第5回

 約束の時間ぴったりに棘木桃はやって来た。

 茶の間に上がってもらい、三人分の紅茶を用意した。お茶請けは藤香が土産に買ってきた東京の銘菓である。

「へぇ、妹さんは文化人類学を専攻されてるんですかぁ。奇遇ですねぇ、うちの主人は民俗学が専門なんですよぉ」

 紫音には何が奇遇なのかニュアンスがいまいちわからなかったが、藤香によれば文化人類学と民俗学は非常に近しい分野なのだそうだ。

 桃と藤香が簡単な挨拶を交わしたところで、紫音は早速この家について尋ねることにした。ここで起こった不思議な現象については伏せつつも、大河がこの家の過去を隠しているようで、問い質しても答えてくれないことを伝えた。

「それじゃあ紫音さん、何も知らないで引っ越してきたんですかぁ!」

 桃の驚きが余りにも大きかったので、こちらもびっくりしてしまった。

「そっかぁ、道理で。……主人とも話してたんですよぅ。若い二人がどうしてあんな家にってぇ……あ、嗚呼、ごめんなさい。ごめんなさい」

 何故かその謝罪の言葉は、紫音に向けてというよりも、この家そのものに向けられたように感じた。

「こちらで殺人事件が起こったことは聞いているんです。犯人がまだ捕まっていないことも」

「そうなんですよぉ、もう十年以上前になるかしらねぇ、キイさん─亡くなった池澤さんの叔母様ね、とってもいい人だったのにぃ。それにこの辺じゃあ有名な拝み屋さんだったでしょう? だから、みぃんな、キイさんが亡くなって困っちゃってぇ」

 桃のその言葉を聞いて、藤香が質問した。

「亡くなったキイさんって方は、拝み屋をしていたんですか?」

「そぉそぉ。いつもは普通に専業主婦なんですけどねぇ、近所の人たちが相談にくると、お祓いとかそうゆぅのしてくれたんですよぉ。悪いことが続くとかぁ、子供が急に可怪しくなったとかぁ、原因がよくわからないことが起こった時に、キイさんに相談してたんですぅ。あれ? 池澤さんから聞いていませんでしたかぁ?」

「初耳です」

「あちゃあ、じゃあ、あたしお話ししちゃまずかったですかねぇ」

 紫音が「気にしないで大丈夫ですよ」というと、桃は「そぉお?」と上目遣いにこちらを窺う。

「桃さんから聞いたってことは内緒にしますから」

「そうしてもらえるといいかなぁ。うん、それでぇ、キイさんが生きてた頃はねぇ、奥の座敷に祭壇があって、そこでお祓いしてもらったりぃ、家相とか見てもらったりぃ、子供の名前を付けてもらう人もいましたねぇ。だから、あの頃はこのお家は結構賑やかで、家族以外の人たちが随分出入りしていたんですよぉ」

 紫音は自宅を他人が頻繁に出入りするという状況が、理解できなかった。きっとプライバシーなんて保てないだろう。しかし、それを許したということは、キイの家族が大らかだっただけではなく、地域住民同士の絆も深かったに違いない。

「あの、基本的な質問なんですけど、こちらのお宅は何というご家族が住んでらしたんですか?」

 藤香が尋ねる。

「あぁ、えっとぉ、それも聞いてないんですかぁ?」

 桃は少し呆れたような表情になった。

 紫音は黙って頷くしかない。

「このお家に住んでいたのは、朽城さんってご家族です。先祖代々この場所に住んでらしたみたいですよぉ。もっとも主人の話ですとぉ、この辺りのお宅はみぃんな江戸時代には今の場所で暮らしてたみたいですけどねぇ。キイさんは一人娘だったんでぇ、ともまささんをお婿さんにもらったって聞いています」

 その智政というのが、大河の父親の弟なのだ。大河の父親がこの家を相続したということは、智政も亡くなっているということか? まだ話の入口なのに、不穏なものを感じてしまう。

「家族構成は?」

 藤香はいつの間にかメモを取りながら質問している。どうやら妹はこうしたインタビューに慣れているようだ。

「あたしが嫁入りした時は、もうお爺ちゃんとお婆ちゃんは亡くなっていてぇ、キイさん夫婦と二人のお嬢さんの四人家族でしたねぇ」

「キイさんが亡くなった時の状況って、どんな感じだったのかおわかりになりますか?」

 藤香が訊くと、桃は「あくまで噂っていぅか、人から聞いた話ですけどぉ……」と断ってから話し出した。

 朽城キイが殺害されたのは、一九九四年七月半ばのことだという。

「キイさんは奥の座敷で倒れていたみたいですねぇ。頭を大きな壺で殴られちゃって、頭蓋骨陥没だったって話を聞きました。屍体の周りには粉々になった壺の破片が飛び散っていたそうですよぉ」

