第4話 ワールドルーラー

 澄花に扉のことを打ち明けた翌日の夜、再びアカシックホールへ出勤する時間がやってきた。

 同じように支度をしてアカシックホールへ向かう。守衛室に荷物を置き、速やかに館内へと入って作業を開始した。

 業務内容の記されているボードを見れば、今日は二階フロアの清掃だけとなっている。恐らく今日シフトに入っている人間が少ないこともあってなのだろう。二階フロアは階の半分が保管室になっていて、実際展示室として使っているエリアが少ない。ゆえに掃除の予定が入るのは出勤してくる人員が少ない日が多かった。

 展示品を一つずつ注意深く移動させ、その裏の埃まで丁寧に取り除いていく。床の掃除が終わったら次は展示ガラス、それが終わったら今度は天井といった具合に徐々に清掃していき、午前三時の終業時刻が来る頃には二階フロアの清掃作業は大方完了されていた。


「今日の清掃はこれで終わりですので、気を付けて帰ってください」


 監督役をしていた学芸員の合図で、バイトは皆守衛室へ戻る。

 二階フロアから守衛室へ戻る途中、例の扉を目撃した一階の大広間を通過したが、やはり壁にそんな扉はなかった。


 荷物を持って駅まで行って無人モーターカーを待つ。青波と同じ方角から来ているバイトの人間は今日はいないらしく、向かいのホームに一人立っているだけで、同じホームには誰もいない。

 なんだか立っているのが怠くなってきて、ホームのベンチにドカッと腰を下ろす。


 「……あれ?」


 違和感を覚えた。

 普段椅子に座れば、ちょうどお尻のポケットに入れているはずの家の鍵が嫌でも感触を残す。

 それが今、なかった気がした。


 慌てて立ち上がってお尻のポケットに手を突っ込むが、案の定そこにあるはずの家の鍵は忽然と姿を消していた。


「うわぁ……冗談だろ?」


 落ち着いてどこまで鍵があったか記憶を辿る。アカシックホールへ行って守衛室へ荷物を置いた時横の椅子に座ったが、あの時はまだお尻のポケットに鍵の感触はあった。となるとバイトの作業中に落としたのだろうか? 悪いことにアカシックホールでのバイトは制服らしい制服というものがなく、原則個人が動きやすい服装で来てそのまま作業するというスタイルだ。ゆえに青波自身も鍵をポケットに入れたまま作業に入った。やはり作業中に落とした可能性が高い。


 ――戻るしか、ない。


ちらりと腕のデバイスを見れば、時刻は三時半を指している。今ならまだホールに入れるかもしれない。なんとしても家の鍵を見つけなければ下手すると野宿になってしまう。


 青波は弾かれたように駅のホームを飛び出してアカシックホールへと走る。

 全力で走り、ものの数分で裏口にたどり着くと、運がいいことに守衛の男はまだ窓口にいた。


「おや? どうしたんだい息を切らして」

「すみません……家の鍵、たぶん作業中に落としたみたいで……探してきていいですか?」


 鍵がないと家に入れないんですと切羽詰まった顔で頭を下げれば、守衛の男は困ったように笑って「いいよ」と頷く。


「その代わりなるべく早めに戻ってきてくれよ。四時には交代になるんだ。次の担当に説明するのめんどうだからさ」

「ありがとうございます!」


 深々と頭を下げてお礼を言ってから既に一度施錠されていた裏口の鍵を開けてもらい、暗い館内へと歩みだした。電力系統の管理キーを持っている学芸員がいないので明かりがつかない。ゆえに腕につけたデバイスのライト機能を稼働させ、普段守衛が見回りの時にやっているように辺りを照らしながら進んでいく。


 今日作業したのは二階のフロアだ。足元を照らしながら足早に二階フロアへ移動する。目先が明るく、そこ以外には暗闇が広がっていて不気味だ。なるべく嫌なことを考えないようにして一階の絵画を通り過ぎ、二階へ入る。恐らく清掃をしていた場所のどこかに落ちているはずだ。早く見つけ出さなければという焦りからなのか、自分の心臓が妙に強く脈打っている。

 床を探すが見当たらない、となるとガラスか天井を清掃したときにどこか隅の方に落としたのだろうか。そう見当をつけて最初に掃除をした展示ガラスの周辺を注視して歩く。

 と、何かがライトに反射してきらりと光ったのが見えた。

 急いで駆け寄れば、それはまさに探していた家の鍵だった。


「あった~……よかった」


 思わず独り言ちる。肺の奥から大きなため息が漏れた。

 前屈みになって鍵を拾い上げ、今度は落とさないように鞄の中へしっかりと仕舞い込む。鍵さえ見つけてしまえば、もうここには用はない。


 踵を返してホールの出口を目指す。

 二階フロアから階段を降りて、一階の大広間に差し掛かる。この大広間は先日の扉の一件があった場所であるから、なるべく早く通り過ぎるのが賢明だと思い、大きな絵画達が無言でこちらを見ている中を視線を下に向けたまま通り過ぎようとした。


