【愛を伝える】ブチ「うわぁああああああああ」

 サキを誘拐されたブチは怒り狂っていた。

 青龍セイリュウの痕跡をだどってたどり着いたのは、故郷の世界樹だった。けれども、その世界樹すら焼き尽くしてやりたいほど腸が煮えくり返っていた。

 怒りで腹の中の炎が収まらず、燃える目はもちろん赤い鱗が業火となっている。

 まさに世界の終焉をもたらす巨大隕石のような姿に一番震え上がったのは、青龍だった。


「おいおいおいおい、本当に大丈夫なんだよな!? あいつ、怒りで我忘れてるんじゃないか」


 彼がすがった櫻花オウカは、平然とお茶をすすって微笑む。


「あの子があんなに怒るなんて、よほどサキさんのことが大事なのね」

「当たり前だろ! つがいだぞ。半身だぞ。俺は勝てない喧嘩は売らない主義なんだよ。あんたがどうしてもって、大丈夫って言うから、俺は奴のつがいを連れてきたんだぞ!!」

「ハァ、あなたもドラゴンならしゃんとなさい」

「あんたの息子は〈最強〉だぞ。俺はまだ死にたくねぇ」


 立派な外見に似合わずわめく青龍セイリュウをよそに、サキはハルマゲドン化したブチをうっとりと見つめていた。


「そんなに見とれてしまうなんて、よほど火土カヅチのことが好きなのね」

「え? ……ええ、そうです」


 そんなにわかりやすい顔をしていたのかと、サキの顔が赤くなる。

 ここ最近、手乗りサイズの愛らしさに密かに悶えていたあとで、鳥肌が立つほどの超絶かっこいいブチの姿。瞬きも忘れて見惚れるのも無理もない。


「おい、なにのんびりしてるんだよ! あんた、形だけでも奴のつがいなんだから、奴を止めろよな! このままじゃこの世界滅びるぞ!!」

「そ、そんなこと言われても……」


 恥も外聞もかなぐり捨てた青龍に泣きつかれたサキは、止められる自信なんてない。

 ブチは決して自分を傷つけない。理屈抜きで確信している。と同時に、今の青龍だけでなく母を含めた故郷すらも滅ぼすだろうとも、革新できてしまうのだ。


(そんなこと、絶対にさせられない)


 強引に連れてこられたけれども、彼らは悪い人たちではないのだから。ブチだって、母を慕っているし、青龍を友とまではいかなくても認めているのを知っている。

 だから止めなくてはと思うのだけれども、どうすればいいのかわからない。

 そうしている間も、世界樹の危機は確実に近づいている。

 ようやく切羽詰まった現実に焦りだしたサキと、涙目になっている青龍。そんな彼女たちをなだめるように櫻花は微笑む。


「安心しなさいな」


 愛らしく微笑んでいる櫻花の目は、少しも笑っていない。


「火土は最強のドラゴンかもしれませんけど、ここでは通用しませんのよ。だってこの世界は……フフフ」


 幼姿のエルフのほうが、怒り狂ったブチよりも恐ろしいのではと、サキと青龍が生唾を飲み込んだその時、世界樹が激しく揺れた。


「この世界は、わたくしのつがいであり、火土の父そのものなんですもの」


 尻餅をついたサキが見たのは、世界樹の根本から立ち昇った無数の赤い光の玉が櫻花の集結していく様。あまりにも巨大すぎてわかなかったけれども、集まった赤い光は炎の鬣を持つドラゴンの姿を象った。


 ――――ッ


 世界の咆哮を、サキは全身全霊で聞いた。

 怒りに満ち溢れた世界の咆哮に、さすがの〈最強〉のブチもあっけなく星よりも遠くまで弾き飛ばされた。


「そんなことも忘れてしまうほど、サキさんのことが大事なのね。本当に困った子。ねぇ、あなた」


 青龍ですら腰を抜かしている中、かたわらに等身大に縮んだ炎の鬣のドラゴンにうっとりと微笑みかける。

 つがいが住む世界樹を延命させるために同化したブチの父ドラゴンは、櫻花に顔を寄せるけれども触れる実体がない。精神体の彼に触れられないとわかっていても伸ばしてしまった手を、櫻花は所在なさげに下ろす。


