最恐の幽霊屋敷

大島清昭/小説 野性時代

第1回

序章 ばくゆめひさ(二〇一八年)


「本日、いらっしゃる依頼人って、獏田先生の大学時代のご友人なんですよね?」

 錆の浮いた古くて重い金属製のデスクの上にコーヒーを置きながら、ひしかわが確認してきた。鼻と口は小さいのだが、目がやたらと大きく、睫毛も長い。

 私は「そうだよ」と軽く答えてから、淹れたての黒い液体を啜った。余りの熱さに、舌先に痛みが走る。菱川の淹れる温かい飲み物は、コーヒーでも、緑茶でも、紅茶でも、とにかく、熱い。

 理由はわからないが、彼女は沸騰した湯を使用しなければ気が済まないようで、電気ポットで保温してある湯を使用する際にも、わざわざ再沸騰させる。当然のことだが、かなりの確率で口腔内の何処かを火傷することになるのだが、慣れてしまえば気にならない。むしろ喫茶店で適温のコーヒーが出てくると、温いと感じてしまう程だ。

 このナイトメア探偵事務所は、中板橋の線路沿いにある。四階建てビルの二階で、南向きの窓からは、ブラインド越しに、梅雨入りしたばかりの鈍色の空と東武東上線の列車が行き交うのが望める。窓は二重になっていて、それなりに防音対策は講じられているが、列車が通る度に微妙に建物が振動するようで、スチール製の棚がカタカタと鳴る。

 ここは私と事務員の菱川、それにアルバイトが二名の小さな事務所である。アルバイトはどちらも大学生で、今日は出勤していない。事務所の中には私と菱川だけだ。

「学生時代のご友人と今でも交流があるんですね。あたしなんか、あの頃の友人で今も付き合いがある人間なんて一人もいませんよ」

「私だってそうだよ。彼─がた君と会うのだって、十五年振りじゃないかな」

 依頼人の尾形りんろうとは、都内にある私立大学の同期である。元々一緒の学部だったのだが、親しくなったきっかけは、バイト先が同じになったことだった。

 そこは小中学生を対象とした個人経営の塾だった。個別指導の形を取っていて、成績を上げることよりも、とにかく一定の時間勉強させることに重点が置かれていたように思う。

 尾形は子供たちの扱いが巧みで、気さくな性格から好かれてもいた。卒業研究が忙しくなってバイトを辞める際に知ったのだが、陰では「仏の尾形」「鬼の獏田」といわれていたらしい。

 親しく付き合うようになってからは、尾形とは大学内でも一緒に過ごすようになり、コンビニで買った酒を片手に、互いの下宿を行き来したこともしばしばだった。

 卒業後は、私はそのまま都内で就職したが、尾形は実家のある栃木にUターンした。父親の経営する不動産管理会社を手伝うためである。行く行くは会社を継ぐことになるというのは、私も以前から聞いていた。当初はメールで簡単な近況報告のやり取りもあったが、忙しさと物理的な距離が原因で、いつの間にか疎遠になってしまった。だから、私用のスマートフォンに尾形琳太郎から連絡があった時は大層驚いた。

「久し振り」

 そういった尾形の声はあの頃のままで、何となくくすぐったいような気持ちになった。私が「よく番号がわかったな」というと、尾形は共通の友人の名前を挙げた。

「あいつからバクが探偵事務所を開いているって聞いたんだ」

 そういえば、その友人とは数年前にばったり再会して、連絡先を交換した。もっとも私も相手もそれ以降連絡をしたことはなかったのだが。

「ちょっと相談したいことがあるんだ」

 尾形の声は存外に深刻だった。

 彼が既婚者か否かは把握していないが、声から判断して、私はパートナーの浮気調査の依頼ではないかと邪推した。しかし、次のひと言でその予想は裏切られることになる。

「実はうちで管理している物件に、幽霊屋敷があるんだ」

「ん?」

 余りに非日常的な単語が出たので、私はフリーズしてしまった。

 尾形の話では、その物件は元々拝み屋のような人物が住んでいた家だったが、数年前に売りに出されたそうだ。現在は近所に住んでいる人物が所有し、賃貸物件として貸し出し、家賃収入を得ているという。その仲介業務を尾形の会社が行っているそうだ。

