第14回

 所定の位置に機材をセッティングするのは、流石に二人がかりで行った。会話は少なかったが、様子を見る限り、篠田は殊更気まずい思いはしていないようだ。鉄のようなメンタルだなと思うと同時に、そんなに無神経なら幽霊だって怖くないだろうにと思う。結局、すべての準備を終えたのは、十三時過ぎのことだった。

 二人はキッチンで湯を沸かして、ここに来る時に立ち寄ったコンビニで買ったカップ麺を昼食にした。キッチンには薬缶の他に、鍋やフライパンなどひと通りの調理器具が揃っていて、材料さえあればすぐに自炊できる環境だった。炊飯器も新しい。

 ふと近くのスーパーで買い出しをして大量にカレーを作れば安上がりではないかと思ったが、ゴミの処理を考えると面倒だということに気付いた。それに篠田に手料理を振舞うのも癪だ。やはり食料品はコンビニで調達するのが無難だろう。

 午後は篠田を家の中に待機させて、裏庭の撮影を行うことにした。篠田は一人になることを渋ったが、「あんた、ういういの前でもそんな態度取るの?」というと、口を尖らせて「わかりましたよ」と承諾した。心霊現象がいつ起こってもよいように、カメラを回したまま、仏間にいるように指示した。今夜は徹夜で家の中で過ごすことになるのだから、少しは慣れてもらわないと困る。

 五十里は庭の西側から竹藪を脇目に裏庭へ向かう。右手に池があるはずだが、ピンク色に咲き乱れた躑躅に囲まれているので、ここからは見えない。

 少し進むと、竹林を背負う形で古びた石蔵があった。

 この中には棘木の娘が収集した曰く付きのコレクションが収められているという。できることならとっておきの逸品を番組内で紹介してくれないだろうか。棘木の娘自身はメディアに出ることを厭っているようだから、コレクションだけでも撮影させてくれればよい。小鳥遊と新海に実際に見てもらうだけでも、かなりの尺が稼げるだろう。明日以降、棘木に交渉してみようと思う。

 中に収蔵されている品が何であるのか知っているせいか、石蔵は母屋と違って禍々しいものに見えた。勿論外観に異状はない。しかし、大谷石の壁からは、呪いや怨みが滲み出ているように思えてならない。

 午前中に篠田が母屋で足音らしきものを聞いていることから、ここでも何か起こるかもしれない。そんな期待からカメラを構えたまま神経を集中させていると、背後でバシャッと水の跳ねる音がした。

 池の鯉が飛び跳ねたのだろうか。

 かなりドキッとしたが、声は出さなかった。五十里はもう何箇所も心霊スポットに赴いている。そうした場所で突然鳥が飛び立ったり、空き缶が転がったりして、物音が立つことは珍しくない。出演者ならともかく、スタッフはカメラが回っている間に声を上げることは禁物である。その習慣が身体に染みついていた。そのせいでプライベートでも、何か驚くようなことがあっても五十里は滅多に声を出すことはなかった。妹からは「脅かし甲斐がなくてつまんない」といわれる。

 しばらく蔵の前にいても何も起こらなかったので、すぐ側にある稲荷の社に向かう。

 カメラのフレームが蔵から赤い鳥居に移動した時のことだ。

「……の……がちゃぶれる」

 背後から声が聞こえた。

 咄嗟に振り返るが、誰もいない。ただ、蔵の中からバタバタと走り回るような物音がした。両腕に鳥肌が立つ。

 バシャッとまた何かが池で跳ねた。

 ついさっき撮影した映像を確認すると、確かに人の声らしきものが入っていた。いっている意味はまるでわからない。その後の蔵から聞こえた物音もしっかり収録されていた。突発的な事態だったが、映像にブレはないし、余計なものも写り込んでいない。飛行機やヘリコプターも飛んでいなかった。これならオンエアでも使用できるだろう。

