【生け贄以外に考えられない】ドラゴン「本当に本当に、事故だったんだ」

 前世では現代日本で生きてきたので、身支度に人の手を借りるのに抵抗がなかったわけではない。けれどもそこは成人式や結婚式にお呼ばれしたときにヘアメイク、着付けしてもらうのと一緒だと考えれば、拒否するほどのことでもなかった。

 着せられたのが、若草色の布地をふんだんに使ったワンピースドレスだったのは、非常にありがたかった。ベルサイユ宮殿っぽいいかにもなゴージャスなドレスでなくて、本当にありがたかった。割りと本気で危ぶんでいたのだ。そんなものを着せられても、一歩も動けない自信があった。

 もっともこのワンピースドレスも、前世ではとても手が出せない高価なものに違いない。若草色といっても、濃さの違う様々な緑に黄色やオレンジなどの糸を織り交ぜた高そうな布だ。そんな立派な布地で仕立てられたワンピースは、それは見事なドレープを生み出している。ともすれば重苦しく見えるけれども、仕立てがいいのか、着てみるとそれほど気にならなかった。

 丁寧に梳かしてくれた金髪は、まさに絹糸のように指通りがよくツヤツヤだ。腰まで伸ばしたことないけれども、なぜか邪魔だと感じない。目の色にあわせてくれたのか、青紫のリボンで肩下のあたりでゆるく一つにまとめてくれた。


(ほんと不思議。この体、なんだかとてもしっくり馴染んでる)


 前世とはまったく別人のこの体に、違和感がまったくない。

 典型的な日本人だったのが、金髪碧眼の美女。共通点といえば、日本人女性で平均的だった胸の大きさくらいで、ほっそりと長い手足も、顎のたるんでなくややシャープなフェイスラインも、瞬きするだけでバサバサと音を立てそうな長いまつ毛も、前世では一六〇センチ弱ほどだったのに一〇センチは高くなった身長などなど、違いをあげたらきりがない。特に身長は、目線がそれだけ上がったら違和感があってもおかしくないのというのに。

 むしろ、前世の体が合っていなかったのではとすら思えてくる。生まれたときから、サイズを間違えた服を着せられていたかのように。


(それにしても、どうしてみんな良くしてくれるのかな)


 男はまだ見かけていないけれども、前世で縁がなかった一流ホテルのような朝食を用意してくれた使用人も、着付けてくれた使用人も、第一印象がキツそうだったマイラも、全員、並々ならぬ好意を隠そうともせずサキに向けてくるのだ。

 どこか浮足立った彼女たちに、それとなく情報を聞き出そうとしたけれども、「神竜様が説明してくれる」と返されるだけで、わけがわからない。そんな彼女に同情したのか、髪を梳いてくれた若い使用人が「本当は、マイラもみんなよくわかっていないんです」とこっそり教えてくれた。


(でも、わたしよりは知っているんでしょうよ)


 そうでなければ、彼女たちの態度に説明がつかない。見ず知らずの不審者に好意を向けられるなんて、不自然極まりないではないか。

 彼女たちに説明を求めても無駄だとなると、やはりあのまだら模様のドラゴンに会わなければならないということで、


「それではサキ様、神竜様のもとへご案内いたします」


 案の定、支度が整うのを待っていたマイラがそう言ってきた。

 他に選択肢がないサキは、しぶしぶ、本当にしぶしぶ彼女について行く。

 道路並みに幅の広い廊下に、高い天井。照明らしい照明は見当たらないけど、屋外のように明るい。白を基調とした神殿内部の装飾は控えめで、豪華さよりも荘厳さを重要視されていた。傷一つ汚れ一つも見当たらない汚れなさと、遺跡のような重厚な古めかしさ、相反しそうな二つが共存したなんとも不思議な場所だった。

 長い長い廊下を上の空で進んだ突き当りで、茶色と赤のまだら模様の分厚い帳が行く手を阻んでいた。


「神竜様、サキ様をお連れしました」


 案内してくれたマイラがうやうやしく告げると、するすると帳がひとりでに上がっていく。帳の向こうは洞窟が続いていた。この先に、自分を殺したまだら模様のドラゴンが待ち構えている。


(やっぱり、生け贄……また食べられるんだよね)


 他に考えられなかった。


「さ、行きますよ、サキ様」


 突っ立ってないで早く来いと顔に書いたマイラが、洞窟の入り口で振り返る。

 右も左もわからない異世界で生きていくハードルは高い。一度死んでしまったおかげか、金髪美女の現世をすでに諦めている。生け贄ならさっさとすませて来世に期待しよう。


(痛かったり苦しかったりするのはヤダな)


 通夜のときみたいにひと思いにやって欲しい。

 あのとき、すでに離れていた体を食べそこねたから、こうしてまた食べようとしているのだろう。ドラゴンが明らかに抗ってどうにかなる相手ではないのも、早々に現世を諦めた大きな理由だった。

 そう理性では割り切っているサキだけれども、やはり本能は死を恐れているのか、洞窟の前で足がすくんで立ち尽くしてしまう。


「サキ様、神竜様はとても素晴らしい方です。そのように怯える必要はありません」

「……は、はい」


 そう言われても、足が動かない。

 怯えて固まるサキに呆れたようなため息をついて、マイラはスタスタと戻ってきた。


「失礼いたします」

「へ?」


 フワリとサキの体が宙に浮かんだ。驚いた彼女がとっさにバランスをとろうと手足を大きく動かそうとしてできなかった。まるで見えないロープにぐるぐる巻きにでもされたかのように、身動きが取れなくなった。