「それはいわゆる事故物件とかそういう?」

「まあ、事故物件っていえば、その通りなんだが、ちょっと変わっててな。大家が最初から『最恐の幽霊屋敷』って触れ込みで借り手を募集しているんだ」

 つまり、その物件は「出る」ことを売りにして、借り手を集めているのだという。

「まあ、短期の契約が多いんだが、何だかんだで物好きが結構いて、引っ切りなしに入居者がある」

 心理的瑕疵物件で借り手がつかないのなら困るのだろうが、そうではないなら問題はないだろう。そもそも何故、私に幽霊屋敷に纏わる相談を持ちかけようとしているのかがわからない。

 私は超常現象の類を基本的に信じていない。百歩譲って未確認飛行物体は存在するかもしれないと思っているが、幽霊だの妖怪だのといわれると、絵空事のように思えてしまう。そうした私の主張は学生時代から変わっていない。尾形だってそのことは承知しているはずだ。しかし、敢えて神社や仏閣ではなく、探偵である私に相談があるというのだから、何か事情があるのだろう。

「詳しいことは直接会って話したい」

 古い友人にそういわれれば、こちらだって無下にはできない。スケジュールを調整して、六月最初の金曜日である今日、尾形に事務所に来て貰うことになったのである。

 私は事前にインターネットで「最恐の幽霊屋敷」というキーワードを検索してみた。すると、尾形の話していた物件はすぐに見付けることが出来た。栃木県北部のS町にある一戸建ての住宅で、外観は何の変哲もない木造二階建てのように見えた。蔦で覆われた洋館のような、おどろおどろしい場所を想像していたので、完全に拍子抜けだった。ただ、ざっと調べただけではあったが、その家が忌まわしいものであることはわかった。

 人が死んでいるのだ。

 それも、一人や二人ではない。

 死因はまちまちで、突然死や事故、自殺が多いが、中には殺人まであって、何人もの人間がその屋敷で生命を落としているらしい。勿論、ネットの情報だから鵜呑みにはできないが、幾つかの事件に関しては、新聞や雑誌の記事になっているものもあり、実際に死亡者が出ていることは確かなようだ。とはいえ、やはり幽霊屋敷という言葉には胡散臭さしか感じなかった。

「ご友人はどんなご依頼なんですか?」

 菱川が尋ねた。

「いや、依頼というか、まずは相談らしいよ。私もよくわからないんだが、幽霊屋敷がどうのっていっていてね」

 幽霊屋敷という言葉に、菱川は過剰に反応した。

「何です? 何です? その面白そうな話は」

 くわっと開かれた両目が物凄い迫力だ。まるで目に飲み込まれそうな恐怖を感じる。

「菱川さんって幽霊屋敷とか興味あるの?」

「大好物ですね。あたしの本棚、ホラー小説と怪談本しかありませんもん」

 嗚呼、厭なことを聞いた。菱川からは何となく猟奇的な匂いを感じていたが、どうやら気のせいではなかったようだ。最恐の幽霊屋敷について何か知っているかと訊くと、矢庭に「超有名ですよ」と返答があった。

「旧くちしろ家ですよね? 除霊しに行った霊能者がみんな死んでるんです。でも、まあ、『最恐』っていうのはちょっといい過ぎなんじゃないかって思いますけど」

 さらりと凄いことをいう。

「霊能者が何人も死んでるの?」

「そうです。えっと、何年か前のオカルト雑誌に記事が載ってましたし、同じライターが本も書いてますよ。確かなべしまねこすけとかいう。えっと、三年前には心霊特番の収録中に事件が起こって、死人が出たじゃないですか。覚えてません? 元アイドルの小鳥遊たかなしが巻き込まれた事件なんですけど」

 その事件についてはぼんやりと記憶にあった。どうやら私が想像していたよりも厄介な案件らしい。


 午後二時になって、尾形琳太郎が事務所に現れた。久々に目にする友人は、あの頃よりもかなり恰幅がよくなっていて、多分、街で擦れ違っても尾形だとは気付かないだろう。だが、「バクは変わらないな」と微笑む友人に、「君は太ったね」とはいえず、私は苦笑いでお茶を濁した。

