第29話 強制精霊化

 薫子の剣気が変わったことを弥助は感じて内心でほくそ笑む。

(よい気じゃ。のう主様?)

「ああ、剣術馬鹿の気だな」

 この心地よい剣気は、遠い前世の太田市之進の気を彷彿とさせる。

 弥助が間を極めていることを、正宗はもちろん薫子も察しているだろう。

 本来、間を極めるとは正確な距離を掴み、相手の思考を読んで後の先を取ることを指す。

 しかし弥助のそれは剣客の言う間を極めるとは根本が明らかに異なる。

 達人は長い経験と修行の結果、相手が攻撃しようと決意した瞬間にそれがわかる。

 江戸期の剣豪、寺田宗有は立ち合いに及んで「面を打つか、摺り上げて胴を打つぞ」と相手の意図を正確に洞察し、ならば小手に狙いを変えようとすると、「小手か、ならば斬り落として突くぞ」と見抜いてくるため、ついに最後まで剣を打ち合うこともできなかったという。

 これは攻撃の動作が無意識に現れる――武道に言うところの「起こり」を察知するがゆえに可能なことだ。

 弥助の感知する間とはそうした物理的なものではない。

 人が継続していると思っているものは、実は小さな集合の連続体である。

 すなわち、面を打とうとする意思は、その実面を打とうとする意思の連続体であって、意思と意思の連続の間には、ごく須臾ほどの隙間がある。

 心も肉体も細胞も、この世に存在する全ては決して永続的なものではなく、感知できないほどの隙間が存在する。

 線のように見えるものは、実は無数の点の集合にすぎず、点と点の間には必ず隙間があるのだ。

 その隙間を本能で知ることこそ、仏生寺弥助が体得した誰にも真似も理解もできない絶技なのであった。

 薫子は半身からやや前傾した突きの姿勢を取った。

 意図が見抜かれていることは百も承知、ならばわかっていても躱せない一撃を繰り出すことに全てを懸けようとしたのである。

 兄弟子の高柳が見れば、薫子を剣士失格と叱責したかもしれない。

 なんとなればすでに薫子は内心、弥助に勝利することは諦めているからだ。

 せめて自分の実力を最大限見せたい、どこまで通用するか見てみたい。そんな思いで薫子は前進の気と力を溜めた。

 泰然と弥助は薫子の気の高まりを待ち続ける。

 彼自身も、この時代の剣士の実力というものが体感したかったのである。

(ですがまだまだ足りんでありんす)

「確かにそうか」

 薫子は剣士として勇気を振り絞って実力以上のものを出そうとしている。

 しかしそれでもまだ足りないのだ。

 無銘左文字の精霊化を成し遂げるためには。

 薫子の素質であれば、いつかはそれが可能であるとわかっているだけに、高尾大夫には歯がゆいのだろう。

「高尾は優しいな」

(あちきほど優しい剣はヒノモトにふたつとあらしまへんえ?)

 そうだろうか? 割と敵は真っ二つにするのがデフォの武闘派な気がするが。

「鋭っ!」

 薫子が最後に選んだのはやはり己がもっとも得意とする突き技だった。

 気の高まり、タイミング、技量の全てが高い次元で両立していなければならない見事な突きである。

 思わず見ていた正宗たちが感嘆のため息を漏らしたほどだ。

「やはり今日のところはこんなものか」

 その最高の突きをなんなく躱して、弥助は高尾にあることを強請った。

「すまんが高尾、今日だけ寝坊助を叩き起こしてくれるか?」

(主様こそ優しいどすえ)

