番外編3 部位の新規開拓調理法
同居人が珍しく難しい顔をしている。なんだか気になってその表情を眺めていると、彼はぽつりと――――且つ深刻そうに「千草、相談があるんだが」と切り出した。さすがの俺もその声色からただならぬものを感じたので、掃除の手を止めて彼の前に座る。
「………どうした?なんか問題でも起きたか?」
「いや、問題という程のことじゃない。ただ、協力してほしいことがあってな。お前にしか頼めないんだ」
「俺にしか―――――――」
ごくん、と唾を飲む。普段飄々とした、ふざけた姿はどこにもない。そのことにプレッシャーのようなものを感じてしまうが、「藤宮蘇芳に頼られる」というのはなんだか嬉しかった。
「………わかった。できる限り協力するよ。俺に何ができる?」
「…………頼もしい限りだな。」
蘇芳さんはフ、と笑い―――――そうして、俺の方を見つめて一言こう言った。
「睾丸料理を作りたいんだが」
「却下!」
「おい、できる限り協力すると言ったのはどの口だ」
「言ったけど!言ったけどさすがに………こ、………何!?」
「うん。言葉の通り睾丸を使った料理だな。白子とも言うか?」
蘇芳さんいわく。
俺が不在の際に図書館に行き、様々な書物を読み漁っていたところ辿り着いたのが「世界の肉料理」という本だったのだそうだ。その中に睾丸を使った料理があったという。
「揚げ物、煮物、果ては刺身。日本でも食べる地域があるらしい。常々思ってたんだ、『俺の体に捨てるとこなし』と言ってみたい―――――――と」
「つまり」
「俺の睾丸を切り取って、調理して、君に食べてもらう。君のやることはひとつ、俺の新たな可能性に舌鼓を打つことのみだ。どうだ、簡単だろう?」
「却下!!」
俺は本日再びのNOを繰り出す。蘇芳さんは唇を尖らせて、つまらなそうに言った。
「ち。心の狭い奴め。そんなに睾丸が嫌か?」
「いや、俺だって肉屋の息子だ。そういう料理があることは理解してる。けど」
「けど?」
「……………なんか、心境的にやだ……!っていうか、お前はいいのかよ!人に金玉食わせることに抵抗感とか無いわけ!?」
蘇芳さんは「それはあったさ」と神妙に頷いた。
「ただ、三日ほど考えて結論を出したわけだ。『うまいならいいじゃないか』と」
「お前の飽くなき探求心と倫理観の無さはなんなんだよ。バランス取れよ」
「そんなに嫌か」
「やだ」
「仕方ない。どこか適当な人間を捕まえて試食してもらうか……」
蘇芳さんは溜息を吐きながらそんなことを呟く。俺の心はわかりやすくザワついた。解体していくと、「お前知らねえ人間に金玉食わせるのはダメだろ」と「俺にしかできないんじゃなかったのかよ」と「肉屋の端くれとして、肉料理の新たな境地を一足先に開きたい」みたいな気持ちである。俺は数秒わなわなと震えたのち、がっくりと脱力した。
「…………やめてくれ。俺が試食するから……」
「そうかそうか。お前ならそう言ってくれると思ってたよ」
顔を上げると、蘇芳さんは悪戯が成功した子供みたいな顔で笑っていた。
叶わないな、と心の奥底で何度考えたかわからない感情が浮かんだ。
「では、ちょっと切ってくる。けして風呂場を覗くんじゃないぞ」
「鶴みたいに言うな。想像しただけで怖いんだから早くしろ」
――――――――数分後、風呂場からはまるで狼が唸るような声が断続的に聞こえ続けた。
「(これ近所の人が聞いたら事だな……)」
隣家から男性の唸り声、立ち入ったら風呂場で男性が自分の金玉を切断していた。なんて恐ろしい事件なんだ、確実に明日の夕方のニュースでおどろおどろしく語られるだろう。
そんな事を考えていたら、がらりと戸が開いた。
「………………千草。取って来たぞ………」
「うわあ!!!!!!!」
「………っ、………あー、声が大きい………」
引戸の向こうには、真っ青な顔をして下履きを真っ赤に汚した蘇芳さんがいた。未だ白い足から血が流れ続けている。そうしてその手には――――――「なにか」が入った風呂桶が握られていた。
「お、おまえ、それ」
「………あー、後で掃除するから……」
「じゃなくて!大丈夫なの、それ……!」