「わかっているのよ。あなたは常にわたくしとともにいることくらい。世界樹に、空気に、光に、この世界のすべてが愛しいあなただということは」

『――、――』


 音にならない声が、櫻花にささやく。


(なんだか、羨ましいな)


 触れられないのは、やはりつらいに決まっている。それでも、この幼い姿のエルフは何千年という途方もない時、つがいを愛してきたのだろう。そして、この世界が続く限り愛し続けるのだろう。

 なるほど、寿命なきドラゴンのつがいは愛なくては成り立たないのだろう。

 ふらつく足を叱咤しながら、サキはようやく立ち上がった。

 と、愛しそうに櫻花を見つめていた炎の鬣のドラゴンが険しい顔して、サキの背後を睨みつける。


「サキーーーーーーーッ」


 振り返ったサキに、ものすごい勢いで飛んでくるブチは見慣れた等身大になっていた。


「サキ、サキぃ。ごめん!! 止まれないぃいいい」


 速度を上げすぎたブチは、ギリギリで向きを変えて衝突を回避した。等身大でもあんな速度でぶつかったら、サキはひとたまりもなかっただろう。


「ドラゴンは急に止まれないって、本当だったんだ」


 ブチとの出会いを思い出さずにいられなかった。恐怖の対象でしかなかった燃える目を持つまだら模様のドラゴンは、衝突回避のUターンで速度を落としてから今度こそサキのもとにたどり着いた。


「サキ、大丈夫? 酷いことされてない?」

「大丈夫。あなたのお母さんは、酷いことする人じゃないってブチのほうが知っているでしょ?」

「それはそうだけど……」


 サキの背後にいる両親と彼らの後ろに隠れるトカゲ大の青龍を見やるブチの目には、はっきりと不信の色が浮かんでいた。

 そんな息子に、櫻花は呆れたと口を開く。


「火土が悪いのですよ。再三わたくしがつがいを連れてくるように連絡したのに、すべて無視するんですもの。しかたなく青嵐セイランに連れてきてもらったのよ」

「そうだそうだ。俺が櫻花さんの頼みを断れないの知ってるだろ」

「…………」

「あなたがつがいを連れてこなかった理由、こうしてサキさんにお会いしてよくわかりました。まったく、どうしようもない子ですこと。あなた、サキさんに逆鱗をあげただけで、逆鱗にしていないではないですか」

「そ、それは……だってママ、」

「火土、違うでしょう。言い訳はわたくしではなく、サキさんにでしょう」

「…………」


 母に諭されたブチは気まずそうにぎこちなくサキに向き直る。

 落ち着きなく四本指の両手をこすり合わせるブチを、サキはまっすぐ見つめ返す。澄んだ青い目のまっすぐ平らな世界の酷い現状を見据える真摯なまなざしを、ブチは好ましく思っていた。そのまなざしは今、ブチを捉えて離さない。


「ねぇ、ブチはどうしてわたしをつがいに選んだの? わたし、ずっと地球での事故の責任とるためだと思ってたんだけど」

「うん、サキがそう思ってたのは知ってる」

「そう……、でもよく考えたら、ブチはひと言もそんなこと言ってなかったんだよね」


 サキが勝手にそう思い込んでいただけだ。


――ねぇ、わたしなんかをなんでつがいにしたの?

