第13回

 下見の当日、五十里たちは会社の車で栃木県S町に向かった。機材の運搬を考えると、電車とレンタカーを利用するよりも、最初から車で移動する方が手間がかからないからだ。

 現場が近付くにつれ、民家よりも田畑が目立つようになっていく。多くの水田には、植えられてから日が浅い黄緑色の稲が揺れていた。中には高齢者の夫婦が今まさに田植えを行っている姿も見受けられる。

 午前十一時過ぎに五十里たちが現場に到着すると、不動産会社の人間ではなく、大家自らが出迎えてくれた。

「ちょうど池の魚に餌をやろうと思いまして」

 そういって微笑む棘木は、電話口の印象と変わらず、温厚そうな人物だった。日常的に香でも焚いているのか、アロマのようなよい香りが漂っている。いつも煙草臭い男性スタッフに囲まれているので、心と鼻腔が洗われるような心地がした。

 五十里は今回の対応について、改めて感謝の言葉を述べた。棘木はくすぐったそうに笑う。

「いえいえ。お気になさらず。こちらもメリットがあると思ってのことですから」

 明るい庭で紳士然とした棘木と話していると、ここが心霊スポットであることをついつい忘れてしまう。そのくらい、建物も、棘木も、心霊や悪霊という言葉と縁遠く感じた。

「そういえば、企画書を拝見しまして、ちょっと気になったのですが、撮影に参加される心霊研究家の新海なぎささんというのは、どのような方なのでしょうか? ご一緒される小鳥遊羽衣さんは娘もよく存じ上げているようなのですが」

「新海先生は主に若い女性に人気のある霊能者です。普段は心霊現象でお悩みの方の相談に乗っていらっしゃいます。最近では雑誌で心霊写真や心霊映像の鑑定をする連載もお持ちです。うちの番組は毎年お世話になっています」

「なるほど。心霊研究家という肩書きなので、サイキカル・リサーチの研究者の方かと思っていましたが、霊能者の方なのですね」

 どうやら棘木は心霊方面の知識があるようだ。そうでなければ、さらりと「サイキカル・リサーチ」という言葉は出てこないだろう。

「そうです。ただ、ご本人は霊能者という表現がお好きではないようですけど」

 新海渚はどうやら霊能者という言葉に負のイメージを持っているらしい。五十里にとっては霊能者も心霊研究家も胡散臭い言葉に思えるのだが、彼女にはそれなりの拘りがあるようだ。

 これまで一緒にロケを行った印象では、新海は極めて合理的な精神を持っていると思われる。現場で奇妙な物音がしてもすぐに心霊現象とは断定せずに、自然現象の可能性を探る。こうした態度は五十里たちスタッフ側からすると余計なものだ。五十里たちが新海に求めているのは、その物音が心霊現象であるというお墨付きであって、真実の追求ではない。だが、一部の視聴者からは好意的に受け止められていて、「新海先生の解説は説得力がある」などと評されている。

 棘木は何か思案するように顎を撫でていた。

「あの、棘木さん」

「はい?」

「この家で必ず何かが起こる場所って何処ですか?」

「必ずとまではいえませんけれど、皆さん奥の座敷では奇妙な体験をなさっているようです。私もかつてオカルトライターの鍋島さんという方と一緒に不可解な現象に遭遇しました」

「十文字八千代さんの件ですか?」

「ええ。あの日、十文字さんは奥の座敷に一人で籠もっていたはずでしたが、いつの間にか忽然と消えてしまいました。そして、庭でお亡くなりになっているのを私と鍋島さんが見つけたのです。あの座敷では、生前朽城キイさんが祭壇を置いて、祈祷やらお祓いやらをしていました。そして、キイさんが殺害されたのもあの場所です。他にも卜部美嶺さんという霊能者の方が、除霊中に同じ座敷で亡くなっています。やはり何か因縁があるのかもしれません。まあ、私には霊感めいたものはないので、よくわかりませんけれど」