 

 その時……再び、視界にあの時と同じ光が差した。



「…………っ」


 思わず足を止めてしまう。いや、止まってしまった。

 足元を見つめたままの顔をあげて、視線を恐る恐る光の刺す方へ向ける。


 眼のくらむような眩い光が漏れ出しているのは、あるはずのない扉。

 中央で二枚に分かれていて、押せば開くタイプの扉だ。 

 そしてそれは、あの時見たものと寸分違わない佇まいで、大広間の壁に現れていた。

 

 夢じゃ、なかった。

 そう理解した途端、背中を冷や汗が伝ったのがわかる。今青波は寝ぼけてなどいないし、ちゃんと両足で立って前を見据えている。さっき拾ったばかりの鍵を入れた鞄だってちゃんと肩に掛かっている。

 夢ではない。ならば、今目の前にある扉は現実だ。


「…………っ」


 ゴクリと喉が鳴った。

 こんな深夜の誰もいない博物館に、一体あの扉は何のために現れているのだろう。そもそも、あの先に何があるのか。


 恐怖心はあった。だけどその先を確認しなければあの扉はずっと得体がしれないままだ。この先も遭遇するたびに恐怖で逃げ帰るというのか。


「…………」


 ならば、いっそ開けてみればいい。

 開けて中を見て、何かそこにまずいものがあればすぐに逃げればいいのだ。

 大丈夫……入り口を少し開けて、見るだけ……。


 青波は意を決して扉の方へと進む。近寄るたびに隙間から漏れる光は強くなり目が眩みそうになる。手を伸ばして触れた扉はコンクリートで出来ている大広間の壁とは違い、どこか温かみがあり木で出来ているようだ。


 右手を扉の中央に当てて、ぐっと力を込める。最初こそかなり力が必要だったが、やがてギギッと音を立てて扉が動き出せば、あっという間にその向こうの景色が垣間見えた。


 そこには、


「わぁ……」


 何とも広く大きく、不思議な部屋が広がっていた。

 まるで天体望遠鏡が置いてある観測所のような丸いホール状の天井。そして中央部分には見たこともないくらい大きな時計台が佇んでいる。時計の文字盤はアナログで、長針と短針がある。時計台であることは間違いなさそうだが、丸い文字盤があまりにも大きいため、パッと見は大きな時計がそこにある……という感覚だった。部屋の中をぐるっと見渡せば、ステンドグラスで着飾ったランプが至る所に吊るされ、それに反射しているのは壁に埋め込まれたり床に散りばめられたりしている、宝石のように輝く石達だった。よく見れば時計自体にも綺麗な石が沢山散りばめられている。そしてその時計のすぐ下には木製の本棚のようなものが置かれているのが見て取れた。


 さながら、魔法使いたちが活躍する映画の世界の様に幻想的に輝くその部屋と時計に、青波は無意識に導かれるように一歩踏み出す。

 扉をまたいだ瞬間、何か追い風のようなものがサッと吹き込んできたような気がした。

 導かれるようにして時計台の下まで歩く。

 あれだけ怯えていたのに、不思議なことに怖いという気持ちはなくなっていた。


 下から見上げると首が痛くなってしまいそうなくらいに時計は大きい。圧倒的な存在感に少しばかり圧倒されながらも、その下にある木製の本棚の前に青波は立った。

 本棚には、背表紙に何も書かれていない本が数冊だけ並べられている。ハードカバーで表紙は深紅。現代において紙の本の製造はかなり少なくなっているから、ひょっとすると何か歴史的価値の高い本なのだろうか。

 そんなことを考えながら青波はその中の一冊に手を伸ばす。本棚から抜き取って手に持てば、見た目よりもずしっと重たく感じる。


 ――なんの……本なんだろう。


 自分自身に問いかけても答えが返ってくるはずがない。答えを知るには、今手に持っている本を開いてみるしかない。


「…………」


 ゆっくりと表紙に手をかけて、本を開く。最初のページは白紙で何も書かれていない。さらにその次のページを捲れば、ようやく活字が現れた。そこには、人の名前が順番に記されていて、同時に生年月日や住所のようなものまで記されている。


「これ……個人情報?」


 そういえばかなり昔の時代には、住所がまとめられた本があったり、電話番号が五十音順に記された分厚い本が存在していたという話を聞いたことがある。しかし、仮にこの本がそうだとしてもなぜこんな得体の知れない部屋にあるのか。