「よせやい」

 一拍の呼吸をおいて、高尾は全身から殺気を漲らせる。

 その巨大すぎる鬼気が女郎兼光の刃へと収束し、刃そのものが精霊化した。

 これが精霊化の最終形態、精霊合一である。

 触れるものを全て斬り飛ばさずにはおかない、究極の対竜神具の姿であった。

 だが弥助も高尾も、左文字を斬り飛ばそうとは露ほども考えていない。

 天目透は、名刀左文字が叩き折られる未来を想像してか、冷や汗を浮かべているようだが、そのあたりはさすがに正宗たち武人はわかっていた。

 弥助が薫子に何かを教えようとしているということを。

 その一方で、ほっと胸を撫でおろしている人間もいる。

 それはこの宮城の結界の責任者でもある陰陽寮の安倍宗甫であった。

 女郎兼光が本気でその力を解放したならば、宗甫の結界が吹き飛ばされるのは確実であったからだ。

「――肝が冷えたわ」

 竜から天子を守るためにこしらえた宗甫最強の結界である。

 土御門家の当主にして、陰陽寮の総代でもある宗甫にして、出色の出来であったはずの結界であった。

 その結界がたった一人の剣士によって破壊されるなど、宗甫にとって悪夢でしかない。

 なるほど、竜を単独で撃退したドラゴンスレイヤー、そして対竜神具の精霊化を成し遂げる人間とはこれほどの力を持つものか。

 だが、感心してばかりはいられなかった。

 ヒノモトを竜から守る組織のなかで、四鬼家の力が突出してしまうのは避けたいのだ。

 陰陽寮や天目家と違い、四鬼家は現実の軍という武力をも所有している。

 竜という脅威なきあと、再びオカルトの力が衰えたとき、もう誰も四鬼家を掣肘できないという事態もありえない話ではなかった。

「対竜神具の精霊化――我らも急がなくてはなるまいな」

 安倍家が先祖より密かに受け継ぐ対竜神具、それは十種神宝のひとつとされる蛇の比礼(おろちのひれ)である。

 神話の時代、須世利姫命によって大国主命へ贈られた蛇避けの比礼は、すなわち竜を寄せつけない効果を持つ。

 この宝を十全に発揮できるとすれば、竜に対する最強の防具となるであろう。

 近代化の流れのなかで力を失った陰陽寮に、再び往時の力を取り戻すためには、やはり対竜神具が必要だ。

 弥助がゆっくりと振りかぶる女郎兼光を凝視しながら、宗甫はより厳しく弟子たちをしごく覚悟を固めたのだった。

 挑戦者として常に先手を取り続けていた薫子であるが、弥助の佇まいが変わったことでその手を止めている。

 先ほどまでの絶望や悲壮感は、いつのまにか綺麗さっぱり消えていた。

 それどころか弥助がいったい何を見せてくれるのか、子供のようにわくわくしている自分がいる。

 いつだって剣術小町、天目薫子は最強の剣士を目指してきたのだ。

 そんな自分が憧れた最強剣士を体現したような弥助が、今度は何をしてくれるというのだろうか。

「気をしっかり保てよ?」

「はいっ!」

 迷うことなく、同上の高柳師兄に答えるように薫子は素直に叫んだ。

 敵意も嫉妬心もない薫子の単純さに思わず苦笑が漏れる。

 もしかすると左文字も、この薫子の単純さ、ひたむきさを認めて主としたのかもしれない。

「よしっ! 荒療治だがこいつで目を覚ませ! 無銘左文字!」

 弥助が女郎兼光を振り下ろし、兼光と左文字の刃と刃が打ち合う瞬間、兼光に蓄えられた膨大な気が奔流となって左文字に叩きこまれた。

 本来、左文字の所有者ではない弥助が気を注いでも意味はないのだが、弥助と兼光だからできる暴力的な力技で永い眠りから左文字は強制的に覚まされたのである。

(相変わらず乱暴なおなごじゃな)

「えええっ? これ、まさか左文字の精霊の声ですか? あわわわわわわ」

(いい年齢をした女子が騒ぐでない。かなり物足りんが気を借りるぞ?)

「ははは、はいっ! いくらでもどうぞ!」

 そうは答えたものの、左文字に気を一気に吸い上げられた薫子は、とても立っていることができずに脱力感で座りこんでしまった。

 本当なら彼女が左文字を精霊化するのは十年は早いのだ。

「おおおっ! 兼光に続き左文字の精霊を見ることができるとは!」

「なんたる眼福! さすがは豪壮無双たる左文字よ!」

 無銘左文字の精霊化した姿は、まるで比叡山の荒法師、あるいは武蔵坊弁慶のような巨漢であった。

 どうやら女郎兼光とは旧知であるらしい。

(よい主にめぐり合えたようだな)

(自慢の主様でありんす)

(お前は相変わらず凶暴なようだが)

(優雅絢爛たるあちきのどこが凶暴でありんすか!)

「わかるか? 左文字の気と繋がっていることが?」

「はいっ!」

「今はそれだけしかできなくとも、いずれ気を維持し、そして昇華し、最終的には精霊と合一することができれば、お前は俺と同じ景色が見れる」

「は、はいっ!」

 ようやく弥助が自分のために何をしてくれたのかを理解した薫子は、大きな双眸に涙を湛えて感激した。

 この感覚を忘れなければ、愛刀左文字の力をこれまでの何倍も引き出せるようになるだろう。

「…………やっていることは間違ってませんが……めぐり合わせが悪いというか……坊っちゃまはすけこましです!」

 一連のやり取りを控えの間で見せつけられた葉月は深いため息を吐くのであった。

 単純剣術小町の目が明らかにこれまでと違う熱を帯び始めていた。

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