第28話 死闘

 鍛冶師である透には、武人である正宗が何を見抜いたかまではわからなかった。

「間(ま)とは?」

「間合いという言葉があるだろう。大抵の場合は物理的な距離のことを指す。得物の長さや踏みこみの幅、速度、優れた剣士はほとんどの場合得意な殺傷圏を持っている。かの宮本武蔵は米一粒のレベルで見切ることができたという」

 優れた剣士は五分(15ミリ)の見切りという言葉がある。

 おそらくは今の薫子であれば二分(6ミリ)まで見切る力があるはずだ。

 だが弥助のそれは、通常の剣士が知る見切りとは次元が違う。

「凡人は距離まで見切れても時間――タイミングまで見切ることはできない。要するに相手との呼吸を読むという技だ。わが師の元で修行していた若い日は小手を狙っても面を狙っても、する前から見抜かれて往生したものよ」

「では薫子も何かを見切られて無様を曝したと?」

「いや、それより遥かに性質が悪い」

 自分が導いた結論にまだ納得がいっていない様子で、正宗はごくりと生唾を飲みこんだ。

「俺の勘が正しければ――――弥助は呼吸の生と死を読み取っている。あらゆる生物は、否、神ですら呼吸をする。神の呼吸を息吹(いぶき)という。その性質はふたつ、生あるエネルギーと体内に取り入れ、死の穢れのエネルギーを体外へ出すということだ。人は、いや、細胞のひとつひとつですら呼吸の生と死からは逃れられぬ。身体だけのことではない。人間の思考というものもまた生と死によって縛られている」

「――――言わんとすること、わからぬでもない。鍛冶をするとき、炎というのはごく短時間に生と死を繰り返すものだ。その狭間を見切れぬ鍛冶師は決して鍛冶主にはなれぬ」

 大きく頷く透に正宗は低く唸った。

「持って生まれた才を長年磨きぬいた末に、ごく限られた部分のみの生と死を見切ることができる。それですら十年に一度の才であろう。だが、あの弥助はあの歳にして身体と思考の生と死を完全に読み解いている。なるほど――――竜を殺すことも造作もないことであろう」

 死の瞬間を正確に捉えることができるのならば、相手が気づかぬよう攻撃することも、鉄のように固いものを両断することも自由自在である。

 恐ろしい、と正宗は震えた。

 親友の忘れ形見であるということも忘れ、ただただ自分には到底手に入れられぬであろう弥助の才が恐ろしかった。

 そこで恐ろしがってばかりいないところが、正宗もまた常人ではない所以である。

 弥助の才は世界を変えることを正宗は確信していた。

 人類はついに恐るべき竜に対し、決定的な切り札を手に入れたのだ。

 一方、薫子は正宗のように剣の奥義について正確に知悉しているわけではないが、何かとんでもないことをされたということを身体で実感していた。

(思いあがっていた――――)

 北辰一刀流玄武館の師範代として、天目宗家に連なる一族として、鬼山弥助なにするものぞ、という気持ちがあった。

 本物の竜殺しというのはこれほどの武を誇るのか。

 天と地ほどの実力差があるにも関わらず、待ちを選んだ自分の愚かさに腹が立つ。

 これではせっかく私を選んでくれた無銘左文字が泣いているだろう。

「参ります!」

 一度は納刀していた左文字を再び抜刀する。

 神具にこめられている神気によって、全身が痺れていくような感覚。それによって薫子の身体能力は何倍にも引き上げられている。

「いい剣気だ。いずれは左文字を顕現させることも能うだろう」

(…………あの武骨者には惜しい娘でありんす)

 どうやら高尾大夫も高尾大夫なりに薫子を認めているらしかった。というか、左文字が精霊化して顕現したら武骨者になるのか。刀のイメージそのままだな。

「鋭っ!」

 ひとつの動作にしか見えない神速の三段突き――薫子が兄弟子の高柳幸作に伝授された最大の得意技である。

 弥助はこの致命的な刺突をわずか二歩足を動かしただけで全て回避した。

 さらにその引手に合わせて踏みこむや、再び薫子の腹に前蹴りを放つが、薫子も自ら後方へ飛ぶことでダメージを最小限に止めることに成功する。

 だからといってダメージが浅いというわけではない。

 弥助の足は正確に薫子の鳩尾を貫いており、呼吸困難で立っているのもやっとなほどのところを、薫子は気力でねじ伏せていた。

「行きます!」

 それでもなお、薫子は動くことを選んだ。

 次は突くとみせて小手に斬り落とす。

 もちろん見抜かれて小手を弾かれるが、薫子はいささかも怯まない。

 力の差は明白、ならばどこまで自分の技が通用するか試さなくてはせっかく戦った甲斐がないではないか。

 自分より格上の相手に全力で立ち向かっていく勇気は、一流の剣士となるために絶対に必要な資質のひとつであった。

 心折れずに勝負を諦めていない薫子に、弥助は本気を出す相手として資格ありと認めた。

(おえらいさんもそれを見たがっているようだし)

(主様の格好良いところ見せなんし)

「発気付与」

 弥助の全身から噴き出す怒涛のような気が女郎兼光へと注がれ増幅された。

「こ、これが竜殺しの気か!」

「いかん……これはっ! 下手をすると宮城の加護が吹っ飛ぶぞ!」

 陰陽寮の安倍宗甫が焦ったように叫ぶ。

 天子が住まう御所の霊的守護を担う彼としては、結界ごと全てを吹き飛ばしそうな弥助の暴挙を見逃すことはありえなかった。

「いかん! こ、これ以上はならんぞ!」

 竜が直接攻撃しても耐えて見せると自負していた宗甫だが、この質量のエネルギーは想定していなかった。

 はたしてヒノモトの陰陽師全てを結集してこの力を防ぎうるであろうか。

 かつて竜と相対したとき以上の恐怖を宗甫は覚えた。

「――――行きます」

「来い」

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