第24話 茶番

 天子のおわす御所の一角に、剣を振るうための道場がある。

 その中心には天御中主神と天照大神が祀られており、左右に武神、鹿島大明神と香取大明神の掛け軸が下がっていた。

 その見事な書は、立身心流の達人でもあった福沢諭吉翁によるものである。

 このヒノモトでは現代でもなお、剣は神事の一部として格別な尊敬を寄せられており、それが重火器が発達しても剣術道場が存続している大きな理由なのであった。

 古くは天叢雲剣が三種の神器に加えられておるとおり、ヒノモトにおいて剣は弓や槍よりも上位の存在であり続けた。

 それはすなわち神具としての格が、もっとも高いものが剣であったことを意味している。

 神に捧げられる奉納舞が、ほとんど剣舞で占められていることからも、この国における剣の位置づけがわかるであろう。

 神聖な御所のなかに剣道場があるのもそうした理由からであった。

 余計な装飾を徹底的に省いた三百平米ほどの白洲には、魁をはじめとした鬼山家の一族が勢ぞろいしていた。

 その数はおよそ三十人ほど。

 本来の一族を全て揃えるとなれば百人を超すレベルとなるが、女性と老人、そして十歳に満たぬ子供は除外されており、また分家として一家を立てた者たちも除外されていた。

 かつて女郎であった女性が当主となった女郎兼光の先例に習うならば、女性も全て参加してしかるべきかもしれない。

 しかし近代国家となってからのヒノモトでは、本人の強い希望がないかぎり女性が剣を取ることは少なくなっていたのである。

 それにこの選定の儀が茶番であることは、魁も天子側も承知している。もちろん承知している意味は違うとしても。

 であればわざわざ女子供を参加させる意義はないであろうとされたのだ。

 選定の儀に立ち会う面々は豪華の極みであり、集められた三十人はみな背中に汗して緊張を隠せずにいた。

 まずこのヒノモトの君主にして最高権力者である天子、その左に現在の統合参謀本部総長である九鬼正宗、右には神社庁長官であり、通産省の最高顧問でもある天目透が中央に陣取って彼らを睥睨していた。

 さらに陰陽寮の長官にして当代土御門家当主、安倍宗甫と密教界の重鎮、高野山金剛峯寺座主の釈祐と侍従長である牧野信元が控えており、ある意味裏の権力者が一堂に会した観がある。

(すごい汗だな)

(あれが普通の反応なんです。坊っちゃまが異常なんです!)

 道場の控えの間で身を隠している弥助の言葉に、葉月は憤然と小声で異議を唱えた。

 まともな人間なら顔を見ることすら憚られるような最高権力者を前にして、魁以下鬼山家の面々が極度に緊張してしまうのはしごく当然のことであった。

 その様子を面白がる弥助のほうがおかしいのである。

 弥助のために言い訳をするならば、仏生寺弥助が生きていた幕末において、天皇はあくまでも神輿であった。

 天皇が現人神に神格化された明治天皇以降においても、天皇が絶対権力者であったことは一度もない。

 父である孝明天皇には暗殺の噂がつきまとっており、天皇が政治に直接介入することは禁忌(タブー)とされた。

 そもそも弥助が生きていた幕末まで、天皇は長く将軍に実権を奪われていたお飾りであり、建前はともかく本心で忠義を尽くす人間は少なかった。

 だがこのヒノモトでの天子の権威は、弥助が生きていた日本の比ではない。

 なんといっても当たりまえにオカルトが、今なお公の政府のなかに生きている国家なのである。

 神聖不可侵の絶対君主、立憲体制に隠れてはいてもその力は、厳然としてこのヒノモトを支配しているのだった。

「畏れながら御前をお借り奉り、ここに鬼山家選定の儀執り行わさせていただきたく一同罷り越しました」

 天子が頷くのを確認して侍従長の牧野が答えた。

「すでにして当主不在より三年、この国難において鬼山家が負う責任は大である。天子様の期待に見事応えることを望むぞ」

「御意」

 答えながら余計なことを、と魁は臍を噛む。

 最初からこの選定の儀は失敗することを予定されているのだ。下手に女郎兼光が抜かれるようなことがあってはならない。

 選定の儀を終えて、やはり女郎兼光の主は現れませんでした、と言い訳するための茶番なのだから、期待されるだけ無駄だというのが魁の本音であった。

 どうあがいても天子の不興を買うのは免れまい。忌々しいことだが今は雌伏の時だ。

「――――僭越ながら鬼山越治より選定の儀、始めさせていただきます」

 女郎兼光――という体を装った無銘貞宗を恭しく頭上に掲げた後、「えいっ!」と裂ぱくの気合とともに鬼山越治は柄を握り鞘から引き抜こうと試みる。

 だが朱塗りの鞘は全く微動だにしなかった。

「力及ばず、申し訳のしようもございませぬ」

「次、鬼山篤郎、務めさせていただきます」

 その後参加者が必死に挑んでは、結局兼光を引き抜くことができず失敗を重ねていった。

 当たり前のことで、女郎兼光のフェイク、無銘貞宗には引き抜くことができないよう、何重にも仕掛けが施してある。

 だからこそ魁は一族の者たちにも女郎兼光が偽物であることを伝えていない。

 本気で引き抜こうと彼らに頑張ってもらわなくては、疑われる可能性があるからであった。

 そんな茶番を見守る九鬼正宗も天目透も、憮然とした表情を隠そうともしない。そんな様子を横目に魁は内心で舌を出していた。

(何度選定の儀を繰り返そうと同じことよ。継承者は現れない。貴様らは俺が鬼山家の当主であることを認めざるを得ないのだ!)

 確かに出世は少々遅れるだろう。

 しかしその程度では鬼山家の新興財閥に対する影響力まで奪うことはできない。

 古い血である四鬼家や陰陽寮は既得権益で固まっており、それを邪魔に思う勢力は決して小さくはないのだ。

 現状、彼らが担ぐ神輿は鬼山家以外にはないのだから、勝算は十分にあると魁は考えていた。

「――――誠に遺憾の極みではございますが、此度の選定の儀、継承者定まらず不首尾の仕儀と相成りました。非才の血族なれど何卒御寛恕のほどを」

 予定通りに全ての挑戦者が――魁も含めて――女郎兼光を抜けず、選定の儀を終了しようとしたそのとき、天目家当主、天目透が右手を上げてそれを制した。

 魁の背中がゾワリと冷たい汗をかく。

 まさにこの選定の儀に於ける魁の心配は、天目透によって偽の女郎兼光を見抜かれはしないか、という一点にあったのである。

「――――一人、忘れている男がいるのではないかな?」

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