第15回

 本番の撮影を想定して、二十二時からは家の中の電気をすべて消した。この状態でカメラを回して、現場の状況を確認する。勿論、何か超常的な現象が発生するかもしれないので、定点カメラは動いているし、五十里と篠田もそれぞれ手持ちのカメラを回している。

 定点カメラの位置だが、昼間の現象を考慮して、二階に設置予定だったものを池の側に移動することにした。カメラで常に水面を見張っている。このため、二階の四畳半には篠田を配置した。消灯した空間で一人切りになることからごねるのではないかと危惧したが、存外に素直な態度だった。

「一階にいるよりはマシな気がします」

 篠田はそういっていた。

 五十里は一階の仏間にモニターを設置して、定点カメラの映像を確認しつつ、自身もカメラを常に回す。とはいえ、基本的には手持ちのカメラはテーブルの上に載せて、モニターの映像に集中することになる。

 心霊現象が起こる可能性が高い奥座敷は、障子と襖を閉めて、密室にしてある。隣の八畳間と仏間はすべての戸を開け放ち、広い視野を確保した。何か異変があれば、すぐに察知できるだろう。

 最初の二時間は、何も起きなかった。撮影を始めてすぐに階段から足音がして一瞬身構えたが、篠田がトイレに下りてきただけだった。

 本番でも二十二時のスタートにしようと思っていたが、日付が変わる直前くらいに時間をずらしてもよいかもしれない。というのも、まさにその時刻になって、急に体感温度が低くなったからだ。今回の下見では温度計は持参していなかったが、すぅっと冷たい空気が首筋を撫でるのを感じた。

 やがて仏壇の卒塔婆や位牌がカタカタと鳴り出す。天井近くで何かが弾けるような音もする。そして、背後─部屋の少し高い位置から、小さな話し声が聞こえた。まるで幼い子供たちが内緒話をしているかのようだ。内容は全く聞き取れない。五十里は振り返りたい衝動を堪えて、できるだけ静かにした。それらの音声がカメラに録音されれば、後日詳しく調べることができる。そうしたら会話の内容もわかるかもしれない。

 午前一時を回って程なくしてのことだ。

 突然二階から篠田の叫び声がした。

 五十里が何事かと驚いている間に、篠田は物凄い勢いで階段を駆け下りてくる。そのまま靴を履いて、玄関から外へ走り去ってしまった。

「マジか……」

 五十里は篠田の逃走に呆気に取られて、僅かな間動くことができなかった。

 一人になると、屋敷には痛いくらいの静けさが広がっているのを認識した。先程までは外から聞こえていたはずの蛙の声や、近くの道を走る車の音が、いつの間にか全くしない。

 まずは開けっ放しの玄関の戸を閉める。この時、靴箱の上の水槽のエアーポンプが止まっていることに気付いた。故障だろうか? どのみち魚は入っていないので、放置しても問題はないだろう。

 篠田のスマホに連絡したが、通話に応じない。完全に職務放棄である。下見も含めてこれまで篠田と一緒に何箇所も心霊スポットを訪れているが、こんなことは初めてだ。恐らく、二階で余程のことがあったのだろう。

 天井を見上げて耳を澄ますが、今は何の物音もしない。

 このままでは埒が明かないので、五十里は二階へ行ってみることにした。カメラを回しながら階段を上ると、状況を客観視できて、少しだけ落ち着いた。踏み板を軋ませながら二階へ至ったが、ざっと見た感じで殊更に異状はなかった。篠田がいた四畳半では、三脚付きのカメラが畳の上にひっくり返っている。恐らく慌てた篠田がぶつかって倒したのだろう。

「あいつ……」

 レンズは廊下側を向き、まだ撮影を続けていた。五十里は自分の持っていたカメラを畳の上に置いた。それから横たわったカメラの録画を切って、レンズに傷がついていないか確認する。幸いレンズもボディも無事のようだ。動作を確認しても故障したところはなさそうだった。

 次に、五十里はカメラの映像から先程ここで何が起こったのかを確かめることにした。十分程巻き戻す。再生された映像は、二階の廊下を映していた。昼間に篠田が仏間で回していたカメラと同様、静止画のように変化がない。

 しかし、唐突に篠田の叫び声が入った。この段階では、画面には何も映っていないし、篠田もフレームの外にいるので、何が起こったのかまるでわからない。衝撃音と共に、カメラが倒れる。そこで初めて異様なものが映っていた。

 足である。

 紫色のスカートの裾から、細い二本の足が覗いている。

 暗闇にぼぅっと浮かび上がる裸足には、青いペディキュアが塗られていた。篠田が必死の形相で階段を下りていく様子が僅かに映っている。その間も、二本の足は動かない。

 五十里はカメラのモニターから顔を上げた。

 やはりそこには誰もいない。

 カメラを通してなら何か見えるかと思い、撮影を始めようとした刹那、ピンポーンと玄関チャイムが鳴った。


       *


 鍋島猫助『最恐の幽霊屋敷に挑む』より 


 真夜中の訪問者

 最恐の幽霊屋敷において入居者が最も体験する頻度が高いのが、深夜、外に誰もいないのに玄関のチャイムが鳴るという現象である(これに関して筆者は昼間に体験している)。

 この現象については、亡くなった朽城家の娘が帰ってきているのではないかという解釈があり、筆者も最初は同じことを考えた。しかし、生前の朽城キイの活動を調べてみると、その解釈は誤りであったことがわかった。玄関チャイムを鳴らしているのは、全く別の悪霊だったのだ。

