第15話 君がトドメを刺してくれたら。

「青ちゃん、もう大丈夫なの?」


 隣を歩く澄花が、心配そうな声で問いかける。


「うん、本当にもう大丈夫。迷惑かけちゃったなぁ」


 頭を掻きながら、わざとおどけるようにして言えば、澄花が「迷惑じゃないってば~」と頬を膨らませて不満を露わにした。可愛い顔してるな、と思ったけれど口には絶対出さない。


 夏休みに突入してすぐに体調を崩した青波は、なんやかんや澄花と光輝に看病してもらい、ようやく回復するに至った。二人には夏バテだとか栄誉失調だとか散々あーだこーだと言われてしまったが、今となってはただの夏バテではなかったと思う。


 ――多分、あっちとこっちを行き来してる副作用なんだろう。


 最初にシャルに会った日、言われたことを思い出したのだ。

 あちら側とこちら側を行き来すれば、魂が消耗すると……。


 ――その影響なんだろう、多分。


 内心で独り言ちて、ふぅと息を吐き出した。

 確かに具合が悪くなるし、最悪は死ぬとも言っていた。

 うまくやらなければいけないと言う意識が、改めて青波の心に深く刻み込まれる。

 失敗することは許されない。なぜならば光輝を救えるのは自分しかいないのだ。


 横を歩く澄花をちらりと見れば、澄花もまた視線に気がついて青波を見た。

 ん、どうしたの? なんて言いながら、小さく首を傾げて来る。

 白いワンピースの裾に合わせるようにして、彼女の綺麗な髪が揺れた。



 今日は二人して、買い物に出ていた。

 と言うのも、今度光輝が出場する大会に向けて、お守りを作りたいと言い出したのだ。

 その材料を選ぶのに、必然的に近い距離にいる自分が選ばれた。そういう事だった。


「にしても暑いねぇ~」


 ハンカチでパタパタと顔を扇ぎながら澄花が言う。


「まぁ、夏も真っただ中だからねぇ」


 同じように手で顔を扇げば、澄花がふいに「あ、そういえば」と何かを思い出したかのように独り言ちた。それから徐に肩から掛けていたトートバッグに手を突っ込むと、数秒してそこから引っ張り出されたのは、可愛らしいピンクの折り畳み式の日傘だった。


「最近これ買ったんだった! 忘れてたよ!」


 言って、白く細い指で日傘を解し、パッと頭上で花開かせる。

 澄花の足元に日陰が展開し、そこだけが浮き出たように暗くなった。


「日傘か、いいね」

「ふふ、そろそろ私も日焼け対策しないといけない年齢かなって」

「まだ若いのに」

「紫外線は蓄積するんだよ~? 私がシミだらけのおばちゃんになっちゃったら嫌でしょ?」

「…………」

「青ちゃん?」


 つい、その黙り込んでしまった事に気がつき、ハッとする。

 澄花を見れば、「どうかした?」と不思議そうな目をしていた。


「……シミだらけになったすみちゃんを想像してた」

「え、ひどーい! 青ちゃんの馬鹿!」


 ぷくっと頬を膨らませる澄花に「はは、冗談だよ」と笑って見せる。

 一瞬、大人になった澄花の姿を自分はきっと拝むことはないんだろうと……余計なことを考えた。それが澄花に伝わらないようになるべく明るく努めようと息を吸い込む。


「それより、光輝にどんなお守り作るか、もう決めてあるの?」

「うん。あんまり可愛らしいと光輝は家に置いて行っちゃいそうだから、なるべく地味に、鞄につけてても違和感ないようなやつにしようかなって」

「なるほど、違いないや」

「でしょ。だから必要になるのはフェルト生地の紺色と、刺繡糸のオレンジと――……」


 指を折りながら一つずつ材料を言う横顔が、うっすら赤くなっているのはこの暑さのせいだろうか。そんなことを考えつつ澄花を見ていると、ふいにこちらを向いた澄花が「あ、」と声を出した。

