第3話
「先輩、これって合ってますか?」
ガヤガヤしたワンフロア、デスクがズラリと並んでいる。デスクの上にはパソコンに、書類やファイルが山積みで、女子社員は午前10時のお茶出しを始めていた。
今月から導入された自動でコーヒーやカフェラテができる機械があり、女子社員は喜んでいた。
「ん、ちょっと待って、今取引先のメール仕上げてしまうから…。っと、これでOK。はい、西條は今どこの部分やってるんだっけ。」
榊原 晃は、大手通信機器会社の下請けの会社で働いていた。
肩書きは課長だか、スタッフには特に呼び方はこだわらないからと、気楽に話せる上司を目指していた。
仕事の覚えは今一つだか、目の前の仕事に熱心に取り組んでくれるどこかあどけない性格をしていた。
「えっと、これは、そうだな。この図を見てくれる人に理解してくれるためにはまずは丁寧に、あと、的確な文章を差し込むから、あれ、見本渡してたよな?コピー&ペーストしてもいいから、ここの位置に差し込んでもらえる?データあるよな?」
「あ、すいません。真っ白なところから自分で作っちゃってました。データあるので、それでやってみます。」
「冒険心あって良いんだけど、それでは作成時間がかかり過ぎてしまうからさ、見本を参考にして、自由にして良いのはここの部分だけね。」
晃は、丁寧に教えていた。西條の隣のデスクにいる新人教育を任せていた
頼んでいたことがしてもらえないストレスはここにある。
最近の情勢は、上下関係が,薄れつつあり、このように例に習って動けない社員もいる。
我のことは我、他人は他人と割り切り,できないなら自分1人でなんとかしてと半ば放置する者がいる。
丁寧に教えれば、丁寧に仕事してくれるはずなのに、それすらも面倒で、自分の仕事がこなせればそれで満足してしまう。
世の中,ロボットではないからうまいように動いてくれるわけではない。
でも、その人間らしさを肯定していかに人と人との輪が保てるかが上司の腕の見せ所。
分かってはいるが、なかなか難しいものだ。
自分のことでいっぱいいっぱいなのに、一般常識さえもできない指導までしなきゃいけないんだと割り切るしかないなとため息がこぼれる。
与えた目の前の仕事をしてくれるだけでも救いかとも思う。
課長である晃も日々同じ指導ができるかって言ったらそうではない。
体調が本当でない時は適当な指示を出すし、むしろすこぶる元気な時は嫌ってほどの仕事量を提示する。
こちらも人間だから、その日によって体力の出し加減が違うのだ。
それを知ってか知らずか、何も文句言わずに仕事してくれるスタッフたちには感謝しかない。
どこにいるのか、
完璧にこなす人なんて。
いたとしても
それは窮屈な空間だと感じる。
「榊原課長、コーヒータイムですよ。休憩少しでもしないと…。」
入社して3年目の
仕事の覚えは早く,人当たりも良い。よく晃のことを考えて声をかけてくれる優しい部下だ。
「ああ、そうだな。もう10時過ぎてるな。時間過ぎるのあっという間だわ。やることいっぱいあるのに。急がないと。」
手渡されたコーヒー片手に書類をワサワサめくって、次の作業はどれにするかと選び始めた。
「もう、課長、休憩時間でも仕事してるみたいじゃないですか。体持ちませんよ?」
「…あ。確かに。」
深呼吸をして改めて、コーヒーをゆっくりと飲む。
「そうそう、せめて10分は休憩するって自分に言い聞かせてくださいね。」
小松はトレイを片手に元の位置に戻って行った。コーヒーを出してくれることによって現実に戻って来れる。
休憩時間をまともに確保できない晃は、小松の一言で救われた。
追い詰めすぎだなと後悔する。
自分が部下だった時は、平気な顔して、休憩時間に行っていたのに、課長になってから仕事量が変わった。
一服するのでさえも、合間の休憩時間ではなく、昼休みにしかいかない。
本当はそれが体に良くないのだが…。
タバコは体に良くないと言うのはわかるが、ストレスは逆にたまる。