 早くも具体的な収穫を得て、五十里は気分がよかった。この分なら今夜一晩だけここで過ごして、明日には撤収ができるかもしれない。

 軽い足取りで社へ向かい、正面から撮影しようとカメラを構えて、思わず息を呑んだ。

 社の周囲には狐の置物が大量に並んでいる。そのことは鍋島猫助の著作で写真を見ていたので知っていたが、今、その狐たちのほとんどは、首を切断されていた。陶器の置物が自然に割れたのではない。切断面は滑らかで、明らかに鋭利な道具で首を切り落とされている。材質と置物の数から考えて、相当時間が必要だったのではないだろうか。

 棘木がやったのだろうか? それとも彼の娘か? どちらにしても不気味だ。

 五十里は先程石蔵で聞いた不可思議な声よりも、こちらの方が薄ら寒い気分になった。切り落とされた首はそのまま胴体の側に置かれているが、どれもきちんと前を向いていた。明らかに見る者を意識して、丁寧に並べられている。置物の胴体部分には雨水が溜まり、不快な臭いがした。社に損傷はないものの、以前見たことがあるカラー写真よりも黒ずんでいて、朽ちた印象だった。

 池からまた水音がしたかと思うと、今度はバシャッバシャッバシャッと何度も何度も繰り返される。

 これは……魚が跳ねているのではない。

 まるで水遊びをする子供が水面を叩いているような、そんな音だ。

 五十里は素早く池の方向にカメラを向ける。しかし、この場所からではやはり躑躅が邪魔で池が見えない。

 何だ? 何がいる?

 依然として水音は続いている。

 だが、いざ池の側に行ってみると、途端に音は止んでしまった。

 水中では鯉や金魚が何事もなかったように泳いでいる。大きな水音を連続して発生させるような生物も機械も見当たらない。ただ、つい先程まで何かが水面を叩いていた証拠に、幾つも波紋が広がっていた。池の端には水飛沫の痕跡もあった。

 バシャッバシャッという音はカメラにもきちんと録音されているから、五十里の聞き間違いではない。ここにいる魚たちが一斉に飛び跳ねたとしても、あんな音にはならないだろう。この場所では朽城キイの夫である智政の屍体が発見されている。先程の音はその霊が引き起こしたものなのか、それとも、別の何かが原因なのか。

 実は、五十里は音の原因について心当たりがあった。鍋島猫助は『最恐の幽霊屋敷に挑む』においてこの屋敷での体験談だけではなく、ここに巣食う悪霊の実像にまで迫ろうとしていた。鍋島によれば生前の朽城キイが壺に封じ込めた霊の内、八人は他を凌駕する凄まじさがあったという。その内の一人は元々埼玉県の溜め池に潜んでいたらしい。そして、近づく者を池の中に誘い、多くの死者を出した。鍋島はその霊がここを塒にしていると考えているようだ。

 五十里は今にも水中から自分を引き込む腕が伸びてくるのではと危惧しながらも、角度を変えながら池の様子を撮影し、中途半端だった稲荷の社の画もしっかりと押さえた。

 そのまま裏庭を東へ進む。屋敷林のせいで、かなり陰鬱な雰囲気だった。地面は苔生して、湿気が多く、あちこちに羽虫が飛び交っている。

 こちらから見た母屋は窓がすべて閉まって、ひっそりとしている。篠田がいるはずの仏間には窓がないから、その気配は全くわからない。悲鳴は聞こえないから、取り敢えず役目は果たしているのだとは思う。

 静寂の中で池からはまだ断続的に大きな水音が聞こえてきたが、五十里は無視することにした。どうせカメラを持って行っても、また何も異常は確認できないはずだ。

 杉林の陰から視線を感じる。こうした感覚は以前も心霊スポットで体験した。自分の神経が過敏になっているのか、はたまた本当に何かがこちらを見ているのかは判然としない。だが、この感覚があった場合は、思いもかけない映像が撮影されることが多い。悪くない状況だ。