 ドキリと、心臓が跳ねる。


「ごめんごめん、青ちゃんも日傘に入ってよ!」

「え、」

「熱中症になっちゃう! また具合悪くなっちゃったら大変だよ!」


 そう言って寄せられた日傘に、どうしようかと躊躇ってしまう。


 ――だってこれ……二人で入るって、相合傘になる。


 おまけに雨傘と違って日傘は直径が小さい。二人で入ろうもんならば、必然的にかなり肩を寄せて歩かなければならなくなる。

 そんな様子を、仮に学校の誰かにでも見られたらどうだろうか。絶対に「あの二人は出来ている」とかなんとか、ありもしない噂を流されてしまうに違いない。


 ――そんなことして、光輝の耳に入ったら……。


 彼のことだ、まず「一緒に買い物くらい普通だろ?」とか何とか言う程度で気にすることはまずない。まずないのだが、もし誰かが「佐伯青波と諸星澄花って付き合ってるの?」というような質問を光輝に投げかけたりしたらどうするのだろう。


 光輝はどう答えるのだろうか。


「…………」


 光輝の事だ、多分全否定はしないだろう。可能性をゼロにするような発言を彼はしない。

 しなけれど、心のうちではその問題をどう処理するか、迷いが生じるはずだ。

 澄花という存在は一人しかいない。

 青波か光輝か、どちら片方としか――。


 ――いやいや、おかしいおかしい。


 思わず首をブンブンと横に振る。

 澄花が光輝を差し置いて青波を選ぶなんて、そんなことはまずありえない。

 ありえないとわかっているのに、少しでもその可能性を想像した自分に嫌気がさした。

 第一、二人が将来大人になってもずっと一緒に居られるようにするために、青波はあちら側の光輝をこちら側の光輝に戻そうとしているのだ。


 目的を見失ってはいけない。

 そう自分に言い聞かせつつ、深く息を吐いた。


「青ちゃん、突然首振り回してどうしちゃったの?」


 青波の奇行に、驚いた澄花がきょとんとした目で言う。

 まさか光輝と自分の存在を天秤にかけただなんて口が裂けても言えるはずがない。

 

「いや、ちょっとコバエが飛んできたから……」


 なんて適当に誤魔化しながら日傘を押し返すと、澄花がちょっとムッとした顔をする。怒った顔も可愛いなんて思いながら「日傘はいいよ、すみちゃん使いな」と言えば、「なんで~」とまた頬を膨らませた。


「日傘は直径小さいんだから、二人じゃ狭いよ」

「そんなことないよー。青ちゃんは光輝よりはスリムじゃん」

「スリムって……光輝は筋肉質だから大きく感じるんだよ。ちなみに言うけど、俺は平均体型だからね? 決してスリムではない」

「え、そうかな? 青ちゃん男子生徒の中じゃ細めかなって思ってたんだけどなぁ」

「……一応空手やってた時の筋肉は残ってるはずなんだけど」


 悔しそうに言ってやれば、澄花が「ごめんごめん」とおかしそうに笑うもんだから、つられて青波も笑ってしまった。

 他愛のないやり取りが心地よくて、日傘になんか入らなくても夏の日差しの厳しさを忘れてしまう。ずっとこのまま、こんな時間が続けばいいのにと……そんな事すら考えてしまった。


 そうやって歩いているうちに、目当ての雑貨屋が見えてくる。隣を歩く澄花が「ようやく着いたね」と嬉しそうに、少し前を行く。

 歩調に合わせて揺れるスカートの裾を、暑い風がそっと吹かせる。

 見失わないように、青波も澄花のその小さな背中を追いかけた。


*  *  *


「ふ~、ようやく一息だね」


 お疲れ様と言った澄花が、青波の向かいのソファに座った。


 雑貨屋で材料を購入した後、二人は駅前の小さな喫茶店へ足を運んだ。

 ここは澄花が前から目を付けていた店だったらしく、彼女曰く美味しいケーキを出してくれることで有名らしい。

 店内は満員だが、不思議と窮屈な印象を受けない。アンティーク調の照明や家具は全体的に暖かみのある色を演出しているが、暑苦しく感じないのは窓を覆うように掛けられているレースのカーテンのおかげだろうか。

 そんなことを考えつつ、メニューを開いてみる。

 ケーキやドリンクの他に軽食もあるようで、おすすめ項目にはビーフシチューと書かれていた。きっとこういうお店で食べると美味しいんだろうなと思いつつ、お腹はそこまですいていないので、大人しくケーキのページまで戻った。


