第6話 片割れの在り処
シャルが振り上げた腕に連動するように、床を漂っていた風たちが一気に吹き上がり、それと同時に青波の体もふわりと浮き上がる。まるで重力がなくなったかのようだ。
「ちょ……何!?」
「何!? じゃあないだろ。アカシックに行くにはあの文字盤に出た穴に入らないといけないんだ。君、床からあそこまでジャンプ出来る脚力があるってのか?」
言われてうっと言葉につまる。確かに普通の人間の青波からすれば、目の前の時計の文字盤までジャンプするのは到底不可能だ。一メートル程度ならまだしも、何十メートルという高さだ。挑戦しなくてもわかる。
青波の体はそのまま時計の文字盤のすぐ横まで浮き上がる。近くで見ると、時計の文字盤は至る所がキラキラと光っていてとても綺麗だ。宝石なのかガラス玉なのかは青波にはわからない。
見とれていると、シャルも青葉の目の前にふわりと飛び上がって来た。青波とは違ってシャルは自らの意思で空中浮遊出来るらしい。ますます人間離れしている感じが強まる。
「さて、
言いながらシャルは何かを右の掌に出現させ、それを青波に投げて寄こした。
両手で包み込むようにキャッチし手を広げて確認すると、黄金色の鍵が一本鈍く光を放っていた。外国の昔話に出てくるようなどこか古いデザインの鍵で、中央部分には丸いガラス玉のような物が埋め込まれている。鍵のトップには首からぶら下げられるように紐が付いていた。
「まず、アカシックに出入りする方法だが……入口はこの時計だ。ゆえに、あっちに行く時はこの部屋に来るしかないが、ここはれっきとした政府管轄の建物だ。君がバイトをしているのは知っているが、守衛係がいたりして自由に出入りは出来ないだろう?」
そこでその鍵だ、とシャルが指さして続ける。
「アカシックに行く時は、どこの鍵穴でもいいからその鍵を差し込んで回せ。するとこの部屋につながる」
「え、どこでも?」
「どこでもだ。そしてアカシックからこちらに戻ってくるときも同じだ。どこかの鍵穴にそれを差し込んで、その扉から帰ってくればいい……ああ、帰る時のみ到着地点を頭の中で想像すれば、この部屋以外に直接帰ることも可能だ。そこは臨機応変に使え」
「ご親切にどうも……」
素直にお礼を言っていいものか、内心疑問に思いつつも少し頭を下げてみる。掌に乗った鍵は体温を吸って微かに温かい。とりあえず首からかけておく。
「二つ目になるが、君が新庄光輝の魂を連れ帰るのに、さすがに一度や二度あちらに通ったくらいでは無理だろう。だがアカシックとオブヴァースを行き来するのには限界というのがある」
「限界……? 回数制限があるってこと?」
「回数制限じゃあない。言ってしまうが長引けば体に副作用のようなものが出る。まぁ簡単に言えば魂が消耗する……という感じだ」
言いながらシャルはどこか不満そうに顎に手を当てて「うーむ」と唸る。細く長い指の先にちょこんと乗った爪が、彼のアメジストの瞳と同じように輝いている。
「君の魂は、君が願いを叶えたら私のものになるのだから、できるだけ消耗しないでもらいたいのだが」
「消耗って……具体的にどうなるんだよ」
「そのまんまの意味さ。具合が悪くなる、最悪最後には死ぬ」
「ええ……」
「だから、そうならないように期限を設けさせてもらうよ」
言いながらシャルが左手を一度振れば、そこに手帳のようなものが現れる。年季が入ったような出で立ちのそれをパラパラと捲りながら、いつの間にか取り出した羽ペンを右手に持って何かを書き込み始めた。
「人間の暦で言えば、今は七月……いよいよ夏、というところか。だったら、ここだな」
そう言って青波の前に手帳を広げて提示する。
そこには八月のカレンダーのようなものが浮き出ていて、おまけに三十一日の部分に丸が付けられている。
「知っているかい? 今でこそ学生諸君の夏休みは八月一日から八月二十日までだが、核戦争前は七月下旬から八月三十一日まであったんだよ。子供たちはこの日、夏休みに出された課題が終わっていなくて泣きべそをかいていたらしい。言ってしまえばこの日はある意味夏の終わりだ」
「夏の終わり……」
「期限は、この八月三十一日とさせてもらう。この日までに新庄光輝の片割れを連れて帰ることが出来れば、めでたく君の願ったように彼は成功者から外れて長生きできるだろう」
改めてシャルの持っている手帳を見る。今日は七月の中旬といったところだ。とすれば、制限時間は一か月と少しということになる。裏の世界がどういう場所か見当もつかない今、果たしてこの期間が十分なのか不十分なのかも判断できなかった。わかっていることはただ一つ、期間内に光輝の魂をひとつに戻せなければ、彼は成功者として早死にの道を行くことになる……ということだけだ。
