【竜妃、誕生 その夜】サキ「どうしよう、わたしブチのことが……」
サキが黙っていられなかったせいで、とんでもないお披露目になってしまった。良くも悪くも連接な印象を残したサキを、誰が呼び出したか定かではないけれども、竜妃と畏敬の念を込めて呼ばれることになる。
あのあと、呼吸すら忘れたブチにサキは涙目になった。そんなサキの姿に、ブチはようやく我に返って無言で巣に連れ帰ってしまった。止める暇などなかった。あのマイラですら呆気にとられてたのだから、誰が止められよう。各国の代表たちとの晩餐会も、二日目と三日目の神竜様との個別の謁見も、すべて急遽キャンセル。マイラたちが身を粉にして働いてくれたおかげで、大きな揉め事もなくどうにかなった。
もしかしたら、恐れ知らずの王のようにサキの言葉に思うところがあったのかもしれない。
ウエディングドレスを連想させる純白の仰々しいドレスから解放され寝室で一人になったサキは、ぐったりとベッドに倒れこんだ。しばらく無言で枕にグリグリと顔を擦り付け続ける。
「わたしの馬鹿」
せっかく丁寧に手入れしてもらった髪が乱れるのもかまわず、彼女は枕に向かって喚く。
「何もしなくていいって言われてたじゃん。ただ立っているだけでいいって言われてたじゃん。なんで黙ってられなかったかなぁああああ」
あの時、考えるよりも先に口を出していた。驚いたけれども、止まらなかった。あまりにも下界の人間たちの態度に腹が立って腹が立って……。
「わたし、喧嘩売ったかも……」
神竜様と下界の人間たちとの関係にヒビが入ったらどうしよう。
「だいたい、わたし、あんなキャラじゃなかったのに」
顔を押しつけていた枕をモゾモゾと抱きかかえながら仰向けになる。
もうすっかり見慣れた天蓋に向かって、大きなため息をつく。
もう前世の東雲咲ではないのだ。冴えないごく普通の『一般市民』ではないのだ。
神竜様のつがいサキ。
金髪の美貌の持ち主。一人暮らしに戻れないくらい、すっかり身の回りの世話を他人に任せることに慣れた女が、『一般市民』なわけがない。
つい口出ししてしまったことは自分が一番驚いたと思っているけれども、同時に納得もしたのだ。
「あれは、わたしの言葉だった」
腕を伸ばしてほっそりとした手を見つめる。節が目立たないほっそりとした指に、形の良い爪。血管が浮き出てもいないし、無駄な肉もついていない美しい手。前世の手を鮮明に思い出せないけれども、これほど美しい手ではなかったのは間違いない。
手だけではない。
この体は、自分で言うのも恥ずかしいけれども、誰もが認める美女だ。
浮遊神殿で暮らし始めた当初は、よく前世と比べていた。違和感は、前世の体にしかなかった。まるで殻を被っていたような窮屈な体だったのだと、今のよく馴染んでしっくりくる体になって気づいた。
このひと月、思い返せば、前世の東雲咲らしくないことはいくらでもあった。
身の回りの世話を他人に任せることに、すぐに慣れた。下界で選ばれた三人の美しい令嬢たちと臆することなくお茶会を毎日のように楽しんでいる。この二つだけでも、たったのひと月で当然のように受け入れているなんて、よくよく考えたら不自然なことだ。
「……わたしのあるべき姿、かぁ」
なるほど、そういうことだったか。そういうことの部分を上手く言い表せないけれども、今、ストンと腑に落ちた。
であるならば、今日のお披露目での発言は間違いなく自分の言葉であるのは当然のこと。
薄闇の中、広げていた手を握りしめる。
「みんなに迷惑かけないように、明日からしっかりこの世界のこと勉強しなきゃ」
口だけの人間にはなりたくない。あんなに偉そうなことを言っておいて、これまで通りまったりと甘えた生活を続けるわけにいかない。