 その後、棘木から簡単に入居に関する説明を受け、鍵を渡された。

「何かありましたらいつでもご連絡ください。できる限り撮影には協力いたしますので」

 棘木はそういって去って行った。

 五十里は荷物からカメラだけ出すと、早速建物の外観や庭の様子を撮影することにした。本番の天気が晴れとは限らないし、こうしたロケでは機材トラブルもよく起こる。今の内に幾つか素材になるような映像を押さえておく必要があるだろう。

 母屋を撮影するに当たって、フレームに入らないようにするため、篠田に車を移動するように指示した。

「あたしが正面からの撮影を終えたら、車を玄関近くに寄せていいから、機材を全部降ろしておいて」

「え? 家の中に運べってことですか?」

「他に何処に運ぶんだよ」

「いや、そういう意味じゃなくて、僕が最初に中に入るんですか?」

「そうだよ」

「一人で?」

「他に誰がいるんだよ。別にがっつり中に上がらなくていいからさ、玄関入ってすぐのところ辺りに纏めといて」

 篠田は不承不承「はい」と返事をして、車を動かした。

 五十里は大きく溜息を吐く。

 年齢が離れているせいなのか、篠田との現場は疲労感が強い。こちらの指示には従うものの、不平不満を隠すことがない。しかも直接言葉にすることは稀で、表情や態度でそれを示してくる。自分の気持ちを察してほしいという魂胆が見え見えで反吐が出る。五十里が篠田くらいの頃に同じようなことをしたら、上司からは恐らく怒鳴られただろう。

 AD時代の五十里は、篠田よりもずっとずっと従順に上からの理不尽に耐えていたが、それでも何度も怒鳴られた記憶がある。同期には大した失敗でもないのに蹴られている男性ADもいた。時代が時代だから、今はそんなことをしたらパワハラで大問題になってしまう。五十里もなるべく声を荒らげないように気を付けてはいた。

 まあ、そもそも部下に厳しく指導するのは、その相手の成長を期待する場合である。五十里は篠田に何の期待もしていないので、大きな声を出すだけこちらの損失だ。去年から何度か篠田と現場を共にして、ものにはならないだろうと感じている。そんな彼と最長で一週間も過ごさねばならないと思うと、今から気が重い。

 母屋や納屋の全景を何カットか撮影してから、五十里は庭をぐるりと見回した。

 柘植が数多く植えられた場所に、小道のようなものを見付ける。カメラを回しながら中に入っていくと、庭というよりもちょっとした林の中にいるようだった。柘植はどれも丸みを帯びた形に整えられているから、人工的な雰囲気がする。いつの間にか小道は消えてしまい、等間隔に植えられた木々の間を縫うように進んでいると、まるで迷路に入り込んでしまったかのように錯覚する。

 鍋島の著作によれば、この中の何処かで行方不明になった夫婦の屍体が発見されたらしい。状況からして、妻が夫を殺害した後に自殺したように見えたそうだ。警察は無理心中として事件を処理したそうだが、五十里にはとてもそんな単純なものには思えなかった。

 大体二人は失踪してから発見されるまでの半年間、何処にいたのだろうか? この敷地内で、ずっと迷っていたとか? そんな妄想が浮かんでくる。

 もしかして自分もこのまま柘植の林から出られなくなったりして……。

 唐突に不安になって、五十里は踵を返すと、足早に母屋の方へ戻った。

 玄関の前では、何故か篠田が突っ立っていた。時間から考えて、機材の搬入が終わったとは思えない。篠田は五十里の姿を認めると、近寄って来る。

「何?」

「ヤバいです、ここ」

 篠田は無表情にそういう。

「何かあったの?」

「足音がするんです。家の中、誰もいないはずなのに」

 それは……幸先のよいスタートではないか。

「荷物を下ろしてたら、二階を誰かが歩いているような音がして、最初は気のせいかと思ったんすけど、今度は奥の座敷から畳を踏むような音が聞こえました」

「撮った?」

 五十里が矢庭に尋ねると、篠田は間抜けな顔で「へ?」といった。

「折角、出たのに撮ってねぇのかよ。ホント何しに来たんだよ」

 思わず大きな声になってしまった。

「えっと、はい、すみません」

 と気持ちの籠もっていない謝罪をする篠田を無視して、五十里はカメラを回しながら玄関から中へ入った。

 薄暗い室内には、人の気配はない。右手に置かれた大きな水槽には水草だけが揺れていて、ポンプの音がやけに大きく聞こえた。五十里は三和土に立ったまま、耳を澄まして家の中の物音を探ったが、五分経っても何も聞こえなかった。こういう現象は捉えようと身構えると、途端に何も起きなくなってしまうものだ。