 裏庭の東は何本もの柘植に遮られて、行き止まりだった。キッチンの脇にある土間に入れる裏口があるが、今は内側から鍵が掛かっている。五十里は来た道を引き返して母屋へ戻ることにした。

 前庭へ移動する間、後ろから足音らしきものが聞こえてきた。カメラを構えて振り返ったが、当然、誰もいない。歩き出すと、また聞こえる。これも池の水音と同じで、こちらが見ていない間だけ発生する現象なのだろう。この辺りが超常現象の捉えにくさなのだと思う。

 玄関を開けると、篠田は仏間で仰向けに横たわっていた。

 カメラは玄関を向けてテーブルの上に置かれている。

「篠田!」

 気を失っているのかと思い、靴を脱ぎ捨てて近寄ったが、すぐに鼾が聞こえたので脱力した。

「起きろ!」

 仁王立ちになってそういったが、篠田は寝返りを打つだけだった。本当にどういう精神構造をしているのだろうか?

 テーブルの上のカメラを確認すると、一応、回ったままの状態だった。カメラを止めて、もう一度名前を呼ぶと、篠田はゆるゆると上体を起こした。

「あ、お疲れ様です」

「さっきまであんなにビビってたのに、よく居眠りできたな」

「睡魔には勝てません」

「いや、そこは勝っとけよ。っていうか、仕事中だぞ」

 篠田は「へへへ」と笑う。

「そうだ。あんた眠ってたなら、金縛りには遭わなかった?」

「全然ですね。夢も見ませんでした」

「あそう」

 本当に使えない奴だ。

「じゃあ、また足音とか聞こえなかった?」

「わかりません。多分、何も起こってなかったと思いますよ」

 篠田に尋ねても埒が明かないと判断した五十里は、仏間に置かれたカメラが撮影した映像を確認することにした。カメラはずっとテーブルの上に置かれたままで、玄関を映している。当たり前だが、来客はない。玄関チャイムが鳴ることもない。十分程静止画のような映像が続いた後、複数人が囁き合うような声が聞こえた。小さ過ぎて何をいっているのかはわからないものの、時折笑い声が交じっている。

「この声は気付かなかった?」

 五十里が尋ねると、篠田は青い顔をして首を振った。恐らくこの時点で既に篠田は居眠りをしていたのだ。声の主は不明であるが、鍋島の著作では神棚に並んだ人形が声を発すると書かれていた。この現象もそれと同様のものなのかもしれない。

 次に五十里が裏庭で撮影した映像を二人でチェックする。石蔵から声が聞こえたところで、篠田は「ひっ」としゃっくりのような声を出した。

「やっぱヤバいですよ、ここ。まだ真っ昼間じゃないっすか」

 五十里は映像を一時停止した。

「あたしらはヤバい場所を探しに来てるんだろ? あんた自分の仕事理解してる? 何も起きなかったら、この数日分の仕事は全部無駄になるんだぞ。そしたら、また一からロケハンしなきゃならない」

「それはそうですけど、ホントにここに一泊するんですか?」

「一泊って……あんた寝る気満々だな。夜はずっとカメラ回してるんだから、いつもと同じだよ。それに何も撮れなきゃ一泊どころか一週間はこの家で過ごすっていったよな?」

「ええ、まあ、それは覚えていますけど……」

 五十里は篠田に呆れながらも、ネットで「ちゃぶれる」を検索する。栃木県や茨城県の方言で、「潰れる」という意味だった。一体何が潰れるのだろうか? 映像を巻き戻して聞き返すと、「〇〇〇の〇〇〇」が潰れるといっているようだ。「の」の前後はどちらも三文字だったが、やはり何といっているのかわからない。