神竜様のつがいとして、何かできることはないか。ドラゴンのブチと違って、サキは人間だ。そう、浮遊神殿の女たちに前庭に集った十数万の各国の代表たちはもちろん、この世界で暮らしている人間たちと同じ。
「ブチにはできない、わたしだけの何かがあるはず」
その何かを見つけなくては。
「にしても……」
決意を新たにしたサキの手が力なく顔を覆った。
「何が、『わたしが彼のつがいなの』よぉおおおおおお。まるで、わたし、ブチのこと好きみたいじゃないぃいいい。てか、わたし、好きなの? 好きなのかな。わたし、ブチが好き、うわぁあああああ」
ライクではなくラブのほうでブチが好きなのだと自覚したサキは、たまらずベッドの上でゴロゴロ転がりまわる。
人間だったらと考えたこともある。けれども、人外は恋愛対象外だと決めつけていたし、なにより――
「でも、ブチはつがいに愛とか求めてないんだろうな」
ピタッと止まって、なんともいえない顔でポツリと呟いた。
事故の責任をとってつがいにしてくれたのだから、人間の理想の夫婦のような愛し愛される関係など期待しないほうがよさそうだ。
小さなため息は、どこにも届かないまま薄闇に消えた。
サキが恋心を自覚しベッドの上で悶絶していた頃、マイラは神竜様の巣を訪れた。
今日のことを報告するために来たけれども、すぐに来るべきではなかったと踵を返したくなった。
『わたしが彼のつがいなの』……『わたしが彼のつがいなの』……『わたしが彼のつがいなの』……
ヴィヴィの祖国が開発した記録用魔法を施した水晶玉から浮かび上がるサキの立体映像の一部分を、ブチは何度も何度も再生していた。よほど興奮しているのか、尻尾をビュンビュンブオンブオン物騒な音を立てて振り回している。このままでは火を吹くのも時間の問題かもしれない。巣の周りには強力な結界が張られているけれども、本気で強化を検討しなければとマイラは頭が痛くなってきた。
燃える目を爛々と輝かせて映像のサキに夢中になっているブチは、もちろんマイラにまったく気づかない。
しかたなくマイラはどこからともなく取り出した箒に乗って、立体映像の前に出た。
「神竜様、よろしいでしょうか」
質問形ではあるけれども、有無言わさぬ圧があった。
邪魔されて不快そうに目を吊り上げたブチだったけれども、不承不承、本当に不承不承愛しのつがいの映像の再生をやめた。
「本日来られた者たちは、みな帰られました」
「ご苦労さま。何か揉めたりしなかった?」
マイラは肩をすくめた。
「神竜様がお気になさるようなことは何も」
それはつまり、揉めたということだ。
浮遊神殿の女たちが只者ではないと、下界の人間たちは嫌というほど思い知らされたことだろう。
「むしろ、わたくしどもはこれで良かったと思うのです」
「何がだい?」
「サキ様がビシッと仰ってくださって良かったと。わたくしどもも、サキ様が仰ったように『何様』と腹立たしくなることが多かったので。彼らは異界の女と馬鹿にしましたけど、異界の女だからこそ、言えたことでしょう」
スカッとしましたとマイラが胸を張って笑えば、ブチも機嫌良さそうに目を細める。
「サキのこと、みんな認めてくれたかなぁ」
「それはなんとも言えませんが、少なくとも無視することはできないでしょう」
浮遊神殿の中であれば、ブチが留守でも最強の魔女マイラを始めとした女たちがサキを守る。けれども、浮遊神殿の外であれば話は違う。もとより、サキは下界の様子に興味を持っていた。セカンドライフを送る世界がどんなところか知りたいというのは当然のことだろう。
初めて目を覚ましたサキが天蓋から飛び出した瞬間から、予感はあった。神竜様がつがいに選んだ金髪の美女は、聞き分けのよい大人しい女ではないだろうと。きっと何かしでかしてくれるだろうと、年甲斐もなくワクワクしたのだった。