 まあ、そんなに焦る必要もないか。取り敢えず、いつ不可解な現象が起きてもよいように、機材のセッティングを先にしておこう。そう思って改めて眼前に置かれた荷物を確認すると、明らかに少ない。まだ全部は車から降ろし終えていないだろうとは思っていたが、篠田は想像以上に仕事をしていなかった。

 外に出ると、篠田は車の傍らに立ってスマートフォンを弄っていた。

「おい。まだ機材、残ってるじゃねぇかよ」

 こちらの憤りが伝わったようで、篠田は直立不動になる。車のトランクを確認すると、五十里と篠田のスーツケースを含めて、まだ半分以上の荷物が残っていた。

「降ろしてる最中に、足音がしたんです。それで五十里さんが来るまで……」

「もういい」

 重い溜息が出た。

 五十里は自分で機材を運ぶことにした。車から何往復もしたが、篠田は一度も手伝おうとしなかった。その場に立ったまま、こちらの作業を眺めているだけ。きっと「手伝えよ」といえば従ったと思う。だが、五十里は敢えて何もいわなかった。すべての荷物を搬入した後に、「車、車庫に入れといて」とだけ指示を出した。


       *


 鍋島猫助『最恐の幽霊屋敷に挑む』より


 溜め池の女

 発端は一九八九年、二月最初の日曜日だった。即ち平成が始まって間もなくのことである。

 埼玉県C市の農業用の溜め池で、近くに住む会社員の男性の屍体が発見された。夕方「散歩に出る」といってふらりと出かけたまま暗くなっても戻らないので、心配した家族が付近を捜した結果、暗い水面に浮かぶ屍体を見つけたのだ。発見時、男性は死後一時間以上経過していたらしい。死因は溺死である。

 そして、警察が男性の屍体を岸まで運ぶ作業の最中、池の底から重りのついたスーツケースが見つかった。中には裸の若い女性の屍体が入っていた。こちらは死後一週間が経過しており、屍体の首には絞められたような痕跡があった。もしも男性の溺死がなければ、女性の屍体はしばらく発見されることはなかっただろう。

 男性の溺死とスーツケースの屍体にどのような関係があるのかはわからなかったが、警察は女性については殺人事件として捜査を開始することになる。

 スーツケースには女性の身許を示す所持品は見付からなかったが、似顔絵と歯の治療痕の照合から、都内に住む二十五歳の女性だと判明した。当時の新聞報道で実名は公表されているが、ここでは仮にみずさわカナデとしておく。カナデは小さな芸能事務所に所属し、歌手として活動していた。とはいえ人気は今ひとつで、本人は生活費を稼ぐために飲食店でアルバイトをする必要があった。

 屍体の発見される一週間前、担当マネージャーが連絡が取れないことを不審に思い、自宅を訪れた。しかし、カナデの姿はなく、アルバイト先も無断で休んでいることがわかった。アルバイト先の店長は、「カナデは真面目な性格だから、黙って仕事をサボるような娘ではない」と主張したようだが、所属事務所では最近交際相手が自殺してしまったので傷心旅行にでも出ているのではないかと考えたらしい。

 ちなみに、カナデは幼い頃に両親が自殺し、以降は宮城県S市の母方の祖母に育てられた。その祖母もカナデが歌手デビューした年に交通事故で亡くなっている。どうもカナデの周辺には自殺や事故など死の香りが漂っていたらしい。この点については詳しく後述する。

 さて、関係者への聞き込みから、池で溺死した会社員とカナデとは無関係であることがわかった。捜査本部では今回二人の屍体が同時に見つかったのは、単なる偶然だと片付けられた。

