらず、日川家との縁談は忌避されているらしい。知人の話では、噂を知る人間は日川家には絶対に関わらないという。日川家がわざわざ隣の市のタツオさんへ仕事を依頼したのも、そうした事情が反映されていたのだろう。

 その噂とアキコさんが見た幽霊がどう関係しているのかは判然としないものの、取り敢えず回収してきた天井板を酒と塩で清めてから焼却することにした。天井板をすっかり燃やし、念のため燃え残った炭や灰も近くの川に流した。

 しかし、その後もアキコさんは女の霊を見続けた。

 神社でのお祓いも試したが効果はなく、アキコさんは日に日に精神的に疲弊していった。それでも毎日スーパーのパートに出かけ、家事も熟していた。

 だが、日川家の工事から二週間が経過したその日、アキコさんが消えた。

 車も、自転車も、置きっ放しだったから、遠くに外出したわけではないらしい。実際、妻のマリさんの話では、パートから帰宅したところは確認しているという。少し疲れた様子だったが、ユリコさんのためのおやつの用意をするといっていたそうだ。しかし、家中を捜しても、アキコさんの姿を見付けることはできなかった。

 リュウイチさんはアキコさんの実家や友人宅にも連絡してみたが、何処にもいない。手分けして近所を捜してみたが、全く消息が掴めなかった。

 翌朝、アキコさんは意外な場所から発見された。

 彼女は二階の自身が使っている寝室の屋根裏で死んでいたのである。それも何か強い力で折り畳まれたようだったとタツオさんはいう。

「腕も、足も、あり得ない方向に曲げられて、小さく畳まれていたんですよ」

 直接の死因は、首の骨が折れたことによるものだった。また遺体には死後動かされた痕跡はなかったらしい。遺体の余りの異常さに、当然警察は事件性があると見て捜査をはじめたが、現在に至るまで犯人は捕まっていない。

 不幸中の幸いだったのは、タツオさんとリュウイチさんにアリバイがあったことだ。アキコさんの死亡推定時刻は前日の夕方、帰宅して間もなくということだった。その時間、二人はまだ現場で作業をしていた。二人の姿は施工主をはじめ近隣の住民から目撃されていたから、あらぬ疑いをかけられずに済んだ。マリさんは工務店の事務所で一人だったものの、電話が三件かかってきたり、来客があったりと、結果的に犯行は不可能だったと判断された。

 警察の執拗な取り調べから解放され、アキコさんの葬儀も終え、ほっと一息吐いた時のことだ。更に深刻な事態が発生した。

 今度は孫のユリコさんが「まだお葬式のお客さんがいるよ」といい出したのだ。

 タツオさんの背筋に冷たいものが走った。

 ユリコさんを問い質してみると、仏間に黒い着物姿の女が座っているという。

 次は孫が犠牲になるかもしれない。アキコさんの死が幽霊と関係しているなら、猶予は二週間だ。タツオさんは藁にも縋る思いで朽城キイに相談することにした。

「従妹が栃木のS町に嫁いでいたんです。それで前々から朽城さんのことは聞いていました。それまでは半信半疑だったんですが、もう他に手がなくて」

 連絡をした翌日、早くもキイはタツオさん宅を訪れた。

 家に上がったキイはまっすぐに二階の寝室へ向かった。アキコさんの遺体が見つかった場所である。キイは部屋の中心で天井を見上げると、経文のようなものを唱えながら、壺の蓋を開けた。

「何も見えなかったんですけどね、明らかに何かが壺の中に吸い込まれたのはわかりました」

 タツオさんがいうには、目には見えないが、空気の振動や音からそう判断できたという。

「時間にしたら五分もかからなかったと思います。でも、明らかに家の中の空気が変わっていました」

 それ以降、ユリコさんが着物姿の女を見ることはなかったそうだ。


 筆者は黒い着物姿の女の霊の正体を明らかにするため、日川家について調べることにした。

 まず日川家に嫁いだ女性が不審な死を遂げているのは事実である。タツオさんが日川家から修繕を請け負った時、既に三人の女性があの家で死亡している。日川家の近所の住民たちによれば、嫁が死ぬ原因は祟りなのだという。そして、祟っているのは、日川家の娘なのだと伝えられている。

