【浮遊神殿の女たち】マイラ「ハーレムものではありません」
サキが、トラックではなくドラゴンにはねれれ転生しドラゴンのつがいとなって五日目の朝。
(今日も雲ひとつないいい天気。……当たり前か)
ここは、浮遊神殿。雲の上に浮かんでいる。神殿と呼ばれているけれども、中心に位置するドラゴンの巣で土がむき出しになっていたりするように、温室付きの庭園や、噴水などもあり、実際には浮遊島といった感じだ。余談だけれども、空に浮かんだ島にいるのだと知ったサキが、ドラゴンの巣だけに思わず「ラピ○タじゃん」と目を輝かせ、マイラたちから胡乱な目を向けられたのはまだ記憶に新しい。
毎日雲ひとつないいい天気で、さらに一年中この過ごしやすい陽気に包まれていると聞いたときは半信半疑だったけれども、五日目となるとにわかに信じはじめていた。
温室で一番過ごしやすい時間帯だという朝に、サキは使用人の若い女たちとテーブルを囲んでおしゃべりに花を咲かせるのが早くも習慣化しつつあった。驚いたことに、この浮遊神殿には男が一人もいない。
この朝は、サキの他に三人。浮遊神殿で暮らす女のことは、まだ顔と名前も一致してない。
飲みやすいお茶をすすりながら、サキは彼女たちに尋ねる。
「やっぱり、あなたたちはブチのつがい候補だったの?」
彼女がブチと呼んだのは、つがいのドラゴンだ。
名前を尋ねたら、魂に刻まれた真実の名前を教えることはできないと言われ、じゃあそれならとサキが命名したのだ。由来はもちろん体がまだら模様だから。ブチと初めて呼ばれたとき、ドラゴンは一瞬驚いてからとても嬉しそうに何度も呼ぶようにサキにせがんできた。
今現在、ドラゴンをブチと呼んでいるのはサキだけ。他の女たちにもブチと呼んでみたらと勧めてみたけれども、青い顔して丁重に断られてしまった。
「一応、神竜様のお世話をするためってことになってるけどね。ま、女ばかりじゃ察してあまりあるわよねぇ」
そう言ってむき出しの肩をすくめたのは、渦高く黒髪をまとめ上げているメイ。真紅のミステリアスな瞳と同じ色の前髪の一房は地毛らしい。黒い服を着ているせいか、サキはセクシー魔女とメイのことを把握している。
(やっぱりそうなんだ)
これでは、サキが神竜のつがいの座を横からかっさらったようなものではないか。
なんでも、この世界の三大強国の選ばれし女が三人。彼女たちに仕える使用人が十数人ずつ。それぞれ、別個の住まいで暮らしている。先日、ちらりと話を聞いたとき真っ先に連想したのは、やはりハーレムだ。メイはその一人で、他の二人ももちろんそうだ。
「神竜様は、人間社会に介入しないってずーっと言っているのに、下界の奴らどもときたらあわよくばって考えてるみたい。ホント男って馬鹿ばっか」
「よしなさいよ、メイ」
そうたしなめたのは、もやは芸術の域の複雑な編み込みをしたピンクブロンドの髪に、薄い琥珀色の瞳のフンワリとしたフリフリフリルのドレスを来たルルー。フェアリータイプな見た目で覚えていた。もっともフェアリーなのは見た目だけだと、サキはもう知っている。
「馬鹿なのはわかりきったことだもの。せっかく神竜様の素晴らしい庭にいるのに、台無しじゃないの」
「……チッ」
どうやら、メイとルルーの相性はよくないらしい。それはどうやら、彼女たちの祖国が長年敵対しているせいもあるらしい。
対立し戦争ばかりしている三大強国を代表する女たちだけれども、国境のある地上を離れ雲の上で暮らしていくには互いの国民感情に蓋をしなければやっていけないのだ。この世界の事情について、まだまだ全然まったく知らないサキだけれども、メイが言ったように察するにありあまるのこともある。
(本当に大丈夫かな)
歓迎されてないかもしれない。ブチの言う通り、彼女たちは本当に良くしてくれている。けれども、やはりそれは表面上のことではないか。
