第26話 魁の転落

 たとえ女郎兼光の姿を見たことがない者でも、弥助が持つ刀から発せられる格の高さと内包された力の強さを感じられないほどの素人はここにはいない。

 なんといっても彼らは鬼山家のなかでも鬼の血を濃く引き継ぐ者たちである。

 むしろこのなかでもっとも鈍感なのが魁であると言えるかもしれない。

 少し遅れて弥助が抜刀していることの意味に気づいた魁は、それでもなおそれを認めることができず弥助に詰め寄った。

「よこせ! それを私によこせ! それは貴様のような小僧が持つべきものではない!」

「まだわからないのか? それでよく仮とはいえ鬼山家の当主が務まったもんだな。お前には刀を持つ資格すらない」

 権謀術数には長けているのかもしれない。

 金勘定は得意かもしれない。

 だが武人が持つべき覚悟と誇りと実力が魁には決定的に欠けていた。

 その場にいた全ての人間がそう確信するほど、魁の欲望に塗れた見苦しさは明らかだった。

「主を決めるのは人間じゃない……兼光の意思が主を決めるんだ。――――高尾」

(呼ぶのが遅うおすえ、主様)

「――――これが高尾大夫!」

「まさか多聞にもなしえなかった顕現を為しうるとは!」

 天目透と九鬼正宗が期せずして感嘆の声をあげて立ち上がった。

 いや、侍従長や安倍宗甫に釈佑も目を見開いて全身で驚きを表していた。

 最高級の対竜神具に宿る精が現世に顕現するということは、それほどに貴重で重要な意味を持つことなのだ。

「――――な、なんだこの場違いな女郎は? いったいどこから現われた?」

「おいおい、仮にも当主なのに精霊化も知らんのか」

 これには弥助も呆れるしかなかった。

(全く、野暮も野暮、塩次郎も形無しでありんす)

 ごくわずかな一流の対竜神具は精霊化することができる。それは神具を扱うものなら常識の話であった。

 魁は神具を扱う器が最初からないと思われていたので、それを知らなかったのだ。

 すなわち、魁は鬼山家の当主の座を務める資格などないとみなされていたことの証明のようなものであった。

 塩次郎は花魁言葉で、うぬぼれの強い中身のない男のことで、今の魁はまさにそうした道化そのものに見えた。

 魁の後ろに控えていた鬼山一族の間にも動揺が走る。鬼山家の一族のなかでも長老に近い人間は精霊化の何たるかは知っていた。

 語り継がれるその美しい太夫の姿のことも。

「魁、貴様――――!」

「なんだ叔父――ぐはあっ!」

 憤怒で全身を真っ赤に染めた一人の男が、魁の顔面を力の限りに殴りつける。

 武人らしい巨躯から繰り出された拳に、魁の鼻はあっけなく骨折して鼻血を噴き上げた。

「な、当主に向かって何をする!」

「貴様など当主ではないわ! よくも我らを謀ってくれたな!」

「た、謀ってなどいない! いいがかりはよせ!」

「女郎兼光を引き抜き精霊化させた。それこそその御方(やすけ)が鬼山家の血を引いている何よりの証! 先代を裏切りどこの馬の骨とも知れぬ種を孕んだなど濡れ衣もいいところであった、ということだ!」

「あっ…………」

 これには咄嗟に魁も二の句が継げなかった。

 弥助が本物の女郎兼光を持っているとつい先ほど自分は訴えたばかりである。

 その女郎兼光を弥助が抜いたならば、それはこれ以上ない弥助が鬼山家直系の血を引いていることの証明なのである。

 弥助に女郎兼光を奪われたと訴えたのは早計であった、と魁は己の失言を呪った。

「どうやら化けの皮が剥がれたようだな」

「この……爺いが余計な真似を!」

 してやったりとばかりににやりと嗤う正宗の顔に、だいぶ前から今日この絵図面が引かれていたことを魁は察した。

 おそらくは海防艦波照間の一件より前に、すでに百目鬼将暉あたりの入知恵で自分は陥れられていたのだ。

 なんとか反論したいが術がなかった。

 ここにいる人間のほとんどは、鬼山家の権力が全く通用しない権力者ばかりなのである。

 ましてヒノモト刀鍛冶の頂点、天目透がいる以上、女郎兼光や偽女郎兼光のことで言い訳をすることは不可能だった。

「――――血迷ったのか女郎兼光! こんな餓鬼を主に選ぶなど!」

「おいおい、高尾が貴様のようなクズを選ぶはずがないだろう? いい女を振り向かせる実力もない男が。分際を知れ」

 弥助に鼻で笑われ、明らかに見下されていることを悟って魁は激高した。

「小僧め! 貴様ごときが鬼山の名に相応しいはずがないのだ!」

「ならばひとつ試してやるとしようか」

 弥助は兼光を鞘に納めると、魁に向かって言い放った。

「これから面を打つから、防ぐことができたら鬼山家当主の座は譲ってやろう。簡単なことだろう?」

「ふん! その言葉、忘れるな!」

 藁にも縋る思いで魁は偽女郎兼光――無銘貞宗大太刀を手に取った。

 一流の武人にはほと遠いとはいえ、鬼山家直系に生まれた男子として、恥ずかしくないだけの剣術を魁も幼少から仕込まれている。

 予告された面を防げぬ道理がなかった。

 ゆっくりと弥助が兼光を鞘ごと振りかぶる。その無造作な動作に見ている正宗たちがハラハラしたほどであった。

(――――大丈夫、なんだろうな?)

(竜殺しの実力を疑うわけではないが…………)

「――――面、行くぜ?」

「ぐがっ!」

 振り下ろされる弥助の一撃を、魁は認識することすらできずにまともに食らい、何があったのかわからぬままに昏倒した。

 見ている者にとっても、意外でわけのわからぬ一撃であった。

 目に見えぬほど早いというわけでもない。特殊な技巧を凝らしたというふうにも見えない。ただ魁が防ごうとも避けようともしなかったのだけが事実であった。 

「見事である。鬼山弥助――――朕が幼少より耳にいたした高尾太夫の姿そのままぞ。さすがは竜殺し、鬼山家の当主に不足あるまい」

 そして天子自らの言葉が決定打だった。

 その言葉に法的な拘束力はなにひとつない。だがしかし逆らうことは決して許されなかった。逆らうことはヒノモトの国を敵に回すことを意味していた。

「この愚か者(かい)にはいろいろと聞きたいことがある。憲兵総監に引き渡せ。よいな?」

 正宗の最後の確認の言葉は鬼山家の一族に向けられていた。

 一族のなかには魁によって甘い汁を吸わせてもらっていた者もいたが、ヒノモトの最高権力者が集結したこの場で反論できるはずもない。

 弥助一人ならともかく、もはやヒノモトの国家自体がバックアップすると宣告したに等しいのだ。

「我ら一同、弥助様を真なる当主として忠義を捧げる所存にて」

「よき哉、よき哉」

 普段なら最低限の言葉しか発しないはずの天子が手を叩いて笑う。

 これほど機嫌のよい天子の顔は、付き合いの長い正宗や透にとっても初めて見るものかもしれなかった。

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