 五十里はすぐに諦めて、続きを篠田に見せる。案の定、池から水音が連続して聞こえるシーンで、篠田はオーバーなリアクションを取った。

「何なんすか、これ?」

「さあ」

「さあって、五十里さんは気にならないんですか?」

「そりゃ気にはなるよ。でも、池に行ったら何もないんだから、考えても仕方ないでしょうよ」

 篠田には埼玉の溜め池にいた悪霊の話は黙っておいた。篠田だって鍋島の本は読んでいるはずなのだが、そこまで考えが至らないようだ。もしかして、読んでいない? その可能性も大いにある。この家よりも、目の前の部下の方が、ある意味で空恐ろしい気がした。

 最後に表に戻るまでの間の映像を見たが、生憎、足音は録れていなかった。

「何でちょいちょい振り返ってるんですか?」

「この時、ずっと後ろから足音がしてたんだよ」

「え? それって何かがいてきたってことですか?」

「まあ、そうなんじゃないの」

 篠田は顔を上げて辺りを見回す。

「いやいや、そんなの見えるわけないでしょ? 近距離で振り返っても見えなかったんだから。それに、外から何かが入って来なくたって、家の中にはもういろんな霊がいるでしょうよ」

 五十里の言葉に篠田は顔を顰めて「厭なこといいますね」といった。


       *


 鍋島猫助『最恐の幽霊屋敷に挑む』より


 ウズメさん

 朽城キイが壺に封じた特筆すべき八人の悪霊の内、唯一栃木県で除霊されたものがいる。それがウズメさんと呼ばれる霊だ。

 マアヤさんが恐怖体験をしたのは、一九八七年八月のことである。当時彼女は小学四年生で、両親と共に東京都T区のマンションで暮らしていた。その年の夏休み、マアヤさんは一人で母方の祖父母の家に滞在することになった。期間は八月一日の土曜日から八月十四日の金曜日までのちょうど二週間の予定だった。

 祖父母の家は栃木県Y市(S町の隣)にある古い兼業農家で、祖父は農協の職員だった。母親の実家であるから、これまでも何度も訪れ、宿泊したこともある。しかし、一人で二週間もの間滞在するのは初めての経験だったので、子供ながらに途轍もない挑戦に感じたという。

 祖父母の家では、昼間は祖父が出勤しているので、祖母と時間を過ごすことが多かった。畑で胡瓜やトマトなどの夏野菜を収穫し、採れたてを頬張った。夜になると家のすぐ脇を流れる用水路に蛍が飛び交うのを観察したり、庭で花火をしたりして楽しんだ。近くに住んでいる従姉が遊びに来ることもあって、マアヤさんは充実した日々を過ごしていた。

 八月九日の日曜日のことである。マアヤさんは祖父母に連れられて、先祖代々の墓を掃除することになった。お盆を迎えるための準備の一環だ。ジャージ姿で祖母の運転する軽トラックの助手席に座って、墓地を目指す。祖父は道具類と一緒に荷台に乗っていて、とてもワイルドに見えた。

 墓は中学校の裏山の斜面にある。二十基近くの墓石が並ぶ共同墓地で、祖父母の家の墓は、斜面の下の方の隅に位置していた。墓掃除といっても、実質的には除草作業がメインとなる。祖父は草刈り機を使って繁茂した丈の長い雑草を刈り取り、マアヤさんと祖母は区画内の草を毟った。山と中学校の敷地の間を流れる小川の水を汲んで、墓石を丁寧に磨いた。

 ひと通りの作業が終わって、持ってきた冷たい麦茶を三人で飲んでいる時、マアヤさんは隣の区画にちょこんと置かれた小さな墓石に気付いた。除草剤でも撒かれているのか、その区画には雑草が一本も生えていない。相当古いものらしく、角は朽ち、表面には苔が生えていた。花も線香も供えられた形跡がない。