 応接用のソファーに向かい合って座ると、透かさず菱川が二人分の緑茶を出した。勿論、滅茶苦茶熱い。尾形は湯呑に指先が触れると、慌てて手を引っ込めた。

「あつっ! ……えっと、今日はわざわざ時間を作ってもらって悪かったな」

「問題ないよ。それで、幽霊屋敷に関する相談だったね。まあ、その手の場所には一度も行ったことがないから、役に立てるかどうかはわからんよ」

「そうなのか? 俺はてっきり仕事で事故物件なんかにも行く機会があるんじゃないかって思ってたんだけど」

「そういうことはなくはないけど、霊が出る建物とか、心霊スポットとかに行ったことはないよ。そもそも私がそういうの好きじゃないって、君も知っているだろう?」

「ああ。だからこそ、バクに相談に来たんだ」

「ほう」

 どうやら尾形はオカルト染みた悩みを打ち明けに来たのではないようだ。その点だけでも私は少し安堵した。

「それじゃあ、詳しく聞こうじゃないか」

 私がそう促すと、尾形はキョロキョロと落ち着きなく周囲を見回した。怪訝に思って「どうしたんだ?」と尋ねると、尾形は「いや……」と僅かに逡巡してから、「この話をしようとすると、いつも誰かに見られているような気がするんだ」といった。

 どうやら相当神経質になっているらしい。菱川が自分のデスクからこちらに向けて熱い視線を送ってきているが、恐らくそれは関係ないだろう。

 尾形は何かを吹っ切るように鼻から息を出すと、ようやく話を始めた。

「電話でも少し話したが、うちの会社で扱っている物件に幽霊屋敷がある。お前は信じないだろうが、県内じゃ出るってことで有名な家でな、興味本位で近付く奴さえいないくらい、マジで恐れられているんだ」

「へえ。それはなかなかだね」

 通常の心霊スポットでは、若者たちのグループが不法侵入をして、落書きやら、器物損壊やら、良からぬことをするようなイメージがある。そうでなくとも、地元の中高生ならば肝試しに訪れるのではないかと思われるが、尾形の話ではそうした軽いノリで行くような場所ではないらしい。

「元々は地元で有名な拝み屋っていうか、霊能者っていうのかな、そういう女性と家族が住んでいた家だった。朽城家っていってな、代々その場所に住んでいた農家なんだけどさ」

「昔から拝み屋みたいなことをしていた家なのかい?」

「いや、それは違うみたいだ。一人娘のキイって人が、婿を貰って家を継いでいたんだが、その人がある時突然、拝み屋みたいなことを始めたって聞いてる。それまでは普通の主婦だったみたいだ」

 朽城キイは、自宅の奥座敷に祭壇を設け、年季の入った古い壺を祀っていたらしい。尾形の話では、キイはその壺に狐の霊やら悪霊やらを封じ込めることで、除霊を行っていたという。

「別に金を取って相談を受けてたわけじゃなくて、地元で原因不明の病気とか、不幸とかが続いた時に、ちょっと祓ってもらうって感じだったらしい。まあ、親父の話だと世話になった住民は心付けを渡していたみたいだけどな」

 時には壺を持って遠方にまで除霊に赴いていたというから、地元で有名というのは誇張ではないのだろう。

 一九九四年の夏、その朽城キイが何者かによって殺害された。しかも凶器として使用されたのは、今まで除霊で使用されてきた祭壇の上の壺だったという。

「キイの屍体は祭壇の前で見つかった。頭を壺で殴られて、撲殺されてたんだ。それから、朽城家には不幸が続いて、一年もしない内に全員が死んじまった。屋敷を相続した親類は、最初は身内を住まわせたんだが、やっぱり問題が起こって、結局、貸家にすることにした」

 家賃をかなり低い金額に設定したので、朽城家で起こった不幸を知っている地元の人間にも借り手がいたという。それに加えて、都会から移住してくるような家族は、何も知らずに借りてしまう。

