フジミヤの肉
缶津メメ
1話 フジミヤ精肉店
幼いころ、家の近くに商店街があった。そこそこ賑わいのある場所で、妙な柄の服ばかり売っている洋服屋や個人経営のカフェや小汚い中華料理屋、八百屋や魚屋なんてものが並んでいて。当時もスーパーはあったが、家から近いという理由でもっぱらその商店街で買い物をしていた。その中で印象深いのは、「フジミヤ精肉店」というお店である。
フジミヤ精肉店は商店街のアーチをくぐり、てくてく歩いて右手側、三件目にあるお店である。その名の通りお肉がずらっと並んだガラスケースには、通るたび赤く輝く上質な生肉が並んでいた。近所の奥さんがグラムでお買い上げしている中、学校帰りで腹を空かした私と友人たちはフジミヤのメンチやコロッケといった調理済み製品目当てで立ち寄っていたのである。揚げ物系はなにせ人気があるので、小銭を握り締めて行っても時間帯によっては売り切れている時もあって。そんな時は渋々、横の焼き鳥を買って帰るのが常だった。
店長は、気さくなお兄さんだった。ガラスケース越しに目が合うと必ず手を振ってくれる人で、包んでくれている間も他愛のないおしゃべりをしてくれたりもした。
フジミヤのお肉はとろっとしていて、口の中で甘くほどけていく。ご飯のお供にするのも良いけれど、単体で食べると贅沢で素敵な味わいだ。お母さんが作るフジミヤの肉じゃがは格別だったし、お父さんはそれをおつまみにしてお酒を飲んだ。私たちにもひとくち頂戴、なんて弟といっしょにおねだりしたけれど、結局こどものうちは全然飲ませてもらえなかった。今となっては当たり前の話だけれど。
ともあれ、私を含め近所の人間は大体、フジミヤの肉で成長してきたと思う。
そのくらい地域から愛されているお肉屋さんで、本当に美味しいお肉を出すお店だったのだ。
―――――――そう、「だった」。というのも私たち一家はそのあと、父の都合で引っ越しをすることになったのである。幼少期をその街で過ごしてきたので、私はさんざぐずり、ごねて、大泣きした思い出がある。クラスメイトからのお手紙を胸にしっかり抱えて、後部座席で弟と一緒に過ぎ去る街並みをずっと、ずっと見ていた。
新しい街で、最初こそ私は不安でいっぱいだったし、やれ商店街が無いだのなんだの言って両親を困らせたものだが、数週間もすると友達もできて、それなりに楽しい新生活を送り始めた。
けれどひとつだけ。たったひとつだけ、不満点があるとすれば。――――――この町には、フジミヤの肉が置いていないのである。フジミヤ精肉店にはあんなにいっぱい置いてあったのに。ソーセージもジャーキーも、コロッケもメンチだって、生肉だってあんなに置いてあったのに。この街のスーパーときたら、牛と豚と鳥しか無いのだ。それらよりずっと、ずーっとフジミヤの肉の方が美味しかったというのに。それを言うと、友達から不思議そうにこう言われたのである。
「…………………フジミヤの肉って、なに?」
「え?そりゃ、フジミヤのお肉だよ。知らないの?」
「うん、知らない。フジミヤ精肉店の豚肉、とかじゃなくて?」
「違いよ。フジミヤの肉はフジミヤの肉だよ。あのね、とっても美味しいんだよ。ほろっとしてて、甘くて、特に――――――――」
「フジミヤって、なんの動物なの?」
「なんの、って」
なんだろう。
私は、何も返せなかった。
父からフジミヤ精肉店が閉店したという話を聞いたのは、その数年後である。
私は、何のお肉を食べていたんだろうか。
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