 二人の屍体が発見されてから一週間も経たない内に、溜め池で女の幽霊が目撃されるようになる。筆者が直接聞いた話は次のようなものだった。

「夕方に溜め池の近くを通った時です。岸辺にずぶ濡れの女が立っていました。池に落ちたのかと思って声をかけたら、すぅっと消えてしまいました」

「俺が幽霊を見たのは、真っ昼間だった。車であの池の脇を通った時だ。池の真ん中に女が立ってたんだ。最初は見間違いかと思った。でも、車を停めてもう一度見たら、確かに水面の上に女が立ってたんだ。普通の人間じゃそんなことできねぇだろ?」

「溜め池周辺のゴミ拾いをしていた時のことです。時刻は朝の八時ちょっと前ですかね。突然、近くでバシャッと魚が跳ねるような音がしまして。びっくりして池の方を見たんです。そしたら水の中で裸の女の人が泳いでいて、こっちを見てにたぁって笑ったんです」

 この他にも様々な噂が飛び交い、あっという間に溜め池は心霊スポットになってしまった。若者がバイクや車でやってきて夜中に騒ぐことも多くなり、近隣住民は迷惑したという。警察もパトロールを行ったが、余り抑止力にはならなかったようだ。

 その内、肝試しに溜め池を訪れていた大学生が溺死する事故が起こった。三月半ばの夜のことである。一緒にいた友人たちの話では、池の周りで幽霊が出るのを待っていると、一人が突然池の中に入って行ったので、もう一人が引き留めに行き、結局、二人とも溺れてしまったらしい。

 池に現れるカナデの幽霊が、自分が殺された怨みを晴らすため、近づく人間を引き込んでいる。最初に死んだ会社員も、きっと幽霊に取り殺されたに違いない。そんな噂が瞬く間に広がった。

 当時はまだインターネットが然程普及していなかったため、噂の伝播は基本的に口コミである。しかし、周辺の地域では、溜め池はかなり有名な心霊スポットになっていた。当然、野次馬の数も増え、ごみのポイ捨てなどの迷惑行為も増えた。ただ、一番周辺住民を悩ませたのは、死者の数である。四月と五月の溺死者の合計は七人に上った。

 そこで住民たちは近くの寺に依頼して、水沢カナデと他の溺死者の供養を大々的に行い、溜め池の周囲にフェンスを設置することを決めた。

 当時、その工事に携わっていた男性はこう証言している。

「工事が始まってすぐ、仲間の一人が池に入って行ったんです。最初は落とし物でもしたのかと思って声を掛けたんですが、そいつは無視してどんどん池の中に進んで行って、そのまま沈んでしまいました」

 男性たち作業員はすぐに助けに向かった。しかし、全員が溺れることになる。

「水の中に入った時、何かに足を引っ張られたんです。水草が引っ掛かったとかじゃなくて、あれは誰かが足を掴んで力いっぱい引いていたんだと思います。今でもふくらはぎを握られた感触を覚えていますよ」

 最初に池に入った作業員を含めて、死者は三名。池に入った者の内、話を聞かせてくれた男性以外は皆、死んでしまったという。結局、寺の行った供養は何の効果もなかったということだ。その後も工事関係者が池で溺れることが続き、フェンスの設置は中断となった。

 八月に入り、水沢カナデ殺害容疑で元交際相手が逮捕された。犯人は動機について、復縁を迫ったが断られ、無理心中をしようとしたが、自分は死ねなかったのだと供述した。

 溜め池周辺の住民たちはこのニュースを喜んだ。犯人が逮捕されればカナデはもう池に人間を引き込むことはないだろう。そう思ったのである。

 この時点で既に二十人近い犠牲者が出ていた。これまでも溜め池で溺死者が出たことはあったが、それも稀なことで、事故は数年に一度、子供が溺れる程度だった。半年余りで二十人近い死者数というのは、明らかに異常である。