「夏が終わるまでに、どうにかしろってことか」
「そういうことだ。君が思っているよりも難易度は高いと思うが……まぁ検討を祈るとしか、私には言えないな」
なんせ人の魂を説得するんだからなと言いながら、手帳と羽ペンを消してシャルが腕を組む。
青波は少しだけ顔をあげて、今から自分が飛び込むことになるであろう文字盤の穴を見た。ブラックホールの様に暗闇という訳ではなく、まるでプールの水面から水底を見下ろした時の様にぐにゃりと歪んだ景色のようなものが穴の向こう側に見える。
あの先に、光輝の片割れと……もう一つの世界がある。
「…………」
青波の体を浮かせる風は、優しく髪の毛を揺らしていく。
広い空間に、微かな風の音が響く。一瞬、ここが部屋の中であることを忘れてしまいそうなくらい、気持ちの良いそよ風だった。
「……やめるなら、今だぞ?」
腕を組んだまま、静かな声でシャルが言う。
突然黙り込んだものだから、尻込みしたとでも思ったのだろうか……なんて頭の片隅で考えながら、青波も首を横に振って静かに返す。
「……冗談」
「なんだ、行くのか」
「当たり前だろ」
「……ふん、生意気な」
口角を上げつつも、どこか冷ややかな目でシャルが言う。ワールドルーラーを名乗る彼からすれば、自分が定めたものを覆そうとする人間の存在は面白くないのだろうとは思う。だが、青波にも譲れない心情というものがある。心が生きている以上、ここで引くわけにはいかなかった。
「手向けとして教えておくが、失敗した場合チャンスは二度はない。おまけに君の記憶からこの部屋の事も私の事も、そしてアカシックの事も全てが消える。ああ……だが君の消耗した魂はそのままだろうから、暫くは具合が悪い日が続くと思ってもらっていい」
「……うん」
「しかし、体調不良の点を黙認すれば、君の人生はほぼ無傷で元の生活を得られるというわけだ。期限内にもし心変わりするようなことがあれば……その時は何もせずに時間切れになるのを待つんだな」
まるで悪だくみをするかのように、含み笑う。彼にとってはボードゲームの進行を第三者の視点で見ているに過ぎないのだろう。どっちに転ぼうが、自分自身が退屈しなければどうでもいいのかもしれないと思った。
「長話をしていても仕方ないからな、そろそろ始めようか」
言いながらシャルが組んでいた腕を、今度は胸の前で神に祈るように合わせる。
すると、部屋に吹いていたそよ風が一気に渦を巻くように塊となり、青波の体を穴の方へと吹き上げた。
「わっ!」
ひっくり返って逆さまになりながら、青波は背中から穴の中に放り込まれる。
穴を通過する寸前、こちらを見上げていたシャルと目が合った。その唇が動いて何かを呟いたように見えたが、青波には聞き取ることが出来なかった。
青波が穴を通過したのと同時に、文字盤に出ていた穴が水に溶けるように塞がって見えなくなる。吹きすさんでいた風もそよ風になり、やがて消えた。
「……さぁて、久しぶりに面白くなりそうだ」
その場に残されたシャルは、ゆっくりと床に降り立つ。それから大きな時計台の下の本棚に歩み寄れば、数冊あるうちの本の中から適当に一冊抜き出し、退屈そうにパラパラと捲る。
「人間は皆、この世の仕組みのうちの一つに過ぎない。それをわかっていない。わかっていないゆえに……私が定めた事を理不尽だと抜かすのだろう」
いや、わかりたくないのか。
そう呟きながら本を閉じ、元居たソファに戻って腰を掛ける。
足を組んで背もたれに寄りかかり、まるで天井を仰ぐようにして時計の文字盤を見上げた。
佐伯青波はこれから、向こう側で数々の理不尽を見ることになる。
だがそれは、他でもない彼が望んだことだ。
その様を想像すれば、自然と口元が緩んだ。
「……私が与えてやった運命を受け入れて、大人しくしていればいいものを」
その呟きは、誰にも聞こえない。
* * *
「痛っ!!」
視界がパッと明るくなった瞬間、背中が何かに強くぶつかった。
穴を通った瞬間、視界がぐにゃぐにゃになり暗転。そして次の瞬間にはこれだ。
「あたた……腰と尻ぶつけた……」
尻餅をついたような体勢のまま痛む患部をさすりつつ、ぐるっと辺りを見る。
弱々しい白い電気が四面を囲う白い壁に反射し、加えて洗面台、トイレットペーパーに水洗トイレがある。それを見た瞬間、この空間がトイレであるとすぐに理解し、慌てて立ち上がってお尻を叩く。今まで生きてきてトイレの床に座ったことなどないが、少なくても綺麗な場所ではないことは認知している。
「なんでトイレ!? あの穴って毎回トイレに繋がるのか……?」
恐らくランダムであって毎度場所は違うのだろうと思うが、それにしても最低限送られる場所の衛生環境は確保してほしいと心の中で悪態をつく。