「このお墓って?」

 マアヤさんが尋ねると、祖父は眉間に皺を寄せて厳しい表情を浮かべた。直感的に訊いてはならない質問だったことを悟ったが、後の祭りである。祖父は素っ気なく「それはウズメさんだ」とだけいった。理由はわからないが、祖父は明らかにその墓を快く思っていない様子だ。

「もう帰るぞ」

 そういって、祖父は草刈り機を担いで、軽トラックを停めた場所へ向かった。

 祖母とマアヤさんは慌てて道具を持って、その後を追う。その時、マアヤさんはふと背後に人の気配を感じて振り返った。

 勿論、誰もいなかった。いなかったのだが、気配はなくならなかったという。

「まるで見えない何かがそこにいるみたいでした」

 その日の夜、マアヤさんは不思議な体験をする。

 毎晩、彼女は縁側に近い座敷に蒲団を敷いてもらっていた。当時は治安がよかったためか、夜通し縁側のサッシは網戸にしてあった。水田を吹き抜けた風がそよいで、タオルケットだけでは肌寒い日もあった。その夜もマアヤさんは寒さで目を覚ました。足下に畳んである薄手の掛け蒲団を被ろうと上体を起こした時、縁側の外に誰かが立っているのを見た。

 座敷のナツメ球のオレンジの光が照らしていたのは、ボサボサの長髪に灰色っぽい着物の人物である。それはこちらをじっと見ているのだが、その顔には目も、鼻も、口も、見えなかった。しかし、のっぺら坊というわけではない。顔の中心から渦巻きができていて、絶えずグルグルと回っているのである。

 マアヤさんはすぐに祖父母の寝室へ逃げ込んだ。

「お化けが出たよ!」

 祖母は「きっと怖い夢でも見たんだねぇ」と端から信じてくれない。

「夢じゃないもん。縁側の外にお化けがいたの」

 すると祖父が「本当に誰かいるのかもしれないから、ちょっと様子を見てくる」といって、縁側へ向かった。

 祖父が戻って来るまでマアヤさんは不安だったが、祖母はもう呑気に寝息を立てていた。

「誰もいなかったよ。安心しなさい。今夜はここで一緒に寝よう」

 祖父に優しく頭を撫でられて、ようやくマアヤさんは少し落ち着いた。その夜はいわれるまま、祖父母の間に横になって眠った。

 翌日になって、明るい日差しの中、昨夜見たお化けについて改めて考えてみた。確かに寝起きだったから、何かをお化けのように見間違えた可能性はゼロではない。だから、縁側の周りにお化けに見えるようなものはないか、チェックしてみたが、それらしいものは皆無だった。

 やっぱりあれはお化けだったのではないか?

 昼間だったからなのか、時間が経過したからなのか、とにかくマアヤさんからは恐怖心が稀薄になっていった。代わりに好奇心が頭を擡げる。あのお化けの正体は何だったのか突き止めたい。そんな衝動が強くなった。そして、マアヤさんの頭の中に最初に浮かんだのが、ウズメさんだった。

 以前、クラスメートの家で妖怪図鑑を見せてもらったことがある。そこに産女という妖怪が載っていた。産女は難産で死んだ女性の霊が妖怪になったもので、赤ん坊を抱いた姿をしている。産女は通りがかった人に赤ん坊を抱いてくれるようにせがむらしい。

 昨夜お化けを見たのは僅かな時間だったから、赤ん坊を抱いていたのかは思い出せない。しかし、産女という名前が訛ってウズメになったのではないか? 或いは、産女に似た妖怪がウズメさんなのではないか? 墓地を掃除した時マアヤさんがウズメさんの墓石を気にしたことから、夜に様子を見に来たのではないか? 