 しかし、その異常事態は止まらなかった。

 九月を迎える前に、三人が溜め池で死んだ。

 その内の一人は、池の話を聞きつけてやってきた自称霊能者だった。

 朽城キイが現場を訪れたのは、その二箇月後、十一月のはじめのことである。キイを呼んだのは、市役所に勤務するシゲルさんだった。

「私の家も、あの溜め池に近いですからね。自分はともかく、息子たちのことが心配でした。当時は上の子が高校生、下の子が中学生でしたから、ちょうど幽霊とか心霊なんかに興味を持つ年頃でしたから」

 キイのことは以前栃木県に住む友人から聞いたことがあったという。その友人に仲介を頼んで、キイにC市まで来てもらった。

「朽城さんは池を見た瞬間、眉間に皺を寄せられて、厳しい顔になりました」

 それまでずっとにこやかな笑顔だったから、急激な表情の変化は印象に残っているという。キイは矢庭に持っていた壺の蓋を開けた。

「その時、池の水が中心からゆっくりと渦を巻いたんです。私だけじゃなくて、一緒にいた近所の人たちもみんな見てます。それから私の目には見えなかったのですが、何かが池から飛び出して、壺の中に入ったようでした。それも一つではなく、幾つも、幾つも、壺の中へひゅんひゅんと飛び込んでいくんです。全然見えないんですけど、音とか、風圧っていうんですかね、そういうのは私も感じました」

 やがて水面の渦は静かになり、キイは壺の蓋を閉めた。

「ほんの十分くらいだったと思うんですが、朽城さんはだいぶお疲れの様子でした。額の汗を拭って、『これでもう大丈夫ですよ』と微笑まれました。そのお顔を見て、私も『嗚呼、終わったんだな』と安堵したのを覚えています」

 キイの言葉通り、あれだけ続いた溜め池での不審な溺死はぴたりと止んだ。フェンスの設置工事も再開したし、除霊が効果を発揮したという話が広く伝わったお陰で、池に近づく野次馬も少なくなった。

 現在、溜め池の近くには、水沢カナデを含めて死者たちを弔う慰霊碑が立っている。


 最恐の幽霊屋敷の池に棲みついているのは、恐らく水沢カナデの霊だろう。朽城キイの夫・智政が死んだのも、カナデの仕業だったと推察できる。

 それにしても、カナデの霊はどうしてあれ程までに多数の死者を出したのだろうか? 幾ら理不尽に生命を奪われたからといって、無関係な人々を次から次へと水中に引き込むような強大な怨念を持つものなのだろうか? 筆者はこの疑問を解くべく、生前のカナデについて調べてみた。すると、興味深い事実が判明した。

 カナデの両親が自殺したことは前述したが、実は祖母も事故死とはいえ半分自殺に近い状況だった。大型トラックが走ってきたにも拘わらず、道路に飛び出して、轢かれてしまったのである。また、カナデの学生時代の友人や恋人にも、自殺者が何人もいることがわかった。更に、極めつけとなるのが、ある都市伝説である。

 聞いた人間が次々と自殺してしまうといわれる曲がある。有名なのはハンガリーで発表された「暗い日曜日」という曲だ。この曲は世界中でカバーされ、日本でも多くの歌手が歌っている。これと同様に、日本で発表された曲にも、聞いた人間に自殺を誘発させるといわれるものがある。その曲こそ、水沢カナデのデビュー曲なのである。

 ここでは敢えて曲名は記さない。勿論、水沢カナデの本名と同様、検索すれば容易に曲名を知ることはできる。ネット上にアップされているから、誰でも聞くことは可能だ。しかし、決してこの歌を聞いてはいけない。この原稿を読んだ編集者は、興味本位に曲名を調べ、実際にカナデの歌を聞いてしまった。その後、彼女は出版社のビルから飛び降りて、今も意識が戻らない。

 水沢カナデが多くの人間を死に誘うのは、無念の死を迎えたからではない。故意か過失かは不明だが、生前から彼女の声は多くの人間を自殺へと陥らせていたようだ。そして、その歌が保存されている限り、今も尚、彼女は数え切れないくらいの自殺を引き起こしているのかもしれない。

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