第6話 帝国四鬼家
「今日呼び出したわけはわかっているな?」
広々とした日本庭園の竹林に囲まれた簡素な書院の一室で、四鬼家のひとつ九鬼家当主正宗は端然とした和装で二人の男を迎えていた。
三人のなかではもっとも年長の五十六歳、だが鍛え抜かれた巨躯と存在感は彼がいまだに現役の武人であることを明瞭に告げていた。
正宗は昨年より統合参謀本部総長を拝命しており、ヒノモト帝国軍部の頂点に君臨する男でもある。
同じく四鬼家のひとつ、鬼羅家当主の元春はまだ湯気の立ち上る茶を一服喫したあとでゆっくりと頷く。
「――――無論のこと。しかしうちは海軍ほど情報が入ってきているわけではない」
「それについては私から話そう」
最後に言葉を発したのは、真っ白な帝国海軍二種軍装に身を包んだ百目鬼家当主将暉であった。
ヴァージニア共和国との戦争で壊滅した帝国海軍に残された唯一の機動部隊、第一航空艦隊(翔鶴、瑞鶴、雲龍、天城、葛城、生駒)の指揮官にして来年には聯合艦隊司令長官の地位を約束された男である。
涼やかでありながら苦み走った短髪長身の色男で、これぞまさに海軍士官といった颯爽とした風情は、これまで数多くの乙女たちを虜にしてきた。
「先日ダンプ諸島の夏島において竜の討伐が確認された。竜の遺骸は現在海上護衛総隊が総出で帝国に回航中である」
そんなことはわかっている、と正宗は視線で将暉を促した。
「討伐されたのは水棲幼竜で、これまでにも討伐が確認されているタイプだ。おそらくは休眠中であった南洋竜が活動期に入ったものと考えられる」
「厄介なことだな。ようやく央華の崑崙竜が休眠に入ったというのに」
「四大竜王でないのがせめてもの救いだな」
四大竜王とは、崑崙山脈の崑崙竜、カリブ海に眠るリヴァイアサン、カフカス地方で活動中の多頭竜(ヒュドラ)、エジプトから地中海一帯を支配する現在もっとも好戦的な竜バハムートの四体を指す。
いまだにその理由は解明できていないのだが、竜は一定の活動期と休眠期を交互に繰り返していた。
だからこそ人類は今まで、かろうじて生存圏を維持できていたともいえる。
「南洋竜ということは、ノヴァギニアのバルブーエか。ようやく東南アジアが独立を形にし始めたというのに」
苦々しげに吐き捨てて、正宗は一拍の間をおいた。
「――――が、それは本題ではあるまい?」
「うむ、あまりに重大で由々しい話であるので、私も正直なところ頭を抱えている。しかし情報源は信頼してくれて構わない。実は竜退治の現場に以前の部下がいてな。まったく、もっと早く私を頼ってくれればよいものを」
「複雑そうだな?」
「話としてはそう複雑なことではない。あの鬼山魁がお家乗っ取りのため嫡男を暗殺しようとし、その魔の手を逃れた神刀とその後継者がたまたま夏島にいたということよ」
将暉の口調は淡々としていたが、漏らされた秘密は重大だった。
「帝国四鬼家ともあろうものが、己の欲望のために神刀の後継者を殺そうとしたというのか!」
「はたしてこれを表に出してよいものかは私の手に余る。 我ら四鬼家の鼎の軽重が問われることになると思うが、どうだ?」
深刻そうに眉を寄せて将暉は唸る。
だからこそダンプ諸島の海軍の総力をあげて事態に箝口令を敷いたのだ。今日呼び出しを受けたのは、将暉が敷いた箝口令に対して説明を求めるのが趣旨であった。
まさかこんな大それた事態になっているとは思っていなかった元春は、機嫌悪そうに行儀悪くお茶を啜った。
「すると奴らが今までやっていた後継者選定の儀はやらせか」
「で、あろうな」
帝国の対竜戦闘の切り札ともいえる四鬼家は、それぞれ竜を殺すことができるだけの、最高級の対竜神具を所持していた。
そのひとつが女郎兼光であり、代々の当主となるには兼光に認められなければならないのが習わしである。
それが選定の儀であり、女郎兼光を鞘から抜くことができたものが当主となる。これは決して本家の嫡男だから継承できるというものではなく、完全な実力制であった。
いまだ鬼山家から兼光を抜く者が現れたという報告はなく、いまだ魁が暫定的な当主として鬼山家を取り仕切っているのはそのためだ。
なるほど現れるはずがない。後継者は国外にいて、そもそもあるはずの神刀すら手元になかったのだから。
「これほど四鬼家の威信を虚仮にされたのは生まれて初めてのことぞ」
正宗は奥歯を噛み潰さんばかりに怒り狂っていた。
古い血と伝統を守り、帝国の盾として竜を相手にも一歩も引かなかった四鬼家の誇りが、こんな形で汚されることになろうとは。
何より、ヴァージニア共和国との戦争で太平洋に散った弥助の父、鬼山多聞は正宗にとっても将来を嘱望した息子のような存在だった。