サキは胸元を押さえる。服の下には、革紐で石包みした赤茶色の鱗が一枚首から下げられている。ブチからつがいの証で、つがいを解消すると決めたら壊せばいいと言われたものだ。
(駄目だ……大丈夫じゃない気がしてきた)
ぽっと出のこの世界と縁もゆかりもない女が、各国が狙っていたつがいの座をかっさらったというだけで、大問題では。その前に、国家レベルの話ではなく――、
「わたしたちから神竜様のつがいの座を横取りしたとか考えて余計な気を遣う必要はないぞ、サキ」
ハキハキとした声に、うつむいていたサキは顔を上げる。
銀髪のベリーショートヘア、黒目と白目の境がくっきりとした切れ長の目に、褐色の肌のスレンダーな体に添わせた比較的動きやすそうな紫のドレスのヴィヴィは、絶対に男装が似合うとサキは確信している。なんなら、某歌劇団の男役トップスターもできると思っている。歌もダンスも上手いし、他の二人に仕える使用人たちからも人気があるらしい。
「なによ、サキ。そんなことつまらない気にしてたの?」
「まぁ、少し、だけど」
実際には少しどころではなかったけれども、メイは杞憂だとむき出しの肩をすくめる。
「むしろ、願ったり叶ったりなのに。いいこと、サキ。神竜様はお優しいから、ご自身が争いの種になることは絶対にしないのよ。そんなことわかりきっているのに、馬鹿どもは懲りずに女ばかり送りつけてくるのだけれど、神竜様はわたしたちを追い返したりしない。なぜなら、神竜様はお優しいから。まぁ、絶対にって言えないのは、協調性のないやつとか思い上がった馬鹿な女もたまにいるからよ」
「なるほど」
メイの言うことはよくわかる。ブチはこの世界の人間たちにとても気を遣っている。送り込まれたつがい候補から選ぶことはありえないというのも、よくわかる。それはそうとして、だ。
「でも、肝心のあなたたちの気持ちはどうなの?」
思い切って尋ねると、三人ともキョトンと目を丸くして顔を見合わせると、クスクスと声に出して笑い始めた。
「わたしたちの気持ちって。ないない。絶対にないから」
「神竜様のつがいになろうだなんて、だいそれたこと考えたこともないわ」
「さすが、神竜様がつがいに選んだ人だ。優しいな」
ひとしきり笑ったあとで、ルルーが安心してと微笑む。
「確かにわたくしたちは、直接的であれそうでないにしても神竜様のつがいになるようにと期待を背負わされて、ここに来たわ。それこそ、わたくしたちの気持ちなんて関係なく、ね。もちろん、神竜様のことは好きよ。でも、つがいとなると……無理よ」
「無理?」
やはりあれだろうか。相手が人間ではないからだろうか。先程までとは別の意味で不安になるではないか。
ルルーに同感だと大きく頷いたのは、ヴィヴィだ。
「そう、神竜様のつがいは恐れ多すぎて無無理。わたしなどがつがいになったら、神竜様の評判ガタ落ちに決まってる」
「……え?」
「サキは知らないでしょうが、わたしなんか神竜様に話しかけられるだけで手汗がすごいことなるんだから。もちろん、わたしから話しかけるなんてとんでもないことよ。そんなことしたら、わたしの心臓がもたないわよ」
と言ったのは、メイだ。妙に熱のこもった声に、サキは戸惑うけれども、メイだけではなかった。
「神竜様が素敵すぎるのがいけないわ。ここに来る前からお慕いしていたけど、ここに来たらますます好きにさせられるなんて。本当に罪作りなお方」
「わかる。下界で遠く離れた地上からお見かけしたときから、近寄りがたく孤高で勇ましくもお美しい方だとお慕いしていたものだが、ここに来て直にお目通りかなってからはもう……無理」
「ホントそれ。いきなり『僕』って。『僕』って!! 反則じゃない。魔界の化け物を焼き払う雄々しい神竜様が『僕』よ、『僕』!! 最高すぎる。自称神竜様の親友の