「青ちゃん、決めた?」


 メニューで顔の半分を隠す様にして澄花が問いかけて来る。


「うん、まぁ決まったかな」

「何選んだか当ててあげよっか?」

「どうぞ」


 ケーキのページを開いたまま澄花の方へ向けると、彼女はテーブルに身を乗り出す様にしてそのページの一番上にある文字を指でつついた。


「これ! 苺のショートケーキ!」

「お、当たってるや。すごいね」

「ふふ、青ちゃんのことはなんでもお見通しだよ」


 誇らしそうに笑う澄花に、「じゃあ」と今度は青波がテーブルに身を乗り出す様にして続ける。


「すみちゃんが選んだものも、当ててあげようか」

「えー、青ちゃんにわかるかなぁ?」

「勿論。これでしょ、ベイクドチーズケーキ」


 指させば、「え、どうしてわかったの!」と澄花が目を丸くする。


「簡単な事だよ。すみちゃんはだいたいフルーツタルトかチーズケーキ系をよく頼むじゃない。このお店にはフルーツタルトはないみたいだし、となれば消去法でベイクドチーズケーキかなって思っただけ」

「すごい、青ちゃんよく覚えてるんだね~」

「はは、それを言うならすみちゃんもだよ」


 お互いに選んだケーキを見事に言い当て、丁度いいタイミングでそばを通った店員にそれらのケーキと、セットでついてくるドリンクを注文した。澄花はアイスティーを、青波はアイスロイヤルミルクティーをお願いする。


 ケーキとドリンクはものの数分程度で手際よくテーブルに運び込まれて来た。

 ベイクドチーズケーキが澄花の前に、苺のショートケーキが青波の前にちゃんと置かれる。イメージ的にそれぞれ逆を置いてくるかなとも思ったが、この店の人はお客さんをよく観察している。


「そういえば青ちゃん、ロイヤルミルクティーも好きだよね」


 手をわせて「いただきます」と言った澄花が、アイスティーにシロップを注ぎながら言う。


「言われてみたらそうかも。施設に居た頃、三時のおやつでよく飲ませて貰ったからかなぁ」


 言いながらストローで一口飲み込んでみると、この店のアイスロイヤルミルクティーは甘みがないことに気が付いた。甘い方が好みなので、とりあえず澄花と同じようにシロップに手を伸ばしてからたっぷりとグラスに注ぎこむ。


「男の子で甘いもの好きなのって、なんかいいよね」

「そうかな」

「うん。男子高校生なんか、みんな強がっちゃってさ。『俺はブラックコーヒーしか飲まないんだ~』っていうような子もいるじゃない。背伸びしてるっていうか見栄はってるっていうか、青ちゃんはそういうのしないから、好感高いと思うよ」

「誰目線なんだよ~それ」

「ふふ、私が女子を代表して意見してあげてるんだよ」


 一口分だけフォークで刺したチーズケーキをゆっくりと咀嚼しながら言う。「美味しいね」なんて笑うから、まだケーキを食べていない青波もつい「そうだね」とつられてしまう。


 ふと、ショートケーキの上の苺に目を落とした。

 つやつやしたそれが、まるでルビーのように輝く。澄花に似合いそうだなと思ったそれを、まだ使っていないフォークですくいあげてから、そっと澄花のチーズケーキの上に乗せた。


「すみちゃんにあげる」


 言えば、驚いた顔で澄花が青波を見た。


「え、いいの?」

「うん。すみちゃんフルーツ好きでしょ。だからあげる」


 自分でも驚くほど柔らかい声が出た。


 澄花の目の前でキラキラ輝く苺が、まるで本物の宝石のように彼女の瞳に映り込む。

 ああ、綺麗だななんて、思わず目元が緩んだ。


「ケーキの上の苺ってさ、宝石みたいだから。俺よりすみちゃんに似合うよ」

「青ちゃんってばロマンチックだね」


 ありがとう、とつぶやいた澄花が続ける。


「青ちゃん、ショートケーキ注文した時さ、いつも私に苺くれるよね。だから私、青ちゃんがショートケーキ頼む印象が強くてさっきのメニュー当てもすぐにわかったんだ」

「そっか、なるほど。でも実は苺がなくても、ショートケーキ自体が好きなんだよ。生クリームがさ、白くてふわふわで美味しいし。その上に乗っかってる苺は、俺からすると……なんだろう、上手く言えないけど幸せのシンボルって感じがするんだ。だからつい、すみちゃんがいる時はあげたくなっちゃうんだよ」