 サクラさん夫婦が茨城県K市の分譲住宅を購入したのは、一九八五年のことだった。当時サクラさんは三十歳、二つ上の夫ナオズミさんと五歳になる娘のノリミちゃんの三人家族だった。周りの家も大体同じタイミングで引っ越して来たし、若い夫婦が多く、家族構成が似ていたから、近所の住民同士はすぐに打ち解けた。

「みんなちょっと離れた場所から越してきたんで、最初は土地勘がなかったから、お互い助け合ってというか、情報の交換なんかして、どんどん親しくなりました」

 ただ、地域の寄合などに出席すると、古い住民たちと新しい住民たちの間には若干壁のようなものがあったらしい。あからさまに対立するようなことはないが、古い住民たちはサクラさんたちとは距離を置いて付き合っている感じだった。

「念願のマイホームでしたから、新居には満足していました。でも……」

 一つだけ、不快なことがあった。

 真夜中に、誰かが玄関のチャイムを鳴らすのである。それも毎日。

「最初は意識していませんでしたけど、気付くとホントに毎日チャイムが鳴らされるんです」

 それは午前二時から三時までの間だったが、正確に同じ時間というわけではなかったそうだ。しかも玄関チャイムが鳴らされるのはサクラさん宅だけではなく、分譲地に立つ他の七軒の家々も同じ被害に遭っていた。

「そんなに深刻なことではありませんけど、悪戯にしては執念深いなって思いました」

 住民の中には犯人を見付けようと、夜中に玄関にスタンバイした者もいた。しかし、チャイムが鳴らされた直後に外に出たにも拘わらず、犯人を見付けることはできなかったそうだ。ナオズミさんを含めて、何人かが同様の試みをしたが、誰も犯人の正体を突き止めることはできなかった。

 その内、サクラさんたちは皆、この悪戯に慣れた。真夜中にチャイムが鳴っても目を覚ますことはなくなり、近所でもその話題を口にすることはなくなった。しかし、そうやって平穏な日常を過ごしていたサクラさんたちに、わざわいは知らぬ間に忍び寄っていたのである。

 異変は緩やかに訪れた。引っ越してから半年が経過した頃、近所で体調を崩す住民が出はじめた。最初は倦怠感が続き、食欲がなくなる。熱はないが、とにかく動くのが辛い。医者にかかっても過労や風邪と診断されるだけで、症状は一向によくならなかった。

 殊にノリミちゃんたち幼い子供たちはかなり体力を奪われて、徐々に衰弱していっていた。そして、右隣の家の四歳の男の子が亡くなり、向かいの家の妊娠中の女性が流産した。ノリミちゃんも急に具合が悪くなり、救急車で病院に搬送され、そのまま入院してしまった。

 住民たちはまず、住居の塗料などに何か人体に有害な物質が含まれているのではないかと疑った。しかし、調査の結果、そういったものは見付からなかった。次に土壌や水道水の汚染の可能性を考えたが、こちらも有害物質は検出されなかった。やがて死者は大人にも出はじめる。

「全部で八軒ある内、六軒で死人が出ました。うちのノリミは一週間で退院したんですけど、家に帰ったらまた症状が重くなって、結局、もう一度入院してしまいました」

 そんな中、近所の主婦がある噂を聞きつけてきた。

 この分譲地があった場所には、大体二十年前までお化け屋敷と呼ばれる大きな洋館が建っていたというのだ。サクラさんはその話を聞いて、地元の住民たちが自分たちと距離を置いている理由を理解した。そして、原因不明の病気はこの土地の祟りが原因なのではないかと考えた。

「でも、どうもそんなに単純な話じゃなかったんです」

 不動産会社に問い合わせてみると、確かにここには過去に古い洋館があったが、そこで事件や事故は一切起きていないということだった。

 勿論、不動産会社が真実を隠している可能性も考慮して、それとなく昔から地元に住む人々にお化け屋敷について訊いてみたが、やはり人が死ぬような事件は起こっていないという。洋館がお化け屋敷といわれていたのは、長らく廃屋が放置されていたからに過ぎないそうだ。

 ただ、サクラさんたちはここでも疑心暗鬼になった。果たして自分たちのような新参者に、地元住民たちが本当のことを教えてくれるのだろうか? やはり誤魔化されているのではないか?

