第9回

 取材相手が指定してきたのは、きよすみしらかわにあるカフェだった。てっきり地方在住者かと思っていたので、都内で取材ができるのはありがたい。

 待ち合わせ時間がくるまで、鍋島猫助は自筆の原稿を読み返していた。最恐の幽霊屋敷に関わってしまった二人から直接インタビューした内容を怪談に書き起こしたものである。

 十文字八千代の指示通り、この二人が入居したのは、旧朽城家が前の所有者のものであった時期のことだった。関係者の名前は仮名にしてあるが、カケルの妻が意識不明で病院に搬送されたことも、エミルの両親が失踪後に無残な遺体となって見つかったことも、当時のマスコミによって報道されている。従って、それらの情報から個人を特定することは容易だろう。

 鍋島は二人の体験談を裏付けるために、新聞や雑誌の記事を集めたが、実名で報道されているものも幾つか確認できた。

 二人から話を聞いてみて思ったことは、怪談としては弱いというものだった。

 当事者にとっては家族を失った痛ましい出来事であり、体験したことを悍ましく感じていることはわかる。しかし、怪談の読者にとっては所詮他人の死であり、発生した怪異のインパクトの方に興味の矛先がある。端的にいえば、怖いか、怖くないか、それこそが最も重要なのだ。そして、カケルとエミルの話は、怪談やホラーの愛好家を満足させる程の迫力は持ち合わせていないと感じた。

 しかし、十文字は「大変参考になります」といって、稲鳴湖畔公園にあるキャンプ場のバンガローで鍋島の原稿に何度も目を通していた。

「後学のために訊くんですけど、具体的にはどの辺りが参考になるんです?」

「少なくとも、最恐の幽霊屋敷でどのような怪異が起こるのか、事前に知ることができました」

「え? でも、それってネットで調べればすぐにわかるじゃないですか」

「いいえ。ネットの情報ではそれが真実そこで起こった怪異なのか、単なる噂なのか、判別がつきません。しかし、実際にその家に住んで不可解な現象を体験した方々の話ならば、ある程度の信憑性があります。あらかじめ何処で何が起こるのかわかれば、そこを重点的に霊視できますし、カメラを設置することもできますでしょう?」

「嗚呼、なるほど」

 確かに機材を用意するには、前もって幾つ必要なのか知っておくのは大切だ。

「このお二人のお話から怪異の起こる場所をピックアップすると、玄関、浴室、脱衣場、奥座敷、その隣の八畳間……」

 十文字は両手の平をこちらに向けて、指を一本一本折っていく。

「……階段、二階の廊下の七箇所となりますね。玄関は真夜中にチャイムが鳴らされるそうですから、暗視カメラを用意する必要があります。それから、お話を読む限り、複数の霊が出現しているように感じました」

「そうですね。風呂場には四つん這いの透明人間が出てますし、奥座敷には人影、それにエミルさんは大勢の霊に囲まれています」

「地元では、その家に出るのは、朽城キイが壺に封印していた悪霊だと語られているそうです。そして、実際に複数の霊が目撃されているとすれば、旧朽城家は悪霊の巣窟になっているのかもしれませんね」

 十文字はそういって、唇の両端を上げた。


 約束の時間の三分前に現れた村崎紫音は、ショートヘアーを明るい色に染めた、顔の小さな女性だった。淡いブルーのコートの下は、ハイネックの白いセーターに辛子色のロングスカートという装いであった。

「あの家には関わらない方がいいですよ」

 挨拶を交わして早々、彼女はそういった。

 事前のメールのやり取りで、村崎が旧朽城家で暮らすようになった経緯は聞いていた。婚約者の父親が物件の所有者であり、彼女はその縁で新婚生活を送るために引っ越したのである。村崎の話では、朽城一家が亡くなった後にその家で生活したのは、自分たちが初めてだったという。本当だとすると、村崎紫音こそ十文字が求めていた人物ということになる。

 録音の許可を取ってから、鍋島はICレコーダーの録音ボタンを押す。そして、注文したレモンティーがくると、村崎は静かに自身の体験を語り出した。

 村崎の話からは、ネットで見られるような体験談や、カケルとエミルから聞いた話とは違った印象を受けた。相槌を打ちながら鍋島は何が違うのかに気付いた。生々しいのだ。

 恐らくそれは村崎が旧朽城家で過ごした時間の長さに起因するのだと思う。

 ネット上で体験談を披露している匿名の人物たちは、あくまで仮住まいとして最恐の幽霊屋敷を借りているに過ぎない。鍋島が調べた限り、その滞在期間は長くても一箇月程度であり、それも四六時中家の中にいるわけではない。鍋島が取材したカケルは仕事が忙しく、自宅へは眠りに帰っているような状態だったし、エミルは怪異に遭遇してはいるものの実際にそこで日常生活を営んでいたわけではない。しかし、村崎は引っ越す前から何度も旧朽城家に出入りし、入居してからも共働きとはいえ家で過ごす時間も多かった。