 しかし、昨日の祖父の態度を見ると、祖父母にウズメさんについて尋ねるのは憚られた。そこでマアヤさんは、午後になると、詳しくウズメさんの墓石を調べるために、共同墓地を一人で訪れた。墓地には人影はなかったものの、中学校にはプールに入りに来た生徒たちが大勢いるため、騒がしい声が聞こえてきて、心細さが和らいだ。

 マアヤさんはかなり接近して、ウズメさんの墓石を観察した。表面には家の名前ではなく、びっしりと文字が刻まれている。どれも掠れている上、漢字だったから、当時のマアヤさんには解読できなかった。蝉の声が降り注ぐ中、藪蚊に刺されながら、墓石の周囲も調べてみたが、これといった手掛かりを見付けることができなかった。そもそもウズメさんというのも、苗字なのか、名前なのか、判然としない。

「そうだ。図書館で調べてみよう」

 マアヤさんはしゃがんでいた姿勢から立ち上がろうとして、重心を崩して尻餅をついてしまった。幸い地面が渇いていたので然程汚れないで済んだ。

 一旦祖父母の家に戻ってから、孫たちが共有している自転車に乗って、図書館を訪れた。

 レファレンスで「Y市の歴史や文化を調べているのですが、どんな本を読めばいいですか?」と尋ねると、司書の女性が何冊か参考になる本を紹介してくれた。早速目を通してみたが、どれも子供向けでウズメさんのことは書かれていなかった。仕方がないので、先程の司書の女性にウズメさんについて直接質問してみた。その女性は首を傾げるだけだったが、隣に座っていた年配の女性─恐らく祖父母と同じくらいの世代─が「その名前はあんまり口に出さない方がいい」といった。

「どうしてですか?」

「家に来たら大変だからよ」

「え?」

「十年くらい前に、あなたくらいの女の子が行方不明になる事件があったの。その時、ウズメさんに攫われたって噂されたのよ。だからね、あんまりアレを刺激しちゃ駄目」

 年配の女性の表情が余りにも真剣だったので、流石にマアヤさんも忠告に従うことにした。ただ最後に、その女性に「ウズメさんって何なんですか?」とだけ訊いた。

「その人は何もいわずに首を振るだけでした」

 どうやらウズメさんは自分が思っているよりも恐ろしい存在として考えられているらしい。子供を攫うということから、中国のかくちょうに似ている。姑獲鳥は夜の間に飛行して、子供を奪って自分の子とする習性があるという。毛を着ると鳥に変身し、脱ぐと女性の姿になるそうだ。姑獲鳥は「うぶめ」とも読まれるらしいし、日本にも似たような妖怪がいると本に書いてあった(筆者注・恐らく茨城県のウバメトリのことだろう)。だとすると、昨夜自分のところに来たのは……。

「あたしを攫うため?」

 途端に、マアヤさんは怖くなった。

 帰宅すると、家の中には誰もいなかった。玄関の鍵は開いていたから、祖母は畑に行っているか、隣に回覧板を回しに行っているのだろう。

 冷蔵庫から麦茶とアイスキャンディーを取って、茶の間でおやつにした。

 ちりんちりんと縁側で風鈴が鳴っている。

 そろそろアニメの放送時刻だと気付いてテレビをつけようとしたが、電源が入らなかった。アイスを嘗めながらテレビの電源ボタンを何度も押していると、茶の間に誰かが入ってきた。

「ねえ、テレビつかないよ」

 祖母だと思って振り返ると、あの渦巻き顔の人物が立っていた。

 明るいところで見たその人物は、白髪交じりの蓬髪で、やはり薄汚れた灰色の着物を着ていた。グルグルグルグルと顔の中が渦を巻き、マアヤさんはそのまま気を失った。


 ここからはマアヤさんの体験ではなく、彼女が後から祖父母に聞いた話である。

 畑から戻った祖母は、茶の間に飲みかけの麦茶と畳の上で溶けたアイスキャンディーを発見する。マアヤさんの名前を呼ぶが、全く返事がない。

「祖母は家中、あたしのことを捜したそうです」

 しかし、何処にもマアヤさんの姿はなかった。慌てて祖父の職場に電話をして事情を伝えると、祖父は飛んで帰ってきた。そして、二人はまっすぐ共同墓地へ向かったという。

「前の晩にあたしがお化けを見たっていったから、祖父はピンときたようです」

 マアヤさんはウズメさんの墓の前に倒れていた。この時、意識はなく、祖父母はすぐに病院へ連れて行った。医師の話では衰弱が酷く、今夜が峠だという話だった。祖父母はすぐにマアヤさんの両親に連絡をした後、朽城キイを呼んだそうだ。

