三、『突き付けられたのは、己の立脚点』その3
「・・・・・・出やがらねぇ」
白い吸血鬼は吐き捨てると、半眼で携帯電話の小さな液晶画面を穿った。
モニターには少年のPHS番号。既に六回は掛けているが、どれもこれも〝電源を切っているか電波の届かない場所に居る〟の一点張りである。
「ま、別に四六時中べったりという訳じゃあないんだ。構わねぇけどよ」
しかし、と視線を落とす。
血に染まった小さな手。そこには同じ色で濡れた〈
「寝覚めは・・・・・・すこぶる悪い」
電話を掛ける三十分程前。
白の〝
ホーネットワムズは拠点がない。故に正体が掴めず〈三角定規〉の居場所を探すのも五里霧中であった。
だが、先日のゲームセンターで彼女は一つの手掛かりを掴む事になる。あの吸血鬼もどきは終ぞ居場所について口を割る事はなかったが、殺し合いの最中に迂闊にも口を滑らせていたのである。
曰く、敵対者の臓器販売。
銃器や薬物よりも、臓器はデリケートな取引である。
最低でも、医者と施設へのコネクションが必要となる。凶暴性を棚に上げれば、ホーネットワムズは
ならば、元あるルートに乗るしかない。〝夜〟に紛れ神出鬼没な存在であったが、取引となれば否が応でも〝昼〟へ己が身を晒さねばならない。暴虐の白は、そこを突破口に定めたのである。
ホーネットワムズと取引を行っていたルートは、容易く見付かった。
臓器密売ルートはその秘匿性故に、新規を取り込むのは希である。ましてや不良少年の持ってきた怪しい臓器を買い取る連中など、裏社会の常識と照らし合わせてもマトモではない。そんな粗雑なルートなど、綻びに骸を一つか二つ捧げれば簡単に開く。斯くして現代最強の吸血鬼は、得物を肩に担ぎ取引先たる古びた三階建ての個人病院に単身踏み込んだのであった。
その個人病院は、曾て地元民の掛かり付けだった。
しかし高齢だった医師が退職してからオーナーが変わり、それから次々と人手に渡る事を繰り返し、今ではオピオンインダストリアルという外資系の傘下となっている。
何故、欧州最大の軍産複合企業が個人病院を買い取り、杜撰な臓器密売ルートを構築したのか、白い吸血鬼は分からない。それはまた、別の物語である。枝葉のように広がる世界を巡る彼女にとって、関係のない事であった。
関係ある事は、ただ一つ。
――〈三角定規〉を知っているか?
あのいけ好かない、麦わら帽子を被った女の足跡のみ――――
三十分後。
現在。
「拙いな・・・・・・これは」
細い携帯電話をポケットへ捩じ込み、吸血鬼は床に散らばった肉塊を睥睨する。辛うじて原形を留めた左手に握られていたのは、一葉の写真。
写っていたのは、あの少年。
自分が巻き込んだ、一般人。
「何処で情報が漏れた・・・・・・? まあ、漏れるのは時間の問題ではあったが。それにしても、早過ぎる。よりにもよって、このオレが離れている時とは」
面倒くせえ、二回ぼやくと〈
重い、空気だけでなく世界さえも斬り裂く一撃。
臓物が混じり粘性のある血糊が、白い診察室を赤く染め上げた。
「腹が立つな。業腹だ」
棚が叩き割られると、薬瓶が次々落下し悲鳴のような音を響かせ砕け散る。
「オレがこの程度の嫌がらせでどうにかなると思われているのもムカつくし、その程度の嫌がらせにアイツを使うのも許せねぇ」
だから――――よ、と靴底を筆に血糊を擦り朱眼を剣呑に細めた。
「貴様ら全員、今日が命日と刻め」
眼前。
鎖の音が響いた。壁が突き破られ、粉塵が室内に立ち込める。
「■■■■■■■■■■■■■■!!」
咆哮を上げる。
体長約三メートル。辛うじて人型を保っているが、霊長の理性はない。粘土色の肌には幾つかのケーブルが接続されており、背部に備え付けられたシリンダーから常時薬液が注入されていた。
この個人病院の自動警備装置。オピオンインダストリアルによって〈
僅かな沈黙。
ごぼり、というシリンダー内の薬液が圧縮される音。脳髄が強制活性化し、吸血鬼を〝敵〟と認識した。
「・・・・・・この時代のテクノロジーは不便だな」