「それで一度朽城さんに来てもらうことになったんです」

 左隣の家の奥さんが、偶然にも朽城キイの友人だったのだそうだ。サクラさんは霊能者なんて胡散臭いと思ったが、お隣は完全に信用している様子だった。

 キイがお隣を訪問した際、サクラさんも同席したという。霊能者というから仰々しい人物を想像していたが、キイは至って普通の主婦だった。お隣の奥さんと旧交を温め、互いの近況報告をするのを見て、しばしサクラさんは自分がどうしてこの場にいるのか忘れかけた。漠然と二人の会話はいつまで続くのだろうと思っていると、不意にキイがこんなことをいった。

「あのね、みんなの家に、毎日何か可怪しなことは起こらない? 例えば、誰かが尋ねてくる気配がするとか、同じくらいの時間に妙な音がするとか」

 その時のサクラさんの頭の中では、既に真夜中の玄関チャイムのことはすっかり抜け落ちていた。だから、そのことをキイに伝えたのは、隣の奥さんだった。

「多分、それが原因」

 キイはそう断定した。

 それまでサクラさんは、近所の住民の不調の原因はこの土地にあるものと思っていたので、まさか玄関チャイムの一件と関わりがあるとは思ってもみなかった。キイがいうには、この場所には毎日よくないモノが訪れているという。そして、ソレが纏った怨念が瘴気となり、毎日の訪問で蓄積して、住民たちに健康被害を出しているのだそうだ。

「朽城さんはその日の夜、お隣に泊まって、原因になる霊を封じ込めてくれました」

 サクラさんはその現場は直接目にしていない。しかし、お隣から「立派な壺に悪霊を封じ込めていた」と聞いたそうだ。

 その後、住民たちは徐々に健康を取り戻し、ノリミちゃんも今度は退院後に体調を崩すこともなかった。もう真夜中に玄関のチャイムが鳴らされることはないという。


 さて、結局のところ、サクラさんたちの家を訪れていたのは一体何だったのだろうか? そして、ソレは何故、彼らの住んでいる場所に出現したのだろうか? それを明らかにするために、筆者はかつてその場所に建っていた洋館について詳しく調査することにした。

 洋館が建てられたのは一九五〇年代の初めだったらしい。住んでいたのは美術商を営むアメリカ人の家族で、中年の夫婦と十代半ばの娘が二人だった。しかし、三年程暮らして、彼らは突然引っ越してしまったという。以来、洋館だけが取り残された。

 およそ十年が経過した頃、所有者の代理人が空き家を解体し、土地を売りに出した。それから約二十年後、市外の不動産会社が土地を購入、分譲住宅として販売したわけである。

 筆者は昔からその土地に住んでいる住民たちに直接取材をしたのだが、洋館について話す時彼らの口は重かった。加えて、約二十年もの歳月その土地の買い手がつかなかったのも、やはり不自然である。確かに洋館があった場所では人が死ぬような事態は発生していなかったのだろう。しかし、筆者は過去に洋館の家族と地元住民の間で、何かがあったのではないかと考えた。

 そこで当時の地方新聞を調べてみると、興味深い記事を発見した。なんと洋館の住人の上の娘が行方不明になっていたのである。

 筆者は少女の捜索に関わった元警察関係者に話を聞くことができた。それによれば、洋館の家族と地元住民の間にはかなり大きな溝があり、一部の住民たちは露骨な敵意を持っていたらしい。

「当時の捜査本部は、少女の失踪には地元の若者グループが関わっているのではないかと疑っていました。彼らが少女に乱暴を働いて殺害し、屍体を何処かに遺棄したのではないかと考えたのです」

 ただ、決定的な証拠はなかったし、本人たちも否定した。それに当時は連合国の占領が解けたばかりという時代情勢もあって、少女の失踪に対する地元住民の関与については深入りしないことになったようだ。

 当然、地元の住民たちも警察と同じように若者グループを疑っただろう。彼らが少女をどうにかしてしまったと思っているからこそ、今でも地元では洋館について語ることに抵抗があるのだし、その土地を忌避しているのだ。

 昔から住んでいた人々が、サクラさんたち新しい住民と距離を取っていたのも、過去の事件を掘り起こされることを危惧してのことだったのではないだろうか。或いは、あの土地に対する後ろめたさもあったのかもしれない。

 さて、洋館の美術商家族が唐突に引っ越したのは、娘の失踪の真相を察して、自分たちの身を守ろうとしたためと考えることは容易である。だが、もう一つの可能性についても考えてみたい。

 真夜中にサクラさんたちの家を訪問していたのは、失踪した少女の霊の可能性が高い。彼女は毎晩毎晩、かつて自宅のあった場所に帰ってきて、玄関のチャイムを鳴らしていた。

 これと同じことがかつて洋館でも起こっていたとしたらどうだろうか。

 毎日、真夜中に何者かが訪問してくる。

 しかもそれは死んだ娘らしい。

 これは引っ越す理由になるだろう。

 ただ、これが成り立つためには、家族が少女の死を認識していなければならない。つまり、少女失踪の真相を知る犯人は─もっといえば、彼女を殺害した真犯人は、家族の内の誰かであった。そんな恐ろしい可能性も考えられるのだ。



(続きは本書でお楽しみください)

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最恐の幽霊屋敷 大島清昭/小説 野性時代 @yasei-jidai

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