「祖父はウズメさんが原因だって直感的に思ったそうです」

 元々キイとマアヤさんの伯母が若い頃から友人同士で、祖父母の家にも何度も遊びに来ていたらしい。

 事情を聞いたキイは、祖父の車で共同墓地を訪れた。そして、ウズメさんの墓石の前で、持っていた壺の蓋を開けた。

「祖父がいうには、何かが壺の中に吸い込まれるような音がしたそうです。そして、墓石が半分くらい地面に沈んだって聞きました。同じ時間に、病院であたしの意識が戻ったらしいです。あたしがウズメさんに攫われたのは、お墓の前で転んだからじゃないかと思います。あの時は知りませんでしたけど、お墓で転ぶと死んだ人に引っ張られるっていわれるじゃないですか」

 その後、マアヤさんは一度だけキイに会ったそうだ。両親と一緒に菓子折りを持って、朽城家にお礼の挨拶に訪れたのだという。

「キイさんはとても穏やかなお母さんって感じの人でした。家の中には近所の人がたくさんいて、とっても活気があって、何ていうか居心地がよいところだったのを覚えています。だから、今、あの家が最恐の幽霊屋敷と呼ばれているのはとてもショックです」


 読者の皆さんはここまで読んで、「はて」と首を傾げるかもしれない。最恐の幽霊屋敷に出現するとされる顔面が渦を巻く霊は、髪を結った黒い着物姿で出現している。しかし、ウズメさんはボサボサの長髪に灰色の着物である。或いは、福島県K市の旧家が発端となった黒い着物姿の霊の顔には「渦を巻いていた」という証言はなかった。つまり、旧朽城家に出現する黒い着物姿の霊は二人の悪霊の特徴を具えていることになる。これは一体何を意味するのだろうか? 今はまだわからないが、一応、覚書としてここに記しておこう。

 さて、ウズメさんとは何か? それを明らかにするため、筆者は現地を訪れた。幸いマアヤさんの祖父はご存命だったので、ウズメさんについて話を伺うことができた。

「私がガキの頃に祖父さんから聞いた話だと、ウズメさんは幕末くらいの人で、今、中学校が建ってる場所に子供と二人で暮らしていたそうです。しかし、大雨であの墓地のある山が大規模な土砂崩れにあって、家ごと埋まってしまったらしいのですよ。その時、ウズメさんは亡くなって、子供は行方不明になった。ウズメさんの顔は大きな岩がぶつかったらしく、ぐしゃっと潰れていたと聞きました。ウズメさんが子供を攫うのは、自分の子供だと勘違いするからなんだそうです」

 つまり、ウズメさんの「ウズメ」は「うずめ」という意味なのだそうだ。マアヤさんの祖父の話は、ウズメさんの名前、顔が判別できないこと、その行動など、すべてを説明していて説得力がある。

 しかし、Y市で何人かの高齢者に調査をすると、違ったバリエーションのウズメさんの起源譚を聞くことができた。八十代の男性はこんな話をしてくれた。

「江戸時代の終わり、村に一人の美しい女が流れてきた。女はこの辺りの男たちをみんな骨抜きにしちまって、貢ぎ物で生活していた。面白くないのは、男たちのカミさんたちだ。カミさんたちは相談の結果、女の顔を刃物でズタズタにして、生き埋めにしちまったって話だ。本当におっかねぇのは、女の嫉妬心だって俺の親父はいってたね」

