【浮遊神殿での目覚め】サキ「これってもしかして、異世界転生?」

「なにこれぇえええええええええええええ!!」


 その朝、浮遊神殿の静寂を切り裂くような叫び声が響き渡った。


 叫び声の発生源は、天蓋に囲まれた大きなベッドの中だ。

 昨夜遅くのから寝ずに控えていたのマイラの眉間にくっきりとシワが寄る。


(神竜様はどうしてこのようなお方を……)


 マイラが先が思いやられると額に手を当てていると、天蓋の中から転がり落ちるように悲鳴の主が飛び出してきた。豊かな波打つ金髪が乱れているのは、起きたばかりでしかたないにしても、最高級のシルクのネグリジェの襟ぐりに裾からはしたないほどきめ細かい美しい肌をさらけ出すのはいかがなものか。


「…………あ」


 金髪碧眼の妙齢の美女は、まさか天蓋の向こうに人がいるとは思わず飛び出した途端に目を丸くして器用に固まる。言えない空気が漂う中、何を思ったのか金髪美女はすごすごと天蓋の中に戻ってしまった。

 そこでようやく、金髪美女の思いもよらない行動に、しばらくあっけにとられていたマイラは、唐突にはっと我に返りベッドに歩み寄る。マイラは浮遊神殿でもっとも怒らせてはならないと言われている。もっとも、滅多に怒らない。ただ自分にも他人にも厳しすぎて恐れられているだけだ。

 そんな彼女が、今、明らかに腹を立てている。彼女についてひかえていた他の女たちは、肝を冷やして成り行きを見守るしかなかった。


「おはようございます」

「…………」


 口調こそは丁寧だけれども隠しきれない怒気を天蓋越しに肌で感じとったのか、天蓋の中でゴソゴソと動く気配がした。


「お目覚めになられるのを、お待ちしておりました。ご朝食はいつでも食べられるよう用意してありますが、まずは身だしなみを整えたく存じます。出てきていただけませんか?」

「…………」

「出てきていただけないようでしたら、わたくしたちにも考えがあります」


 これほど地味だけれども強い脅迫もないだろうと、傍観に徹する者たちは思った。はたして、金髪美女に伝わるかどうかはわからないけれども、ささっと謝りなよと心の中で天蓋の中に語りかける。はたして、彼女たちの心の声が届いたのかはさだかではないけれども、観念したようにおずおずと金髪美女が出てきた。

 さすがに人様に見せる姿でなかったのは理解していたらしく、少しは見られるように整えている。


「あ、あのぉ、えーっと、わたしって……」


 若草色の瞳を所在なさげに泳がせながら、金髪美女はなにか尋ねようとしてなんと尋ねたらいいのかわらからず口を閉じてしまう。

 途方に暮れている彼女に、さすがのマイラも肩を落とす。目を覚ましたら激しく混乱するだろうと、神竜から聞いてはいた。けれども、これほどとは思わずマイラとしたことがすっかり失念してしまっていた。

 気を取り直して、マイラは背筋を伸ばした。つられるように居住まいを正しす金髪美女に、初めて好感を抱いけた。少しだけれども。


「サキ様には、神竜様が自らすべて説明するとおっしゃいました」

「シンリュウサマ?」


 金髪美女――サキは意味がわからないと首を傾げた。




 サキは、途方に暮れるしかなかった。わけがわからない。なにもかも。

 目が覚めたら、金髪美女になって天蓋付きのいかにもなプリンセス仕様の豪奢なベッドで寝ていた。典型的な日本人女性だったのだから、叫びたくなるのも無理もない。いても立ってもいられずに天蓋から飛び出したら、まさか人がいたとは。かわいそうになるくらいぎょっとした顔をしてきたので、いたたまれずすごすごと天蓋の中に戻ってしまった。

 いわゆる肌の露出を抑えた正統派なメイド服を着たふくよかな中年女性は、似ていないのになぜか母を思い出した。


(そういえば、わたし、死んだんだった)


 車にはねられて、気がついたら自分の通夜を見下ろしてて――まだら模様のドラゴンがやってきて……?