「その上、わたくしたちを怖がらせないようにと、小さなお姿で接してくれるなんて想定外すぎたわ。でも、それも神竜様の魅力で、胸のときめきがとまらなくて……ハァ素敵」
「わたしたちのような者と仲良くなりたいからと手乗りサイズになったときは、あまりにも可愛らしすぎて死を覚悟したものだ」
目を輝かせて熱弁を振るう彼女たちのなんといきいきとしたことか。
既視感のある光景にサキは、途切れるのを待って口を挟んだ。
「つまり、あなた方にとってブチは推しなのね」
「……推し?」
口を揃えて疑問符をつける彼女たちの辞書に、『推し』は存在しなかった。
(まぁ、日本でも最近の言葉だったもんな)
説明待ちの彼女たちになんと説明すればいいものか。話しながら考えることにした。
「推しというのは、えーっと人に勧めたくなるくらい好きな人とか物いうか……ガチ恋勢みたいなのもいるから恋愛感情なしって決まってるわけじゃないと思うけど……なんというか、語りだしたら一晩は余裕な感じというかなんというか。推しの元気な姿を拝見するだけで、自分も元気になれる感じかな。ごめん、うまく説明できないから、聞かな……」
聞かなかったことにはならなかった。思わず中途半端に口を閉じるほど、三人は感極まった顔でサキを見つめている。
「そうか、推しというのかこの感情は。推し、なんだかこんなにしっくり来る言葉はほかにないな。神竜様のことなら、一晩と言わずいくらでも語れるぞ」
うんうんと、ヴィヴィの言葉に他の二人もうなずく。
「ちなみに、推しって唯一無二でなければならないのかしら?」
「そういう人もいるけど、そうじゃない人のほうが多いんじゃないかな、ルルー。簡単には説明できないくらい、色々と深い概念だし」
だからといって、もう彼女たちは聞かなかったことにはしてくれないだろう。
「そう、安心したわ。ちなみに参考までに聞きたいのだけれども、恋人とか夫婦をまとめて推すことは?」
「あるよ。推しカプって言葉もあるくらいだし。カプというのはカップリング……つまり恋人とか夫婦のこととか、実際にそういう関係じゃなくても、くっついたら最高な組み合わせとかのことだし」
主に同人誌を制作しているそのジャンルでは有名な腐女子である兄嫁からしいれた知識を総動員して答えた。
(お義姉さん、助けて)
それなりにアニメとかマンガとかラノベとかオタクカルチャーが人生を彩っていた時期もあったけれども、最近はとんとごぶさただった。だからだろうか、熱弁を振るう彼女たちが少し羨ましくなった。と同時に、ホッとする。
「推しについては、いつかじっくり話を聞きたいものだな」
「う、うん、いつか、ね」
できれば、ヴィヴィの言ったいつかは来ないでほしいし、今後はもっと慎重に発言しなくてはと心に決めた。
「これで納得してくれたかしら。わたしたちにとって、神竜様は推しでつがいなんて無理ってことが」
「うん、納得したよ、メイ」
「フフフッ、わたくしたちは、むしろ神竜様とサキがもっと仲良くなっていただけると、嬉しいですわ」
「いや、それは……」
ブチは責任感からつがいにしてくれただけだから、あまり期待でほしい。
なにがともあれ、大きな不安材料が一つ解決した。安心したせいか、喉が渇きを覚えたたサキは、ティーカップを手に取ったけれども、すぐに空だと気がついた。
「おかわりなら、ほら」
ヴィヴィがそう言って指をクイクイと曲げると、ワゴンの上のティーポットがフワッと浮かんでスーッと宙を滑ってサキのティーカップにお茶を注いだ。
「……ありがとう」
「ヴィヴィ、わたしもついでに……ったく、無視しないでよ」
メイの講義を黙殺してティーポットは再びワゴンの上に。
魔法だ。この世界の人間すべてが魔法を使えるわけではないらしいけれども、彼女たち三人は使える。浮遊神殿の女たちの中でブチに話しかけられる唯一のマイラに至っては、最高峰の魔女だというから驚きだ。
この五日間、たびたび魔法を目の当たりにして来たけれども、まだ慣れない。
