【竜妃、誕生 その一】ブチ「僕のつがいが美しすぎるッ」

 浮遊神殿に下界の人間が招かれる祭典とは、各国の代表者――つまり最高権力者が重鎮やらお供やらを大勢引き連れて、神竜様に日頃の感謝を直接伝える行事だ。

 国家の中枢がごっそり国を離れて大丈夫かとサキが至極もっともな疑問に、ルルーの「神竜様のご機嫌取りの祭典なのに、問題を起こして神竜様が機嫌を悪くしたら本末転倒だわ」と言って、過去に王の留守を好機だと簒奪を目論んだ者達がどれほど悲惨な末路を迎えたのか教えてくれた。「祭典の間は、どんな争いごとも、夫婦喧嘩も大国の大戦争ですら、休戦するのがこの世界の常識ってやつね」とメイが補足してくれた。なるほど常識かとサキは目から鱗が落ちた。それまで前世の日本社会との差異を埋められないだろうと難しく考えていたことが、『常識』の二文字が解決してくれると理解したのだった。


 祭典当日。

 今日も浮遊神殿の空は雲一つない快晴。

 巣では、ブチの黄金やら宝石やらで豪奢な装飾品による身支度の最中だった。額で輝くルビーは赤子ほどもるし、背中を飾る錦やら宝石をふんだんに散りばめた黄金の鎖帷子の大きさと言ったら、喩えるモノを探すのが馬鹿らしくなるほどだった。

 箒に横座りしたマイラは、ブチの周囲を飛び回って装飾がしっかりと固定されているか確認していく。


「神竜様、本日は過去最高に神々しいです」

「ありがとう、マイラ。みんなが頑張ってくれたおかげだよ、みんなありがとう」


 足元に並んでいる飾り立ててくれた女たちに、ブチは大きな頭を下げる。装飾のガラガラと家が崩れるのではというほど大きな音が巣に響きわたった。

 共縮する女たちのもとに降り立ったマイラは、箒片手に「くれぐれも」とブチに念押しする。


「くれぐれも短気を起こさぬようお願い申し上げます」

「…………」

「神竜様?」


 わかりやすく目をそらしたブチに、マイラは頭痛を覚える。


「今回は寛大なお心で聞き流してください」

「…………」

「ハァ、神竜様、下界の者はサキ様がどれほど素敵な方かまだご存知でないのですよ」

「だから、僕のつがいが悪く言われても我慢しろと?」

「そうです。どうか我慢してください」

「…………やっぱりやだ」

「先日はおわかりいただけたではございませんか」

「あれはマイラがしつこかったから」


 何日もかけて説得したのに、この期に及んで聞き分けないことを言うのだろうか。

 浮遊神殿の女たちはあっさりとサキを受けれいたけれども、下界の人間には受け入れがたいに決まっている。異界から連れてくるなどとは何事かと難癖つけてくるのは明らかだ。いつの時代も、彼らは身の程をわきまえない。神竜様に庇護されているのが当たり前過ぎて、見捨てられる可能性に微塵も気づかないのだ。


(せめて今日だけは大人しくしてもらわないと)


 やはりお披露目などやめておくべきだっただろうか。

 いや、遅かれ早かれ、神竜のつがいは世間に知れ渡る。下手に隠すよりも、さっさと知らしめてやったほうが後腐れないだろうと反対しなかったことを、マイラは激しく後悔した。今からでも、お披露目を取りやめるべきではないか。

 マイラが痛む頭に手をやってげんなりしていると、褐色の肌のヴィヴィが一歩前に出た。


「おそれながら神竜様、サキ様はご自身がつがいとなったことで、いらぬ争いををもたらすのではと大変憂慮なされておりました。神竜様、お優しいサキ様のためにも、どうか我慢くださいませ」

「……サキがそんなことを?」

「ええ。聞けば、サキ様がおられた異界は争いが絶えないこの世界と比べて平和だったとか。神竜様が短気を起こされては、きっとサキ様は嘆かれることでしょう」

「わかった。今日一日だけ我慢するよ」

「感謝いたします」


 しぶしぶ、本当にしぶしぶブチは首を縦に振った。

 誰もが胸をなでおろす。マイラはよくやったとヴィヴィに目配せする。


「神竜様、サキ様をお連れいたしました」


 そう告げたルルーとメイの数歩後ろをうつむきがちなサキがしずしずと歩いてきた。

 光沢のある純白のドレスは金髪碧眼のサキの美しさを惜しみなく引き出していた。長細い円錐形の帽子の先から垂れ下がった銀のヴェールと、ルルーの侍女が整えただろう細かい編み込みをほどこされた金の髪の組み合わせは、それだけでどんな絵画よりも美しいそして、はにかみながら顔を上げた美貌はもう筆舌につくしがたい。