 今からおよそ百年前、明治の終わりの頃のことだ。日川家にはイクという娘がいた。彼女には密かに結婚の約束を交わした相手がいたが、親の都合で別の相手との縁談が進められてしまう。嫁入り当日、イクは婚礼衣裳のまま、姿を消してしまった。

 屋敷の中を隈なく捜すと、なんと自室の天井裏で、刃物で胸を突いて自ら命を絶っていた。どうやらイクが自室として使用していたのが、タツオさんたちが天井板を張り替えた座敷のようだ。

 その数年後、次の当主となるイクの弟が嫁を迎えた。しかし、翌年に息子が生まれて間もなく、死んでしまったという。この時生まれた男子が、タツオさんの店に修繕を依頼した人物だ。彼は二十代で結婚して息子に恵まれるが、やはり妻は出産から程なくして死亡する。妻の十三回忌の後に再婚したが、今度は二週間程度で嫁は死んでしまった。

 これら三人の嫁はイクに怨まれて取り殺されたというのが、近所で語られる噂である。イクは自分が思い人と結婚できなかったことを死して尚嘆き、嫁入りしてきた女性たちが幸せになるのを妬んでいるのだという。

 アキコさんやユリコさんは、自身が見た幽霊が黒い着物姿だったため、「喪服」や「お葬式のお客さん」と表現したが、実際は幽霊が着ていたのは黒引き振袖であった可能性が高い。黒引き振袖は江戸時代後期から昭和初期の花嫁衣裳であり、時期的にイクの婚礼にも用意されたと考えられる。

 さて、この話には続きがある。

 ちょうどタツオさんが座敷の雨漏りを修繕した頃、日川家の一人息子に結婚の話があったらしい。その話を聞いた時、筆者はピンときた。

 あの座敷の雨漏りは、自作自演だったのではないだろうか、と。

 日川家では、わざと屋根瓦を外して雨漏りが起きるようにし、天井板を張り替える必要を生じさせた。そして、イクの死に場所であった天井板を業者に回収させてしまおうとしたのではないだろうか。つまり、嫁のアキコさんは日川家の身代わりとなって亡くなった可能性がある。

 ただ、タツオさんたち家族が一方的に不幸を背負ったわけではない。日川家の息子は予定通り結婚したが、最初に生まれた娘はすぐに死に、妻も息子を産んだ後に亡くなった。この二件については記憶が鮮明な住民たちがいた。彼らの話では、どちらの死の際も警察が事情聴取に訪れ、日川家周辺はちょっとした騒ぎになったようだ。しかも葬儀の際、遺体は既に荼毘に付されていた。

「よっぽど酷い死に様だったんだと思いますよ」

 ある住民はそういっていた。

 これは想像だが、タツオさんたちが回収したのはイクの霊の一部だけだったのかもしれない。八十年以上の歳月をかけ、日川家を祟り続けたイクの怨念は、そう簡単に払拭できるものではなかったのだろう。

 三年前、日川家の屋敷は売却され、改装された上で、去年、古民家カフェとしてオープンした。地元の住民たちは決して近寄らなかったが、店はそれなりに繁盛している。

 筆者も取材を兼ねて訪れたが、内装は古民家の良さを活かしつつ、現代的な家具が配置されていた。落ち着いた雰囲気の中でこだわりのコーヒーと絶品のスイーツを堪能していると、そこが悍ましい悪霊の巣窟だとは思えなかった。

 しかし、オーナーのケンショウさんに話を伺うと、オープンしてすぐに三人いた女性従業員たちが黒い着物姿の女を見たといい出し、相次いで辞めてしまった。その中の一人はケンショウさんの妻だという。今はその女が出るという座敷は開かずの間になっている。

 カフェは現在も営業しているが、従業員は全員男性である。そして、ケンショウさんの妻は間もなく男子を出産予定だそうだ。

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