口下手な余田さんがすごく気になります。

誰しも、物語にどこか自分を重ねてしまうので、着目する箇所やそこから想起されるものが少しずつ異なりますが、私が最も胸をつかれたのは余田さんが沢渡くんを「日野さんの彼氏」と呼んだことでした。沢渡くんの虚無や葛藤や成長、日野さんの苦悩や煩悶、それらがすべて吹き飛び、余田さんの心理が気になるようになりました。
ある男のことを自分の恋人の彼氏と呼ぶ。なかなかない状況ではないでしょうか? そこにはいろんな思いが込められうるでしょう。嫉妬、怒り、侮蔑、嘲笑、諦め。でも、愚直なほど真っすぐな余田さんに皮肉の色はなく、日野さんと沢渡くんの現状をおそろしいほど客観的に理解し、表現しているのではないかと感じます。
もちろん余田さんは日野さんを愛しており、一対一のモノアモリーな関係でいたいと願っています。それでも横恋慕してきた沢渡くんを日野さんの彼氏と呼ぶのは、日野さんにとって沢渡くんとは、ある意味において、余田さんと対等な愛する存在であるのだろうと認めたからでしょう。
もちろん、この小説はポリアモリーを掘り下げるものではなく、愛することを知らない沢渡くんの成長を通して、彼を含む三人の愛のかたちを改めて問い直すものです。でも、沢渡くんという異分子が一組の恋人どうしの間に飛び込んできたことで一時的に形成されてしまった複数愛状態を忌むべきものと見なすのではなく、ひとつのありうる形態として当事者の余田さんに認めさせたところが私には新鮮でした。
モノアモリーと対立する考えとしてではなく、それを包括する過渡的な関係としてポリアモリー関係を表している興味深い作品だと感じています。

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