鋲で装飾された拳を避け、暴虐の白は皮肉げに口を歪める。
「脳みそで使える部分が少ないから、薬品に頼るしかない。オマケに脳へ繋いだCPUのスペックも低いから、行動にどうしても大きなラグが出る。兵器としては欠陥品だ」
だから、と残像のように髪を残して吸血鬼は〈
「狩るのは容易い」
肉が割け、骨が砕ける音。〈
「それに継ぎ接ぎの屍体より、生きてる分、肉体を改造した奴の方が殺しやすい。後で
嫌がらせによ、踏み込んで嗤う。
〈
数は七、その多くは最初に破壊した〈
いつでも破棄可能なルートを構築したにしては、この数は明らかにやり過ぎである。幾ら課題が積層する試製品とはいえ、この数ならば訓練を受けた部隊ですら太刀打ち出来ない。ましてや、魔法と銃器を授かり調子に乗っているレジメントならば尚更である。
「まさか・・・・・・オレの足止めか?」
有り得ない。直ぐさま、吸血鬼は自分が建てた仮説を否定する。しかしまた、否定しきれない自分も居た。
原因は、ホーネットワムズという組織の特異性である。幾らあの陰険な〈三角定規〉が座しているとはいえ、その資金力とコネクションは一介の不良グループの域を超えている。
確かに、一から臓器密売ルートを構築出来る組織力は持っていない。だが、既存のルートへアクセスするコネクションなど、普通の不良グループでは逆立ちしても手に入らない代物である。
今までは〈三角定規〉だけに焦点を合わせていた。しかし、それだけでは奴の喉元へは届かない。ホーネットワムズ、その骨子を捉えねば。
「まあ――――だがよ、」
ホーネットワムズだった肉塊を蹴り飛ばす。肉がカメラを塞ぎ、〈
すかさず。
「まずは宣言通り、
フルスイング。
血飛沫。チタン合金とカーボンセルロイドで強化された頭部が、〈
「馬鹿正直に脳を頭に押し込める奴が居るかよ」
舌打ち。
機能停止した〈
「幾らで買われたんだ、お前ら。果たして、それだけの価値はあったのかよ。霊長の誇りと器をかなぐり捨てる程の」
二本の杭が、〈
「ねぇだろうな、多分」
粘土色の肉体を四散させ、白銀の杭と化した魔法が放たれる。それは
「値段が付けられないから、命は
最後、残った〈
そこは手術室だった。
拘束具が備わった手術台が三台、無影灯に照らされている。棚に保管されているパッケージ化された臓器は一部が機械化されており、〈
「ああ――――成る程・・・・・・」
最奥の手術台、拘束されている男に吸血鬼は視線を向ける。開腹され肋骨が外されたそこには、移植された機械化臓器が無機質に脈動していた。
「此所は所謂、製作所という事か」
それならば、杜撰な密売ルートも頷ける。ルートは偽装であり撒き餌である。
「ノコノコ納入しに来たら、捕まって弄くり廻された・・・・・・と。災難だったな」
レジメントに所属する人間など、行方不明になったところで誰も気には留めない。ホーネットワムズがこの病院へ報復に出ない辺り、契約時に織り込み済みなのだろう。
辺りを見渡す。部屋に制作者の姿はない。
恐らく、
「・・・・・・オレとした事が、宣言通りとはいかなかったか」
独り言ち、構えた〈
「生きてっかな・・・・・・アイツ」
まあ大丈夫だろう。
あの少年は、己が考える以上に異常だから。
「――――――――」
不意に、拘束された男と視線が合う。男は残された理性と生身で必死にこちらへ窮状を訴えているが、既に半分以上が人と世界から逸脱しており手遅れであった。
「悪いな・・・・・・いや、」
吸血鬼の少女は
タイルを割り床に突き立てられる二本の杭。形状を変形させ、弩と化した〈
「悪いからこうなったんだ。諦めろ」
自業自得だ、
――
その言葉は、果たして誰に向けたモノだったのか。
焔が室内を焼き尽くす。
男の身体も、少女の表情も、焔に飲み込まれ消えていく。
後にはただ、涙のような灰だけが残された。
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