第25話 真の後継者
天目透の言葉は正しく魁の意表を衝いた。
「はぁ」
そんな間抜けな声が漏れたのは、魁が完全に想定外の事態に頭が真っ白になってしまっていたからであろう。
もともと魁は格下相手には力を発揮できても、格上にはこずるく立ち回る程度のことしかできない小心者だ。
「せっかく天子様の御前をお借りしているのだ。欠いてはならない男が一人いるだろう?」
「正直心当たりがありませぬ。天目様のお言葉ではございますが、何かの勘違いではないでしょうか?」
「そうか……思い出せぬなら私のほうからご紹介するとしよう。鬼山弥助殿、どうぞ選定の場へ進まれよ」
「ではお言葉に甘えて」
隠し戸からゆっくりと弥助が姿を現すと、魁の目が驚愕に見開かれた。
忘れもしない。長年どれほど捜索しても見つけることのできなかった弥助の姿がそこにあったのである。
「貴様! 今までどこに隠れていた?」
「天子様の御前であるぞ! 控えよ鬼山魁!」
「九鬼殿! まさか貴方の仕業か!」
正宗に一喝されて、魁は親の仇を見るような目で睨みつける。
「――――鬼山魁、すべては天子様の御意向である。口を閉じぬならば不敬の罪で縄打つがよいか?」
「い、いえ、決してそのような…………」
さすがに侍従長に窘められると、魁も引き下がらざるを得なかった。
ここが鬼山家であればよかったが、残念なことにここは魁にとって望月のような腹心すらいない孤立無援の敵地に等しかったからだ。
(くそっ! くそっ! まさかあの小僧は天子様のもとへ匿われていたというのか! いや、そんなはずはない。もしそうなら、とうに九鬼や百目鬼が反応しているはず!)
「しかしその男は鬼山家の血を一滴も引かぬ不義の子供でございます! 選定の儀に参加する資格があるとも思えませぬ」
「不義の子か。そんな診断を下した医者がいたようだな。不思議なことに分不相応な大金を得て豪邸を新築した医師が」
すでに魁の裏工作は、正宗配下の陸軍参謀本部第二部によって、洗いなおされていた。
このまま裁判をしても十分に魁を有罪にするだけの証拠も証人も集められていた。ただ魁だけが何も知らずにいたのである。
「な、なんのことでしょうか?」
「それが真実であればなおのこと、選定に参加しても問題はなかろう。何せ鬼山家の血が流れて居なければそもそも神刀は抜けぬのだからな」
正宗にそう言われて魁は内心で舌を出した。
(馬鹿め! 墓穴を掘ったな。小僧が鬼山の血筋であろうとなかろうと、この刀を引き抜くことなどできぬわ!)
芳崖から奪った無銘貞宗には、決して誰も抜くことができぬよう何重にも封印が施してある。弥助がどう頑張ろうと抜ける道理がなかった。
「では不肖鬼山弥助が選定の儀、あい務めさせていただく」
傲然と嗤い、弥助は白洲に下りると脇に差していた清麿小脇差一尺三寸を引き抜いた。
「貴様っ! 何を!」
偽女郎兼光を引き抜こうとするのではなく、弥助が抜刀したことに魁は怯え、醜く惑乱した。
「ひいいいいいいいいいい!!」
一族の背後に隠れるように、怯えて弥助から逃げ出すという無様さに、思わず正宗や透から失笑が漏れたほどであった。
もっとも魁としては、弥助を追放し幾度も命を狙ったという恨みを買う心当たりがありすぎるので、到底虚心ではいられないのだろう。
問答無用で殺されても仕方のないことを魁はしてきたのだから。
そんな魁の様子に不審感と不快さを覚えた一族の者も少なくなかった。それほどに魁の反応は怪しかった。
まさか――――――
「――――よいしょっと」
弥助は偽女郎兼光――無銘貞宗の鞘に向かって清磨小脇差を無造作に振り下ろした。
「なぁっ!」
魁の悲鳴が響くよりも早く、強力な呪符と接着剤によって刀身を固められていた偽女郎兼光の鞘があっさりと割れた。
「可哀そうに、刀が泣いてるぜ」
鞘の後ろから現われた刀身を見て、弥助は仰々しく天を仰ぐ。
美しい地金には封印の呪言が黒々と書かれており、ところどころに接着に使ったと思われる膠が付着していた。
誰もがいったいどんな細工がされていたのか悟らざるを得なかった。
「…………これはどういうことか、説明してもらえるのだろうな?」
「私は知らない! 先代以来、この女郎兼光は一度も抜かれたことはないんだ! 私のしたことではない!」
「天目家当主、ヒノモト刀鍛冶の首座たるこの天目透の目を欺けると思うなよ!」
天目透は自らも白洲に下り、柄と刀身だけになった偽女郎兼光を手にとった。
「…………無銘ではあるが、初代貞宗の大太刀とみた。神具としても一級品といえるだろう。しかし兼光とは似ても似つかぬ」
「うぐっ」
天目透ならずとも、貞宗と兼光では、同じ正宗十哲とはいえ沸も違えば刀文も違う。多少刀に関する目が利けば誰でもわかることだった。
「――――我が鬼山家の恥となることゆえこれまで伏しておりましたが……家宝女郎兼光は強奪されていたのです! ほかならぬそこの小僧によって!」
女郎兼光が偽物であったことはもはや隠しようがない。
せめて少しでも自分の罪を軽くするには。咄嗟に魁は、一連の選定の儀偽装について取り繕うことを諦め弥助に罪をなすりつけることにした。
「もともと女郎兼光は俺のものだ。正当な持ち主に返してもらったのを強奪とは言わんだろう?」
「ふ、ふざけるな! あれは鬼山家の当主が持つべきものだ!」
「順番を間違えるな。女郎兼光の主が鬼山家の当主になるんだ。鬼山家の当主だから女郎兼光の主になるんじゃない」
「どこの馬の骨の種とも知れぬ貴様が女郎兼光の主になるはずがなかろうが!」
「そうかな? 逆にいえば、女郎兼光の主になるということは俺が鬼山家の血筋であることも何よりの証明になるということか」
「そんなことはありえないっ!」
「嘘か本当か、試してみればすぐにわかることさ」
弥助が視線を向けると、葉月が両手で女郎兼光を捧げ持ち、するすると白洲へと降り立った。
「おおっ…………」
以前の女郎兼光を知る魁を含めた鬼山家の男たちの口から、悲鳴ともため息ともとれる声が漏れた。
まさに鬼山家の力の象徴、長い歴史を体現する唯一の当主の証。
「そ、それをよこせ!」
必死の形相で手を伸ばす魁を鼻で嗤って、弥助は葉月の手から女郎兼光を受け取る。
刹那、抜く手もみせずに抜刀し弥助は魁の鼻先に兼光の刃を突きつけた。
「ひ、ひぃっ!」
チクリ、と兼光の先端が鼻に突き刺さり、血が流れ出したのを自覚して魁は転げるようにして弥助の前から飛びずさった。
「な、何をする!」
しかし魁の叫びに誰も応えることはない。
それどころか魁の悲鳴を無視するようにして、彼らの目は弥助が右手に持つそれに吸い寄せられていた。
すなわち、見事に引き抜かれた女郎兼光の圧倒的なまでの美しさと艶やかさと威厳に目を奪われていたのである。
至宝中の至宝。
竜をも両断する伝説の刀工、備前長船兼光の最高傑作。
「――――女郎兼光が……」
「抜かれた…………」
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