――えっ、や、やだなぁサキぃ、そんなの決まってるじゃないか。

――そうね、野暮だね。

――そうだよ、野暮だよ。


 思えば、あのときにはすでにブチの態度にはっきりと好意を見て取れたはずなのだ。


(わたしって、そんなに鈍感だったなんて)


 自分に呆れてサキはため息をついてしまう。

 けれども、ブチはそのため息を失望だと誤解して慌てて心底焦る。


「サキが誤解してるのはすぐにわかったよ。でもそれでもいいって思ったんだ。一緒にいられるだけでも充分だって。それだけでいいって。実際、それだけで幸せだったし。地球で見かけたサキは、ものすごく輝いていたんだよ。眩しくて、目がくらんで、ぶつかっちゃったくらい、まばゆく輝いていた。どんな世界の太陽だって、サキの輝きにはかなわない。なにがなんでもつがいにしなきゃって思った。でも、平らな世界で初めてあったとき、サキはものすごく怯えていた。当たり前だよね、僕がサキの人生を一つ奪ったんだから。嫌われてもしかたないって気づいた。僕はそれだけのことをしちゃったんだって。愛されたいなんて、わがままだ。愛されなくてもつがいになってくれただけで、僕には充分だってそう言い聞かせてきたんだ」


 一度言葉を切ったブチに、もう迷いはなかった。


「僕はサキが大好きだ。ひと目見たときから、愛している」

「ブチ……」


 まっすぐ過ぎる愛の言葉に、サキは胸が熱くなった。ブチの次の言葉を聞くまでは。


「サキが僕を愛せなくても、僕の気持ちはかわらない。サキには迷惑だろうから、伝えないと決めてたけど、やっぱり……」

「ちょっと待って!!」

「え?」

「え? じゃないよ。どうしてそうなるの? なんで、わたしがブチを愛せないって、迷惑ってなるの?」


 思いもよらない展開に驚くサキに、ブチはきょとんとして首を傾げる。


「マイラから聞いたんだよ。サキは人外を愛せないって」

「はぁあ?」


 なんでそうなるのかと素っ頓狂な声をあげた後で、すぐに思い当たって愕然とした。


――ベルみたいに人外を愛せるほど、わたしできた人間じゃないのに。


 転生初日の夜、右も左もわからない異世界での新生活の不安から思わず言ってしまったあの言葉。何を思ってマイラがブチに伝えたのかはわからないけれども、きっと悪気があってのことではないだろう。


「たとえサキが僕を愛してくれても、僕は王子様になれない」

「……だから、わたしがブチを愛さないってこと?」

「…………うん」


 つがいに選ばれた理由を勝手に勘違いしていた自分も自分だけれども、ブチもたいがいではないかとおかしくなってきた。

 突然クスクス笑いだしたサキに、ブチは驚き困惑する。


「サキ?」

「まったくもう……やだ、わたしたちって似た者同士かも」


 ひとしきり笑った彼女は、両手でブチの顔に触れた。硬質な鱗は見た目に反して温かい。心地よいそのぬくもりが愛しい。


「違うよ、全然違う。ベルは野獣になった王子様を愛したんじゃないよ、野獣を愛したから王子様になったの」

「えーっと……」

「だいたい、無自覚だったわたしもわたしだけど、マイラにああ言ったのだって、ブチを愛せるか不安だったからなのに」


 気恥ずかしくてブツブツと小声でそう言うと、サキは額をブチの鼻先に押し当てる。


「好きだよ、ブチ。愛してる」

「うぇ? あ、え、あ、ああ、え……」


 鈍感なサキでも青龍と櫻花の話からなんとなく察していたけれども、ブチは心の準備がまったく出来ていなかった。


「えいっ」


 意味をなさない声をあげるブチにとどめと言わんばかりに、サキは飛びつくようにキスをした。


 あまりの嬉しさに処理落ちして彫像化したブチがおかしくて、サキは声を出して笑う。


「なぁ櫻花さん、俺たちは何を見せられているんだ?」

「愛よ。愛以外に何があるというの、青嵐」

「愛ねぇ。俺もつがい探すかな」


 ようやくお互いの気持ちを伝えあったサキとブチが温かく見守るまなざしに気づき赤面するまで、今しばらく時間がかかるようだ。

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