「私の幸せを願ってくれるなんて、青ちゃんらしいや」

「そうだぞ~感謝してよ~? でもまぁきっと本物の宝石はさ、光輝が将来すみちゃんにプレゼントしてくれるからさ。だから……俺からはルビーみたいに赤い苺で勘弁ね」


 てっきり、「そうだね」と――肯定するような言葉が返ってくるだろうと思っていた。 

 しかし予想とは裏腹に、澄花はどこか驚いたような顔をして青波を見返す。

 何かまずいことを口走っただろうかと、交わった視線に焦りを覚えた青波が何か言わなければと言葉を探せば、さきに口を開いたのは澄花の方だった。

 

「なんで、青ちゃんそんなこと言うの?」

「……え?」


 グラスの中の氷が、カランと音を立てる。


「なんか、どっか行っちゃうみたいに聞こえる……」

「……ごめん、そういうつもりはないよ」


 慌てて首を横にふれば、じゃあどう意味なのかと言わんばかりの視線が肌に刺さる。

 上手く、言わなければ。

 悟られないように、でも――、


 ――すみちゃんは、本当の所……光輝とどうなりたいんだろう。


 知らなければならない答えだと思ったのだ。

 その答えさえわかれば、自分はもう少し先を急ぐことが出来る。

 全てを、光輝に託すことが出来る。


 だから――、


「すみちゃん、光輝のこと好きでしょ」

「え、」

「あ、赤くなった。ずっと一緒だったんだから俺にはお見通しだよ」


 君がトドメを刺してくれたら、


「ええ、青ちゃん……そんな……」

「ほらほら~隠してもばれてるよ! きっと光輝もすみちゃんと同じ気持ちだからさ。そのうちプロポーズしてくれるだろうと思ってさ! その時に綺麗な指輪とかくれちゃったりしてさ! 宝石はなんだろうね、ダイヤモンドかもしれないなぁ。光輝は馬鹿だけどそういうの選ぶセンスはあると思うし……」

「光輝が……指輪ねぇ……」


 刺してくれたら、


「だからさ、本物の宝石はその時までお預けね。それまでは俺の苺で我慢してよ」

「もう……青ちゃんには隠し事って出来ないなぁ」

「当たり前でしょ。一番近くで二人の姿を見て来たんだから」


 俺は、


「……うん、そうだね。青ちゃんの言う通りかな。私、光輝の事好きなんだと思う」


 喜んでこの身を差し出せる。


「……だよね、よかった」


 ニッコリと笑ったつもりだったが、果たして自分は上手く笑えただろうか。

 喉の奥から何かが込み上げてきそうになって、それを誤魔化すために下を向いてショートケーキにフォークを刺した。

 一口食べて、もう一口食べようとケーキにフォークを突き刺して崩せば、なぜだかそれが……まるで自分の様だと思った。


 身は削れていく。

 でもその体は間違いなく誰かを幸せにする。

 誰かの幸せのために消えるのなら、悪くはないと……目の前のショートケーキは言ってくれるに違いない。

 そうであると、信じたかった。


「ずっと聞きたかったんだよね、すみちゃんの口から」

「その言い方だと、前から私が光輝の事そういう意味で好きって……気が付いてた?」

「当たり前だよ、俺はずっと待ってたんだよ。すみちゃんと光輝が素直になってくれるのをさ」


 そう、本当はずっと待っていた。

 楽になりたかったのだ。

 心臓を止める理由を、その一撃を待っていた。

 淡い期待を抱きそうになる心も、何も持っていない体も要らない。


 ――君がトドメを刺してくれるのを、俺はずっと待っていた。


 この世で一番愛している君に、心だけはどうか、殺してほしかったのだ。



 

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