「遺体を発見したのは娘さんですよね?」

 紫音は大河から聞いた話を確認する。

「ええ、そうですぅ。確かみさおちゃん─上のお嬢さんが第一発見者じゃなかったかしら。高校三年生の。あそこの……」

 桃は東の方向を指差す。

「……かきぬまさんちに助けを求めて駆け込んだらしいですよぉ」

 柿沼家は若干距離があるものの、この家の隣に当たる。桃の話では駐在所に通報したのも柿沼家の人間だったそうだ。

「それからはもう大変でしたよぅ。パトカーが何台も来るし、テレビ局の車とか、新聞社の車とか、もうそこら中に停められちゃってぇ、づかさんちじゃ畑荒らされてぇ、うちも私道を塞がれちゃったからぁ、警察を通して猛抗議でしたよぉ」

 その時のことを思い出したのか、桃は丸い顔を紅潮させて苛立った声を出した。

「でもねぇ、結局、今になっても犯人はわかっていませんしねぇ。それに、キイさんの事件よりもねぇ、その後の方が酷かったですからねぇ」

「何が……あったんですか?」

 聞くのは怖い。しかし、もう何も知らないで済ますことはできなかった。

「お葬式から一週間くらい経った頃だったかなぁ、操ちゃんが学校で飛び降り自殺しちゃってぇ」

「え?」

 大河の従姉が自殺?

 桃の話によれば、朽城操は高校の三階の教室で、授業中に突然げらげらと笑い出したのだそうだ。教師の制止も聞かず立ち上がると、失禁した後に、笑いながら教室中を駆け回り、最後に窓から飛び降りたらしい。操はコンクリートに頭部を強打して、そのまま亡くなってしまった。

「同じクラスだった子のお母さんから直接聞いたんですけどねぇ」

 表立っては母親の死にショックを受けたための自殺ということになっているが、実際にその場にいた生徒たちからは、何かが操に乗り移ったように見えたそうだ。

「キイさんが殺された時の凶器なんですけどぉ、元々は祭壇の上に祀られていたものだったんですよぅ。キイさんはその中に悪い霊を封じ込めていたみたいでぇ、それが割られちゃったからぁ、悪い霊が出てきたんじゃないかって噂になってぇ」

 操は悪霊に取り憑かれて、生命を奪われた。

 近所ではそういわれていたらしい。

「それから一週間もしない内に、今度は妹のななちゃんが行方不明になっちゃったんですよぉ」

 七美は当時高校一年生であったが、操とは違う高校に通っていた。夏休み期間中ではあったものの、進学校だったので午前中は通常通り授業があり、午後も図書室で勉強をしていたようだ。そして、夕方のバスに乗って帰ってくるという毎日だった。

 しかし、その日は智政が仕事から帰宅しても、七美の姿は見当たらなかった。学校に連絡したがとっくに下校しているという。一緒の高校に通っている中学からの同級生の家にも電話してみたが、やはり何処にも七美はいなかった。

 智政はすぐに警察に連絡をすると、自身も近所を捜し回った。

「その時、うちの主人が事情を聞いて、消防団に入っているお友達に応援をお願いしたんですよぉ」

 消防団のメンバーの一人の家は、七美の利用するバス停の近くにある駄菓子屋だった。本人は会社員だが、店番をしていた母親が、夕方のバスから降りる七美を目撃していた。

「だからぁ、七美ちゃんは近くまでは帰ってきているらしいってことまではわかったんですねぇ」

 警察が到着する前に、近所の住民や消防団、更には七美の同級生の保護者という、かなりの人数が集まって、捜索が始まった。迅速な対応には、やはり七美に対する周囲の心配があったのだという。

「お母さんとお姉ちゃんを相次いで亡くしてますからねぇ、本人も鬱っていうかぁ、普通の精神状態じゃいられなかっただろうしぃ」

 自ら死を選ぶような可能性もあるかもしれない。それを人々は危惧したようだ。

「七美ちゃんは思ったよりも早く見つかったんですよぉ。この近くにある地蔵堂で倒れてて……」

 地蔵堂は朽城家の近くの農道の脇に立っている。屋根と囲いがあるだけのお堂に、小学生くらいの大きさの地蔵菩薩が祀られているらしい。

 制服姿の七美は、その地蔵に縋るような格好で倒れていたという。完全に意識はなく、涙と鼻水と唾液で顔はぐしゃぐしゃだったそうだ。七美はすぐに救急車で病院に搬送された。