 筆者がウズメさんが埋められた場所を尋ねると、共同墓地のウズメさんの墓石が置かれた場所だという。

「女が埋められた時、そこにはまんじゅうすらなかった。だって墓じゃねぇからな。でも、その後に村の子供らが女の幽霊に攫われるようになった。女たちへの復讐だな。だから、その霊を供養するために、わざわざ偉い坊さんを呼んで、あの場所に石塔を立てたんだ。今は古くなって墓石みてぇになってるが、あれは元々そういう意味の石なんだって聞いたぞ」

 この話でも、ウズメさんは埋められた女性という意味であった。

 以上の二つの起源譚は複数の高齢者から聞くことができた。中には二つの話を知っている人もいて、「昔話みてぇなもんだから、どっちも真に受けちゃいけねぇよ」ともいわれた。

 一方でこれらの話とは全く違う起源譚もある。話してくれたのは、先祖がウズメさんの遠縁に当たる人物だった。年齢も性別も秘密にしてほしいと頼まれたので詳しいことは書けないが、この話では「埋め」が少し違った意味で語られる。

 幕末から明治にかけて、この周辺では相次いで子供が行方不明になる事件が起こった。ひと月に一人くらいの割合で、八つから十くらいの子供たちが消えてしまう。人攫いだとか、天狗に隠されたとか、まことしやかな噂は流れるものの、本当の原因は全くわからなかった。

 最初の事件から十年が経過した頃、一人の女が死んだ。

 女は若い時分は大層美しかったそうだが、大きな病をしてから容貌が崩れてしまい、住民だけでなく、家族からも疎まれて、村外れの小屋に一人で住んでいた。女の小屋は村の子供らに石を投げられたり、お化け屋敷と揶揄されたりしていた。だから女は滅多に外へは出ず、家族が屍体を見つけた時もかなり時間が経過していたらしい。

 ささやかな葬儀を行い、家族が小屋を壊した時である。土の中から夥しい数の骨が出てきた。どれも子供のもののようだった。そしてどの頭蓋骨も顔面の損傷が激しかった。最も新しい屍体はまだ腐乱している程度で、その顔は細い刃物か、串状のもので、思い切り搔き混ぜられていたという。恐らく女は日頃の怨みを晴らすため、子供らを攫っては残虐な方法で殺害していたのだろう。

 家族は女の犯行を隠蔽するため、すべての遺骨を女の屍体と一緒に埋め直した。それ以降も女は霊となって時折出現し、子供を攫うようになった。これがウズメさんである。

 この話では「埋め」とは子供らを殺して埋めていたことに由来している。

 どれが真実なのか、今となってはわからない。ウズメさんが子供を攫うのは愛情故なのか、復讐なのか、起源譚によってその理由は異なる。ただ、筆者は三つの話を聞いて、ウズメさんの別の可能性に気付いた。

 最初の話では土砂崩れで、二つ目の話では刃物で、ウズメさんの顔は酷く損傷を受けたと語られている。更に三つ目の話では、死後長時間が経ってから屍体が発見されているため、相当に腐敗が進んでいたか、或いは白骨化していたかもしれない。当然顔も生前の姿とは遠かっただろう。つまり、どの起源譚でもウズメさんの屍体は本人の識別が困難なのである。

 これはミステリでいう顔のない屍体ではないか。即ち、ウズメさんとして葬られた屍体は、ウズメさんとは別人である可能性がある。だが、この解釈だと被害者が幽霊として出現するのはわかるが、子供を攫う理由が見つからない。

 だから、筆者は思うのだ。ウズメさんの死後に起こった子供の誘拐事件の犯人は、死んだことになっている本物のウズメさんなのではないか、と。その後、ウズメさんは本当に亡くなり、子供を攫う悪霊と化したとは考えられないだろうか。

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