「…………生首だけになっても生きてる奴だぞ、このくらい明日にはもとに戻っ………いてて………」
さすがに大ダメージを追っている蘇芳さんは、ぐったりとその場に倒れ込んだ。完全に大惨事である。
「くそ………腹を裂かれるより痛い……」
「腹を裂かれたら普通は死ぬんだぞ、おじちゃん」
「でもこの痛みはわりと嫌いじゃない……」
「余裕あんじゃねーかドアホ!被虐趣味!」
俺は蘇芳さんの頭を軽く叩いたのち、風呂桶を奪い取る。中身は――――――想像した以上に、グロテスクである。
「うえ………」
しかし。しかし、だ。俺は日々、心臓だの腸だの腎臓だのに触れているわけで。臓器のひとつと思えば別に、なんてことはないのだ。
「くそ……それを調理させろ……」
「そんな状態で調理させられるか!俺がやるから寝てろ!ついでに血が止まったらそこ掃除しとけよ!」
俺はすっくと立ちあがり、べしょべしょになった彼に言い放つ。
「――――――――――肉屋の息子、ナメてんじゃねえぞ。金玉でもなんでも調理してやるよ!」
「千草――――――――――」
べしょべしょの蘇芳さんは、荒い呼吸で―――――かつ、なんとも言えない顔をして言った。
「……………なんか間抜けっぽいぞ、その台詞……」
「うるせえ!!転がってろ!!」
まず、皮を剥く。
「おーい蘇芳さん、次はー?」
「………な、何にするのかにもよるが………なに食べたいんだ、きみ……」
「揚げ物」
「………じゃあ、小麦粉と……塩胡椒を付けろ……」
半死半生の蘇芳さんは床に転がしておき、睾丸を切り分ける。こうなってしまうともう「肉」だ。さっきまでは確実に己にもあるパーツとして怖がっていたのに、現金だなと自分でも思う。
「蘇芳さんこれってデカくした方がいい?それとも小さく切った方がいい?」
「……………小さく…………」
「了解」
何をどう考えても床に転がった芋虫はそれどころではない声を出しているのだが、放っておく。そういえばいつもは先に首を落としてしまうから、あまり痛がっている所を見たことがないな。ラッキー、と内心で思う。
言われた通り一口大に切り、塩胡椒と小麦粉で揉みこむ。一度手を洗い、油の準備をした。
菜箸でひとつひとつ、油の海にそーっと入れていく。ぱちぱちと良い音が台所に響いた。
「おー、いい感じ。なあ蘇芳さん、これってなに付けて食えばいい?」
「…………そー、ソース………とか………?」
「ん。ついでに醤油も用意しとくか。蘇芳さん調味料運ん………べないか。引き続き転がってろ」
「…………君、たまに俺に対して雑だよな……」
「雑だと嬉しいだろ」
「余計なお世話だ、クソガキ」
軽口が返せるあたり、だいぶ調子が戻って来たらしい。揚がったものから油を切り、鍋の火を消す。目の前には衣がたっぷり付けられた揚げたての肉が並んでいた。
「少ないなあ」
「当たり前だ、牛や羊と違って小さい」
「お前、もうちょっと金玉でかくなれよ」
「無茶を言うなこの若者は……」
昼食ではなくあくまで試食なので、おやつ感覚で皿に移し、転がる芋虫を飛び越えてちゃぶ台の前に腰掛ける。食べた事のない部位、食べ慣れた調理法。俺はわくわくしながら、「いただきます」と言ってひとつ口に放り込んだ。
「………どうだ?」
「うまい」
「ほんとか!?」
普通の胸肉やもも肉で作る唐揚げよりも、触感が面白い。ねっちりしている、というのが上手い表現だろうか。ひとつひとつが小さいくせに、口内にもたらす旨味みたいなものが濃い。
「珍味なわけだ。どっちかっつーと、おかずじゃなくてツマミ。希少部位だし、これも今度から切り分けよう。店先に置くのはちょっと難しいだろうから、うまく調理してくれる所が無いか聞いてみる」
「………………ふふ」
「…………どうした?」
「いや、やはり君に食べさせて正解だったよ」
床に転がる蘇芳さんは、なんだか嬉しそうに笑う。
冷静になってみるとどうにもおかしいこの状況だが、俺はなんだか心がむずがゆくなるのを感じた。………いくつになっても、褒められるのは嬉しいらしい。
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