「本当に怖い目に遭ったんだろうなって、みぃんなでいってたんですけどねぇ、一番おっかなかったのは、お地蔵様の首が砕けていたことなんですよぅ」

 地蔵堂の石地蔵の首は、何故か粉砕されていたという。

 首が折れるとか、頭が割れるとか、そういうレヴェルではない。

 まるで内側から破裂してしまったように、粉々になっていたのだそうだ。

「だからぁ、今は新しい首が付いているんですよぉ」

「七美さんはそれから?」

「あぁ、うぅん、結局ねぇ、意識は戻らなくってぇ、三日後だったか、五日後だったか、亡くなりました」

「亡くなった……」

 大河の従姉は二人とも死んでいたのである。

「今度もねぇ、壺から逃げ出した悪い霊の仕業じゃないかって話になってぇ」

 七美が地蔵堂で倒れていたことについては、幾つか不可解な点がある。

 まず地蔵堂の立地だ。七美が利用するバス停から朽城家までのルートの先に地蔵堂はある。だから、帰宅途中でそこに立ち寄ったとすると不自然なのだ。むしろ一度帰宅した後に、地蔵堂まで向かったと考えた方が妥当である。

 もう一つは、地蔵堂の前の農道は、決して人通りがないわけではないということだ。自動車が通るのは稀だが、平生から歩行者や自転車は頻繁に利用する。それにも拘わらず、七美が発見されたのは陽が沈んで、捜索隊が組まれてからのことである。

 こうしたことから、七美は一度家に帰ったものの、庭先で何かと遭遇し、地蔵堂まで逃げたと推測された。そして、発見が遅れたことや地蔵の頭部が粉砕されていたことから、地蔵菩薩が七美を悪霊から隠したのだが、力及ばず頭部を砕かれたと噂されるようになったそうだ。

「七美ちゃんのお葬式も終わって一段落したら、いつの間にか智政さんの姿を見ないようになってねぇ、最初はショックで引き籠もっていると思っていたんですけどねぇ」

 桃は溜息を吐く。

「まさか亡くなっているなんてねぇ」

 智政の屍体は、この家の庭にある池で見つかった。

 今は干上がっているが、当時は水が湛えられていて、錦鯉を飼っていたという。智政は俯せの格好で、上半身が池の中に沈んでいたそうだ。死因は溺死だったが、自殺なのか他殺なのかは判然としなかった。

「警察も随分捜査したみたいですけどぉ、他殺の証拠はでなかったみたいですぅ。最終的には、奥さんと二人のお嬢さんを失ったショックから自殺したってことになったみたいですねぇ」

 智政の死に様を聞いて、紫音は藤香がこの家に到着した時に見たというずぶ濡れの男性のことを思い出した。

「それじゃ、短い間に一家全員亡くなったってことですか?」

「そうねぇ、智政さんが見つかったのはちょうど今くらいの時期だったはずだからぁ、キイさんが殺されて二箇月ちょっとで、みぃんな亡くなったってことになりますねぇ」

 桃は遠くを見るような目でそういった。

 とはいえ、この家で実際に死んでいるのはキイと智政の二人である。更に厳密にいうならば、家の中で死んでいたのはキイ一人となる。ある意味で、大河は嘘を吐いてはいない。しかし、操と七美の死がこの家で起きた事件と無関係だとも思えない。

 壺の中の悪霊……。

 藤香が昨夜見た歪んだ顔の人物は、その悪霊なのだろうか?

 奥座敷で感じる人の気配も、悪い霊が原因なのか?

 そういえば……そこで紫音は真夜中のチャイムを思い出す。

 階下に下りて確認した時、玄関先にいた人物が口にしていた言葉、あれは「ただいま」ではないのか? 

 だとしたら、アレは操か七美の霊がこの家に帰ってきていたということではないだろうか?

 桃からこの家の過去を聞いたことで、何となくではあるが怪異の正体は掴めたような気がする。恐らくこの家には得体の知れない何かと、それによって死に至らしめられた朽城家の人々が彷徨っているのだろう。

 ただ、それにも拘わらず、この家で暮らすことを選んだ大河のことがよくわからない。

 桃のような他人でさえ、この家の詳しい事情を知っているのだ。身内の大河ならもっと細かい経緯まで知っているだろう。

 知っていて、どうして?

 紫音は婚約者の真意が見えずに、戸惑うばかりだった。

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