 そんなことを考えながらページをぱらぱらと捲っていると、青波の目にある人物の名前が飛び込んできた。


「………え?」


 見間違いかと思い、もう一度よく目を凝らして見る。

 だがそこにはハッキリとした書体で、青波のよく知る彼の名前が記されてあった。


「新庄……光輝……?」


 一瞬、同姓同名かもしれないと思ったものの、記されている住所は現在光輝の家がある場所のものだ。となればこれは、他人ではない。

 問題はなぜ光輝の名前がこの本に載っているかだ。博物館に貯蔵されている本なんかに名前が記される理由なんか彼にはないだろうし、ましてや得体の知れないこの部屋にある本だ……何か嫌な予感が頭を霞めた。



「おやぁ……? この部屋に入る勇気がよくあったものだ」

「!?」



 突如降り注がれた声に、ハッと我に返る。声は部屋の向かって右奥から聞こえてきた。声の主を探してそっちに目を向けると、いつからそこにいたのか、一人掛け用のソファに腰かけた男が口元に笑みを浮かべてこちらを見ていた。日本人とは少し違う西洋寄りの顔立ちに、癖のある銀色のミディアムヘアをサイドで一つに緩く束ねている。服装も遠い昔の西洋の軍服のように見える。年齢は……外見だと三十代前半くらいだろうか。

 部屋に入った時に、そのソファは青波の目に入らなかった。いや、そもそもそんなソファはこの部屋になかった。突如沸きあがったかのように現れたとしか考えられない。


「あんた……誰?」

「誰? とは心外だなぁ。ここでは君の方が侵入者もいいところなのだから、正しくは私が君に『誰?』と問うべきではないか?」


 真っ当なことを言われて、青波は思わず黙り込んでしまう。確かにそうだ。ここに入ってきたのは青波の方だ。目の前の男がこの部屋の所有者ならば、侵入者は青波の方だ。


「あ、えっと……勝手に入ってすみません」

「詫びる必要はないさ。この部屋は入る資格がある人間の前にしか現れないからな」


 ソファの肘あてに右肘を当てて頬杖をつき、足を組みなおして男は言う。その視線は、青波の手に持たれたままの本へと移される。


「時に、佐伯青波」

「……なんで俺の名前を……?」

「君はその本の中身を、見たな?」

「…………」

「そして、内心混乱しているはずだ……どうして友人の名前が記されているのか、と」


 頭の中を覗いたようにピタリと男は言い当てた。何かトリックがあるのだろうかという考えが一瞬頭をよぎったが、そもそも青波の名前を知っている時点で何かがおかしいのだ。アカシックホールでバイトをしているとはいえ、雇用関係者の中に目の前の男がいた記憶はない。とすれば、このアカシックホールの最高責任者だとか、そういうもっと上の人間なのだろうか。


「おっと、違う違う。私はここの関係者でもなんでもない」


 今しがた青波が思い浮かべた説をまたしても読み取ったようにして男が手をヒラヒラと振って否定する。いよいよ気味が悪くなってきた。無意識に一歩後ろへと後ずさる。


「じゃあ……なんなんですか、一体……どうして俺の名前……それに、この本は……」

「聞きたいことは整理してから口に出すべきだよ、君。答える側がどこから答えればいいかわからないだろう?」


 おもむろに男が立ち上がる。

それからゆっくりとした足取りで青波の前まで歩み寄ってきた。近くで見れば身長も高い。恐らく光輝と同じくらいかそれ以上だ。香水でもつけているのだろうか、嗅いだことの無い甘い香りが微かに鼻腔をくすぐった。


「まず、私がどうして君の名前を知っているか、という質問に関してだが……それは私がワールドルーラー世界の支配者だからだ」

「ワールド……ルーラー……?」

「いかにも。私の名前はシャル。この世界……いや、厳密に言えばこの地球の表と裏の両世界を統べる者だ」


 シャルはそういうと、右手を胸の前に添えて少しばかり会釈をし、ニヤリと口角をあげて笑う。


「それから、君が今手にしているその本……それはだね、簡単に言ってしまえばこの先この新日本和国で成功する人間の名前が記されているのさ」


 本を指さしながらシャルが言う。

 青波も自身が抱えている本に目を落とす。この先に成功する人間の名前が書かれている……それはすなわち、先の未来を予言した書であると……そういうことなのか。

 理解が追い付かず黙り込んでいる青波に向けて、シャルは更に続ける。

 今度は、青波がピンと来るように、わざと言葉を選んで。


「成功病、と人間は呼んでいたかな?」

「……は?」


 予想通り反応を示した青波に向かって、シャルが満足げな顔をする。


「成功した人間が早死にすることを、この国の人々はと呼んでいるだろう? 簡単なことだ。その本には、この先成功病で死ぬ人間の名前が書かれているのさ」

「…………!?」


 それは、青波にとっては、頭を殴られたように衝撃的な事実だった。

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