ニコチン切れというストレスは何ものでもないれっきとした毒だ。
イライラしたら、元も子もない。
嫁からの要求で紙タバコから電子タバコに変えたばかりだが、それさえも吸わないと落ち着かない。ライターを使うことはなくなったが、
こまめに電子タバコの本体を掃除しないといけない。
あと、充電もしないと吸えない。
ライターを使わない代わりのアクションが2つ増えた。
毎日の作業だから、増やしたくないものだが、タバコの代金のことを考えたら致し方ないことだろう。
朝8時半に出勤して、部下が残した仕事を尻拭いして、残業し続けると帰るのは夜9時を過ぎる。
家に着く頃には夜10時。
月曜日から金曜日までの生活はそんな感じだ。
ご飯はまともに食べられるのは、昼と夜だけ。
朝は、時間がないという理由でパンやおにぎり、オートミールやプロテインを飲んでごまかしている。
寝ている時間の方が多く欲しい。
肩書きは課長と言う名を付いているが、大して給料は平社員と変わらない。お手当なんて高々数万円。
パチンコやスロットで負けて無くなってしまうくらいの量しかつかないのだ。
それにも関わらず、差し入れのお菓子やたまにおごる社員の食事を出費しまえば、ほとんど新人と同じ給料しか生活費として回していない。
部下や後輩のために徳を積まないと、できないのは上司なんだろうなと感じる。
ケチるわけではないが、羨ましがれるほど給料は多くない。
それでも目の前の仕事には集中してこなしていかないといけない。
お金なんて考えて仕事はできない。
ムチを打って働いた体を休ませたいと思いながら、家の玄関のドアを開ける。
「ただいまー。」
「あ、お父さんおかえりー。」
今日は残業も切りあえてなるべく早く帰ってきたつもりだ。
息子の誕生日だった。
それでも着いたのは
午後8時。
お風呂上がりで裸ん坊の塁が洗面所からタオルを巻いて走ってきた。
昔飼っていたペットと同じでシッポを振っているみたいに喜んで玄関まで来た。
「ほらほら、風邪ひくからパジャマ着よう。」
帰ってきてすぐスーツのまま、リビングに置いていたパジャマに着替えさせた。休む暇もない。
「あ、お父さんの声するよ。お母さん。」
「うん、そうだね。ほら、体、タオルで拭いて!」
「わかったよ。でも、早くあっち行きたいよ。」
小学2年生でも、目の前にやりたいことがあえばすぐに走っていく。
歯止めがきかない瑠美。
「はい、今、拭き終わったから、パンツ履いてあっち行って!」
家庭によって違うが、榊原家ではお風呂上がりはリビングでお着替えしてドライヤーで髪を乾かすが流れとして生まれていた。
大人たちは洗面所で着替えをするが,子どもたちは大暴れするため、なるべく広いリビングで着替えている。
「お母さん、塁のパンツこっちにないよ。」
「はーい。今持っていくから先に瑠美の服着替えるように言ってて!」
「わかった。ほら、瑠美、風邪ひくからパジャマすぐ着替えて。」
「えー、だって今、これしたかったんだもん。」
「それは着替えてからやって。ほら!」
目の前にあったトミカをつかんだ。
塁がトミカをすると瑠美も一緒になってトミカをしたくなる。
隣の芝生がいつも青く感じるらしく、人のものが気になるようだ。
これが洗面所でも同じことが起きる。
塁がしてるから、瑠美がしているからの延長で喧嘩が起きる。
見てる親としてはそれだけで逃げ出しなるくらし疲れるものだ。
仲裁に入ったり、たまには放置したり、あの手この手で関わるが、結局は喧嘩を見て欲しいらしく目の前で勃発する。
「いい加減にしろ!!」
たまには晃の怒号が飛ぶ。
普段怒らない晃の言葉で子どもたちは一瞬止まって、落ち着きを見せる。
仕事で疲れて帰ってきてこの調子。
休む時間も与えてくれないのか。
ふと、落ち着いていつも通りの流れになると母も絵里香が言う。
「今日は、塁の誕生日だから。あとお父さんとご飯食べてケーキも食べないと。お腹空いているでしょう。」