その忘れ形見が、まさか危うく暗殺されるところで、遠く太平洋の彼方の夏島で匿われていようとは。
「すると嫡男(やすけ)が鬼山の血を引かぬ他人との不義の子という関係者の証言や、血液検査の結果などもねつ造だろうな」
「叩けばいくらでも埃がでるだろうさ。問題は奴はいろいろと利権がらみで派閥を拡大することに関しては有能だということだ」
竜の出現によりボロボロになった海上交通路(シーレーン)において、いまだ一定の海上勢力と護衛力を有した国は少ない。
そのため一時は亡国の瀬戸際まで追いつめられたヒノモト帝国は、独占的な海運業の需要によって急速に復興してきている。
その傾向はサクソン王国やフランク王国の影響が激減した東南アジアにおいて顕著であった。
そうした新興企業がまず接近したのが、何かと脇が甘い鬼山家だったのである。
潤沢な資金力をえた鬼山家は、神刀に認められていない仮初の後継者でありながら、今や軍内主流派とは言えないながらも一大勢力を築き上げていた。
「――――やはり内々に処理するほかあるまいな。畏きところにおすがりするのは恐懼の極みではあるが」
「それより情報の秘匿を厳重に頼むぞ。万が一にも鬼山の馬鹿に知られることのないようにな」
「全力は尽くす。しかし竜が討伐されたことに関しては止められんぞ? ことは我が国だけの問題ではない」
「だからといって件の後継者の到着前に奴を処断することは難しいぞ?」
現在のヒノモトの軍で並ぶもののない重鎮三人は、さらに人には言えぬ暗い策謀を夕刻まで練り続けた。
「――――ふう」
玄関口まで元春と将暉を見送って、正宗はようやくため息を吐いた。
ずっしり肩が重い。それだけ正宗にとっても心労の大きい謀議であったということだ。
ことが国家の存亡にかかわるだけに、正宗の感じる重圧もひとしおであった。正宗よりも若い二人にとっては、さらに大きなものであったろう。
「おじい様、お疲れのところ申し訳ありませんが」
「どうした芙蓉?」
正宗にとっては目に入れても痛くない孫娘の芙蓉が襖をあけて顔をのぞかせた。おそらくはこのヒノモトで天子以外で唯一正宗の頭の上がらない存在であろう。
芙蓉の花のような顔(かんばせ)は母譲りで、将来絶世の佳人となることは保障されている――と思うのは身内の欲目ではあるまい。
「私、聞いてしまいましたの。――――弥助様がお戻りになるそうですわね?」
日本人形のようなおかっぱ頭に形の良い鼻梁が可愛らしいが、迫力はその外見を完全に裏切っていた。
「なっ! おじいの話を立ち聞きしてはならんとあれほど言ったろう!」
「今はそんなことはどうでもよいのです!」
いまだ十一歳とはいえ女は女。
芙蓉は完全に獲物をロックオンした鷹のような目で正宗ににじり寄る。
「弥助様が真実鬼山家の血を継いでいたのなら、当然あの話も無効ですわ。そうですわね?」
「む、むう……だ、だが先方の意思というものも、だな」
「弥助様ならきっと大丈夫ですわ! この芙蓉を弥助様が断るなど決して決してありえないことですわ!」
(あかん)
まだ弥助の父、鬼山多聞が生きていたころ、二人目の孫である芙蓉を弥助の許嫁に、という話があった。
正式な婚約の前に多聞が戦死し、弥助が多聞の血を引いていないと発表があったためそのまま流れた形にはなったが、前提条件が覆ったのならば確かに考える余地はあった。
しかし何分昔の話であるし、下手をすると弥助が多聞から許嫁の話を聞いていない可能性すらあった。
当時はヴァージニア共和国との戦争で、誰もが忙しい日々を過ごしていたからだ。
多聞との友誼があったから許嫁の話をしただけで、正宗はまだまだ可愛い芙蓉を嫁にやる気は一切なかった。
むしろそんな話から遠ざけていたはずなのに、まさか芙蓉がそこまで弥助に執着しているとは思いもよらなかった。
「――――芙蓉はどうしてそんなに弥助が好きなのだ?」
「弥助様はとても凛々しくてお優しくて、あれは三年と十か月十八日前のことでしたわ。私が暑くて涼んでいたら、冷えた果実水を持ってきてくださって、優しく汗を拭てくれて、私は恥ずかしくて弥助様のお顔が見れませんでした。それから三年と八か月二十日ほど前…………」
「うん、わかった。おじいは頑張るぞい」
惚気を途中で遮られた芙蓉は、気分を害したようだったが、正宗がひとまず前向きになってくれたことに満足して退出していった。
純情無垢だと思っていた孫娘が、まさかの肉食系だった。
息子夫婦を呼び出して、いったい娘の教育をどうしていたのか、小一時間問い詰めようと決意する正宗であった。
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