「え、え、待って待って!!」

「待ちません」


 直立不動で宙に浮かぶサキをまるで風船のようで、マイラはそんな風船の見えない紐を握りしめて先へと急ぐ。


「ねぇ、マイラさん、なんなのこれ」

「魔法です」

「魔法ぉおおおおお」


 そんなものまであるのかと驚くサキの叫びが、洞窟に反響する。

 冷静になってよく考えれば、ドラゴンがいるのだから、魔法が存在してもなんらおかしくないのだけれども、サキのパニックは収まらない。


「なんで魔法なんかあるのよぉ」

「サキ様が以前おられた世界には、なかったのですか、魔法」

「ないない!! そんなのフィクションだから」

「ふぃくしょん?」

「てか、下ろしてぇ」

「いたしかねます。暴れないでください」

「無理ぃいいいいい」


 長く続くかと思われた洞窟だったけれども、サキが大人しくなる前に開けた明るい場所に出た。

 むき出しの地肌はそのままに、スタジアムがすっぽり納まりそうな広々とした空間。明るいのは、頭上の蒼穹を遮るものがないからだ。

 広々とした空間で七割を占めているのが、あのまだら模様のドラゴンだ。洞窟の出口に鼻先を寄せて待ち構えていた。


「神竜様、サキ様をお連れしました」


 うやうやしくマイラがドラゴンに告げると、ようやくサキの足が地面に着き体の自由が戻った。とはいえ、すぐにまっすぐ立てるはずもなくふらついてしまう。ふらつきうつむいたまま、彼女は顔を上げられない。やはり、怖いものは怖いのだ。


「サキ様は大変混乱していらっしゃるので、少々強引な手を使ってしまいましたが」

「うん、わかってる。僕のほうこそ、無理言ってごめんね、ありがとう」


 マイラが申し訳無さそうに続けると、若々しい男の声が響いた。


「では、わたくしはこれで」


 ドラゴンに頭を下げると、マイラはさっさと行ってしまった。


「え、嘘でしょ」


 待ってと振り返ったものの、追いかける足が動かなかった。


「サキ」


 背後から先ほどの若々しい男の声。やはり、ドラゴンの声に違いない。


(勘弁してよぉ)


 怖いものは怖い。足が震えるほど怖い。


(そりゃあ、人が食べられるところなんかグロすぎて見たくないだろうけどさぁ)


 ここまで連れてきた責任というものはないのか。


「ねぇ、サキ。無視しないで。もぉしかたないなぁ。……んしょ、このくらいかな」


 なぜか拗ね気味な声も、今のサキには恐怖でしかない。


「怖がらなくてもいいのに、ねぇ、これなら怖くないでしょ。こっち見て」

「ギャッ」


 背後から両肩にポンと置かれたのは、茶色の鱗に覆われた爪の長い四本指の手だった。もっとも、その大きさは成人男性程度。

 壊れたロボットのようにぎこちなく振り向いたサキは、ばっちりと燃える目と目があってしまった。通夜で見かけたときのように体が小さくなったドラゴンだけれども、もう着ぐるみに見えなかった。

 気絶できたら、どんなによかったか。なぜ、漫画のようにあっさり気絶できないのか。


「だ、だから、そんなに怖がらないでよ」


 顔面蒼白で今にも魂が抜けそうなサキに、なぜかドラゴンが慌てている。呼吸困難気味に口をパクパクさせたあとで、ようやく彼女は声を絞り出した。


「ひ、ひ、ひと……」

「え、なになに?」

「ひと思いにやって!!」


 やけになって彼女が上げた大声に驚き、ドラゴンは肩から手を離す。非力な女が大きな声を上げただけで、人間臭いリアクションをするドラゴンに、とうに頂点に達していた恐怖が一転して怒りに変わる。


「だから、ひと思いに食べればいいでしょ!!」

「え、食べ……え?」

「説明とかいいから。どうせわたしは生け贄なんだから、ひと思いに……」

「生け贄!! なんで?!」


 ドラゴンはサキの口から思いもよらない言葉が飛び出したことに驚き、文字通り一〇センチばかり飛び上がった。


「なんでって……そんなのわたしが知るわけないでしょ」

「誰か、サキにそう言ったの?」


 急にドスの利いた声で言ったドラゴンに、サキは首を横に振る。するとホッと息をついてドラゴンは胸をなでおろす。


「あのね、僕は生け贄なんて野蛮なことしないから、安心して、ね、僕は絶対にサキに酷いことしないよ」

「いやいや、わたしを殺したし、食べたでしょ!!」


 どの口が言うのか。お笑い芸人のツッコミのようにすかさず言い返すと、ドラゴンは激しく動揺して頭を抱えた。


「あ、あれは、事故だったんだよ。わざとじゃない。わざとじゃないんだぁああああああ!! わざとじゃない。わざとじゃない」

「…………」


 なんだか、怯えていた時間を返してほしい。


(こいつ、なんなの。ポンコツかよ。なんでお前がショックを受けてるんだよ)


 仮にも神竜と呼ばれているのに、この体たらく。

 肩を落としため息をついたサキは、初めて本当の意味でドラゴンをまっすぐ見据える。


「わかった。とりあえず、話を聞かせて」

「ありがどぉお、サキぃいい」


 第一印象からは想像もつかない情けないドラゴンの声が響き渡った。

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