まさか、直前まで緊張と不安から震えていた彼女が、恐れ知らずの王を黙らせるなどとは思いもしなかったけれども。
(もしかしたら、サキ様はこの世界を変えてしまうかもしれないわね)
サキから聞いた話では、彼女がいた世界では戦争は悪いことらしい。そんなこと、考えたことなかった。戦争の善悪なんて考えてもみなかった。祖先の恨みを晴らすのは当然のことだった。マイラの祖国は、もう何十年も前に敵国に敗れ民は強制収容所で家畜同然の酷い仕打ちを受けているのも、歴史上よくあることだった。浮遊神殿で暮らすことを例外的に認められた幸運なマイラですら、いつか子孫が立ち上がり復讐を果たしてくれるだろうと、他人事程度のかすかな期待を捨てられないでいる。
マイラから帰る故郷を奪ったのは、ヴィヴィの大叔父が君臨している帝国だ。そして、ヴィヴィたち帝国民からすれば、マイラたちの祖国が奪った土地を取り返しただけのことだった。
復讐、奪い合い、征服……この世界の歴史は、戦争の記録とも言えた。当たり前のことだったのに、よくないことだとサキは顔を顰めて言ったのだ。
異界の女が何を言うのかと、正直、不快だった。けれども、今なら異界の女だからこそ、言えたのだとはっきりしている。
マイラとて、罪のない無力な民が戦禍の犠牲になっていることに胸を痛めないわけではないのだ。
「わたくしは、神竜様がつがいに選ばれたのがサキ様でよかったと心から思っておりますの」
「ンフフ……人間がみんなそう思ってくれたらいいなぁ」
嬉しそうに喉を鳴らしたブチは、すぐにどこかさみしげに続ける。
「人間がサキを認めてくれても、サキは僕のこと愛してくれないんだよね」
「………………は?」
何を言い出すのかと、マイラは愕然とさせられた。
前世では、色恋に縁がなかったとサキは言っていた。だからか、サキは神竜様の重すぎる愛情どころか、自分の恋心も自覚していない。傍から見れば相思相愛だというのにだ。サキは神竜様が責任を取るためにつがいにしてくれただけだと誤解しているから、まぁしかたないにしても、神竜様は違うはずだ。
「あの、そんなことはないと思いますよ」
「そんなことないって、サキが僕を愛してくれるっていうの?」
「ええ、そうです」
すでに愛されてますよと言えなかったのは、サキが自覚していなかったからだ。
気休めかどうか探るように、ブチは燃える目でじっとマイラを見つめる。嘘がないと悟ると、ブチは大きなため息をついて頭を振った。
「ありえないよ、マイラ」
「なんで?!」
思わず声が大きくなってしまったマイラに、忘れているようだけどとブチは苦笑交じりに続けた。
「マイラたちが教えてくれたじゃないか。サキは……」
ハッと口を閉ざしたブチの鼻先で、突如闇が渦巻いたと思ったら次の瞬間には光文字が目と鼻の先に展開された。
マイラの知らない魔法ではあるけれども、何度か目の当たりにしたことがあるそれは、
「御母堂から、ですか?」
「…………フン」
マイラの問いに答えずに肯定したブチは、鼻息一つで光文字を散らす。
「今日はご苦労さま。マイラも疲れただろう、ゆっくり休むといいよ。僕も寝るから」
どこか拗ねた子どものように丸くなった神竜様に、マイラは肩を落とした。
これはどうも一筋縄ではいかないらしい。
(ま、出会ってまだひと月と少しだものね)
じっくり仲を深めていけばいいのだ。しばらく焦れったい思いをさせられるだろう。それも悪くないとマイラは笑みを深めて箒に乗ったまま静かに巣を後にする。
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