「気が付いたら病院のベッドの上でした」

 村崎はその言葉で話を締め括った。

「病院ということは、どなたかが救急車を呼んだということですか?」

「藤香─妹です。あの子は自分のアパートに帰ってから私に連絡がつかないことを心配して、次の日にまたあの家に来てくれたんです。それで奥座敷で意識を失って倒れている私と大河を見つけたといっていました」

「池澤大河さんはどうされたんですか?」

「意識は戻りましたが、脳に障害が残りまして、その後は施設に入ったと聞いています。今はどうなのかはわかりません」

「現在は池澤さんのご家族と連絡を取り合うようなことは?」

「ありません。大河のことは大変だったと思いますけど、私の方も色々ありまして……」

「というと?」

「私が退院してすぐに、両親が相次いで亡くなりました。父が自宅で亡くなっているのを母が見つけました。死因は急性心不全です。母は父の葬儀が終わると、後を追うように公営団地の屋上から飛び降りて……。それから妹も行方がわからなくなってしまいました」

「それは……」

 壮絶である。鍋島はかける言葉を失った。

「みんなあの家のせいです」

 そういう村崎の目は憎しみに燃えていた。もしかするとその憎しみは、旧朽城家そのものというよりも、そこに住むことを提案した池澤大河やその家族に向けられたものかもしれない。

「それからこちらで生活を?」

「いいえ。一度は故郷の宮城に戻ったんですけど、東日本大震災で住んでいたアパートと職場が被災してしまいまして。上京したのは今年に入ってからです。大学時代の友人がこちらで起業することになって、それを手伝わないかと誘われたんです」

 少し立ち入ったことを聞き過ぎてしまったと思い、鍋島は話題を変えることにした。

「その、あなたが目撃された黒い着物の女ですが、朽城キイの霊だとは思わなかったとおっしゃいましたよね? だとすると一体何だと思いますか?」

「わかりません。ただ……」

「ただ?」

「……あれを見た時、怖いというよりも禍々しさを強く感じました。嫌悪感っていってもいいと思います。あと、割とすぐに意識を失ってしまったように思います。今思い返すと、まるで有毒ガスでも吸い込んでしまったような、そんな感じでした」

「有毒ガスですか……」

 それは障りとか穢れのようなものだろうか。間近にしただけで卒倒してしまう悪霊となると、流石に鍋島も取材するのは初めてだ。十文字がいつになく慎重になっているのもわかる気がした。

 去り際に村崎は再び「あの家には関わらない方がいいですよ」といったが、鍋島は曖昧に微笑むしかなかった。


 鍋島はその日の内に、村崎紫音へのインタビューを記事の体裁に書き起こし始めた。録音したものをすべて書き起こすのではなく、必要に応じて内容をトリミングして、少ない文字数に凝縮させる。

 文章を書いている間、パソコンが断続的にフリーズしたり、誤作動したりと、思ったように作業が進まなかった。本当に凄まじい心霊スポットのルポや実話怪談を執筆している時にはよく起こる現象だが、毎回ペースを乱されるのは苛立たしい限りだ。とはいえ、翌日の午後にはデータを十文字に送ることができた。もっとも雑誌に掲載する時は、再度内容を削って文字数を調整する必要があるだろう。

 程なくして十文字から感想を書いたメールがきた。その中で「奥座敷が一番重要な気がします」と十文字は指摘していたが、鍋島も同感である。

 かつて拝み屋のようなことをしていた朽城キイは、奥座敷に祭壇を設けて除霊などを行っていたという。そして、その場所で何者かによって殺害された。村崎が見た悪霊と思われる黒い着物の女も、奥座敷から出現している。

 民俗学者のみやのぼるはその著書『妖怪の民俗学』で、都市の化物屋敷を論じる際に、「妖怪の出現する場所が、一定の空間を占め、『開かずの間』とか、『入らずの間』、天守閣など、定められた屋敷の空間へと、次第に具象化されてくる。そして、最終的にはその空間をさらに矮小化した小さな箱のなかに本体があった、という発想なのである」と述べている。

 これは必ずしも都市の事例だけに当て嵌まるわけではないと思う。実際に宮田は東北地方の座敷童子について「その屋敷のなかの一定の空間に霊の存在があり、具体的に幼童の形で出現してくるというのは、化物屋敷と同じ発想であろう」と述べていることからも頷ける。

 旧朽城家の奥座敷もこうした先例のように、怪異の根源となる霊が存在する空間である可能性が高い。

 顔面が渦を巻く黒い着物の女……。

 それはかつて朽城キイが壺に封じたという悪霊の内の一人なのだろうか?

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