 腑に落ちないことはあるけれども、確かに東雲咲は死んだはずだ。

 ならば、これはいわゆる異世界転生ではないかと考えた。乱れに乱れていた髪を手ぐしで整えていたのは、ほとんど無意識だった。


(これが異世界転生だとして、わたし、この体の持ち主の記憶とか知識とかゼロだよ)


 ある日突然、前世の記憶が蘇ったパターンだろうか。だとしたら、せめてこの現世の記憶も保持したままがよかった。なにしろ、名前もわからないのだから、どう振る舞ったらいいのかさっぱりわからない。

 ゲームや漫画、ラノベのキャラに転生するパターンもあるけれども、悲しいことにここ最近はその手のカルチャーはとんとご無沙汰だった。おかげで、仮にそうだとしてもこの金髪のお姫様(仮)のキャラクターがどういうものかさっぱりわからない。せめて、破滅フラグ必至の悪役令嬢でないことを願いたい。自分がそういうキャラに向いてないことくらい、よくわかっている。愛され聖女も、それはそれで無理があるけれども。


(それにしても、わたし最近、ほんと惰性で生きてたんだなぁ)


 ほとんど家と職場の往復。帰りにスーパーやコンビニに寄るくらい。休日は夕方までベッドの住人で、特に何をするわけでもなかった。もう撮りためたドラマやアニメを見るのも億劫になっていた。まだ三十路前でこの体たらく。このままではいけない。生活習慣改善しなければと考えつつも、惰性で生きていた晩年だった。


(どうすればいいの。ていうか、どうしてこうなった)


 やはり、あのまだら模様のドラゴンのせいだろうか。あらためて振り返ると、車にはねられたのではなくてドラゴンにはねられたような気がしてきた。非常識極まりないと否定してきたけれども、異世界転生したのだからありえないことではないだろう。

 夢だったら――と考えることはなかった。

 いまいち危機感がわかない。もっと必死になるべきだと思うのに。

 なるようになるしかないのではと、開き直っていると、天蓋の外から声をかけられた。


「わたくしたちにも考えがあります」


 なんとなく、前世の母を思い起こさせたふくよかな女が話しかけているのだろうと思った。


(それ、控えめに言って脅しでしょ)


 何をされるかわかったものじゃない。

 結局、天蓋の中に引きこもっていても何も始まらない。


 覚悟を決めて出ていったサキだったけれども、一気に注目を集めるのはキツい。見た限りでも、五人はいる。

 寝起き姿を他人に晒すなんて、前世で経験したことがあっただろうか。自然と、彼女の視線は定まらない。少しの沈黙にも耐えられず、彼女はなにか言わねばと口を開いた。けれども、口から出るのは要領を得ず意味をなさない言葉ばかり。そんな彼女に呆れたのか、ふくよかな女性――マイラは肩を落としてから背筋を伸ばす。つられるように背筋を伸ばしたのはほとんど無意識だった。


「サキ様には、神竜様が自らすべて説明するとおっしゃいました」

「シンリュウサマ?」


 って、誰?

 首を傾げてから、マイラが「サキ」と呼んだことに気づく。

 サキのさらなる戸惑いを無視して、マイラはスカートの裾をつまんで膝を折る。いわゆるカーテシーという作法は、この世界にも存在するようだ。


「わたくしは、マイラ。この浮遊神殿で神竜様に仕える者です。この者たちは、今後サキ様のお世話をさせていただくことになります」

「???」


 頭の中は疑問符だらけだけれども、どうやらマイラたちとは初対面、あるいはそれに近い関係のようだった。


(ということは、この体で突然覚醒したってわけじゃないのかな)


 マイラに名乗るべきかどうするべきか悩んでいると、マイラの後ろにいた前世の大学生くらいの年頃の女たちの目が輝いた。彼女たちの視線の先は、サキの背後で、ベッドの反対側の壁一面のガラス窓の外。

 上司らしきマイラも彼女たちほど目を輝かせていないけれども、視線はそちらに向かっている。

 怪訝に思って、天蓋に邪魔されないよう少し体を動かしながら振り向くと、見覚えのあるまだら模様のドラゴンがまっすぐこちらに近づいてくるではないか。窓がガタガタと音を立てるほど接近した巨大なドラゴンは、あの燃える目にサキを映すと上昇し姿が見えなくなった。


「……っ!!」

「あの方が、神竜様です」


 思わず声にならない悲鳴を上げたサキの恐怖に気づかないのか、マイラはどこかうっとりと告げた。


 シンリュウサマが、神竜様だと、サキは嫌でも理解した。そして、どうやらあのまだら模様のドラゴンだけが、このわけがわからない状況を説明してくれるという恐ろしい事態も、否が応でも理解するしかなかった。


 サキの異世界転生セカンドライフのスタートは、好調とはいかなかったようだ。

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