「似合う、かな?」


 そう小首をかしげられて、ブチはブンブンと壊れたおもちゃのように何度も首を縦に振った。ガンガンジャラジャラとすさまじい音が反響し、せっかく飾り立てた装飾がどこかに飛んでいってしまいそうなほどだったけれども、誰も気にならなかった。なぜなら、彼女に見惚れていたのはブチだけでなかったからだ。


「サキ、すごく綺麗だ」

「そうかな。全部、この衣装を用意してくれたみんなのおかげよ。ブチもすごくカッコいいね」

「えへへ、カッコいいなんて……照れるなぁ。えへへ」


 実はブチは祭典用の装飾がうっとうしくて嫌々だったのだけれども、サキが褒めてくれただけで、すっかり有頂天になってしまった。

 お互い見惚れているつがいに、マイラはわざとらしく咳払いした。


「神竜様、お時間です」

「もうか。わかったよ」


 まだまだサキを眺めていたいブチだけれども、いつまでも人間たちを待たせるわけにいかない。


「行こうか、サキ」

「う、うん」


 ぎこちなくうなずいた彼女の体が震えていた。


「サキ?」

「大丈夫だから」


 顔色も心なしか青ざめている。


「もしかして、怖いの?」

「ちょっと、緊張してるだけだから、大丈夫」


 大衆の前に立つなんて経験、サキにはまったく無縁だった。この世界で生きていくためにはと、ほとんど流されるようにしてお披露目の件を了承してしまったことを、今ごろになって激しく後悔している。


(わたし、馬鹿みたい。なんだかんだで結構浮かれてたんだ)


 おしゃれにうるさいルルーとメイを始めとした女たちが甲斐甲斐しく、心の底から楽しそうに準備を進めてくれるうちに、サキもお祭り感覚で浮かれていた。何度もしつこいくらい彼女たちに「何もしなくていい」「ただ神竜様のお側にいればいいだけ」と言われていたのもあって、いつしか傍観者だと思いこんでしまったのだ。そんなはずはない。


(わたしのお披露目だって、はっきりしてたじゃない)


 ウエディングドレスを連想させる純白のドレスで着飾って、ようやく痛感した。以前から仮縫いや当日の段取りを聞いたりしていたから、本当に今さらすぎて滑稽なのだけれども、すっかり怖気づいてしまった。


「大丈夫、大丈夫だから」


 今さら後に引けない。引くわけにいかない。絶対にだ。

 下界人間たちとの調整や準備に奔走してくれたマイラたちがいる。浮遊神殿の女たちは励まし元気づけてくれた。応援してくれている彼女たちを失望させたくない。

 なにより、つがいをお披露目する日を指折り数えて楽しみにしてくれたブチがいる。責任感からしかたなくつがいにしてくれたとしても、つがいらしいことを何一つしないまま甘えてたくない。

 どんなに怖気づいても、サキは逃げ出そうとしない。そんな選択肢は、お披露目を承諾したときに失っている。

 ドラゴンの善意にあぐらをかいて楽することもできるのに、彼女はそれを望まなかった。

 とはいえ、どんなに覚悟を決めたつもりでも、やはり怖いものは怖い。


 やはり中止したほうがいいのでは。異界から来てまだひと月あまりのサキには荷が重すぎたかと、マイラたちが考え始めたのも、無理もない。

 けれども、ブチは違った。


「うん、大丈夫。僕がいるから」


 彼女をブチは大きな四本指の右手でで丁寧に優しく包み込む。さすがに驚くサキだけれども抵抗しなかった。右手で掴みあげられて左の手のひらの上に乗せられる頃には、サキの緊張は解けていた。


「行こう、サキ」

「うん」


 指に手を置いてバランスをとりながら乗っているサキを第一に、ブチはゆっくりと歩き出した。どういう魔法かサキには皆目検討もつかないけれども、巣の岩壁を通り抜けると洞窟が続いていた。サキがいつも通う道と違って、大きく暗い。ブチの燃える目が唯一の灯りで、それが何故かサキの心を温かくする。


(ブチといるとなんだかすごく安心するなぁ)


 このひと月、サキはブチにすっかり心を開いていた。前世では経験していない側にいるだけで安心する、満たされる、幸せになるといった気持ちを表す単語に、サキはいまだに気づいてない。


「ブチってさ」

「ん?」

「意外と温かいよね」

「!!」


 指に寄りかかってきたサキに、ブチは危うく火を吹くところだった。

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