「うん!!やった。楽しみにしてたんだ。僕のケーキ。戦隊レンジャーにしてくれたんだよね?」
「え?戦隊レンジャー? 塁、いつのことを言ってるの?2週間前にケーキ屋さんに頼んだ時、車のキャラって言ってたじゃん。赤い主人公のイラストがいいって。」
ケーキの箱を開けて確認する。
「えーーー。僕、戦隊レンジャーが良かったのに、お母さん、僕の話聞いてくれないんだ。もういいよ!!!」
本日の主人公のご機嫌を損ねた。
確かに1ヶ月前の要望は赤い車の映画に出てくるキャラクターでお願いねって言っていた塁。
そして、注文する1週間前にやっぱり戦隊レンジャーがいいかなと絵里香にぼそっと帰りの車の助手席で話していた。
その日は、仕事で間違いが多かったため、絵里香は疲れていて、塁の話をうんうんとスルーして聞いていた時だった。
その話が重要な話なんて、わからなかった。
「ご、ごめん。あの時、ケーキのイラストのことだったのね。忘れてたよ。」
食卓から別部屋に走って出て行く塁。
要求したものと違うイラストってだけでかなりの落ち込みよう。
せっかく、誕生日ケーキを用意したのに、絵里香はがっかりした。
もっとがっかりしたのは誕生日の塁かもしれない。
楽しくない誕生日。
描いて欲しかったもの
じゃないケーキ。
塁の好きな唐揚げとポテトサラダが
並ぶお皿の上。
通販で買った1文字ずつ風船で描かれたハッピーバースデーの文字。
買っておいた音が出るクラッカー。
カラフル三角帽子を父の晃は1人ぽつんとかぶって座っていた。
塁は別な部屋に行って暗い部屋の中で泣いていた。
地味に食卓ではクラッカーが一つ鳴り響く。
晃が塁がいない席に鳴らして見せた。
「誕生日でも、うまくいかないことあるんだな。塁の好きなプレゼントも用意していたのにな。」
「あの子はわがまますぎるのよ。こんなに贅沢なプレゼントとかホールのケーキとかあるのに…。今の時代の子どもたちは物に溢れているから。」
「もう、お腹空いたから食べてもいい?」
瑠美は席に着いて言う。
「ちょっと待ってて、今呼んでくる。」
絵里香は席を立って、塁のそばに行った。
「塁~、ケーキの生クリーム溶けちゃうから食べよう?またすぐ買ってくるから戦隊レンジャーのケーキ…。そうだ、おばあちゃんの誕生日に一緒に食べてもらおう?」
「やだ!僕は今日、食べたいの。戦隊レンジャー、今日、食べたいの。別な日は絶対やなの。あのケーキ、僕は嫌だ!」
「分かった。良いよ。もったいないから全部お母さんたちで食べるね。」
「やーだ!僕も食べる!」
「んじゃ、一緒に食べよう。」
「でも、レンジャーじゃないから食べたくない。」
話は平行線のまま、解決しない。そのやりとりが何度か続いて絵里香は疲れて食卓に戻った。
「お母さん!!置いてかないで~。」
暗くて、お母さんの声がしなくなった塁は、リビングに戻ってきた。1人になるのが急に怖くなった。
結局は、絵里香の膝の上に抱っこされて、大好きな唐揚げとポテトサラダをモクモクと食べ始めた。
泣いていた塁は、だんだんと落ち着いてきた。
塁は家族に試したかったのかもしれない。ギャーギャー言っても見捨てられないからを確認したかったのかもしれない。さっきまであんなに泣いていたのにバースデーソングを歌い始めたら、レンジャーじゃないケーキでも素直にろうそくの火を消して、取り分けたケーキを食べ始めた。
「クリームふわふわでおいしい!」
満足したようで、口の横にクリームをたくさんつけている。
「るーい、口にクリーム付いてるよ。」
絵里香はティッシュでクリームを,拭き取った。
「やめてよ。」といいながら、何だか嬉しそう。
一連の流れで、ゴタゴタがありつつも塁の誕生日は平和に終わった。
塁の眠るベッドの横には今日の誕生日でお願いしていたレンジャーの音の出る銃のおもちゃが置いてあった。
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