朱がおどる物語

暑い夏の日に朦朧としながら、あるいはひんやりとした旧校舎の階段で涼みながら展開していくからなのか、それとも作品のイメージカラーがそうだからなのか、この物語には朱色のイメージがあります。ちなみに主人公の名前も朱背です。ぽっかり沈んでいく夕日の色でもあり、終わりゆく夏を思わせる色でもあり。朱色は赤系の色の中ではやや落ち着いた色であり、深紅が盲目的に突っ走る激情ならば、朱色はどことなく冷めた傍観者の目を思わせます。

目の前で繰り広げられるのは、友情や恋、死や突然の別れ、それに高校生活最後の夏という青春そのものであるにもかかわらず、朱背はそれに没頭しきることはありません。自分の五感を通じて得た感覚をパペットのパペタ氏の口から解説してもらい、それを聞いて現実を認識しているような、あるいは超絶うまい声真似で語ることにより、誰かになり切っているような、読んでいる方も現実感消失を体験している気分になります。

左織と右夏、春雨と降秋、春、夏、秋、そして冬は白クマ執事のパペタ氏でしょうか。いなくなった夏と夏を思わせる朱。夏を想う春と秋。右を忘れられない左。名前が錯綜し、思いが繋がり、でも小三のあの日に断ち切られてしまったものは結末を迎えることができません。いなくなった夏と冬、冬に去られた朱。白クマパペタ氏と舞台奥にそびえる霊峰白山。

たぶん私にはこの世界がまだ消化しきれていないのだと思います。くっきりとした真夏の現実の裏にいくつもの思いが縦横無尽に、それこそ伏流水のように流れていて、その地図を描き切ることができません。できないことだけはわかっているので、この物語を読むたびに苦しくなります。それなのにまた読みたくなるのです。

ちなみに、一番心に残ったフレーズは朱背の語る「金色の盾である。偽物ではなく本物の金が使われていることが分かる、I県民なので」です。朱と金、これまた美しい取り合わせじゃないでしょうか?

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