「いいな、魔法。わたしも使えたらいいのに」
「使えなくても問題ないわ。サキには神竜様とわたくしたちがいるもの」
「でもルルー、なんか羨ましいものは羨ましいんだもん」
プクッとわかりやすく頬をふくらませると、ヴィヴィが「ハハハッ」と男みたいに笑った。
「ルルーの言う通りだ。わたしたちが不自由させない。……にしても、あのマイラでも王子様を野獣に変えるなんて魔法は使えないぞ。サキのいた世界はすごいんだな」
「あの、あれは……」
「しかも愛で解ける魔法なんて、すごくロマンチックよねぇ」
「いや、あれは……」
初日に少し話した『美女と野獣』のことを持ち出されても困る。
(推しは理解してもらえたのに、フィクションは全然理解してもらえないのよね)
この世界にはフィクション――架空の物語というものがない。史実や神話を扱った本はあっても、純粋な架空の物語はなぜかないのだ。
それなりに読書が好きだったサキには、信じがたかった。
「あの、いや……あっ」
と、急にあたりが暗くなった。浮遊神殿は雲の上。影を落とすものは一つしかない。
「帰ってきた!!」
温室の上を飛びさるブチの燃える目はしっかりとサキをとらえていた。
朝のパトロールからブチが帰ってきたと知ると、サキは急いで席を立った。
「じゃあ、行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
声を揃えて手を振る三人の目には、つがいのもとに急ぐサキが恋する乙女に見えてしかたなかった。
温室の出口にマイラがいた。
「おはよう、マイラ」
すれ違いざまにそう言って返事を待たずに先を急ぐサキに、マイラは軽く目をみはってすぐにやれやれと苦笑した。
サキに話があったのだけれども、神竜様が帰還してしまったのだからしかたない。しかたないので、先ほどまでサキが座っていた席に腰を下ろした。
「来月の祭典のことで話があったんですけどねぇ」
「早すぎる気がしますけど、やはりサキをお披露目する方向で?」
「ええ、その通りよ、ルルー」
つがい候補として送り込まれたものの、一人も選ばれることなかった彼女たちだけれども、彼女たちは時間を持て余しているわけではない。彼女たちには、下界の人間たちと神竜様の橋渡しという重要な役割がある。
来月に迫った祭典では、十数万人という人間が神竜様と謁見するために浮遊神殿に押し寄せてくる。こんなことでお茶している暇など本来はないのだ。
「にしても、サキ、全然わかってないよな」
ヴィヴィに他の三人も大きくうなずく。
三人にいらぬ気を遣ったサキだけれども、肝心の自分の価値をまるでわかっていない。
「しかたないでしょう。まだたったの五日ですから。気長にいきましょう」
「でもマイラ、お披露目はまだ……」
「神竜様が決めたことですよ、メイ。わたくしも不安ですが、そのためにわたくしたちがいるのでしょう」
マイラがきっぱりと言い切ると、それもそうだとメイは肩をすくめた。
神竜様と下界の人間たちの橋渡し役。それが浮遊神殿の女たちの仕事だ。
そこに新たな仕事が追加されたのが、五日前。そう、神竜様が帰還したあの夜ただ事ではない様子に駆けつけた彼女たちに、神竜様はこう告げたのだ。
「この人は、僕のつがいだ。僕の、つがい。僕の唯一。僕の逆鱗。僕の生命。なによりも丁重に扱え。かすり傷一つでも、僕は許さない。この世界をすべて焼き尽くしてやる」
燃える目が常にならぬほど爛々と輝かせた神竜様が、本来どのような存在か嫌でも思い知らされた。
彼女たちの新たな仕事、それはサキを命にかえても守ること。
もちろん、サキは自分にこの世界の存亡がかかっているとはつゆとも知らず、軽快な足取りでブチのもとに急ぐのだった。
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