「まあ、どの入居者も短期間で逃げるように出て行ったらしい。中には心底恐ろしい目に遭った家族もいたようだ。実際死亡者も出てる」

 やがてその屋敷は、近所からも幽霊屋敷として恐れられるようになり、所有者も貸家にすることは諦めて、土地ごと物件を手放した。

「朽城家を買い取ったのは、近くに住んでるおどろって人物だ」

「その人はそこが幽霊屋敷だって知ってて買ったってことかい?」

「勿論。だって朽城家が住んでた頃から、ずっと近所付き合いしてた家だからな。だから、買い取ってすぐに、有名な霊能者に除霊を依頼したそうだ。だが……」

 使川原がわらげんじょうというその霊能者は、除霊に連れてきた弟子に殺害されてしまったそうだ。その弟子自身もその場で自殺しているという。

「棘木って人は凝りもせず、また違う霊能者に除霊を頼んだ。でも、その霊能者も死んだ」

「それは……本当の話なのか?」

 私が尋ねると、尾形はうんざりした顔で頷いた。

「いつの間にか、そこは誰にも除霊できない最恐の幽霊屋敷って呼ばれるようになった。棘木の恐ろしいところは、その噂を利用して、物件の貸し出しを始めたところだ。最初から心理的瑕疵物件だってことを標榜して、物好きな入居者を募集し始めた」

 そして、その仲介を尾形の会社が行っているのだそうだ。

「電話では借り手は引っ切りなしとかいってたけど」

「そうなんだ。俺は世の中にこんなに幽霊屋敷に住んでみたい奴がいるとは思ってもみなかったよ。勿論、みんな短期の契約なんだ。棘木からの指示で、最長でも三箇月までしか貸さないことになっているしな。今も予約待ちの客がいるくらいだ」

「人気があるならいいじゃないか。尾形君のところにもそれなりに利益があるんだろう?」

「まあな」

「それなら何の問題があるんだい? 今まで幽霊屋敷として忌避されてきた物件が、華々しく再生したわけじゃないか。いや、この場合は禍々しく再生したっていう方が適切かもしれないが」

 冗談めかしてそういうと、尾形は厭そうな顔をした。

「入居者が何人も死んでるんだよ」

 その言葉に、私も言葉を失う。

「一番多いのは、やっぱり宗教者とか霊能者だな。テレビや雑誌の取材の場合も短期間そこを借りる契約になるんだけど、その際に同伴した霊能者はみんな死んでる」

「本当に『みんな』なのかい?」

「ああ。霊能者といわれる人物は、全員死んでる」

 どうやら菱川がいっていた噂は本当だったようだ。

「棘木は死亡者が続くのは、家に取り憑いた悪霊の仕業だって主張している。危険だとわかって借りているんだから、自業自得だって話だ。警察も捜査の結果、事件性はないと判断してはいる。でもな、俺は何か気になるんだよ」

 私には尾形の気持ちがわかるような気がした。

 旧朽城家で連続して不審死が起こっているのは事実なのだろう。しかし、それを悪霊の仕業とか、祟りのせいだと考えるのには、やはり抵抗があるのだと思う。一方で偶然と片付けるには、状況が余りにも異常だ。

 尾形は不安なのだと思う。それが超自然的な現象なのか、人為的に起こされた事件なのか、はっきりとした証拠が欲しいのだろう。

「一応、警察には相談したんだが、もう捜査済みだからって突っ撥ねられた。どうも警察もあんまりあの家には関わり合いになりたくないようなんだ。それでお前の話を聞いてな。報酬は払う。だから、あの家で起こった過去の事件について調査して欲しいんだ」

 尾形は「頼む」と頭を下げた。

 私は然程深く考えないで、依頼を受けることにした。ちょうど他の依頼はなく、時間的な余裕があったし、棘木という人物にも興味があった。幽霊屋敷を貸し出して収入を得ているような稀有な人間である。好奇心が湧かないはずはない。

 礼をいいながら安堵の表情を浮かべる尾形の向こうで、菱川がにんまりとした笑みを湛えて、満足げに頷いた。

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