「というかこの狭さ……ひょっとしてコンビニのトイレ?」
スライド式のドアを開けつつ、そろりとその向こうに顔を出してみる。
すぐ横にもう一つ女性専用のマークがついたドアが見えた。反対の方を見ればすぐそこにペットボトル飲料が納められたケース棚が見え、その近くにコンビニスイーツが陳列してあるのがわかった。やはり青波の予想通りどこかのコンビニのトイレに繋がったようだ。
念のため不審者扱いされないようにと細心の注意を払いながら店内に足を踏み入れる。店の中には運のいいことに客は数名しかおらず、誰も青波のことなんか気にも留めていないようだった。
コンビニにいても何も始まらないので、とりあえず店の外に出る。自動ドアの外は蒸し暑く
「ここ……高校から十五分くらいの場所だよな」
記憶が正しければ、この先の角を曲がって少し行ったところに小さなスポーツ施設があるはずだ。そう思って青波は走り出す。
高校から出て家とは反対方向に行った先にある総合施設内のジムに、何度か光輝の付き添いで訪れたことがある。この風景は、その時見た風景に近いと思った。
息を切らして暑い中を走り抜けると、やがて思った通りの建物が顔を出した。
「やっぱり……」
近寄ってみると、建物の入り口の電子掲示板には『本日・七月十五日の予定一覧』と浮き出ていて、その下に『この後十六時より、キッズダンスクラブ花園の練習。ルーム三にて』と出ていた。そういえば時間の流れなんかはあっちとこっちでは違うのだろうかと疑問に思っていたが、この掲示板に記されている日付はオブヴァースとほぼ同じだ。ほぼというのは、青波がアカシックホールでシャルと会話していたあの時は、確か七月十五日の午前四時前のはずだからだ。となれば、こちらが半日ほど先へ進んでいる……という具合なのか。
「となると……肝心の光輝は今まだ、高校か?」
確信めいた何かを感じて、再び来た道を走り出す。土地勘はなんとなく働くようになった。まずは目的である光輝に接触しなければ話は始まらない。
高校に向かって走る最中に、道行く人々とすれ違う。パッと見たところではオブヴァースで生活している青波達と何も変わらないように見えるが……なぜか皆一様にどこか生気が薄い気がした。
――そういえば、ここは向こうでの成功する予定の人しか存在しない世界……なんだったよな。
だからその予定にない青波は存在しないし、澄花もいないのだとシャルは言っていた。
ということは、成功予定者以外でこの世界で生活している人々は、どういう存在なのか。
「考えても、わかんないよな。俺じゃ」
次にシャルに会った時に質問してみようと自分を納得させていると、やがて母校が見えてきた。こちらの世界じゃ青波自身はこの高校に通うどころか存在すらしていないのだから、母校と呼んでいいのか迷うところだな、と思いながら校門に近づく。
走ったせいで乱れた呼吸を整えながら校門から中を覗いてみる。放課後ということもあって、グラウンドでは運動部が、校内では文化部が活動に勤しんでいるようで、それらに属さない生徒は青波を横目に校門から帰宅していく。
――光輝は、こっちでもバスケ部……なのかな。
光輝の魂の片割れなのだから、多分同じような行動を取っているはずだ。
いや、そう思いたかった。青波の知っている光輝はただでさえなんでもそつなくこなす。仮にこちらでバスケ以外の部活を選ばれていたら、探すのに相当苦労しそうだと思ったからだ。
「体育館、行ってみるか」
自分が私服姿なのが気になったが、部活をする時に着替える生徒もいたりするから大丈夫だろうと言い聞かせ、そろりと門をまたいで体育館に向かう。
見渡せば見渡すほど、青波がいる世界と何もかもが同じ造りで、今自分がここの生徒では無いという事が信じられないくらいだ。
右に行けば校舎になる所を左へ行き、体育館の扉の近くに寄る。夏ということが幸いして扉は全開だから、自らガラガラと開けて注目を浴びてしまうということは回避出来た。しかし逆に動きすぎると目立ってしまうので慎重に中を覗く。
半ばしゃがんだような姿勢で扉に寄りかかり、目を懲らす。キュッキュッというバシュの音が響く中で、十名以上の生徒がバスケの練習をしていた。
そして、その集団から少しだけ離れたゴール下に、この世界に来て初めて見慣れた顔を見つける。
――あ、
思わず声が出そうになったのを咄嗟に抑える。
真面目そうな黒髪に、子供の割にどこか精悍な顔つき。
それは、間違いなく青波が今一番会いたい人物に間違いなかった。
――光輝……!
片割れの
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